一、レイソナルシティ - 5
「なあ、さっきのさっぱりなんだが、メルに何を教えていたんだ?」
あたしとメルでレオンを抱えながら空中をふよふよと移動中、レオンが質問をしてきた。
前方を塞ぐように突き出た木の枝を避けてから、あたしは返事をする。
「今使ってる術のこと?」
あたしが確認すると、レオンは「それそれ」と頷いた。
「お前が口にしてた呪文と、メルが使ってた呪文も、音が違った気がするし」
「それはまあ、精霊言語で精霊に何がしたいか伝わればいいから、別に全く同じ呪文を使う必要はないし」
精霊言語を理解していないレオンがそれに気づいたことに内心舌を巻きつつ、あたしはちゃんと答えてあげる。
「魔術って、決まった呪文があって、それを唱えればいいってもんでもないのか?」
「うーん、それもできなくはないわよ。学会から支給されてる初心者用の杖は全て同じ呪文が刻まれてるから、全員同じ呪文を唱えているようなものだし。
でも、大事なのは使用者が原理を理解することなの。この現象を起こすには、こういう風に精霊にお願いすればいいだろうなー、ってのを考えて、理解して、呪文構築することが魔術師の本分なのよ。
理解してない呪文を使おうと思えば使えるけど、制御できるかどうかは別問題っていうか、それ以上発展のしようがないというか」
これができるかどうかが、魔術師としての才能の有無に関わって来る。
危険な魔術ほど、呪文なんて馬鹿正直に書いてないもんだから、魔術は使えても魔術原理を理解できない奴は、所詮その程度の魔術しか使えずに終わってしまう。
まあ、その点考えるとあたしは結構幅広く魔術が使えてるわけで、ざっと中級者くらいの実力は持ってると自負しちゃうかな〜♪
これで魔術師は結構な頭脳労働なのだ。
「それにまあ、一定以上の魔術師の呪文ともなると、基本的に省略されまくってるから、ただ耳で聞いて覚えたって普通は使えないわよ」
「省略?」
「そ。一から十まで全部唱えるとめちゃくちゃ長くなるもんだから、省略呪文ってのが開発されたのよ。省略呪文を使うと本来の呪文に自動変換される感じかしらね。よく使うフレーズとかは、使い回せるように省略呪文にするんだけど、やり方は教えてもらえても既存のものをそのまま使うってことはしないもんだから、魔術師一人一人で異なるってわけ。上級テクニックってやつね」
レオンの質問に答えながらも、枝避け木を避けとメルと一緒に魔術制御に集中しているので、レオンの顔は見られない。が、なんだか納得した気配は感じられない。
案の定「なあ」と彼の言葉は続いた。
「同じもの使った方が楽なんじゃないのか?」
言うと思った。
「全員が全く同じ呪文使ってたら頭を唱えた時点で即バレするし、すぐに対策取られちゃうでしょ。魔術師って、あたしみたいにフットワーク軽い人達ばかりじゃないの」
「……ああ、なるほど」
彼の返事が来るのにしばらく間があった。
何をどう納得したのか知らないが、妙に得心した感じに呟いているのが聞こえた。
――お?
前方に何か見えた。あたしはメルに停止の指示を出して、安全そうな木の陰に着地する。
術を解除すると、相当集中していたのか、メルは深く息を吐いた。
木々の合間からその先に目を凝らすと、肌が緑色で背の低い凶悪な顔をした生き物の群れがある。
各々衣服を身にまとったり木製の防具をつけたりと格好は様々である。
「あれがゴブリン?」
レオンに確認すると「間違いない」と肯定する。
ゴブリン達がいるところは切り拓かれていて木々がなく、奥に確かに切り立った岩場が見える。そこから向こうは一つの丘になっているようだ。
「よしメル。練習だと思って火の矢か火炎球あたりぶち込んでみなさい」
「え……はいっ⁉︎ いきなりなにを言ってるんですか⁉︎」
「場所はそうね、バレないように回り込んであいつらの後ろに見える岩場の上ってのはどう? 向こうの動きも見やすそうだし」
「ちょ、ちょっとまってください!」
慌てるメルを無視して話を進めると、ぐいっと衣服を引っ張られる。
「ムリです! つかったことがないんですよ⁉︎」
「だーかーらー、練習だと思って、って言ったじゃない。多少失敗しても討伐対象だし、心痛まないと思ったんだけど」
「もしゴブリンたちが亡くなったらどうするんですか!」
「え?」
「え——」
思わず驚いてしまうと、あたしの反応にメルの顔から血の気が引いていく。
「え、あの……ゴブリンたちを、おいはらうのが、こんかいのおしごと、でしたよね……?」
メルが青い顔をしておどおどし始める。
あたしの故郷であるハルベス村は、武族の村であると同時に、農村でもある。これでも一応、あたしは農村出身者なのだ。なので別に、手塩にかけて世話をしている大事な家畜や農作物を荒らして人様に迷惑をかける害獣が、事故で運悪く命を落としてもしょうがないと思うタチなのだけど、もしかして彼女には地雷だったかしら。
「えーっと、うん、じゃあ、あたしがやるから、メルは後ろから適当にそうね、水でも投げてなさい。それなら殺傷力ないし」
「え、あの、そうではなくて」
なおも食い下がろうとするメルの両肩を、あたしは優しく掴む。
「メル、もしこれからあたしたちと交戦したことで彼らが命を落としたとしても、それは不運な事故なのよ」
「じ、じこ?」
あたしは最もらしく大きく頷く。そのあたしの後頭部がペシっと叩かれた。
「人はそれを洗脳と呼ぶ」
振り返れば、呆れた半眼のレオンがあたしを見ている。
「で、結局どうするんだ? 見つからないように回り込んで上から奇襲をかけるか?
メルのために補足すると、相手の動揺を誘って向こうの士気を下げるのは、ビビらせるのには効果的だと思うぞ」
「びび、らせる?」
あたしは後ろ頭をかきながら、レオンの方に向き直る。
なんだかあたしが悪者みたいじゃないこれー。
少しばかりムカつきながらも、あたしは一つ頷いた。
「仕方ないからあたしが適当に発破するわよ。メルはさっき言ったみたいに水の魔術構築で感覚をつかむ練習でもしときなさい。感覚はそのまま火の魔術にもある程度は応用できるから。風が使えたんだから、他のも簡単なのなら使えるわよ。
目的は、あくまでもゴブリン達を驚かせて、あたしたちには敵わないって思い込ませることよ」
少しは納得したのか、気が抜けたのか、メルは少し呆けた顔をしていたが、この場から移動するために、もう一度浮遊の術を発動してもらう。
ふよふよと再び音もなく浮かんだあたし達は、先ほどの丘を目指して、今度は木々の間を大きく回り込むようにして移動する。木々の間からゴブリン達の姿が見えなくなった辺りで急斜面に直面したので、レオンに辺りを警戒してもらいながら、あたしとメルはその急斜面を一番上まで浮上していく。
見つからずに岩場の上に着くと、身を屈めてからあたしの合図で術を解く。
そろそろと低姿勢のまま下が覗き込める位置まで移動していくと、ゴブリン達の話し声が聞こえてきた。
「ギギ、ギィー」
「ギギギィー」
うん、なに言ってるか全くわからない。
これ自分で言っておいてなんだが、入れ知恵とかできる人間がいるのか、の疑問の方が膨らんだぞ。
「さて、それじゃ」
「あ、その前に」
立ち上がろうとしたあたしの頭を、レオンが突然押さえ込む。は、鼻打った……。
呻くあたしのことには気もくれず、その状態のまま、レオンはメルに話しかけた。
「メル。あくまでゴブリン達にお仕置きをするだけだけど、見ているのがツラくなったら、ゴブリン達が見えないようにミナの後ろに隠れてくれて構わないからな」
頭が押さえられていてメルの方を見ることはできないが、返事まで少し間があった。そのうち、戸惑ったような「はい」というメルの返事が聞こえた。
あたしの頭から重圧が無くなる。
出鼻を挫かれたあたしは、ぶつけた鼻を手でさすりながらレオンを睨む。
「もういい?」
「いいぞ」
もーなんなのよ。と、文句の一つも言いたいけれど、ともかく、あたしは呪文を唱える。
同時に腰から短剣を片手で持てるだけ抜いて、着火点を探す。場所を決め、一本ずつ投げ放った。
突如として降ってきた短剣に、ゴブリン達に微かな動揺が広がっている。しかし、確認させる暇など与えない。
最後の一本が地面にサクッと落ちたタイミングで、あたしは構築し終わった術を発動させた。
「篝火渦」
ボゥワ——ッ!
あたしが投げた短剣の分だけ、火柱が勢いよく立ち昇る! それも当然、短剣を軸にして火柱が発生しているのだから。
ゴブリン達の間にあった微かな動揺が、確かなものに変わるのが見てわかる。
さらにあたしの目の前に、水の塊が生まれている。それは、空気中の水分を吸収して大きくなり——下側が弾けた。
バケツをひっくり返したかのように水が降ってきたのに驚いてか、下でギーギーと悲鳴が上がった。
今のはメルである。ただ水を集め続けるだけのシンプルな命令式はとても簡単。初心者向けだ。
空気中や周囲の水分を集めるので、砂漠みたいな乾燥地では全く使えないらしいし、水を集め続けるだけなので、集めた後のことはまあ、今みたいにするしかない。
日常生活で使うには正直使い道がほぼ思いつかない。
ついで、あたしは自分の周りに「炎の矢」を出現させる。しかし、放ちはせずに、ゴブリン達に向かって声を張り上げた。
「ゴブリンの皆さん、こんにちはー! 火矢の雨をくらいたくなかったら、今すぐ他の村に移動をはじめることね!」
人の言葉で話しかけて通じるのかはわからないが、とりあえず人差し指を突きつけながら警告をしてみる。
しかし、ゴブリン達は敵を見つけたと言わんばかりに、手に手に武器を取って雄叫びを上げ始めた。
「やっぱり無理か」
「話が通じると思ってたのか?」
「いんや、あんまり。でも相手に『警告』ってやってみたかったし。そーれ」
あたしは静止させていた炎の矢を、真下のゴブリン達に狙いは定めずに発射させる。当たるか当たらないかはあいつらの運ってことで。その横でレオンの
「今のは警告じゃなくて脅しって言うんだけどな」
って言葉が聞こえたので、さっきの件も含めて後で抗議してやる。
下の方から発生している発破音を聞きながら、あたしは次の術の構築を考える。なるべく殺傷力が低くて、インパクトが強いもの……。
「ギ」
「ギ?」
突然耳に飛び込んできた声を、あたしは反射的に反芻していた。と、同じくしてゲシっと物理的な音。
「こいつら、この崖登れるのか。すごいな」
隣ではレオンが感心したように真下を——正確にはあたし達が立っている岩場の側面を覗いている。そこは前方から見た通り、切り立った崖になっていた。
あたしもレオンに倣って覗き込んでみると、あたしの術を掻い潜ったゴブリン数匹が、崖をよじ登ってきていた。
「まじっ⁉︎」
てことは、さっきの物理音はレオンがゴブリンを蹴落とした音。
「きゃっ⁉︎」
今度は後ろからメルの悲鳴。振り返れば、いつの間に回り込んでいたのか数匹のゴブリンが後ろからも近づいて来ていた。
「へえ。ゴブリンって敵を包囲するのか」
「感心してる場合⁉︎ 気配なしに近づいてくるっておかしいでしょ!」
「ゴブリンは妖精の一種だって言っただろ。その辺にある草木の気配をお前感じ取れるのか?」
「その話後でいいから、後ろのゴブリン達どうにかしてきて!」
余裕ぶっこいて隣で解説を始めようとしている彼の尻を蹴っ飛ばして、あたしはもう一度火の矢を構築し始める。
そのあたしの詠唱に重なるようにして聞こえるメルの呪文。気になる単語が聞こえて、あたしは思わず詠唱を止めてそちらに耳を傾ける。メルの使用しようとしている術を確信して仰天した。
「メルたんま! あんた地精霊とは相性が——!」
あたしが止める間もなく、メルの手の中で構築途中の集まった魔力が暴発する。それは地面にヒビを入れ、地割れを引き起こした!
ここが普通の大地なら、少し足場が悪くなって足を取られるくらいで済んだのだろうが、ここはかつて採石場だったと、村人は言っていた。
ということは、あたし達が今立っているところは天井部分。この下はおそらく石が切り出されて——ほぼ空洞のはずである。
あたしはとにかくメルの腕を掴むが、次の瞬間足裏の感触が崩れた!
メルが制御に失敗した地の魔術が、採石場の崩落を招いたのだ。





