二、やりましょう! 初めての依頼 - 1
その日は結局その場で野宿をし、明るくなってからあたし達は森を抜けて隣町へとたどり着いた。
森を抜ける時に確認したが、やはり他所者避けの結界の中に、彼は入り込んでいた。まあ中には彼みたいな例外というものがあるのかもしれない。
「はい、着いたわよ」
「おお、ありがとな、嬢ちゃん」
昨日、自己紹介しただろうが。ちなみに道中はいたって平穏なものだった。
「じゃ、約束だから、あたしはこれで。さよーなら」
「ああそっか。そうだったな。またどこかでな!」
と、彼が何か言っているが、あたしはさっさとその場を離れる。この街での目的地はただ一つ。
即ち、役所!
案内板を頼りに、角張って殺風景な、いかにもな建物にたどり着くと、あたしはある手続き書に記入をしてカウンターに持っていく。
「すみません、お願いします」
カウンターのお姉さんが「はい、お預かりします」と笑顔で受け取って目を通し……
「申し訳ございません。改名申請は保護者の同意が必要になります」
「は? な、なにそれ! あたしもう成人でしょ!」
あたしの出した大声に周りの空気がざわめいた。
「お客様、落ち着いてください。役所で保護者の同意なしで申請を行えるのは十八歳からとなっておりますので」
な、なんですって⁉ 「冗談じゃない!」とあたしが更に言い募ろうとした時だった。
「ミネ=ファーストン? お嬢ちゃん、そんなフルネームだったのか」
背後からの声に、あたしは声にならない悲鳴をあげる。
慌てて振り返りつつ、突き返された書類を背中に隠す。見上げれば、先ほど別れたばかりの彼がなぜか真後ろに立っていた。
「あ、あなた! なんでいるの⁉」
「落し物を届けに。それより、お嬢ちゃんはまだ子供だって、昨日言ったじゃないか」
「ああ⁉︎」
濁音付きで凄むが、レオンは全く気にせずに受付のお姉さんに何かを告げ、あたしを問答無用で脇に抱える。
「あっ、ちょっと⁉︎」
「受付の人にも他の人にも迷惑だろー? 出た出た」
離せと文句を言いながら暴れるが、彼はビクともせずに、結局あたしはそのまま建物の外に連れ出されてしまった。
出入り口の端でようやく下ろされたあたしは、無言で彼の太ももに蹴りを決める。
「だっ!」
「っきなり、あにすんのよ‼」
「なにって迷惑になるから連れ出しただけだろ?」
蹴られたところをさすりながら、レオンは当然のことをしたと言わんばかりである。
「改名できない方がおかしいでしょーがっ!」
「世間じゃそれが一般的だぞ。だいたいミネ」
あたしは問答無用で彼の足を踏みつける。
「――本名が嫌なのか知らんけど、名乗りたい名前があるなら、昨日の夜みたいに勝手に名乗ればいいだけだろ?」
「そーゆう問題じゃないのよ。村でだって「ミナ」だって名乗ってんのに、あんのクソガキ、役所で改名したらそれで呼んでやるだあ? ふっざけんじゃないわよっ」
あたしが村の小生意気な年下小僧を思い出して地団駄を踏んでいると、隣で「ガキのケンカか!」と呆れ混じりのツッコミが入ったので、もう一度足を踏みつけた。
「それだけじゃないわよ。人生いつなにがあって恨みを買われて個人情報、戸籍調べられて本名バレるかわからないから、偽装工作はそのうち覚えてできるようになれ、ってねーちゃんや村の人たち言ってたもの! 調べられたら本名バレるのよ⁉ 嫌じゃない!」
「そんなの普通必要ない知識だろ⁉ どんな村だ……ってあんだけ罠しかけてる村が普通のわけないか……」
うっ。否定できない……!
実際問題、役場の戸籍がなんのためにあるのか、あたしはよくわかっていない。魔術学会に研究論文でも提出したりする時くらいしか、必要にならない気はするのだが。
どちらかというとこれは、気持ちの問題なのよ……。まあいいや。これ以上駄々をこねても子供っぽいし。
それよりこいつは、いつまであたしに構う気だ。
「それで、あなたは落し物を役場に届けなくていいのかしら?」
あたしは横目でジロリと睨みつける。と、思い出したように「そうだった」と彼はズボンのポケットから何かを取り出した。
「これお嬢ちゃんのだろ?」
とあたしの目の前に差し出したのは、ぐるっと輪っかになった薄い金に、赤い宝玉が一つ当てこまれている指輪だった。
「それ!」
あたしは慌てて自分の首元を確認してそれがないことを確認する。
うっそ、いつ落としたんだろう。気づかなかったなど恥以外のなんでもないぞ……。
「大事なやつなの……あ、ありがとう」
気まずげにあたしがお礼を言うと、安心したのかレオンは朗らかに笑う。
「やっぱりお嬢ちゃんのだったか。すぐに気づいて良かった。でないと、追いつけなかっただろうし」
彼の言葉を聞き流しながら、指輪をかけていた紐を確認して、あたしは首後ろで固く紐を結びなおす。胸元で指輪がキラリと煌めいた。
大事なものなら首に下げず、指にはめないのか――とか聞かれそうだが、この指輪、実は輪っかが小さい。それこそ入るのは、小さい子供の指くらいだと思うのだ。なので、こうして紐を通して首から下げ、肌身離さず持ち歩いている。
あたしは小さくため息をつくと、彼に一つ提案をした。
「もしよかったらお礼に コーヒーの一杯でも奢るけど、どう?」
彼は少し考えて、
「そういえばそろそろ昼か。旅立って間もない子にたかるのも悪いし、今日はオレが餞別がわりにお昼を奢ってやるよ」
と言ってくれる。
あら。意外な展開。
「あたし結構食べるけど、懐大丈夫?」
彼は冗談だと思ったのか「へーきへーき」と軽くそれを受け流す。
冗談ではなく真面目にそう聞いたのだが、まあ奢ってくれるというならありがたくご馳走になろうではないか。
彼の申し出を承諾すると、彼が先ほど近くで見たお店に行こうと言うので、あたしたちはそのお店を目指して移動を始めたのだった。