第151話 炎上
「何を言うつもりなのかは分かります…いいでしょう」
頼みを聞くまでも無く、皇王は静かに言った。
「あちらの祠は以前見た事がありますね ? 好きに使ってくれて構わない」
「へ、陛下 ! しかし―――」
「他に方法があるのならば聞かせてもらうよ。あればの話だがね」
「それは…うむ…」
皇王の決断にマロウスが口を挟もうとするが、言い返された事で委縮してしまう。しかし皇王は彼の気持ちも十分に分かっているつもりなのか、決して睨みつけたりすることはせず、諭すような口調であった。危険な賭けだというのは重々承知だったのだ。
「感謝します」
ルーファンは一礼し、すぐに祠へとフラフラな足取りで向かう。いつも通りの作法であった。籠手を外し、掌をナイフで斬りつけ、そのまま祠へと触れる。何が起きるかは分からない。とにかく身構えていた。祠に自分の体温が伝わったせいか、冷たかったはずの石が温くなっていく。触れていた掌が暑苦しさを感じ取っていた。
「熱い… ?」
妙だ。確かに石の温度が触った事で温まってしまったのは分かる。だが、ここまで酷い物だろうか。それに気づいた直後、一気に温度は上昇し、焼け焦げた臭いが鼻腔を叩いてくる。
「がっ…!!」
たまらず掌を外そうとするがピクリとも動かない。固定されたまま、黒い炭と化していく自分の腕を、発狂したような叫びと共に必死にルーファンは動かしていた。それでも祠からは離れられず、やがてくっ付いたままの腕が突如発火する。たちまち全身に広がったその火炎は、苦痛に喘ぐルーファンの声を掻き消してしまった。後に残ったのは、延々と燃え続ける跪いたままの彼の骸であり、ジョナサンを除く一同は狼狽えていた。迂闊に<幻神>に縋った祟りではないかとさえ思い込みそうだったが、その空気感は間もなく一変する。
「あれは⁉」
兵士の一人が叫ぶ。祠の隣で火柱が上がり、溶岩が噴き出る。溶岩は細く高く形成されていくと、やがて人の姿へと変わった。焼き付いた仮面を顔面に貼り付け、所々に錆のある藍色の甲冑を身に纏った男であった。甲冑の隙間からは、小さく火が噴き出ており、内部がどのようになっているかはあまり想像したくない。何より所々に垣間見える、赤く焼け爛れた皮膚が痛々しかった。
「お久しゅうございます。我が王…ん ?」
渇き、そして恐ろしい程掠れた声で男は話しかける。ルーファンはといえば、ようやく炎が収まり、黒焦げになっていた肉体が少しづつ回復した始めていた。苦痛が悪夢の様に思い起こされているのか、体が震えている。そしてケロイドの様になった火傷の後が顔に残り、以前まで僅かにあった白髪の量は更に倍増していた。
「……貴様は何者だ ?」
王と発したその男だったが、ルーファンを見るや否や厳格な雰囲気で問いかける。
「新しい王の器。その説明だけじゃ不満かしら ? おチビちゃん」
割って入るようにサラザールが揶揄った。しかし言われてみればそうである。サラザールやガロステルはおろか、下手をすればルーファンより一回り小さい。だが、男は特に気にしてはいないようだった。
「<バハムート>の化身か…いつ以来だ ? サラザール」
「さあね。年数数えて暇潰すほどつまんない女じゃないから…でもアンタならやりそう。ねえ、 ヨヒーコトス」
二人が互いの名前を確認した頃、遠方で激しい爆発音が聞こえる。敵の侵攻が食い止められなくなるまで、もはや僅かな猶予すら許されていなさそうであった。
「時間が無い。<幻神>を顕現させたい。出来るか ?」
剣を杖代わりに立ち上がったルーファンだが、ヨヒーコトスは訝しむように彼を見た後、サラザールへ意見を窺うように視線を送る。堅物且つ警戒心の強い男だと、彼女は呆れていた。
「<バハムート>だけじゃない。<ガイア>も<ネプチューン>も彼を認めている。信頼できるわ。それに…詳しい説明は後だけど、今の世界にはもう猶予が無い」
「そうか…よかろう。後で尋問してやる」
ヨヒーコトスは不満げに納得し、やがてルーファンの前に立つ。彼が両腕を広げると、急激に吹き出した炎の熱によって溶け出した甲冑が腕の様に動きルーファンを捕える。そのままヨヒーコトスの方へと引っ張り寄せ、やがて彼の肉体の内部から放たれる業火に飲み込まれていった。たちまち彼らの周りに炎が円を描くように走り、そして天にも届きそうな巨大な火柱となって姿を覆い隠す。
「炎を司りし精霊とまぐわう者《フィムバ・ディクド・スピル・フュジィ・ソナ》」
「滾る憤怒と灼熱を纏い《ヒトゥン・リフィユ・ヒテム・ドウェマ》」
「迫りくる怨恨を焼き尽くす刃とならん《チェイ・コヴェタ・バフレ・ジエーバ》」
――――前線にて、皇国軍に混じって暴れていたガロステルが懐かしい気配を感じ取り、相手をしていたリミグロン兵の体を掴んで敵の方へ投げ飛ばした後に振り返る。
「へっ、おせえよタコ助」
笑いながら罵倒する彼だが、怒ってなどいるわけがない。最悪の事態は免れたのだから。<障壁>の炎を突き破り、姿を現したのは荘厳な姿をした巨大な鳥であった。青い炎を全身に纏い、太陽の如く輝きを放つ鳥の姿は、頭上の遥か彼方にいる筈だというのに視認が出来る程の巨大さである。
街の中で逃げ惑っていた人々も、呆然と立ち尽くしていた。ある者はこの戦を終わらせてしまう怪物として恐れ慄き、またある者は救世主と悟ってか思わず手を合わせ縋ってしまった。<カグツチ>が遂に目覚めたのだ。