森のくまさん 5
それから数日後。
緊張しつつも小熊さんの作業場へ伺うと、私の作業スペースが出来ていてそれにちょっと嬉しくなった。
「ほう、これは何だ?」
私が家から色々と持ってきたミニチュア雑貨作りの道具や材料に、興味津々といった様子でそれらを眺めていた小熊さんに聞かれて、説明を始めたのだけれど……。
「そ、それは……こういう透明なボトル瓶を作る時の型で……。樹脂粘土とかで原型を作ったあと、こういう小っちゃいケースか何かにシリコン粘土を敷いて、そこに原型をギュッと半分押し付けて型取りして、型が乾燥したあと、レジン液を薄く流し込んだら一旦UVライトに当てて固めて、何回かに分けて半形作ったら、もう半形同じように作って、それをレジン液でくっつけて、あとはサンドペーパーで研磨していきます。最期に、クリアラッカーとかクリアスプレーをすれば、こんな風に透明なミニチュア雑貨ができます」
「おお! 咲ちゃんが普通に喋ってる」
最初こそ緊張していたけど、ミニチュア作りのことになるとコミュ症はどこへやら。身ぶり手ぶりまで交えながら説明する私に、狐坂さんが驚きつつも感心したような声をあげた途端、ハッと我に返った。
「す、すす……すみません。つい、一方的に話してしまって……」
「いや、今の森野の話はとても分りやすかった」
小熊さんはそうは言ってくれたけど……。
「ふ、ふ……普段は、ぜ、全然うまく話せないくせに……じ、自分の好きな分野は、つい得意気に……語ってしまって」
普段、無口なタイプが自分の興味のあることになると、途端に饒舌になってしまう特有の話し方には、あれほど気をつけなきゃと思っていたのに……。
学生時代にも一度同じような事をして、周りの皆をポカンとさせてしまった苦い記憶をうっかり思い出して、落ち込みそうになった時だった。
「じゃあ、これから好きな事をたくさん話せばいいんじゃないか」
「……え?」
思ってもみなかった小熊さんの言葉に、私がポカンとしてしまった。
「俺はどんな森野でも構わないが、森野自身がうまく話せないのを気にしているなら、練習にもなると思う」
これまでは、気をつけなきゃってストッパーをかけていたのを、小熊さんがいとも簡単にそれを取っ払う。
「それに、俺は森野の話に興味があるから、もっと聞きたいと思っている。ちなみにそっちのは何だ?」
「あ、そ、それは……また別の型取りの方法に使うもので、お湯につけると柔らかくなる素材なんですけど、それを原型に……」
本当にこれが普段のしゃべり方の練習にもなるかどうかは分からないけど、それからも小熊さんの色々な質問に、私はいつもよりも緊張せずに答えられたような気がする。
それから、実際そこでいつも家でやっている作業をしてみた。
これまでひとりで作っていたので、最初は緊張してどうなることかと心配していたけど、作り始めればいつものように手先に集中することができた。
同じ空間に自分以外の人がいても気が散ることもなく、反対に誰かが作業している音を聞くのは不思議と心地良かったりした。
「作業してみて、どうだった?」
休憩時間になって小熊さんにそう聞かれて、私なりに一生懸命それを伝えようとした。
「へ、変な……例えかもしれませんが、子どもの頃、リビングで宿題をしていた時、台所から聞こえてくる母の料理する音とかに、ホッとする……? みたいな感じで、全然……大丈夫でした」
ヘンテコな例え話に自分でも何を言っているんだろうと思って、恥ずかしくなったけれど、意外にも狐坂さんがその例えに共感を示してくれたのだが……。
「ああ、何となく分かるよ。恋人と朝まで過ごした時に、彼女が朝ごはん作る音で起きる瞬間の、こう、じんわりとくる感じと似てるよね?」
「……」
「ね?」と聞かれても、「彼氏いない歴=年齢」の私には未知の世界の話で、似ているのかどうかなんて分からない。
「か、か……彼氏が、いたことないので、わ、私には、それは……よく、わかりませんが……」
人生経験の浅さを正直に申告したあと、ふと視線を小熊さんに向ける。
狐坂さんは目を惹くような美形さんだけど、小熊さんは一見強面にも見えるけどその精悍な顔立ちも、私は密かにカッコイイと思っていたりした……。そのうえこんな私にも親身になって気にかけてくれるような優しい人柄に尊敬の念を抱いていた。
二人とも私よりもひとまわり歳上だと聞いていたけど、コミュ症の私なんかと違ってこれまできっと色んな経験もしてきて、普通に素敵な彼女だっているだろう。
そう思った瞬間、何故かほんの少し胸がチクッと痛んだような気がした。
「……小熊さんは、わかりますか?」
その胸の痛みが何なのか分からないまま、けれど私の口からは無意識にポロッとそんな言葉がこぼれていた。
そして、小熊さんが盛大にむせた。
「だ、だ、だだだ……大丈夫、ですか……?」
「あ、いや、俺は……」
「す、すみません。へ、変な事を聞いて……本当、すみません」
コミュ症のくせに、いやコミュ症だから空気が読めずうっかりプライベートに突っ込んだ事を聞いてしまったと慌てて謝る。
すると、そんな私たちを横目に、この上なくにっこりと笑みを浮かべた狐坂さんが横からあっさりと言い放った。
「ここ数年は仕事ばっかりだったから、二人ともフリーだよ。ちなみに咲ちゃんから見て、年上の男性ってどう?」
「っ……!」
急に聞かれて、心臓がドキョキョッと跳ね上がったあと、視線がせわしなくさまよう。
「僕達もう30半ばだし、咲ちゃんからしたらどう見えるのかなって」
うろたえている様子は一目瞭然のはずなのに、何だか含みをもたせたような視線でさらに追及してくる。
「狐坂、森野を困らせるな」
「えー、だって、小熊は気にならないの?」
「……」
みかねた小熊さんが助け舟を出してくれたのものの、狐坂さんのその言葉に何故か押し黙ってしまった。何だか微妙な空気にオロオロしながらも、そもそも私の不用意な発言がこの状況を招いたのが原因なので、なけなしの勇気を振り絞る。
「あ、あの……、お、お……」
「やっぱり、おじさんって感じ?」
狐坂さんの意地悪な勘違いに、ぶんぶんと首を横に振る。
「ちっ、ちが……っ。お、大人で、か、かかか、カッコイイなと、思います……」
言った瞬間、カーッと顔が熱くなって、何だかドッと疲れたような気がする。
「そう言ってもらえて、良かったよ〜。ね! 小熊」
「まあ、な」
心なしかどこかホッとしたような表情の小熊さんに、何とかその場が収まりそうでホッとしたのも束の間、狐坂さんが追い打ちをかける。
「この前、近所の子どもたちから、僕も一緒にいたのに小熊だけおっさん呼ばわりされたのを、密かに気にしてたんだよね」
「……」
一瞬、ムッとした顔をした小熊さんだったけれど、事実らしく反論の声はなかった。それをいいことに狐坂さんはさらに話を続けた。
「小熊はこう見えて、昔から子猫とか子犬とか小さくて可愛いものが好きなんだけど、体が大きいからか怯えられる事が多くて、気になる女の子にもたいてい第一印象で怖がられ……」
「よ、余計な話はするな」
確かに、私も大きな体の小熊さんに声をかけられると、いまだについビクッとしてしまう時もある……。
だけど、驚くのと怖いはつい一即多に使われがちだけど、意味は違うと思う。こんな私が言っても説得力がないかもしれないけれど、気がついたら二人のやりとりに思わず口を挟んでいた。
「あ、あの……た、確かに、つい、びっくりしてしまう事も、ありますが……こ、小熊さんが、とても親切な人だと、いう事は、ちゃんと分かってますから、こ、怖い人というのは、全然、思ってないです」
小熊さんがとても優しい人だということを私はもう知っている、だから例え驚くことはあっても決して怖がっているわけじゃない事を伝えたかった。
だけど、よくよく考えてみたら、こんな私でもそう思うんだから、きっと第一印象はそうだと思っても、他の人だってすぐに小熊さんの人柄に気づくはずだし、二人ともそれを分かったうえでのやりとりだったら、わざわざ私が口にする必要がなかったような気がして、何だか恥ずかしくなった。
「ありがとう、森野」
けれど、そんな私に小熊さんはふわりと微笑んでくれた。その表情に思わずドギマギしてしまう。
「いや〜、咲ちゃんと恋バナが出来るまで仲良くなれて嬉しいね、小熊」
けれど、何だか上機嫌な狐坂さんに、小熊さんは一転して渋い表情で彼をにらんでいた。
次話も楽しみにしてもらえたら、嬉しいです。