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第3話 誕生日のお茶会にて

レティシアに次なる転機が訪れたのは、彼女の七歳の誕生パーティーの最中だった。


なんとか招待客への挨拶を終えたレティシアは現在、ガーデンパーティーの席で睡魔と闘っていた。


(だって~退屈なんだもの~)


自分の誕生日だというのに、食べてよいケーキは二個まで。

しかも、皆様方の振る舞いを見て勉強するのよ背筋を伸ばして微笑みなさいってどんな拷問なのか…。

チラリと横の母を窺う。


「まあ、エリュアールの新作?素敵なデザインですわね。」


扇を口許に当てて優雅に微笑む母は、機嫌が良さそうだ。

流行のドレスや店、王宮のゴシップ、刺繍やレースの話…。

残念ながらレティシアの興味を刺激する話題はない。やってくるのは眠気だけだ。


(あ。あの子も目が死んでる。)


同じテーブルには年の近い子供も座っているが、子供同士の私語は禁止である。

まったく…誕生日なんかどうでもいいから早く終わってほしい。レティシアがそう思った時だった。


「皆様、本日は我が娘のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます。」


(あ、これは『宴もたけなわですが』というやつだろうか。やっと解放される…!)


期待しつつ声のした方を見やると、父がいつの間にか席を立っていた母の肩を抱き、声を張り上げていた。


「皆様にお楽しみいただきたく、本日は我が国選りすぐりの演奏家を呼び、」


残念。『中締めの挨拶』ではなかったらしい。一本締めでも二本締めでもどんとこいやぁ!むしろ三三七拍子だってやってやろうと準備していた手を下ろす。


居並んだ黒服の面々にうんざりしかけて…、彼らの後ろに置かれたモノにレティシアの目は吸い寄せられた。指揮台と数脚の椅子、楽譜立ての向こう。黒い大きなピアノに。


なぜだろう、胸がざわつく。


黒服の一人が椅子に座り、鍵盤を叩いた、刹那。走馬灯のように鮮やかな映像が脳裡に映し出された。




『ねえねえ、ねえってば、』


幼い舌っ足らずな声。学ランを着た少年と小さな女の子が肩を寄せ合うように椅子に座っている。


『また何か弾いて~』


女の子が少年にぐいぐい肩をくっつけて強請っている。

少年は少し困ったように女の子を見てから、鍵盤の蓋を開けた。


『じゃあ、俺が今習ってるやつな。』



―低音オクターブ。


―鍵盤を駆ける右手。



『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』

『グラド、ア…?』



―昇ったり降りたり、昇ったり降りたり


―手首の力は抜くんだ、そう。


―粒を揃えて、軽やかに。転ばないように。



『パルナッスム山を登る階段博士、って意味なんだ。』

『パルナ?…パ…パイナップル!』

得意満面な女の子。ああ。子供の頃の『私』だ。



―単調にならないように、変化をつけて。


―そう。階段を登って登って、長い長い山登り…



『パイナップル博士!』

『パルナッスム博士だよ。』

『パイナップル博士!!』

困ったように笑う少年。ぽんぽんと頭を撫でられて、幼い『私』はご機嫌になった。

『じゃあ、パイナップル博士、な。』



―じいさん博士、階段を駆け上がる。ここまでおいで。大きな大きなパイナップル山。


―ほれ、下向いて登ったって楽しくないぞ!退屈な山登りなんてゴメンだね。わしゃここいらで一休み。



『左手歌って!だらだらしない!』

『ちがうちがう!そこはもっと繊細に!』

『もぉお、練習なんてイヤだ~』



―また下向いとる!せっかくの山登りじゃないか。


―同じ景色ばっかり飽き飽きなの!


―同じ?ははあ、おまえには見えないのか?七色のきのこや水晶の泉があったろう。聞こえなかったか?獣と妖精の話し声が。



『単調に弾けばつまらない練習曲、だけどほら、』

『想像して。この曲をつくるのは君なんだ。』

『君には何が視える?』



―ほれほれ、こっちじゃよ。


―博士がピョンピョン跳んでいる。自慢のシルクハットからなぜかウサギの耳が生えていた。


―もう!ふざけないで。


―ほらほら、頑張れあと少し。



『もうやだ。練習つまんない。』

『ははは。仏頂面のシュシュも可愛いなあ!』

『もう、パパったらからかわないで。』

『さあ、あと少しだよ。』



高音を煌めかせ、指が鍵盤を駆けおりる。



『おーしまい!』

ダン!勢いよく蓋を閉めて、女の子が走っていく。



◆◆◆



レティシアは目を瞬かせた。目の前には白と黒の鍵盤が並んでいる。


「あれ?」


なぜ鍵盤がこんなに近くにあるのか。まるで演奏者にでもなったようだ。……ん?


青く晴れた空。小鳥の囀りだけが聞こえる。


…恐ろしく静かだ。


そろそろとレティシアは顔をあげた。パーティーの会場は静まり返っていた。凍りついていた、とも言える。そこへ、ゆっくりと母が歩いてきた。


(ひっ!)


母は穏やかに微笑んでいた。それはもう、凍てつくような穏やかさだ。人間怒っているときは目が笑ってないというけれど、怒りが臨界点を突破すると目も笑うのだと、レティシアは初めて理解した。


「いらっしゃい、レティシア。」


慈愛に満ちあふれた聖母のような声なのに、なぜだろう、震えが止まらない。


このあと、母によって強制退場させられたレティシアは、夕食抜きの上、再降臨したリアル般若(母)によるお説教とマナーレッスンの刑に処せられたのであった…。


ちなみに、後でエマから聞いた話によると、レティシアはパーティーの最中突然椅子を蹴倒して立ちあがるや、ピアノに突撃…具体的には、演奏者を突きとばして椅子に座り、聞いたこともない奇妙な曲をめちゃくちゃに弾いたとのことだった。


(印象派はウケなかった…)


惨憺たる誕生日だったが、ひとつわかったことがある。




レティシアは前世でピアノを弾いていた。



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