四、嵐過ぎて、凶兆 - 3
居間に移動すると、そこにはアンナとハンナしかいなかった。
「ミナさん。お気づきになられたのですね。お身体の具合はいかがですか?」
「ああうん。おかげさまで大丈夫だけど――メルは? 姿が見えないけど」
「まだ寝ておられます」
「そう」
あたしとレオンが手近な椅子に座ると、アンナが暖かい紅茶を入れてくれた。あたしのには、砂糖漬けのレモンが一切れ浮かんでいる。
一口含めると、胸の奥がどこかほっとした。
そこでようやく、あたしはお腹が空いていることに気づいたが、それは後にしておこう。
「それで、あたしが気を失った後のこと、聞いていい?」
早速切り出すと、アンナが「では」と口を開いた。
「メルさんに、翼が生えて、消えました」
「――は?」
いきなり全く意味がわからない。
「ヌヴァルだかってやつは、あたしのおかげで逃げ遅れて、メルの翼の光を浴びて消滅」
「ロシャムードとかっていう奴には、逃げられたみたいだ」
「ごめん、ちょっと待って。翼? 光で消滅……?」
あたしは頭を抱えて待ったをかける。
順を追って詳細を聞くと、どうもこういうことのようだった。
まず、光とともに白の半透明な翼が、メルの背中に生えたのだという。それを見たダッドが「実験は成功だ、全員引け」と姿を消しながら発したらしい。
あたしが聞いた声は、それか。
その後、白い光はあたしが腹部や胸部に受けた傷を瞬く間に治癒させた。あたしはどうもその反動で急速に眠りについたらしい。
さらに、メルの光に気づいたハンナがヌヴァルを足止め、光に呑まれたヌヴァルはそのまま消滅。
ハンナ曰く、逃げられた感じはない、とのことなので消滅でいいだろう。
最後にメルの背中の翼が消えるとともに光も消え、メルはそのまま気を失った。
そして、光が消えた後には、魔族の気配は一切無くなっていた、と。
周囲に敵の気配がなくなったが、あたしとメルは気を失って気がつく気配がないし、ということで、ひとまず魔女の結界の中に移動したらしい。
「ありがとう。大体の流れはわかった――けど、そのメルの光って、なんなの? メルの潜在魔力かなにか?」
「ばっかねー。メルの中の天使としての本来の力に決まってんじゃん」
ハンナが頬杖をつきながら、相変わらず小馬鹿にしたように答えてくれた。
あ。そうか。神聖魔術が有効ってことは、天使族の力はそもそも魔族にとっては天敵になるのか。
それに、あれが天使の力っていうのなら、あたしの怪我が瞬く間に治ったのも納得がいく。
「なるほど、ありがとう。っていうか、大層なこと言ってた割に、あんた結構苦戦してなかった? 気のせい?」
あたしの何気ない疑問に、ハンナは珍しく苦い顔をする。
「あんた達人間に影響が出ないように、魔力出力調整するのに手間取った」
なんのこっちゃ。
ハンナの言葉の意味がよくわからずに眉を顰めていると、アンナが補足を入れてくれる。
「ミナさんも気づかれてたと思いますが、あの場所、神聖魔術が強化される場になっていたじゃありませんか」
「ああ、うん。それは、あたしも苦労したけど。え、そういうこと?」
まさか、魔女の魔法も適用範囲だったの?
「ええ。ハンナは元々の魔力も強いので、いつも通りにやると、辺り一帯を焦土にしかねなかった、と言っていました」
「あーもーこの天才ハンナ様が、あんなのに翻弄されるなんてーっ!」
ぞぞぞ……。二人の話を聞いて、あたしの背筋は薄ら寒くなる。
思っていたより、あの場の影響力って、恐ろしかったのね。
「それで、ミナさん。こちらからも一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
なんだろうか。あたしはオーケーだと頷いた。
「アルさんは、どうなったのですか?」
アンナにそう聞かれて、自分でも顔が強張ったのがよくわかった。
「……アルは」
言いかけるが、なんと説明したらいいのだろう。少し考えても良い説明方法が思い浮かばず、結局、見たままをみんなに伝えることになる。
あたしの説明を聞いていくうちに、レオンも、アンナも表情が硬くなっていくのが、見ていてわかった。
「そう、ですか……」
説明を聞き終えたアンナが重く呟いた時、廊下の方からパタパタと軽い足音が近づいくえるのが聞こえた。
全員が扉に注目する中、向こうから姿を表したのは、血相を変えたメルだった。
居間に飛び込んでくるなり、何かを探すように首を巡らせ、あたしを見つけて飛び込んでくる。
「ミナさん――っ」
「ちょ、ちょっとメル?」
抱きついてきたメルの体が震えている。
「ほらメル。この通りあたしは大丈夫よ」
「よか……った。ごぶじで、ほんとうに……」
「ええ。メルのおかげで。ありがとうね」
お礼を言った途端、メルがあたしから離れた。上げた顔が引きつっている。
「アルは……」
次いで発せられた一声に、全員が身構えてしまった。
メルはそれで確信してしまう。唇が震え、ゆるゆると両手で顔を覆い、崩折れる。それを見たレオンが、慌てて自分が座っていた椅子に、彼女を座らせる。
「わたしが……わたしがみじゅくだから……わたしが、ちゃんとできなかったから……アルは……!」
「それは絶対違う」
迷いなくそう断言したのは、ハンナだった。
「悪いのは、アルをあーしたロシャムードとかって胸糞ジジイ。メルまでけしかけてホント胸糞悪い」
それはそうだ。最初にキッカケを作った奴が悪いに決まってる。
でも――可能性があるならと、メルにやらせてしまったのは、他ならぬ、あたしである。
メルの性格からして、こうなる可能性も考えればわかっただろうに、なんであたしは……。
それでも、その可能性がメルの中に生まれてしまったのは、元を辿ればロシャムードが発端だったはずだ。
アルは、メルは天使の力が使えない人間だと言っていた。なのに、ロシャムードはメルならアルを助けられるかもしれないとわざわざメルに教えた。それでメルは、天使に関するなにかだと考えた。
最後に出てきたダッドの行動も、あたしやメルを嬲るというよりは、メルに何かをさせようとしていたようだったけど……一体何を?
最後にダッドが発したという「実験は成功」だという言葉が意味するのを考えると。
巡らせた思考に、あたしは目を見開いた。
そうだ、今回の、いやもしかしたら前回からのキーワードは『天使の力』だったんじゃ――!





