森のくまさん 6
それから私の日常は、アルバイトの帰りに小熊さんのところに寄るという、新たな日課が出来つつあった。
小熊さんの本業が立て込んでいる時は事前に連絡が来るので、その時はこれまでどおり自宅でひとりミニチュア雑貨を作っているけど、それでも週2ペースでお邪魔していた。
コミュ症の私にとっては信じられないような日々だけど、小熊さんの作業場は何だかとても居心地が良いというか、安心感を覚える場所になっていた。
相変わらず小熊さんや狐坂さんとの会話はたどたどしかったりするけれど、少しずつ自分からも話しかけたりするようになった。
小熊さんならどんなに時間がかかったとしても、最期まで私の話を聞いてくれることを知ったから……。
それから、たまたま狐坂さんがいない時に、この前と同じように小熊さんの足の間に椅子を置いて見学したりしている……。
いや、本当に、狐坂さんがいない時を狙ってるとか、全然そんな変な意味はない……。純粋に見学しているだけで……そりゃ、全くドキドキしていないと言ったら嘘になるけど、私ごときがそんな意識するなんておこがましいのだ。
しかし、今日はアルバイト先の遅番シフトの人が急用で来れなくなったとかで、急遽応援に入ることになったので、私の方から小熊さんに今日は行けなくなったというメールを送った。
遅番の仕事が終わり、帰りにスーパーで食材の買い物もして両手に荷物を下げながら、いつもよりだいぶ遅くなった帰り道をとぼとぼ歩いていた。
今夜は晩ご飯何にしようとか、そのあと作りかけのミニチュア雑貨を仕上げようかなとか、帰宅後の予定をぼんやりと考えながら、すっかり辺りが暗くなった道を歩いていると……。
――チリーン……。
最初は空耳かと思ったけど、どこからか鈴みたい音が聞こえてくる。
――チリーン……チリーン。
しかもその後、その鈴の音がだんだん近づいてくるような気がして、何だか怖くなってきた私はほんの少し歩く速度を上げると……。
――チリン……チリン。
と、あきらかに後をついてくるように音も早くなった。
今まで幽霊とか一度も見たことなかったけれど、迫ってくる鈴の音に背筋がゾクリとした私はその場からダッと駆け出すと……。
――チリリリリッーン……。
「ヒェッ……!」
猛烈な勢いで追いかけてくる音に、私は引きつった悲鳴を上げると全速力で逃げ出した。
「ま……待ってくれっ……! お、俺だっ……俺……!」
すると、後ろから鈴の音に混じってクマが唸るような声で、オレオレ詐欺みたない言葉まで聞こえてくるではないか。
――……ん? クマが唸るような……?
クマのような……。まさかと思いつつ、そのままのスピードで10メートル先にコンビニの明かりを見つけると、とりあえず明るい店内へ駆け込んだ。
「はぁ、はぁ……」
息を切らせながらおそるおそる振り返ると、コンビニの駐車場で同じく息を切らせながら膝に手をついている小熊さんの姿に、ホッとするやらまたやってしまったと青ざめるやら……。
「だ、大丈夫ですか? 警察を呼びますか?」
「だ、だ、大丈夫です……。し、知り合い、なので」
店員さんが心配してそう声をかけてくれたけど、私はあわててそれを止める。
せめてものお詫びの品としてペットボトル飲料を買うと、外に出て小熊さんに駆け寄った。
「あ、あの……本当に、な、何度も……ごめんなさいっ!」
――なんてこったい。小熊さんにもだいぶ慣れてきたはずなのに……。
息を切らせている小熊さんに私がペットボトルを差し出すと、ほんの少し手を上げそれを受け取ると、フタを開け一気に半分近く飲んだあと、やっとのことで口を開いた。
「……ふぅ。いや、俺こそ何度もすまんな。メールで遅くなるとあったから、心配で送ろうかと思って来てみたんだが……」
「そ、そうだったんですか。わ、私は、な、何か……鈴の音がして、幽霊とかじゃ……って、思ったら、こ、怖くなって……」
「ああ、これか。実は狐坂に急に声をかけて驚かれるなら、鈴をつければ遠くからでも気づかれやすいと言われたんだが……」
小熊さんはそう言うと、リュックに付けていた鈴を見せてくれたが、よくみればそれは『熊よけの鈴』だった……。
――……。
今回ばかりは私の勘違いだけのせいじゃないと、心の中でこっそりそう思った。狐坂さんが真面目に考えたのか、ただの悪戯なのかは分からないが、夜は付けずに歩いた方が良いと思う……。
「……落ち着いたし、そろそろ家まで送ろうか。じゃあ、森野」
「じゃあ」と言って差し出された小熊さんの手に、私は思わずピタリと動きを止めた。
おもむろに差し出された手の意図を必死に考えてみたものの結局私なぞに分かるはずもなく、一縷の望みをかけてガサゴソと鞄の中を探ったあと、おそるおそるその大きな手の平にのど飴を置いてみる。
「……」
私だって99%違うとは思っていたけど、小熊さんの微妙な表情でやっぱり違ったと悟る……。
「いや、荷物が重そうだったから、持とうと……」
「あ、す、すすす……すみませんっ!」
荷物を持ってもらうなんて事がなかったから、そういう事に全く思いが至らず、またもや失態を犯してしまったと、あわててのど飴を引っ込めようとしたけれど……。
その瞬間、飴玉ごと私の手を小熊さんがギュッと握って引き止めた。
少しでも楽しんでもらえるよう、頑張れたらと思います。