ある日ガチャポンの森で、クマ……のような男に出会った 1
――幸運の女神には、前髪しかない。
だから、チャンスは向かってくる時に、掴まなければならないのだとか。
だけど私は苦労して就職した会社も、コミュ症の性格が災いして半年で退職するハメになってしまった……。
そんな私に、例え幸運の女神が向かってきたとしても話しかけるどころか、咄嗟に横に避けてオロオロしているうちに通り過ぎて行くのがオチだろう。
しかし、それだけならまだしも、“その時”の私は自ら逃げ出してしまった。
――ところが……。
幸運の女神(?)らしきその人物は、そのまま過ぎ去って行くかと思いきや何故か誘導ミサイルのように、スタコラと逃げる私の後を猛烈な勢いで追いかけてきたのだった……。
◇◆◇
その日は、待ちに待ったアルバイトのお給料日だった。
「お願い、8番出て!」
私は両替した100円玉を3枚投入すると、念を込めてレバーをガチャンと回す。
時給880円の『掃除のおばちゃん』をしている私にとって、バイト代が入ったら月に1回ガチャポンを回すのが、自分へのささやかなご褒美だった。
森野 咲、23歳。
人見知り……いわゆるコミュ症の性格が災いして、苦労のすえ奇跡的に内定をもらった会社に就職するも、半年で退職するハメになってしまった。
それから1年のニート生活を経て、やっと今のアルバイトの面接に受かると、ひとまず週3日のシフトで勤続半年を目標に働き始め、今月ついにそれを達成したところだった。
ただ、そのアルバイトだけでは一人暮らしもままならず、今は兄のマンションに居候していて、家賃や光熱費を免除してもらうかわりに食費と家事を担当している。
だからご褒美と言っても、ガチャポンに費やす金額も月に1回、1000円までと決めていた。ちなみにそれとは別に1ヶ月のお小遣いは3500円、悲しいかなその金額は交友関係のなさを如実に物語っているが、そのお小遣いは今のところ唯一の趣味に費やしていた。そして残りのアルバイト代は、コツコツと貯金している。
そんなこんなで、今――。
私が狙っているのはミニチュア家具の新シリーズの8番、アンティーク風のテーブルと椅子のセットだ。プラスチック製のわりに見栄えもコスパも良いのでコツコツと集めていた。
そりゃ、贅沢を言えば、木製の本格的なミニチュア家具に憧れているけれど、現状ではなかなか手が出せない。
やがてガコンッと音がして、カプセルが取り出し口に転がってくると、ドキドキしながらそれを手に取った。
「や……やったぁ!」
今月は一発目でお目当ての商品を引き当てた嬉しさに、思わずその場でクルッと一回転してしまった。
が、すぐにハッと我に返るとあたりをキョロキョロと見渡し、誰にも見られていないことを確認するとホッと胸を撫で下ろした。
ここは、星乃森商店街の北通りの一角にオープンした、無人のカプセルトイ専門店。ところ狭しと並ぶガチャポンは実に自分好みのラインナップで、私の中で勝手に『ガチャポンの森』などと呼んでいた。
飲食店や雑貨屋などが立ち並ぶにぎやかな南通りに比べて、手芸店や金物屋など昔ながらのお店が立ち並ぶ北通りは、シャッター店も目立ち人通りもまばらでやや閑散とした雰囲気だが、コミュ症の自分にとっては穴場だと密かに喜んでいた。
今日も何度か店の前を行ったり来たりして、他に客が居なくなるタイミングを見計らっての入店だ。
「くふふ……」
喜びが抑え切れず、思わず気味の悪い含み笑いがこぼれてしまった。
初っ端で引き当てたので今日はこれでガチャポンは切り上げることにして、浮いた700円は趣味に上乗せしようなどと考えながら、その場で中身を取り出すとカプセル自体は備え付けの回収のカゴに入れた。
ビニール袋越しにミニチュア家具をニヤニヤと眺めながら、お店から一歩踏み出した時だった。
――ドンッ……!
何か大きなものにぶつかってしまったのか、衝撃で思わずよろけてその場でしりもちをついてしまった。
「っ、悪い。大丈夫か?」
相手はすぐに謝りこちらの様子をうかがってくれたのに対して、コミュ症の私はというと……。前をよく見ないで急に通りに飛び出した自分も悪いのに、謝るどころか男性の声に思わずビクリと体をすくませてしまう始末……。
「どうした、どこかケガ……」
しりもちをついたまま無言の私に、男性が心配そうに一歩近づいたその時……。
――バキッ……!
と、不穏な音が鳴った瞬間。
「きゃぁぁぁーーーっ!」
普段コミュ症の自分とは思えないほどの、大きな悲鳴を上げてしまった。
そんな私の声に驚いたのか、思わずその場から一歩退いた男性は、自分の足元でバラバラになってしまったミニチュア家具を見た瞬間……。
「ぬおぉぉぉーーーっ!」
まるで、クマの唸り声のような咆哮が響き渡った。
「ヒッ……!」
せっかくの戦利品が壊れてしまったショックよりも、男性のその声にビビった私は、今度は引きつったような悲鳴を小さく上げると、しりもちをついた格好のままずりずりと後ずさった。
「これは君のか? 俺が踏んでしまったようだな……申し訳ない」
相手がしゃがみ込み壊れたミニチュア家具を拾い上げると、うなだれた様子ながらもちゃんと謝ってくれた。
それなのに、そんな彼に対して私はいまだにまともな言葉を発していないうえに、しゃがんでもなお自分とそう身長差がないくらいのその大きな体に、思わず『まるでクマのようだ……』と思ってしまった。
それは、子どもがぬいぐるみだと「わぁ、クマさんだぁ♪」と喜ぶのに、動物園で実際の熊を見た時、そのギャップに思わず固まってしまうのと似た感覚だった。
とはいえ、目の前の彼は毛むくじゃらとかボディビルダーのようなゴリマッチョというわけでもなく、むしろその精悍な体つきと整った顔立ちはカッコイイと思う。すっかりパニックに陥っていたその時の私は、そんな風に思う心の余裕などなかったけれど……。
こういう時、対人スキルの低い自分が参考にするとすれば、漫画や小説の中のシチュエーションくらいで……。
すっかり気が動転していた私はぐるぐると考え込んだ末に、こういうトラブルのシーンでは誠意を形にしてきっちり謝っておかないと、大抵あとで大変なことに巻き込まれるパターンじゃないかと、勘違いにも程がある妄想を導き出した。
「い、いえ……わ、わた、私の方こそ、ちゃ、ちゃんと前を見てなくて……す、す、すす……すみませんでしたっ! こ、これが今の全財産です。これで何卒……ご容赦を」
言葉につっかえながらも何とか震える声を絞り出すと、何を思ったか私はATMからおろしたばかりの今月の食費とお小遣いが入った封筒を取り出し、クマ……のような男性の前に差し出すと、反対側の出口から脱兎のごとく逃げ出したのだった。
「お、おい、待っ……」
後ろから戸惑うような声で呼び止められたが、震える足に力を込め振り切るように全速力で駆けて行った。
日頃の運動不足がたたり数十メートルもたたないうちにぜぇぜぇと息が切れてきたが、私は人通りの多い南通りへと向かった。普段は人が多い場所は苦手なので素通りしていたが、木を隠すなら森の中で人混みに紛れようと思ったのだ。
しばらくして、さすがにここまでくればもう大丈夫だろうとスピードを落としホッと一息つくと、先程までの極度の緊張も緩んで、疲労感がドッと押し寄せてきた。おまけに、ここのところ夜更かしで寝不足気味なのも相まって、眠気まで一緒になって襲ってくる。
――今日はもう早く帰って休もう。
とぼとぼ歩きながら、そう思った時だった。
後ろの方から何やらドドドッという音が迫ってきたような気がして、まさかと思いおそるおそる振り返ると……。
――なんてこったい……!
先ほどのクマ……のような男性が、ものすごい形相で追いかけてくるではないか。
「君!? ちょっと、待ってくれ」
しかも運の悪いことに、視線がパチッと合ってしまった。
「ヒェッ……」
人混みの中でも背の高い彼は、遠くからでも私をロックオンすることが出来たようだった。
何をされたわけでもなく、むしろぶつかったのは私の方なのに、その大きな体でこちらに向かってくるド迫力に気圧されてしまう。そして勘違いしたままの私はなおも逃げ出そうとしたけれど、疲労しきっていた体はヨタヨタと数歩進んだところで、ガクッと膝から力が抜けてしまった。
「お、おい? 大丈夫か」
力が尽きて思わず膝をついてしまった私を、追いかけてきた彼が駆け寄って抱き起こしてくれた。
「……すみません。お金は、もう……持って、いませ……」
けれど、疲労と眠気に襲われた私は、それだけ言い残すとそのまま意識が遠のいていった。