第6話 事故
ベルローズ邸の一室から、ため息が出るような美しい音色が聞こえてくる。緩やかに歌う主旋律を彩る軽やかなスタッカートと装飾音。ほどよくメリハリのある曲想に惹きつけられる―。
ショパン作曲 《黒鍵のエチュード》
レティシアは十二歳になっていた。
あの発表会の少し後、評判を聞きつけた国王陛下の前で演奏したことで、ついに両親が折れた。晴れて専属のピアノ講師を雇い、レティシアのピアノは前世の影響かめきめきと上達した。今ではショパンのエチュードも弾きこなせる。
もう少ししたら、リストの超絶技巧も弾きたいところだ。
一方、攻略対象であるウィリアムとはすっかり疎遠になっていた。彼が寄宿舎に入ってしまったこともある。たまに手紙をやりとりするなど完全に縁が切れたわけではないが、相手は破滅エンド持ちの攻略対象、関わりは最低限でよいだろう。
その事故が起こったのは、シーズンも終わりピアノを存分に弾けると思っていた矢先のことだった。
「デスタン公夫妻が事故?!」
エマから報を受けたレティシアは、頭を殴られたような衝撃を覚えた。
(なんで、なんで防がなかったの!)
ウィリアムはヒロインと出会う時点で既にデスタン公当主だ。回想シーンで語られていたではないか。彼は成人前に先代である両親を事故で亡くしたと。廊下を駆けながらレティシアは己を罵倒した。
(全部知っていたのに!なのに私は、自分のことばっかり考えて。止められたのにっ、止めなきゃいけなかったのに!)
ゲームのレティシアは我が儘で権力を振りかざす令嬢だった。なぜ、我が儘でも権力でも振りかざして夫妻の外出を止めなかったのか。
書斎の扉を勢いよく開けて、レティシアは父である大公に詰め寄った。
「デスタン公ご夫妻は?!」
大公は娘の姿に一瞬ギョッとしたものの、すぐにいつもの厳格な表情に戻り首を横に振った。
「助けて下さい…!薬も医者も、早くッ」
「レティシア…。」
苦いものを飲み込むように目を閉じてから、大公は口を開いた。
「助けたいと、私も思う。だがね、夫妻が今どこにいて、どんな状態なのかさえ、わからないのだよ。」
「ヘント村、水車小屋です。み、緑色の屋根が目印で…」
ゲームの知識なら一片の漏れもなく覚えている。
懸命に夫妻の収容先の特徴を説明した。
死なせたくなかった。いや、おそらく怖かったのだ。自分が彼らを見殺しにしようとしている、その事実が。
「レティシア、なぜ…。」
娘のあまりに必死な様子に、大公は眉をひそめたものの、執事に件の村を調べるよう命じた。




