1日目
軽トラのエンジンを止めると車から下りてタバコに火をつけた。一息吸って煙を吐くと、森の香りが漂ってくる。濃い陰を作るほど大きく育った樹木たち、日の当たる場所にはススキを始め厄介な草木が生い茂っている。家はその森の真ん中にある。県道から市道に入り、木と木の間の石が敷き詰められた道を進んでいくと、地面を緑が覆う庭に出る。その先に古い、といっても伝統的日本家屋てはない、昭和の時代に建てられたレトロな家が立っていた。お洒落と言われるような古民家でもない。特徴は生活感というしかない青い屋根の家だ。増築をしたような明らかに年代の違う壁、トタンで作られた洗濯物を干す軒下。玄関から少し歩いた東側にしっかりとした倉庫もある。車庫なのかもしれない。とにかく晴れてよかった。軽トラの後ろに載せた荷物や道具が濡れずに住んだので、引っ越し一日目としては成功と言ってよいだろう。
この空き家は安かった。古くなっていることもあるし、何よりこの家を囲む樹木や草が元気過ぎて、買い手がまず春夏の草刈りの大変さを敬遠してきたのだろう。田舎暮らし、森ぐらしといってもここまで荒れていない空き家なら他にもあるからだ。
タバコを吸い終わると手袋をして玄関へ向かう。前に来た時わかったのは、この家は湿気がすごいということ。近くまで森に囲まれ、草も生えているから地面が常に濡れているからだ。カビの匂いもする。放っておけば順当に朽ちていくだろう。それを防ぎどこまで復活させられるのか。このマイナススタートが一人遊びにはもってこいだった。スリッパを履いて網戸のある窓を順番に開けていく。玄関から一階南向きの縁側沿いにそしてその向こうのトイレ、北側の部屋を周り居間、台所、風呂。二階に上がって各部屋を回った後、ついでに倉庫のシャッターと窓も開けていく。ほぼすべての窓を網戸にすると、家の中にあった冷たい湿気のある空気が抜けていき、代わりに8月のモワッとした風が入ってきた。湿気とカビの匂いが薄れただけでも一仕事終えたような気分になり、軽トラに戻ってアイスコーヒーのペットボトルを開けてまた一本タバコを吸う。ただ窓を開けただけで家の雰囲気が少し明るくなったように見える。引っ越し業者が来るのは明日。電気、ガス、水道は前回使用開始の手続きと作業を終えていたから、今日やることは寝る場所の確保と風呂トイレの掃除、後は草刈りだ。
草刈りはメインディッシュであり、仕事始めの作業としても最適だ。草刈り機のエンジン音と振動に包まれながら草を刈っていると脳が作業モードに没入していく。やはり最初の作業は草刈りだ。草刈り機を軽トラから下ろし燃料を入れる。家の周りは強い草が生えていないのでつけていたナイロンの紐のままで刈る。エンジンをかけ、フェイスシールドと厚めの手袋をつけ長靴に履き替える。ナイロンは金属の刃を使うより細かくきれいに刈る反面、小石を吹き飛ばすのでしっかり保護しないと痛い。特に目は危険だ。ケーキ入刀をするように、慎重に玄関前から草を刈り飛ばしていく。ゆっくりゆっくり動かしてきれいに刈り上げていく。ピチピチと吹き飛んだ小石や砂が壁に当たる音がする。刈り終えたところから夏の太陽に照らされあっという間に地面から水分が蒸発していく。ついさっきまでジメジメとしていられた場所ももう乾くしかない。家を覆っていた湿気の力が少しずつ弱まっていく。太陽の力は絶大なのである。
西回りにじっくりと刈っていく。西側、北側、東側。ついでに倉庫の周りも一周。軽トラまで戻り、仕事っぷり眺める。ぎりぎりまで囲まれていた草がなくなり、家がくっきりと見える。刈られた草は暑さにすぐに萎れ、濡れていた土は乾き始めたマーブル色になっている。また一つ家の湿気を減らせた。成果に満足しているともう昼近いことに気づく。縁側に腰掛けて来る途中で買ったコンビニ弁当を一つ平らげると、アイスコーヒーとタバコで休憩をとる。しばらくはタバコを吸いすぎ状態が続きそうだ。一つ一つの作業に楽しみと達成感があるからどうしても吸いたくなってしまう。
それにしても暑くなってきた。時刻は午後一時を越え、ここから四時ぐらいまでは危ない暑さが続く。幸い家の中はひんやりとした状態が保たれ、風が抜けていくので家の中にいればしのげる。北側にある畳の部屋に掃除機をかけ、ゴロンと横になる。火照った体が冷やされると同時に眠気が襲ってくる。寝てるのか寝てないのかよくわからないまま三十分もウトウトしていると鳥の鳴き声で目が覚めた。思いの外すっきりとした目覚めだったので、その勢いのまま風呂掃除とトイレ掃除、台所掃除を軽く済ませる。とりあえずホコリと大まかなカビを落とせれば使うのには支障はない。玄関と居間、倉庫の掃き掃除を終わらせると軽トラから残っていた荷物を運び、倉庫に軽トラを移動させた。夕立が来るかもしれない。夕飯を買いに行く前に一度風呂に入りたい。でもその前に草刈りをしておきたいということで通ってきた石の敷き詰められた道をやっていく。こちらもところどころ草が飛び出している程度なのでナイロンで十分だ。
簡単な場所だけではあるが一通り草刈りを終えると、朝まで森に溶けて消えそうだった家が、人が住んでそうな雰囲気にまで持ち直した。一日目にここまで出来たことへの達成感と、自分が最近どれだけやりたくてウズウズしていたのかと思い返して少し笑った。この熱はしばらく消えそうにない。
そろそろ夕暮れ時だ。空がピンク色に塗られ、オレンジ色の空気に辺りが包まれている。ひぐらしの声を聞きながらそろそろ終わろうかと片付けに入る。部屋の電気をつけてもいい時間だったが、夕焼けがもったいなくてそのまま薄暗い風呂でシャワーを浴び、ジャージに着替えて軽トラに乗り込んだ。窓を開け、タバコをふかしながら夕暮れの道を進む。スーパーにつくと丁度夕飯時、たくさんの家族や主婦が買い物に来ている。夕食と明日の朝用に弁当やパンを買い込む。ビールを一缶買ってみた。こんな日は飲んだほうがいい。
買い物を済まし家に帰るともうすっかり暗くなっていた。森に囲まれた家は暗闇の中にすっかりおさまり、網戸にしてある窓から真っ暗な部屋の輪郭が少しわかる。玄関に入り明かりを点ける。一日中風を通したおかげでカビの匂いがほとんどしなくなった家の中をそれぞれ見て回る。昼に見る雰囲気と、夜明かりを点けてみる雰囲気とではかなり違う。あの部屋はどう使おうか、あの部屋はどうしようかなどと考えながら、買ってきた夕飯に手をつけた。
夕飯も終わりビールを手に取り縁側に座る。カシュっとフタを開けると一口飲んでからタバコに火をつける。煙が生ぬるい夜の風に運ばれていく。ふと思い立ち、部屋の明かりを消す。先程まで光に押されて引っ込んでいた暗闇が足元まで埋め尽くした。時間が立つにつれ目が慣れてきた。暗闇側に立ち、明るい庭を見渡す。向こうから見れば暗闇に立つ一人の男。ホラーの脅かす側に自分はいる。テレビはまだない。スマホを見る気にもならなかった。静かな夜の森の色を感じながら眠りたかった。網戸のまま、持ってきたマットに横たわり、タオルケットをかける。これからどのぐらい冷えるのかわからない。風邪は引かないだろう。腹さえ守ればなんとかなる。
横になって暗闇を見回す。夜の光だけに塗られた部屋、庭、森。森の奥から時折聞こえる鳥の声。自分がこの暗い青に溶けていく感覚。火照った体を冷やす裏からの風を感じながら深く呼吸をする。カーテンもないから明日は朝日に起こされるだろう。スマホのアラームより朝日の方が安心だ。確実に起きられる。ウツラウツラとそんなことを考えながらいつの間にか眠ってしまった。
午後8時を少し過ぎた頃だった。




