第179話 表立って言えない
「同志諸君よ、私は謝らなければならない」
ターリナーが、わざとらしいくらいに悲しげな態度で声を発した。彼が今いるのは、煌びやかな高級住宅街の中央に構えられた政府官邸であり、わざわざこのためだけに集められた<障壁>内の住人達と、最前列に直立している兵士達の前で台に立っている。
「政府より告示があった通りだ。権力を持ち、国を導く立場にいながら…私は最も大事にするべき者達を裏切ってしまった。妻からは激しい叱責を受け、私は取り返しのつかない過ちを、一時の欲情に任せて行ってしまったのだと深く反省している。故に私は、三日間の外出禁止という厳しい罰を自分に課したのだ…辛いものだった。何より愛している国民たちと、触れ合う事すら出来ないというのは。だが全ては私の責任だ。この国を陥れようとする旧体制の異常者たちとの聖戦の最中に、諸君らを不安にさせてしまったな…しかし、これももまた偉大なる神、<フェンリル>からの試練であり、同時に激励の意を込めた贈り物だと思っている。約束しよう、諸君。私は…」
ターリナーの嘘っぱちだらけな演説の中、人々は真剣に聞いてるフリか、頷いて関心を寄せているフリをしてその場を乗り切ろうとする。
「自分でやらかしといて贈り物呼ばわりとは…ところで、俺今年に入って二回は同じような謝罪を聞いた気がするんだが…」
群衆の最後尾で、若い男が隣の友人にか細く囁いた。
「だろうな。俺の親父も飽きてしまって、仮病で行けないふりをし出したよ。下手したら十回じゃ済まねんじゃねえか ? この手の演説」
彼らの囁かな愚痴の通りであった。問題を起こす度にこのように大袈裟な催しを行い、自分はいかに真摯で潔い人物なのかをアピールする。最初こそ人々は正直な人間だと誉めそやしたが、今では馬鹿真面目に受け取らなくなってしまった。一度や二度ならばまだしも、懲りずに同じようなお涙頂戴じみた演説を聞かされれば冷めてもしまうに決まっている。ましてや不倫だけではなく、問題になりかねない言動があるたびにこの様な釈明演説を行い出すのだ。誠実さを見せたいのであれば、そもそもそんな事をしなければいいというのに。
だが誰も表立ってそれを言及しようとはしない。せいぜい家の中で身内に済ませる程度である。機嫌を損ねてしまえば、自分達も囚人へと転落する羽目になる。現状としてこの上ない豊かな立場である以上、わざわざこの状況を捨てるなどとは考え付いたとしても行える筈も無かった。
――――その頃ケスタは、下らない演説などに耳を貸すつもりもなく、家を出てから自分の配属先へと向かって行った。どうせ自己憐憫じみたご高説を垂れるだけなのだから聞く必要もない。演説への動員に参加すれば手当てが貰えるのだが、大して興味も無かった。そのため、行きたがっていた他の者達に任せたのだ。
仕事も大事だが、その前にとケスタは兄を探した。流石に出動から帰って来てると思い、軍の宿舎や官邸の近辺もくまなく探す。だが、何もなかった。<風の流派>に関する書物はいつでも書斎から取り出して読んでいいとは言われていたが、その中の記述が分からない時は助言を貰いに行くのが定番であった。何かがおかしいとは思ったが、兄にとっては珍しくもない事だろう。常に様々な仕事に駆り出されているのだから。
「なーにやってんの ! ボンボンのもやしっ子 !」
突然、後ろから腕を回して首を絞めて来る女が現れた。ウェーブのかかったブロンド髪の若い女は、ケスタと同じ軍服を纏っている。
「や、やめろよアンシア…ったく。ボンボンはお互い様だろ」
「位が違うよ位が。私はただの商社の令嬢だけど、あなたは違うでしょ ? この国の守り神にして最強最高の魔法使い、ロウル・カモリの弟。しかも才能までそっくり」
「一緒にしないで。兄さんに失礼だよ。僕と同じ歳の頃には、お婆様から免許皆伝までしてもらっていたんだ。全然違う」
「卑下しないの ! この国じゃもう、魔法を使えるってだけで大人も子供も泣いて平伏すんだよ ? それより今から作業所の見張りでしょ ? 一緒に行こ !」
肩を叩き、アンシアは悪戯っぽく笑いながらケスタを誘う。家も近い上に同じ配属先という事もあってか、いつもこうして二人で出勤をする羽目になっていた。令嬢という割にはおしとやかさの欠片も無いが、引っ込み思案な性質のあるケスタにとっては寧ろ居心地のいい相手である。
二人して道を歩き、近況として別の部署の噂話や家族の内情について互いに笑い合っていると、ようやく目的地が見えてきた。淡い灰色の作業着を身に纏った老若男女がみすぼらしい建物の前に待機をしており、彼らの前には一人の老齢の男がいた。
「それでは、本日の作業を開始する ! 今日はいつも以上に気を引き締めてかかってくれ ! 始め !」
やがて笛を鳴らし、人々は駆け足で作業所へと入って行く。老齢の男はそれを傍らにいた見張り達と監視していたが、全員が入り終わった瞬間に一息ついて談笑を始めた。
「さて、今日は新人二人と私で見ておくかね」
「お願いしますよトーゴ隊長。何せ監査が来る以上は、形だけとはいえ色々根掘り葉掘り聞かれるでしょうから。辻褄合わせをするには、やっぱりベテランじゃないと」
「そうだな。じゃ、手筈通り皆は周辺の巡回を頼む。妻から差し入れのビスケットがあるから、空いた時間に皆で食べてくれ…おお、二人とも ! こっちだこっち !」
トーゴ隊長は他の兵士達に指示を出した後、二人の姿を見て手を振って来た。ケスタ達は銃を携えながら急ぎ足で向かい、彼の前で凛々しく立ち止まってから敬礼を行う。
「ハハッ、休んで良いぞ。君達二人のご家族の事はよく知ってるからな。私の前ではそこまでかしこまらんでもいいよ」
しかし彼は微笑ましそうに敬礼をした手を下ろさせた。アンシアの実家である商社の製品について取り扱っている作業所という都合から、トーゴ隊長とは親睦が深い間柄だった。ケスタについても同様に、どういうわけかロウルと親しい飲み仲間という事もあって、ケスタが配属として来るようにロウルが仕向けたのだ。
「この間から予行演習しているから分かっているだろうが、抜き打ちで監査が入る日だ。ロウルから事前に知らされててね。体裁上は国賊相手に厳しく躾けているという事にしないといかん。他の現場はもっと酷いそうだからな…同じ様にとはいかんが、やっている様にしておかないと後が怖い。逆らう気力すら奪ってしまえというのが、御上のスタンスだからな」
トーゴ隊長に引き連れられ、周りの先輩たちから「頑張れよ」と励ましを貰って二人は作業所へと入って行く。中は忙しなく働いている囚人たちで溢れていたが、その顔は決して暗くはなかった。
「おい、誰か予備の箱を倉庫から持ってきてくれ !」
「五十三番の製品、梱包作業完了だ !」
「す、すみません ! 酒瓶割っちゃって… !」
「ああ、気にするな ! 掃除して後で報告しよう…あ、隊長 ! おはようございます」
囚人たちは、様々な商人から依頼された製品の箱詰めと出荷作業に勤しんでおり、この場所は過酷な肉体労働を課せられている現場に比べれば、天国のような快適さだった。同じような作業を行っている他所の作業場に比べても雲泥の差と言われており、政府の上層部から隠れてその待遇を仕切っているのがトーゴ隊長であった。
「皆、今日は監査もあるから昼休憩が少し遅くなる ! 手筈通りにやればすぐに済むはずだから、どうか辛抱してくれ」
「はい !」
トーゴ隊長の声を聞いた囚人たちは、一切不機嫌さも見せずに彼に応答する。
「私達の配属先、大当たりだと思わない ?」
アンシアは万が一にも外部へ漏れ聞こえないよう、こっそりとケスタへ囁いた。