三、謎の少女・メル - 1
医者に女の子を診てもらうと、痩せてはいるが健康状態に問題は見られない、とのことだった。
よかったー。ひとまず安心である。これで栄養失調気味だとか、飢餓状態だとか不治の病にかかっている、とか言われたらどうしようかと思ったわ。
その女の子は戻ってくる途中でいつの間にか眠っており、診察中も、今も、目の前のベッドで静かに眠っている。
今いる部屋は、お化け退治を依頼してきたおばちゃんの店の二階である。戻って話をすると、二階が宿になっていて空きもあるから使ってくれていいと言ってくれたのだ。なんとまとめて銀貨二枚でいいらしい。
そんなわけでお言葉に甘え、ツインとシングルの二部屋を借りることにした。ツインがあたしと少女の部屋で、シングルが彼の部屋である。
レオンがこっそり教えてくれたが、一般的な宿屋は一階が食堂で二階が寝室になっており、この宿も例に漏れずその形式なのだそうだ。
ところでこの女の子、年の頃は十歳そこらだろうか?
女の子の無事を確認して、ようやくゆっくり彼女を観察することができたのだが、身長も低いし、顔立ちも丸っこく幼い。けどかなり目鼻立ちは整っているように見える。
ようするに、寝顔が可愛い。どこか憂いを湛えているまつげが、さらに謎の少女感を底上げしている。
あたしが一人、ベッド横で女の子を観察していると部屋のドアが外からノックされた。
「戻ったぞ。入っていいか?」
「どうぞー」
あたしの返事を待って、扉が外から開かれる。レオンが最初の戦闘場所で伸びていた盗賊たちを衛兵に引き渡し、帰ってきたのだ。
宿の人にお願いして案内をしてもらったので、どうやら迷わずに戻ってこれたらしい。
「ミナ、その子の様子は?」
「健康状態に異常はないって。起きたらお店のおばちゃんに頼んで、スープかなにか貰いましょ」
彼はあたしの返事を聞きながら、隣のベッドに腰掛けた。
「で、レオンの方は? 特になにもなかった?」
「ああこっちは滞りなく。あ、これ衛兵からの礼金な」
と、彼は銀貨を四枚取り出した。
「二枚ずつでいいだろ?」
「仕方ないわねー。それで手を打ちましょう」
「戻ってきた時、ここのおばちゃんにも報酬貰っただろう!」
まあ、それはそうだけど。それはそれ、これはこれだし。
「で、結局あれは、なにが起きてたんだ?」
「あれ? なんだっけ?」
首を傾げながら聞き返すと、レオンは「ほら、洞窟の」と補足する。
あ、火炎球を斬った時のことか。
「あたしが使ったのは炎切滅って術で、向こうが使ってきたのは火炎球って術。火炎球……っていうか精霊魔術は知ってる?」
レオンが魔術はからっきしだと言っていたのを思い出し、あたしは念の為に確認する。
「いや」
レオンが案の定首を横に振ったので、あたしは精霊魔術の説明から入ることにした。
「んじゃ、説明するけど。精霊魔術は一定の魔力と引き換えに、世界の四大精霊、つまり火、水、風、地の精霊の力、特にそれぞれの精霊王の力を借りて行使するものよ。
で、火炎球ってのは火に分類される精霊魔術――つまり火精霊の力を借りる魔術なんだけど、火柱上げて爆発するやつのこと。旅とか傭兵とかしてたなら、どっかで見たことない?」
「…………あ、あれか」
大雑把だが現象を説明して、わかってくれたらしい。
まあ、そりゃそうよね……。呪文名言っても魔術師じゃないとなに言ってるかわからないだろうし。
「火炎球ってのは、何かと衝突することで、今言ったような爆発を起こすの。
で、あたしが使った炎切滅ってのも同じく火に分類される魔術なんだけど、こっちは、全てを焼き尽くす炎を剣にまとわせる術なのね。この術をかけた剣で斬れないものはなくて、その上、斬ったものは剣が纏っている炎で燃えて、そのまま焼滅するの。まあ、物理限定だから、精神体や霊体――つまり幽霊とかには効かないんだけどね」
精神体や霊体の話を出したらレオンの顔が曇ったので、結局わかりやすく言い換えたが、ついてこれているだろうか。
念のため確認すると、レオンは眉を寄せたまま一つ頷いた。
大丈夫かな……?
少々心配しつつも、あたしは説明を続ける。
「この二つは、さっきも言ったように、どっちも火の魔術なの。だから、あたしは咄嗟に火炎球そのものを、爆発する前に炎切滅で燃やし尽くせないかなー、って考えて斬ってみたのよ。もしかしたら、同じ系統の術だし、より強い術の方が勝ったりしないかなと。この場合は、あたしが使った術の方が、基本的には魔力消費が大きいの。
結果的には、お互いの術の効果が作用しあって、すぐに爆発はしなかったけど、燃やされながら膨らんじゃったのよね」
まあ、最後の結論は、あたしの推論だけど。例え外れていても、当たらずとも遠からず、なんじゃないだろうか。
「うーん……わかったような、わからんような」
「一気に説明しすぎた? 魔術わからない人に説明するって初めてだから、こっちも加減がわかんないのよ」
俗に言う、理解してない人がどこを理解してないのかわからない、っていうあれである。あれがなぜかある日、唐突に理解できるようになる原理ってなんなんだろうか。
レオンはしばらく悩んで、諦めたのか彼なりの結論を出した。
「まあ、とりあえず、同じ火の術のおかげで爆発を抑え込めた、ってことと、こっちは爆発に巻き込まれずに済んだ、ってことでいいんだな」
「結果的に、だけど……」
「じゃ、結果オーライってことで、とりあえずいいや。理解した」
いやそれ、理解放棄してるだけじゃ。
しかし、あたしがなにかを言う前に、彼はさっさと話題を変えてしまう。
「そういえば、剣の方もなかなかいい腕だったじゃないか。オーク相手にもビビらないし、随分戦い慣れてて驚いたよ」
今度は剣の話か。だが、褒められて嬉しくないこともない。
「ふふん、ありがとう。大人たちに散々しごかれたからね。でも、そうは言うけど、レオンの方がずっと腕がいいじゃない。あんなきれいな太刀筋、あたし初めてみたわよ」
「それはどうも。でも、オレもミナがあそこまで腕が立つとは想像してなかったよ。確かにあれならオレの助太刀はいらなかったかもな」
あら。あたしの実力ってそんな褒められるほどだったの?
そう言われるとまんざらでもなく、単純だが微かに頬が緩むのを自覚する。
「まあねー。剣を使った魔術が元々得意だったから、剣は必死に鍛錬してきたつもりよ。これでも、剣の相性くらいは見れるんだから」
「剣の、相性?」
調子こいて軽く手の内を明かしてしまったが、聞きなれない言葉だったのか、レオンが首を傾げる。
あ、でも確かに魔術の話だから彼にはピンとこないか。
どう説明しよう……?
「んーとね、剣と魔術って相性があるのよ。魔術との相性がいいと、何回使っても折れないとか、術の持続力がいいとか、そういうの」
「ふーん? つまり、魔術をかけるのに適している剣を見分けられる、ってことか?」
「そうそう! そういうこと!」
魔術はからっきしなんて言う割には、飲み込みが早いじゃない、彼!
「じゃあ、例えばオレの剣に術をかけられるかどうか、ってのも、この場で見れたりするわけだ?」
「もちろん。実際に見てあげよっか?」
「おもしろそうだから、頼んでみるかな」
レオンはそう言って腰の剣を外すと、あたしに鞘ごと手渡した。
「乱暴に扱うなよ。オレの相棒なんだからな」
「わかってるわよ。剣を蔑ろにしたら、いざって時に剣に裏切られるのよ――ってねーちゃんにも言われてるし」
さてっと。
あたしは鞘から剣を引き抜き、支えるようにして左手を刀身に添える。そして瞼をそっと落とし、呼吸を整え――少しずつ魔力をこめる。剣の中に刺すように、通すように、管に水を流しこむように――って、あ、あれ?
本来ならば軽く魔力をこめた時点で、剣の方から手応えのようなものが、こう通った! という感触が返ってくるのだが、それが全くない。というか、この剣、うんともすんとも返してこない。
あたしは魔力をこめるのをやめて、まじまじと彼の剣を観察する。見た目は至って普通の剣。ちゃんと手入れもされていて、刀身は鈍くも美しい鈍色をしている。だが、これは――。
「この剣、死んでる……」
「え? し?」
呆然と呟いた後、あたしの頰は紅潮する。
「死んだ剣……あるらしいのは知ってたけど初めて見たわ! 本当に存在してたなんて! こんな旅立ってすぐに出会えるなんてもしかして、あたしってついてる⁉」
あたしの心はいま、とんでもなく急上昇している! 本当に、本当に珍しいのだ! この剣は!
ほとんどの剣――本来は剣の材料を指すが――は魔力を通す魔力回路を大小あれど持っており、それが魔術をかけられる条件になる。そういう剣をあたし達は便宜上「生きている」なんて呼んでいる。
ところが、この魔力回路を一切持たない剣というのが極稀に存在する――と、昔読んだ本には書いてあったが、まさか本当に存在したなんて!
あたしはまくし立てるように、そのことをレオンにも説明する。
「つ、つまりどういうことだ?」
「この剣、魔術が一切無効なのよ! 魔術回路を持たないってことは、魔術の影響を一切受けないってことなの!」
「……具体的にどういうことだ?」
「知らない」
「おい」
あたしの即答に、レオンは半眼になる。
「だって、実際に使ってあれこれ試したことないし、そういう記録も、あたし読んだことないもの。ただ、そーゆー剣があるって話を聞いたことがあるだけで」
ただまあ、魔術が無効ということは、魔術・魔法の攻撃をくらっても折れることがないのだろうな、くらいに考えている。
あたしが使う剣のように、魔術をかけて使用することはできないので、コレクションとしてしかあたしには実用性もない。
「代々家で受け継いできた剣らしいんだが、詳しいことはオレも知らないしなぁ……」
「なーんだ、そっかー。っていうか、そういうのはちゃんと親御さんに聞いといてよ」
「聞く機会がなくてなー」
彼の答えにあたしは肩を落としてため息をつく。
まあ、聞いていないのも、知らないのも、彼の事情だから仕方がない。ここでそれを責めた所で彼の頭にその答えが浮かんでくるわけでもなし。
気を取り直してあたしは丁寧にレオンの剣を鞘に収めると、彼に返却した。
あ、そうだ。
「ねえレオン。もし良かったらあたしと手合わせしてくれない?」
「――なんだ、藪から棒に」
「何事も経験って言うし、レオン並に剣を綺麗に扱える人、村にはいなくてさ。だから、はっきり言えば、あなたと戦ってみたい!」
村であたしに剣を教えてくれた人たちは、なんというか軒並みパワータイプというか、魔術主体で剣はサブウェポンというか。
そんな感じで「斬る」というよりは「潰す」という表現が似合う人達が大半だった。彼みたいにまさに剣のように優雅に闘うタイプは一人もいなかったのだ。
なので、半分はあたしの興味本位のところもある。
「そんな目をキラキラとさせて頼まれてもなぁ……。剣は遊びの道具じゃないから、遠慮しておくよ」
「えー。別に遊びのつもりはなかったんだけど」
しかし、嫌がってるところを無理矢理頼み込むのも不躾だし……。
「じゃあ、気が変わったらでいいから、そのうち手合わせしてね。約束よ♪」
とウインク一つ。
「約束ってそんな一方的な……」
レオンは諦めなのか、なんなのか、ため息をつく。それにしても、なんだか彼のテンションが妙に下がったような?
あたしが小首を傾げていると、傍らでうめき声が聞こえた。あたしとレオンは慌ててベッドで眠る少女に視線を移す。
微かに瞼が震えると、空色の目がゆっくりと現れた。