野良猫系美人と迷路で妹さがししてます
知ってる?
バラ迷路の神隠し。
××町のバラ庭園に巨大迷路があるでしょ? そうそう、生垣でできてるアレ。
え、ちいさい時に遊んでたの? 一人で? ふーん、昼時か。危なかったね。
バラ迷路は危ないのよ。夕方になると小さい子どもは消えちゃうの。「神隠し」ってやつ。
昔、実際に消えた子どもがいるんだよ。ニュースになったって隣のクラスの子がいってた。うちのお兄ちゃんも先輩から同じ話を聞いたって。きっとその子が連れてっちゃうんだよ。怖いよねー。
ただの噂だろう?
ち、違うわよ! だって、私、知ってるもの!
…………いい? ここだけの話だから、他の人には絶対いわないでよ?
B組の××さんて知ってる?
実は、××さんの妹って――――。
「かくれんぼしてくれないおねーちゃんなんかキライ! だーいっきらい!」
「ハイハイ」
「…………おねーちゃんのバカっ!」
妹は迷路のなかへと走りだした。
いつもなら、ランドセルの背中をすぐさま追いかける。
でも、その日は反対方向へ歩きだした。待っていても私がこないと気づいたら、怒るか泣くかその両方だろう。
少し頭を冷やす時間がいる。4時になったら迎えにこよう。
もしかしたら待ちきれずに自分で帰ってくるかな。
けれど、妹は帰ってこなかった。
高校に入ると、学区で振り分けられていた顔ぶれがガラリと入れ替わる。模様替えされたクラスメイトの中に、目を引く女子がいた。
倉科エミリ。毛並みの良い野良猫みたいな、媚びず、懐かず、人を寄せつけない雰囲気の持ち主だ。ひとつに束ねたカフェオレ色の髪が細長いしっぽのようで、ますます猫のイメージが重なった。
彼女とは友達でも知り合いでもない。席も遠く、同じ教室の空気を吸って吐く以外にどんな権利も請求できない関係だ。赤の他人ともいう。
赤の他人でもわかること。倉科エミリは美人だった。
人魚姫みたいに悲劇的な目をして、魔女の口紅でも塗ったようにローズピンクの唇は一度も微笑まない。真珠みたいな頬、手首は折れそうなほど細く、茨より明確な拒絶で誰も触れさせない。
たまに耳にする声はフラットでドライ。気さくな教師、面倒見のいい委員長、親切な美少女、運動部のイケメン、陽キャ、陰キャ、モブ、すべてに等しく他人行儀で無感動。イメージは、月明かりを受けたグラスのシャーベットだ。冷ややかで、孤独で、繊細。
赤の他人の彼女と赤の他人のまま夏になった。
なのに、だ。
今現在、倉科エミリと、クラスの外でいっしょにいる。
「次はどっち」
「左?」
「どうして疑問形なの」
「左です」
「最初からそういって」
「……倉科さん、教室とキャラ違う?」
「だからなによ」
「なんでもないです!」
ここは、県内でも有名なバラ庭園の一角、緑の生垣を利用してつくった巨大迷路だ。
昔、この地に富豪の別荘があって、客を楽しませる目的で造園したらしい。屋敷は既にないが、数多のバラが咲き誇る庭園は幅広い層に人気だ。有料にもかかわらず開花時期は大勢の人でにぎわう。ただし、巨大迷路で子どもが行方不明になったとメディアに騒がれたため、夕方4時以降の迷路への立ち入りは禁止だ。録音の放送が流れ、その後30分ほどドローンと係員が内部に人がいないかチェックしている。
地元の学校で「バラ迷路の神隠し」を知らずに過ごす生徒はいない。
バラ庭園は地元学生なら無料開放されるので、どんなインドア派でも学校の行事で必ず連れて行かれる。そして、ホラーが流行るシーズン、上から下、右から左、面白半分に「知ってる? バラ庭園の迷路には怖い噂があって」と裏話的怪談として拡散されるのだ。
現実の話をすると、行方不明事件は本当にあった。捜索隊がバラ庭園を隅々まで探した結果、迷路含む庭園内で事件性のある痕跡は発見されず、行方不明の子は自らどこかへ移動したか、第三者に連れさらわれたと警察が考えていることが地元紙の記事にのっている。これを機に、バラ庭園全体に人間の出入りが記録できる監視カメラが多数導入されたことも。
――倉科エミリは、噂をいつ知ったのだろう。
「バラ庭園の迷路、迷わずに出口までいけるって聞いたんだけど。よかったら、迷路の中を案内してくれる?」
そういった時には、知っていたはずだ。だって、倉科エミリの表情も声も、冷やかしの色が一切なかった。
気になっていた美人が、同級生相手に緊張感さえはらんだ声で頼みごとをするのである。うっかりうなずいてしまったのも無理はない……と思う。
壁と化したバラの生垣を折れ、カフェオレ色の髪が消える。
ぼうっと見送りそうになり、慌てて追いかけた。左に折れれば、かなり先に後姿がある。おいコラ。どうして案内人を置いて進もうとするんだ。
「えっと。待って、倉科さん、戻って。こっち右だから」
「……違っているなら先にそういいなさいよね」
「あ、はい」
すまない。
倉科エミリの印象が繊細だといったのは取り消す。全力で取り消す。
「そうか、理不尽に美人の皮を着せたら倉科エミリに…?」
「バッカじゃないの。で、次はどっち?」
「右です」
カフェオレ色の髪を追いかける。
倉科エミリは、やや遠い中学の出身だ。
目撃情報によると母方の実家で暮らしているそうだ。うちのクラスの自称情報通が、倉科エミリと同中だった従妹に聞いた話では――倉科エミリの妹が行方不明らしい。
「『同級生の間でも有名な仲良し姉妹だったのに、いつからかいっしょにいるところを誰も見てない』んだって。隠してるけど、倉科さんの妹さんもバラ迷路で消えちゃったんだよ、かわいそうだね」
――林檎みたいに毒まみれの「カワイソウ」には、気がつかないフリをした。
倉科エミリは学習したらしく、追いつかれるのを待っていた。
うっとうしそうに、汗ばんだ前髪を払う。
「この迷路、いつになったら出口にたどりつくの」
「最短距離できてるから、もうすぐ折り返し。ほら」
「!」
指さした方を見て、倉科エミリが目を見開いた。
入口から続いていた生垣が途切れる。
広々と円柱状にくりぬかれた空間は、迷路の真ん中に着いた証拠だ。
広場にはランドセルを背負った女の子が椅子に腰かけていた。近所の小学生だろう。彼らにとってバラ迷路はいい遊び場だ。
しかし、それにしては異物感のある姿だった。この暑い日に、白い顔をして長袖の黒い制服を着ている。季節感を無視した姿に気味の悪さこそ感じたが、異物感の原因はそこではない。じっくり目を凝らして気づいた。
広場にふさわしいカラフルな椅子に真っ黒な影がぴったり寄り添っているのだが、それだけだ。
椅子に座っている女の子の影がない。
ゾワッとした。半袖の下から手首まで、肌が泡立つというのがぴったりだった。
しかし、倉科エミリは違ったらしい。
「リツ!!」
倉科エミリにこんな大きな声が出せると初めて知った。
カフェオレ色のしっぽが流れる。
もうちょっとで、白い指先が黒い肩に届きそうだった。
直前、女の子が椅子から飛び降りる。
「こないでお姉ちゃん!!」
「なっ! 何いってるのリツ! うちらがどんなに心配してるかも知らないで! バカなこといってないでお姉ちゃんと帰るよっ!!」
「しらないもん! お姉ちゃんなんかキライ!」
「!」
小学生ってこんなに足はやかったか?!
驚異のスピードで、子どもは生垣の向こうへ姿を隠した。
まさか逃げられるとは思ってもいなかった顔で、倉科エミリも棒立ちになっていた。
いや、クールな倉科エミリならすぐに切り替えるに違いない。
「倉科さん、妹さんのことなんだけど、倉科さん?」
「……きら、い……おねえちゃん、きらい……」
倉科エミリがクールといったな、あれは嘘だ。
うん、めちゃくちゃショック受けていらっしゃる。
妹さんにツッコミどころが山ほどあるんだけど聞けそうにない。
「ええと」
「……」
「倉科さーん? だいじょーぶ?」
「ふ」
「ふ?」
「っざけんじゃないわよ……! リツ―――ッ!!!!! まてーコラーッッ!!!!」
「姉も足はやっっ!!?」
追いかけてきた姉に気づいて、妹さんが再び走り出す。
生垣の向こうから「お姉ちゃんなんか知らない!」「あっちいけー!」「バカキライー!」と小学生らしい拒絶が乱舞しているが、どちらもスピードは下がらない。
倉科エミリは迷わなかった。
「うっさいわ! 私もアンタのことなんか知るか!」「とっととつかまれってのっ!」「バカ妹にいわれたくない!」とガンガン自分にガソリンを投下している様子。
しかし、さっきから妹さんを追いかけているルートが気になる。これはもしかして…?
「待って倉科さん!」
「っ!! 取り込み中! だまってろ!」
後ろから腕をつかんだのは悪かった。でもさ、殺し屋みたいに睨まなくてもよくないか?
「今走ってきた道について気になることがあって」
「30秒で説明して」
空中海賊のママかな?
心が折れそうである。
「あと20秒」
「妹さんに誘導されて出口に向かってるみたいなんだけど!」
「出口? 上等じゃない、そのままクソ妹を連れて帰るわよ」
「出口近くにしゃがまないと通り抜けできない隠しルートがありまして。あの子の背丈ならスルッとそこから逃げちゃうなーと」
「…………」
「倉科さん?」
「続きをいいなさい。そこまでわかってるなら、何か考えがあるのよね?」
なかったらひどい目にあいそうだった。
倉科エミリの目は、もはや人魚姫よりメデューサに近い。お客様の中に巨大な鏡をお持ちの方はいらっしゃいませんかー!
教訓、美人の頼みをホイホイ聞いてはいけない。
古今東西から「それな!」っていわれるヤツだった。
「リツ待ちなさいっ!!」
「やだやだやだ!!」
日陰と熱をはらんだ空気の中を走り抜ける。
すぐ追いつくと思っていたのにうまくいかない。
視線の先には記憶以上に足が速い妹がいる。ランドセルの重さを感じさせないスピードだった。物理的な法則を所々無視している……いや、そういうものなのかもしれない。
だとしても、必ずリツを連れて帰る。そうだ。たとえ、あの子が超常現象的な存在でも、帰る場所があることを思い出させなければ。
「ついてこないで! お姉ちゃんのバカっ!」
「バカはあんたよ!」
出口が見えた。もちろん、妹はそっちには向かわない。手前で右に折れた先に、生垣の足元を小さなトンネルがくりぬいている。
これか…!
妹はさっと中に入り腰をかがめたまま駆け出そうとした。
しかし。
リツの前を、這いつくばるように黒髪をひきずった女がふさいでいた。
戸惑ううちに女がゆらりとリツのうでを捕まえる。
「 みいーつけたァ 」
リツは怯えたように手を振り払った。強張った顔でトンネルを飛び出す。
そして、ロケットみたいなスピードで私の腰にしがみついた。スマートフォンのバイブレーション機能くらい震えが伝わってくる。声が出ないほど怖かったらしい。
小さいトンネルを這い出した人物もその様子に気づいたらしく、明らかに傷ついた表情で眉毛をハの字にしている。
「そこまで怖がらなくてもいいんじゃ…」
「あなた、貞子にそっくりだったわ」
正直にいったら黙ってしまった。ふてくされた黒猫みたいである。
見て分かる通り、彼女の策とはただの挟み撃ちであった。立案者の彼女が先回りして生垣のトンネルを反対側からふさぎ、私はさも後ろから迫っているように追いかけ続ける。うまくいったのだから文句のつけようもない。
「リツ。帰ろう?」
小さな頭をなでてやる。
汗ひとつかいてない髪がサラサラと手に気持ちいい。
震えがおさまって、妹がそっと私を見上げる。こくりとうなずいた。
「帰る。かくれんぼはおしまいだから」
「ウソ、かくれんぼのつもりだったの? バカね、あれじゃ鬼ごっこじゃない」
「うん。鬼のおねーちゃんに見つかったからおしまい」
「そうね。じゃ、かえろ――リツ?」
ホッとして、リツと手をつなごうとしたのに。
「リツ!?」
慌てて見渡すが、ランドセル姿の妹はどこにもいない。本当に忽然と消えてしまった。
そんな、どうして!
「リツ! リツ! どこ!?」
「ん? 倉科さん、スマホなってない?」
「え?」
予感がした。
震える指でスマートフォンを操作する。
短いメッセージ。
ああ――――妹は、間違えずに帰れたのだ。
「いい知らせだった?」
「母から…、ずっと入院中だった妹が目を覚ましたって」
「そっか、良かった」
「……ありがとう。半分はあなたのおかげ」
「え、半分だけ?」
「なによ、四割に減らされたい?」
「イエイエドウイタシマシテ」
おどけた様に笑って誤魔化す同級生。睨もうとしたがやめた。
彼女のおかげで、私は、妹を見つけられたのだから。
早く妹の無事を確かめたい。出口を強く意識する。
けれど。
「病院に行くから帰るわ。あなたは、」
一度地面に視線を逃がしたものの、どうしても確かめたくてまっすぐ彼女を見た。
「――あなたは、まだ探すのね?」
黒猫じみた同級生は、困ったように笑うと、迷路へ戻って行った。
「 も う い い か い 」
「やーだー、まだやるのー」
「ダーメ、かくれんぼはもうおしまい。帰って宿題するから■■もおいで」
「やーだー! かくれんぼするー!」
「しませーん。本日のかくれんぼはおしまーい」
「やーだぁ!! かくれんぼするもん!」
「……はぁ。■■の好きにしな。でも、お姉ちゃん帰るから。■■ひとりじゃかくれんぼできないでしょ、どうすんの?」
「おねーちゃんかえっちゃダメ! かくれんぼしてくれないおねーちゃんなんかキライ! だーいっきらい!」
「ハイハイ」
「…………おねーちゃんのバカっ!」
妹は走り出した。
いつもなら追いかける。
でも、その日は色々あって疲れていたから、あの子とは反対方向に歩きだした。本当に疲れていたのだ。
4時に迎えに行くはずが勉強机でうたた寝していた私を、焦った顔の両親が起こした。時計は6時を過ぎていた。
妹は。
夜になっても帰ってこなかった。
夜中になっても帰ってこなかった。
朝になっても帰ってこなかった。
月曜日になっても帰ってこなかった。
夏になっても帰ってこなかった。
冬になっても帰ってこなかった。
しかたないので、かくれんぼの続きをしてあげることにした。
バラの迷路を毎日歩く。
バラの迷路をひたすら歩く。
毎日。
バラの。
迷路
を。
歩
い 歩
て。 い 歩 歩
歩 て い く 歩 歩
い 歩 て 歩 く 歩
て、 い 歩 く 歩
歩 て、 い 歩 歩 あ
い 歩 て く く 歩
て。 い 歩 歩 歩
歩 て い く 歩 あ
い 歩 て 歩 く 歩
て、 い 歩 く 歩 歩
歩 て い 歩 く あ
い 歩 て く 歩 る
て、 い 歩 歩 く あ
歩 て、 い く 歩 ル
い 歩 て あ、 く あ
て、 い 歩 歩 歩 r
歩 て い く く ァ
い 歩 て、 ! r
て。 い 歩 ア
て 歩 く あ r
歩 い ! ア
い r
て て、 ゃ の r
あ ち r
る な く
か ゆ
み る こ
つ
さ を
け れ
な
い
と
「すみません! お客様、本日の開放時間は終了ですので出口に向かっていただけますか」
「あ、待って――こんにちは××ちゃん。今日はもう遅いから一緒に戻ろう。明日またおいで」
あいまいに微笑む。
あのこは
7年たっても帰ってこないのです
すっかり順路を暗記したのに 今でもじょうずにかくれんぼをしていて 困ったこです
「話しただろう。例の子だ」
「そうですか、彼女が……かわいそうに」
憐みの毒が回らないよう、聞こえないフリを。
だいじょうぶ だいじょうぶ
いつか鬼がみつけてあげるからね、 ■ ■
今日も、迷路のどこかに妹がいる。