第103話 二つの器
「…来る」
一層強く風が吹き荒れ出した瞬間、ルーファンは空を見上げた。やがて周辺の空気が仄かに暖かくなってくると、空に複数の楕円状の光が現れる。巨大なそれらからは、リミグロン達が使用する飛行船が次々に出現していき、首都の周辺は完全に包囲されてしまっていた。
「タナ、準備は良いか ?」
「はい ! いつでも問題ありません !」
ルーファンとタナは互いに確認をして、見つかってしまっても構わなそうにわざと立ち上がって見せる。
「指揮官。環境解析の結果、海上に生体反応あり。二つの魔力を探知しています。どちらも強力ではありますが…もう一つに関しては、何というか…<聖地>と似た周波を放っています」
その頃、飛行船の艦橋では独特な丸みを持つ大型の円盤を指でなぞっていた兵士が指揮官へと報告を叫んだ。光の線によって周辺の地形を再現されたその図では、海上に二つの小さな光が点滅している。生物が持つ魔力は緑、青、紫、赤の段階で示され、赤へ近づくほどに強大な物であることを表している。そして海上には紫と赤の光が一つずつ点滅していた。
赤にまで達する程の魔力…それは<聖地>の様な強大な魔力の源泉で無ければあり得ないのだ。光の大きさである程度の生物の図体を推測が出来るため、その微弱さからかなり小さい…人間と同等のサイズである事も分かる。
「ならば間違いなく鴉だ。第一連隊の全部隊に告げろ。このまま鴉を速やかに抹殺。そして首都への攻撃に移行する」
「了解。ワイバーン部隊、直ちに出撃せよ」
指揮官からの指示によって兵士が指示を出すと、群れを成していた飛行船のハッチが次々開き、ワイバーンに乗った兵士達が飛び出してくる。そのまま位置情報を知らされているのか、小舟に乗っているルーファンの方角へと向かい出した。
「よし…やろう」
ルーファンが呟き、やがてタナの方を見る。彼女も頷いて近づくと、互いの手を強く握る。そして一呼吸置いた後に、強く抱擁をしながら海に飛び込んで姿を消した。
「何ッ」
「こちらワイバーン部隊、第一班。緊急事態発生。標的が海に飛び込んだ。繰り返す。標的が海に飛び込んだ」
兵士達が動揺し、その報告はすぐに艦橋にも届いた。
「自暴自棄になったか…⁉だが、今更そこまで取り乱す様な奴だとは思えん…どういう事だ」
あまりに不自然さに指揮官が次の行動を定められない中、大型の円盤を使って周囲の環境解析をしていた兵士が再び異変に気付く。先程まであった二つの小さな光が消失したのだ。絶命したかと前のめりになっていた姿勢を戻して椅子にもたれ掛かろうとした次の瞬間、赤い光が円盤に灯る。だが先程とは違う。飛行船さえも覆い隠してしまう程に巨大な、まばゆい光が点滅を繰り返し始めた。
「ワイバーン部隊 ! すぐに機体へ戻れ ! 急げ !」
とてつもなく嫌な予感がした。察知した兵士は指揮官に判断を仰ぐ前にワイバーン部隊の通信を担当している兵士達へ告げる。だが既に遅かった。
「ぎゃああああああああああ!!」
通信から聞こえてきたのは了解でも拒否の意思でもない。混じり気の無い悲鳴だった。
「こちら第二班、海中から未知の生物による攻撃を受け……うわあああああああ!!」
「こちら第三班…何だあれは…⁉」
「こちら第四班、港付近に未知の生命体の出現を確認 ! 人型、巨大です !」
ワイバーン部隊から次々と報告が入っていたが、やがて艦橋にいた者達も窓越しに異変の元凶を目撃した。ルーファンが変身をした怪物…<ネプチューン>の姿がそこにはあった。片手には三叉槍を持ち、それを一度空にかざすと海がせり上がり出した。やがて波となって首都へと向かうが、街を全体を包み込んで巨大な半球のようにしてみせる。海水を利用して首都全体に防御壁を作ったのだ。
「<幻神>を顕現させる力か。情報では聞いていたが、これほどとは… ! 上層部が排除しようとしてるのも頷ける」
指揮官は自分が以前見た報告書と思い出し、その文言から想像できる範疇を容易に超越している力を前に神々しささえ感じ出した。
――――皇帝の書斎ではサラザールの物とよく似た、色違いの装束を身に纏った女性が部屋の整理を行っていた。純白の装束を纏い、金色の髪をなびかせているその女性は机に積み上げられていた書物を本棚へ戻し、クロッカスの花が刺さっている花瓶の水を取り替える。なんて事は無い、いつもの日課であった。
「おかえりなさいませ、我が王」
扉を開け、皇帝が戻ってくると彼女は優しげな声で彼を迎えた。口元が隠れているためよくは分からないが、恐らく微笑んでいるのだろうという事だけは目元で判別できる。
「部屋の掃除をしてくれたのか、すまないなレシニタ」
「謝る事などありません。仕事があるあなたとは違い、この時間はいつも暇を持て余しているのです。共に使うお部屋ですから、これぐらいの事はさせて頂くのが礼儀でしょう」
皇帝が彼女の名前を呼ぶと、女性は彼に近づいて優しく頭を撫でた。皇帝陛下に比べて身長が恐ろしいほど高いためか、決して小さくはない筈の皇帝ですら子ども扱いである。
「リガウェール王国への襲撃が開始する。鴉もその街にいるそうだ」
「いよいよ、鴉が死ぬという事ですか ?」
「いや、無理だろう…勘だがな。あの戦力であろうと、恐らくあいつは死なない。だが、これ以上兵力を割くのも厳しい物がある。ジェトワ皇国との戦況も芳しくない。今はまだ国民に対しても誤魔化せてはいるが、いずれ限界が来るだろう…俺自身が、ルーファン・ディルクロと相まみえる日が必ず来る」
バルコニー付きの窓に近づき、皇帝は今後の未来を案じる。そして息抜きをするために兜を外し、ルーファンと瓜二つの容姿を持つ顔を曝け出した。自身が背負う事になった罪と運命を前に悲観し、疲れ果てた哀しき目をしている。そんな彼の背後に静かにレシニタは立ち、身を案じるように肩を擦る他なかった。




