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第5話 グラドゥス・アド・パルナッスム博士

ウィリアムは聞いたこともない曲名に目を瞬かせた。


「あ…、その…」

小さな女の子が言い淀んで俯く。

彼女はベルローズ大公の娘で、ウィリアムは彼女にピアノを教えているのだ。


「ごめんな。何か弾きたい曲があったんだよな?」

曲名を言い間違えたのだろうか。もう少し詳しく聞いてみよう。彼女―レティシアは練習熱心だし、弾きたいと憧れる曲があるのかもしれない。ウィリアムは彼女に笑いかけた。


「どんな曲?」

尋ねると、彼女は少しだけ逡巡し、ピアノの前に座った。弾いてくれるらしい。たどたどしく右手が鍵盤を叩く。


「……?」

けど、ごめん。こんな曲、聞いたことがないよ。


「本当は、もっと…速く弾くんです。」

一生懸命指を動かしながら、レティは説明した。

そういえば彼女は、たどたどしいけれど弾き間違えをしない。指使いにも危うさがない。彼女にピアノを教えていると時折感じる。まるでブランクのある人を再び弾けるようにしているかのような不思議な感覚を。ふと見つめた横顔は、年下とは思えないほどに大人びていた。


「この音は、お父さん。」

弾きながら彼女は言った。

左手の低音が…お父さん?どういうことだ?


「この曲を作った人はお父さんなんです。」

自分の愛娘がつまらなそうにピアノを練習している様子を曲にしたのだと、レティは言った。確かに拙くゆっくり音を辿る様はまるで練習曲の出だしみたいにも思える。


「…物語があるんだね。」

そう言うと、レティはへにゃりと嬉しそうに笑う。


「はい。愛情がいっぱいの。」



◆◆◆



あっという間にふた月が過ぎ、レティシアはまたしてもドレスアップしてお茶会の席にいた。いつもはお茶会は気が乗らないのだが、この日は違う。子供たちの楽器の発表会なのだ。主催はデスタン公夫人で、ベアトリーチェやウィリアムも出ることになっていた。


(私の出番は真ん中あたりだから今のうちにおやつでも…)

そろそろと伸ばしかけた手は、母にはたかれてしまった。くぅ。

誕生日に大失態をやらかしたせいか、母がピリピリしている。このお茶会にも夫人の薦めがなければ、レティシアは出席さえ許されなかっただろう。


(でも、私はピアノを弾きたい!)


今日はなんとしてでも両親を説得するのだ。きちんと、望まれた成果を出せば、ピアノを習わせてくれるはずだ。ウィリアムは教え方は上手いが、いつまでも彼に師事するわけにはいかない。


(気合入れていこう!望みは自分で勝ち取るんだ。)


小さい子から発表を始め、ベアトリーチェが輪舞曲を弾き終えて拍手を受けている。次がレティシアの番だ。


しずしずとピアノの前に進み出て、精一杯淑女らしく礼をする。ウィリアムが密かに、『がんばって』と口パクで応援してくれた。彼に淡く微笑み返す。


(よし。)

椅子に座って鍵盤に両手を構えた。不思議とまったく緊張しなかった。夜会でお馴染みの管弦楽曲のピアノアレンジ。子供向けとはいえ、随所がトリルやアルペジオ等で飾られて華やかな上、難易度もそこそこ誇れるもの。勝負曲にもってこいだった。


《グラドゥス・アド・パルナッスム博士》は封印した。両親を説得するどころか逆効果になりかねないからだ。


フィナーレまでノーミスで弾ききり、会場を見渡す。静まり返っているのはあの時と同じだが、人々の反応は真逆だ。一拍遅れて拍手喝采を浴び、レティシアは自然に微笑んだ。



その後も次々に子供たちが演奏し、トリは最年長のウィリアム。彼がピアノの前に立つと、キャーッと黄色い声が上がった。さすが攻略対象、子供ながら既に貴婦人方のアイドルである。すぐに演奏を始めるかと思いきや、彼はおもむろに口を開いた。


「今日は皆様に少し変わった曲を披露したいと思います。

この曲は、練習曲を退屈そうに弾く愛娘の様子を見て、その子の父親が作曲したものです。」


そこでウィリアムは温かく微笑んだ。


「皆様にもご子息ご息女方の練習をご覧になる機会がおありでしょう?

練習曲は美しくもないし、退屈です。集中力が続かなくて、だらだら弾いたり、窓の外を見たり、終わりが見えると解放感にうきうきしたり…。

少し懐かしく思いながら、この曲《パルナッスム山を登る階段博士》を弾きます。」


ウィリアムの指が滑らかによく知った曲を奏でている。

(練習、してくれたんだ。)


レティシアがたどたどしく弾いた『パイナップル博士』をウィリアムはあの時、五線譜に書き取ってくれた。それだけでも十分嬉しかったが、まさか弾こうとしてくれるなんて。

(懐かしいなぁ。)



『彼』はピアニスト志望ではなかったけれど、とても上手で。家が近所だったから、よく遊びに行ってはピアノを教えてもらった。


『彼』の奏でる音色は温かくて表情豊かで、『私』は彼のピアノが大好きだった。

『私』がピアノを習うきっかけを作った人―祐貴兄さん。


優しい低音が響く。


―この音は、お父さんだと思うんだ。


ああ、あの子もそう言ってたな―。



◆◆◆



発表会は大成功に終わった。招待客らに挨拶をしながら、ウィリアムはレティシアの姿を探した。


「ぜひともご息女にピアノを教えるべきですぞ!」

「素晴らしい才能じゃありませんの。埋もれさせてはいけませんわ。」

いた。ウィリアムの両親と彼女の両親に挟まれ、小さくなっている。ウィリアムは彼らに歩み寄った。


「お褒めにあずかり光栄です。しかし、娘には淑女としての教育を優先したく、」


「お父様ぁ~。」


父親である大公の上着を摑み、上目遣いでおねだりするレティシアに口許がゆるむ。

「閣下、本日はお越し頂きありがとうございました。

レティシア嬢、素晴らしい演奏だったよ。」


親子の押し問答に笑顔で割って入ると、ウィリアムはレティシアに笑いかけた。

「俺はあの曲を教えていないのに。独学であそこまで弾くなんて驚いたよ。」

と、わざと大きな声で褒める。


周囲にざわめきが起きた。

そう。彼女が練習していたのはウィリアムが弾いた曲の方だったのだ。あれを弾くものとばかり思っていたのに、違う曲、しかも難易度の高いものを完璧に弾きこなしたのには、本気で驚かされた。才能、それ以外に何があるんだ。


「彼女にピアノを続けさせてあげて下さい。お願いします。」

大公に頭を下げると、一拍遅れて「お、お願いします!」と彼女も慌てて頭を下げる。


「う、ウィリアム君、頭をあげて…」

あともうひと押しだろうか。自分と並んで頭を下げている彼女にこっそり囁いてあげる。「礼儀作法や他の勉強も頑張ります、」

「れ、礼儀作法も、他の勉強も、頑張ります、だからお願い!お父様。」


いつの間にか周りに人だかりができている。もう、「ダメ」なんて言えないよな。しばらくして、「はあぁ~」と諦めたような大公のため息が降ってきて、ウィリアムはレティシアの頭を「よくやった」と撫でてやりたいのを必死に堪えたのだった。

読んでいただき、ありがとうございます。

次章、ドカンとシリアス成分入りますm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 断片的に前世の記憶があるせいで変な子扱いに……しかも破滅するしかない悪役令嬢とは、ふびんなレティシア。゜(゜´Д`゜)゜。 レティ、絶対ちゃんとプロの指導のもとでピアノを教えたら開花します…
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