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怨嗟の誓約  作者: シノヤン
3章:忘れられし犠牲

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第79話 魔の海へ

「この船で仕事をする前は何をやっていた ?」


 厨房兼食堂代わりに使っていた船倉の一角にて、乾燥ニンニクを砕いていたルーファンが尋ねる。その隣ではかまどの上で豆と刻んだ塩漬けの魚を煮込んでいるアトゥーイの姿があった。ベトイ船長が気を聞かせて二人で食事の仕込みをするように指示を出してくれたのだ。


「砕いたニンニクを」

「欲しいのなら質問に答えてくれ」

「…海底にいましたよ。暫く戻っていませんが」


 しょうもない交換条件を呑んでアトゥーイはバツが悪そうに言った。そのままルーファンからニンニクを受け取り、乱雑に鍋へ投入する。簡素なブイヨンとニンニクの香り、味付けは塩気のみという何とも言い難い食事である。乾パンやチーズはなるべくなら取っておきたいとの事で昼は食べないらしい。こんなもので力仕事が勤められるのかいささか疑問だが、備蓄として温存しておきたいのだろう。


「こんな量で飢え死にしないのか ?」


 それでもやはり不安に思ったルーファンは分量を間違えているんじゃないかと今一度アトゥーイに問いかける。それなりに飽食が許されていた上流階級故の無知さから来る率直な疑問であった。


「漁師の忍耐力を侮ってはいけません。荒れ狂う波や船を小突く凶暴な海洋生物に怯える中、民の食のために魚を捕り続ける体力はさることながら、彼らは自然についてよく知っています。決して人間に味方をする事なく、無遠慮に無邪気に牙を剥く。その恐ろしさを分かっているから徹底的に節約をするのです。不測の事故に備えるために」


 アトゥーイは彼らを高く買っている様だった。その気になれば海の中でも平気で過ごせる自分と違って人間たちはそれが出来ない。命がけであるにもかかわらず懸命に帰りを待つ人々のために網を持つ手を、力を緩める事はしない。その姿が非常に勇ましく見えたのだ。


「彼らには学ぶ事が多い」


 かまどの火を消して皿に食事を盛りながらアトゥーイは続けた。


「どんなところが ?」

「誰かのために耐え忍ぶ事の出来る強さです。それにしても自分ばかり質問とは、パージット人というのは噂以上に尊大なようで」


 まだまだ聞きたい事は山ほどあったのだが、目も合わせずに作業を続けるアトゥーイがそれを遮って苦言を零す。侮辱したとして因縁をつける事も出来るだろうが、こちらにも非がある以上何も言い返せなかった。


「…じゃあ次はそちらの番だな。何でも良い、聞きたい事はあるか ?」


 この場は自分が身を引くべきである。そう思ったルーファンが言った。出自だの趣味だの、きっと今となっては虚しさしかない身の上話でも求めるのだろう。そう思っていた彼だったが、アトゥーイから来た質問は期待と大きく異なっていた。


「”創世録”についてご存じで ?」


 アトゥーイからの質問を前にして、皿を運ぶルーファンの手が止まった。なぜこのタイミングで、それも一部の物好きな歴史好きでもないと語り合う気にもならないだろう古代の遺物の話をしだしたのだろう。


「聞いたことはあるが、それがどうし――」

「おーい、飯だ飯 !」


 ルーファンが答えるより前に漁師たちが雪崩れ込んできた。アトゥーイもルーファンの返答を待つことなく、行き渡っていないテーブルへマズいスープを急いで届けに行く。間もなく食事が始まり、狭苦しい船倉で汚い咀嚼音や食器がテーブルに当たる音が聞こえ出す。


「おお、お偉いさんのボンボンにしちゃ悪くないぞ。剣より包丁握る方が向いてんじゃねえか坊主」


 随分と不謹慎な侮辱付きで称賛を貰ったが、ルーファンの頭の中はアトゥーイが話そうとしていた話題の事で一杯だった。一通り食事を配ってから辺りを見回すが、アトゥーイの姿はどこにもない。


「船長、アトゥーイはどこへ ?」

「アイツの事だ、きっと風に当たってるんじゃねえか ? もうちょっと塩気があってもいい気がするな…」

「分かりました、失礼します。それと塩分は摂り過ぎないように」


 普段の食生活が垣間見える不穏な言葉に対してルーファン忠告を入れて船倉を出て行く。そして甲板を見渡すと、端の方で手すりに寄り掛かっているアトゥーイを見た。


「話を終える前にいなくなるとはな…君は食べないのか ?」

「肉と魚がそれほど好きじゃないのです。いなくなった点については申し訳ありません。人混みが苦手でして」


 ルーファンが文句を言いながら隣に来ると、アトゥーイも事情を話してから詫びを入れてきた。人に謝られるとなぜか照れくささと申し訳なさが押し寄せてしまう。たとえこちらが一切悪くなかったとしても。


「…まあ、いいか。それより教えてくれ。なぜ急に”創世録”の話を ?」

「あなたの従者らしいあの女性を見た時にふと思い出したのです。私の故郷にあった壁画について」

「サラザールの事か…ちょっと待て、彼女はどこに行った ?」

「確かちょっと先まで行って来るって言ってましたよ…ああ、戻って来た」



 会話の途中、昼飯時だというのにサラザールが姿を現さない事を不思議に思ったルーファンだが、間もなく船の前方の方から翼をはためかせて彼女は戻って来た。甲板に着地すると、血相を変えたまま歩いて二人の方へ近づく。


「どうでした、障壁は ?」


 アトゥーイが尋ねた。


「びっくりした。ルーファン、たぶんあなた死ねるわよ」

「そんな大げさな」

「本気で言ってるのに…」


 サラザールの感想を訝しそうに聞くルーファンだが、サラザールは至極真面目だった。




 ――――漁船から離れ、<聖地>がどこにあるか確認をしようと考えたサラザールは地図を片手に高速で空を飛行し、やがて<聖地>の入り口がある座標へと辿り着く。だがその光景を空から見下ろしたサラザールは呆然とした。


「何これ…」


 それは巨大な渦であった。海底へと続いているのではないかという程に深く長く暗い穴、それを取り巻くように荒々しい渦潮が形成されている。船が近づこうものならたちまち渦に飲み込まれ、その穴の中へと叩き落されるか海中でもみくちゃにされてしまうだろう。竜巻や台風を上から見たような気分だった。


 さらに恐ろしきは周辺の海の水面である。目を凝らすと名状しがたい巨大な影達が蠢いている。それの正体が何なのか近づいて確かめるような度胸をサラザールは持ち合わせていない。だがはっきりと言えるのは、人間というちょっと知能があるだけの虚弱な生物が近づいていいような場所ではないという事だけである。


「<ネプチューン>だっけか…大した歓迎ね」


 サラザールは幻神の名を口にしつつも、リゴト砂漠の障壁が可愛く見える様な試練を作ってしまう意地の悪さを恨んだ。

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