森のなかまたち 1
あれから『森のくまさん@小熊木工店』には、ぽつりぽつりと反応がきているらしい。
来たら来たでオロオロするけれど、全く反応がないのもそれはそれで思うところがあるし、結局どっちにしてもオロオロすることに変わりなかった。
ずいぶん心配もしていたけど、今のところ「いいね」という声をもらえているようで内心ホッとしていた。
それもこれも全部、小熊さんの素晴らしいミニチュア家具のおかげで私の作ったミニチュア雑貨もそれらしく見えるだけと言い聞かせつつも、それでもやっぱりちょこっと心は弾む。
私にしてはいつもより足取りも軽く、アルバイトへ向かう道を歩いていた。無謀にも、今日こそ犬飼のおばあちゃんに自分から挨拶をしようかななんて、 頭の中で何度かシミュレーションをしながら、角を曲がった時だった。
「母さん! もういい加減向こうの家で、同居しましょう」
突然、飛び込んできたその声に思わずビクッと体をすくませ、せっかくの意気込みがみるみるうちにしぼんでいく。
何というか……。私って、次こそ頑張ろうとか思った時に限って、イレギュラーが起こるというかタイミングが悪いというか……。
そんな地蔵と化したように固まっていた私に、しばらくして犬飼のおばあちゃんが気付いてくれて、いつものように声を掛けてくれた。
「あら、咲ちゃん、おはよう。今日もアルバイト気をつけていってらっしゃいね」
「お、お……お、おは、おはよう……ござい……ます」
おそらく聞こえてきた内容から察するに、一緒にいるのは娘さんだろうけれど、面識のない人物に緊張してしまい、いつも以上に言葉がつまってしまった。
そんな私に、娘さんはやや不審げな視線を向けつつも、とりあえず会釈をしたので、私もあわてて深々とお辞儀をしたあとそそくさとその場をあとにする。
「ちょっと、母さん。無闇に声かけたりして、迷惑かけないでよ」
去り際、そんな声がチラッと聞こえたが、私としては犬飼さんとのささやかな交流を密かに嬉しく思っているのだが、コミュ症なのでそれを伝えられないのがもどかしい。
◇◆◇
無事にバイトが終わり、帰り道また犬飼のおばあちゃん宅の前を通る。
家の灯りはついていたが、いつもならバイトから帰る頃も庭の水やりや玄関先の掃除をしているので挨拶を交わすのだが、まだ娘さんがいるのか今日はその姿が見当たらない。
何となく通りすがりに気配を探ってみたが、シンとしていた。
ただ単に、お買い物や近所にちょっと出掛けているだけかもしれないけれど、コミュ症のくせに変なところで妙に気にしいの私は、どうしてもそのまま通り過ぎることは出来なかった。
その場でしばらくぐるぐる思い悩んだ挙句、
「い、いい……い、いぬ、犬飼さ〜ん……」
意を決して呼び掛けて見たけれど、返事がない。まあ、今のは蚊の鳴くような小さな声だったから、聞こえなかったとしても不思議ではないけど……。
今度は思い切ってインターホンを鳴らしてみる。呼び鈴を押すのは何年ぶりの事だろうか、私にとってはピンポンダッシュをしなかったことを褒めてほしいくらい勇気のいる行動だった。
けれど、そんな勇気もむなしく、それにも返答がない……。
いつもの自分だったらとっくに諦めて帰るはず……いや、気になったとしても最初から関わらずに素通りしていただろう。
だけど、小熊さんと出会って一緒に過ごしていくうちに、ほんの少しずつだけど人と関わることを自分から簡単に諦めないようにという気持ちが育っていた。
それに、相手が犬飼さんだから、特別にそう思うことが出来たのかもしれない。
散々、迷った末に私はとうとう緊張で心臓をバクバクさせながらも、そろそろと庭に入り込むんだ。
「い、犬飼さ〜ん……。も、森野です。あ、あの、特に用があるとかじゃ……ないんですけど。い、いらっしゃい、ますか?」
震える声で呼び掛けてみると、ほんの少しして室内からコトンと小さな音がかすかに聞こえた。
他人の家の中を覗くのは非常に気が引けるけれど、私は意を決しておそるおそるカーテンの隙間から様子をうかがってみると……。
「っ……!」
キッチンの食器棚の近くで倒れている犬飼のおばあちゃんの姿に、心臓がドクンと大きな音を立てた。
頭の中では、すぐに助けに行かなきゃと思っているのに、膝がガクガクと震え一歩も動けずにいた。
けれどその時、痛みをこらえるようなおばあちゃんのうめき声にハッとすると、私はありったけの勇気を振り絞って庭に面した窓に手をかけると、幸い鍵がかかっておらず、震える足を叱咤しながら思い切ってそこから家に上がったのだった。
「だ、だ……っ、だ、だ……」
目の前で苦しんでいる人がいるのに、こんな時ですら「大丈夫ですか」の一言もかけられない自分に愕然とする。
「さ、咲……ちゃん? 驚かせちゃって……ごめん、なさいね。ちょっと、転んじゃって……」
それでも、そんな私に気がついてくれた犬飼のおばあちゃん。意識があることにひとまずホッとしつつも、こんな時にまで相手に気をつかわせてしまう自分が情けなくてたまらなくなった。
けれど、そのあと犬飼のおばあちゃんは痛みをこらえるように、息づかいが大きくなってうずくまってしまった。
とりあえず救急車を呼ばなければとスマホを取り出したものの、窓口の人に場所や今の状態とか伝えなければいけないことを頭の中でシュミレーションしようとしたけれど、動揺が激しくて何一つ思い浮かばず真っ白になったままだった。
まともに救急車を呼ぶことすら出来ない自分の不甲斐なさに涙がじわりと滲んだけれど、今は泣いている場合じゃない……!
私は震える唇をキュッと引き締めると、ごしごしと手の甲で目尻に溜まった涙を拭いながら必死に頭を働かせる。
こんなたどたどしい私の言葉でも、ちゃんと拾い上げてくれる人と言ったら……。
私はもうほとんど無意識に、その番号を押していた。
「どうした?」
ワンコールで出てくれた小熊さんの声に、再び瞳の奥が熱くなった。
「あ、あっ、あ……あ」
「落ち着け。今どこか、言えるか?」
小熊さん相手にもそれしか言えなかったが、彼は私のただならぬ様子にいち早く気付いてくれたようだった。
「緑の家の……おばあ、ちゃん……。お、おばあちゃん……が」
「わかった。すぐ行くから。このまま電話は繋いだままにしていろ」
犬飼さんとも言えなかったが小熊さんにちゃんと通じたんだと分かった途端、喉の奥に込み上げてくるものを感じて、ギュッと唇を噛みしめたけれど、すでに限界だった私は嗚咽をこらえることが出来なかった。
「うぅ……おばぁ、ちゃんっ……が……」
「大丈夫だ。犬飼さんの意識はあるのか? 体は動かさず、何か羽織るものをかけてあげろ」
小熊さんの問いかけにまともに返事も出来ず泣きじゃくるばかりだったけど、泣きながらも言われた通りに着ていた上着を脱いでおばあちゃんにかけたりしているうちに、遠くからサイレンが近づいてくる音が聞こえてきた時だった。
ガタンッ、と物音がしたかと思えば、小熊さんがキッチンに駆け込んできた。
「森野……!」
小熊さんの姿を見た瞬間、私は弾かれたように立ち上がると、考えるよりも先に手を伸ばしてそのままその胸に飛び込んだ。
今、一番大変なのはおばあちゃんなのに、真っ先に自分がすがってしまった。
だけど、小熊さんはそんな情けない私でも、その大きな体で丸ごとギュッと包み込んでくれた。
「もう、大丈夫だからな」
心細くて不安で押し潰されそうだった私を救い上げてくれるかのようなその声音に、涙でぐしゃぐしゃになりながらも安堵する。
「有聖、こっちだ!」
「すいません。この奥です」
おそらく、私の電話を受けてすぐに二人が救急車を呼んでくれたんだろう。駆けつけてくれた救急隊の人達を狐坂さんが誘導してくれた。
そのあとも、救急隊とのやりとりや犬飼さんの家族への連絡とかも二人が全てやってくれて、私はというと小熊さんにしがみついたまま、ただ泣きじゃくることしか出来なかった。
少しでも楽しんでもらえたら、嬉しいです。