第61話 リスク
結局、目的地まで子供に付き添うと決めて出発した一行は、ほどなくしてリガウェール王国の障壁へと突入した。いざ雨が降っているだけなら問題ないだろうと高を括っていたが、完全に見通しが甘かった。まるで滝のように降り注いでいる雨が壁の様に前方に立ち塞がっており、中へ入って進んでみると雨の衝撃で体力をどんどん消耗してしまう事が分かった。更に緩くなった土壌に足を取られ、思うように進めない。
「しっかし、追い剥ぎねえ…まだ子供だってのに感心しねえな」
「責任ないと何でも言えて気楽ね。それならあんたが養ってやれば ?」
前を歩きながら他愛も無い雑談を繰り広げてるルーファン達の背中を見ながら、サラザールとガロステルはなぜそのような行為に及んでいるのかを知りたくてたまらなかった。貧しさ故か、それとも呆れるほどの守銭奴かは知らない。だがいずれにせよ金が欲しいというのは事実だろう。ついでに盗み聞きをする限りでは子供は女の子らしかった。
「家族はいないのか ?」
豪雨に見舞われると聞いた事から対策として革製のフード付きの外套を上から被っていたルーファンが言った。フォルトも同じように羽織っているが、どうも体毛や尻尾が擦れてしまうせいで煩わしそうにしている。
「先に言ってるんだ。父さんと兄さんが」
少女の方もフードを被りながら答える。食べかけのパンや地図、護身用のつもりなのか申し訳程度のナイフなど、荷物と言えるような物はほとんど持っていない。追い剥ぎをするという割には、近所へピクニックにでも出かけているつもりかと思えるほどに軽装である。
「置いて行かれたのか、それとも留守番をするように言われたのかどっちなんだ ? まあ聞くまでも無いだろうが」
「留守番しろって言われた。でも、いつも疲れたようにして帰ってくるから心配で…お金が必要なのはわかってるけど、忙しいせいで段々口も利いてくれなくなってるし。一緒にいれば少しは色々話も出来るかなって」
「身の守り方を学んで、戦うために力を持っておかないと簡単に命を落とす。君を思っての事かもしれないだろう。何より決して綺麗な仕事じゃない。死体を弄る姿っていうのは、想像以上に醜い。それをする方も気が滅入るからな。そんな姿を君に見せたくないんじゃないか ?」
親や年上が家族を支えていかなければならない苦労を理解するには、彼女はまだ幼すぎたのだろう。現にバジリスクとの遭遇時に自分達がいなければ彼女は間違いなく殺され、今頃は骨の髄まで胃袋に入れられていた。それを分かってはいるのか、少女はルーファンから諭されると何も言わずに俯いていた。
「ところでフォルト、さっきから黙ったままだが大丈夫か ?」
「この辺…なんかすっごい臭い…青臭い…」
「言われてみれば…腐った植物みたいな匂いだ。鼻が良いんだな」
流石に説教をしすぎたのではないかと思って話題を変えようとするが、話しかけたフォルトはしかめっ面をしていた。適度に鼻を鳴らしては悪臭がすると言って愚痴をこぼしている。そこでようやくルーファンも辺りに立ち込めている独特な匂いに気付いた。
「日当たりは最悪な上に、雨が降っていて気温もそんなに低いわけじゃないからな。そのせいで雑菌が繁殖して土や植物が腐敗しているんだろう。間違えても地表の水は口に付けちゃだめだぞ。お腹を壊す。どうしてもって時は降っている雨を採取すればいい」
悪臭の原因を知っていたジョナサンは解説をした。そして実践として水筒に雨水を溜めて飲んで見せつつ、なるべく崩れなさそうな岩や植物の上を歩いていく。特にこの近辺に分布している植物や木の根は長く分厚いため、踏みつけながら歩いていけば立派な足場になる。緩い土や膝下まで深さがある様な水溜まりを進むよりは体力の消耗も少ない。気づけば全員が彼の真似をしながら移動をしていた。
暫くすると、背の高い樹木が一切見当たらない広々とした湿原に一行はたどり着く。とは言っても霧が立ち込めているせいで見晴らしが良いわけでは無く、何より死体があちこちに転がっているせいで爽快さより不気味さが上回っていた。先程から漂っていた土と植物の臭いに肉の腐敗臭が混ざってしまっており、尚の事慣れるのに時間がかかるような空気である。
「あ、いた !」
少女が叫んだ。そしてルーファン達の反応を待たずに走り出し、霧の中でしゃがみ込んでいる複数の人影に向かって何度か転びながら駆け出していく。よく見ればあちこちにある死体の傍らで、物色をしているみすぼらしい姿の人々がいた。
「家で留守番をしろと言ったじゃないか ! 何で来たんだ⁉」
「ご、ごめん…」
しかし兄らしき若い男が少女を強めの語気で叱る。覚悟はしていたが、流石叱られて平気でいられるわけもなく、完全に委縮してしまっていた。
「家族が仕事にかまけてばかりなせいで、相手にしてくれないから寂しかったんだそうだ。お節介かもしれないが彼女を叱りつけられる程君は潔白なのか ?」
その姿を見ていたたまれなくなったのか、ルーファンが少女の背後から若い男を睨む。
「アンタに何の関係がある。誰だか知らないが――」
「やめなよそんな言い方 ! 命の恩人だよ !」
「そもそもお前が勝手に出るから…」
少女と若い男はそのままルーファンを差し置いて互いにがなり立て合う。そんな二人をルーファンが見ていた折に、一人の少々老け顔な男が近づいてきた。少女の父親らしい。
「娘が世話になったようだな。感謝するよ。だが分かって欲しい…死体漁りなんて仕事は、まだあの子に早すぎる。見た所リガウェールの憲兵や盗賊ってわけじゃなさそうだな。まさか密告したりなんてことは…」
少女の父親はルーファンに詫びた上でルーファンの身なりを見て安堵している様だった。相手への腰は低いが、妙に落ち着き払った態度をしている。
「ああ気にしないでくれ。ただの通りすがりだ。こんな事をしてるなんて何か事情が――」
「おいおいおい ! どういう事なんだよコレは !」
そしてルーファンが怪しい物ではないと弁明しようとした時だった。突然品の無い酒焼けしたような声で怒号が聞こえた。この雨の中ですら鮮明に聞こえるほどの声に少し驚いていると、草原の奥から二十人はいそうな大所帯が姿を見せる。外套こそ羽織っているが、物騒な得物や薄汚いその面を見るにまともではない。恐らく盗賊だろう。辺りで追い剥ぎをしていた者達もみんな慌てふためくが、逃げられないと悟ったのか後ずさりしかできない。
「この辺りは俺らの縄張りだろうが。誰に断って漁ってんだ、ああ⁉」
奥にいた頭領らしき男が吠える。全員が叱られた子供に縮み上がり黙ったままでいた。
「詫びも言い訳も無しか、ここで全員死体のお仲間になりたいらしいな」
やがて苛立ち始めるが、それでも反応は無い。追い剥ぎをしていた者達も流石に責任を押し付けて、仲間を売るほど薄情ではなかった。とは言ってもこのままでは全員殺される羽目になるだろう。少女の父親は後悔していた。元はと言えば彼が始めた商売であり、それが人づてに広まった結果だったのだ。
「…待って――」
「俺が悪いんだ」
どうにか言いくるめられないかと思い、猶予を貰おうとした時だった。彼より先にルーファンが言葉を放つ。フォルトとジョナサンは狼狽え、ガロステルは意外そうに眺め、サラザールは退屈そうに首を鳴らしていた。
「金になるからと言って俺が唆した。責任は俺にある」
「まさか自分一人の犠牲で勘弁してくれなんて言わないよな」
「彼らの事は見逃してもらえないか ? 今日限りで 近づかない様に言い聞かせる」
「そうも行かない。こっちは散々迷惑してんだ。そうですよねカシラ ?」
近くにいた配下の女がルーファンの前に立ち、やがて同意を求めるように頭領へ問う。
「ああ。てめえらは手に入れたもんは全部置いていけ。ついでに若い男か女を差し出せ。そして二度と顔を見せるな。そうすればチャラにしてやる」
案の上交換条件を提示するが、到底受け入れられるものではなかった。追い剥ぎをするほどまでに追い詰められている者達が、その戦利品すら奪われてしまっては飢えをしのげる筈がない。
「頼む、生活が懸かってるんだ。死人を出しては後味が悪いだろう」
「知った事じゃないね。それかここでアンタ達も死体になってくれるかい ? 稼ぎが増える分、こっちとしてはお得だよ」
そう言いながら盗賊の女が武器をちらつかせる。短刀を握り締めていた。柄の部分には握りやすいように窪みが作られており、雨の中でも簡単に手放す事は無いだろう。それを携えている腕をだらしなく下げている。こちらが抵抗しないと踏んでいるのだろうか。そう思ったルーファンは一度振り返ってからジョナサン達を見る。やがて意を決したように小さく頷いた。何かを感じ取ったフォルトも、少女を手招きして自分の後ろに来るよう指示する。
「…警告はした」
「あ ?」
「宿れ」
ルーファンが囁くように言った直後、呪文を唱えて左腕に黒い靄を纏わせる。そして盗賊の女が反応するより先に左拳を突き出し、躊躇なく彼女の胸元を貫いた。血を拭きだした彼女からルーファンはすぐに腕を引っこ抜き、邪魔くさいからという理由でフードを取っ払ってから背中に携えていた剣を抜く。
その瞬間、盗賊の頭領は同胞から聞いた巷で噂になっている怪人についての話を思い出した。各地でリミグロンや犯罪者を狩っている白髪交じりで顔に抉れた傷を持つ若い剣士。そんな酒の席での噂を思い出し、やがて目の前の男に対して抱いていた感情が恐怖に変わる。
「こいつを殺せ!!」
頭領が叫び、すぐさま配下の者達が武器を構える。ルーファンはそんな彼らに向かって走り出した。




