夜のキャンパス
【佐伯錬】
『春コン』の打ち上げ会場は、学内のカフェテリア、貸切だ。乾杯の音頭で紙コップを掲げた後は、各々好きなように飲み食いする。
「ショッボイ打ち上げだな。金取ってコレかよ。コンサート収益どこ行った?」
安っぽいオードブルに飲み物は紙コップ。まあ大人数だし、学内の店って時点で飯のレベルはたかが知れている。
「タダ飯に文句言わない。」
隣の友人に言って、唐揚げを口に入れる。
…ジューシーのジュの字もないパサパサ鶏。冷凍食品だな、コレ。
「げ、ポテトふにゃふにゃだ。」
「…。」
とか言いながらよく食うよな、と、皆藤を見やる。
手酌でビールを注ぎながら、打ち上げ飯にタダ乗りする友人。じっとりと見つめる視線に気づいたのか、言い訳のように「俺は元は取る主義だ」って…そもそも何も払ってないし。まあ、飯代の節約だと思えばいいか。
黙々と食べ、腹が太ったところで、皆藤と一緒に外に出た。
「錬ちゃ~ん、」
少し酔っているのか、変な呼び方をしてくる皆藤。ご機嫌のようだ。
「二次会行くか?声楽の教授がナントカって高い店に連れてってくれるんだろ。」
チラリと店内の、一際大きな声で歓談する一団に目をやり、俺は頭を振った。
「やめとく。腹いっぱいだし。」
「だよな~。」
酒はそこそこ強いし嫌いではないが、気疲れと天秤にかけると見合わない。若干フラフラしている皆藤を促して、足を踏み出したその時。
「ッ!」
勢いよく走ってきた誰かにぶつかられ、俺は尻餅をついた。衝撃で鞄の中身もぶちまけられる。最悪だ。
「っぶねーな…。おい、大丈夫か、錬。」
謝りもせず走っていったそいつを睨んでいた皆藤が、散乱した荷物を拾うのを手伝ってくれた。
「へーき。」
うん、女に体当たりされたくらいなんともない。腹は立つけど。
◆◆◆
皆藤と駅で別れた後、スマホを確認しようと鞄を漁って、俺は愕然とした。ない。慌てて上着やズボンのポケットも探るが、見つからない。
「あのときか…」
荷物をぶちまけた時、拾い忘れてしまったらしい。
つくづくツイていない。既に辺りは暗く、急がなければ門が閉まってしまう。俺は急いで来た道を戻った。
なんとか閉門には間に合ったものの、件のカフェテリアは敷地の端にあるため、かなり歩かなければならない。よって、俺は近道することにした。
練習室の並ぶ廊下を足早に歩く。焦っていたせいか、男子トイレから出てきた人物と危うくぶつかりそうになった。
「…!」
「すみません、」
早口に謝って先を急ごうとしたのだが、「待って」と呼び止められた。
「ゴメン。出口は…正門はどっちかわかるかな。」
「え…。」
困ったように眉を下げる如月真夜に驚いたのは仕方ないと思う。確か打ち上げで、あのうるさい集団―声楽科の連中の中心にいて、てっきり二次会に行ったものと思っていたのだが…。
「あはは…。こっそり抜けて帰ろうとしたんだけど、迷っちゃってね。」
情けないよ、と彼は自嘲気味に笑った。
「迷ったって…。」
…どんだけ彷徨ってんだよ。
その言い方だと二時間近くも迷っていたということになる。
いくらなんでも、あり得ない。俺の不審そうな眼差しに気づいたのか、如月真夜は決まり悪そうに、こう言った。
「ああ…、白状するとね…こっそり抜けたつもりが数人につけられていてね。撒くのにあちこち動き回った結果がコレ。」
「はあ。」
なんか…アイドルって苦労してるんだな。そんなことを思いながら俺は、礼を言い去っていく彼の背中を見送った。
【如月真夜】
あちこちに濃い闇の蟠るキャンパスを足取り軽く歩く人影。
La donna è mobile
(女は移ろうモノ)
qual piuma al vento,
(風に舞う羽根のようさ)
低く口ずさむ歌声が夜の静寂を揺らす。月明かりに照らされ、一時見えた口許は弧を描き―、
muta d'accento
(その口ぶりも)
e di pensiero.
(考えていることも)
真夜は振り返って、LEDを纏うコンクリートの建物を見上げた。夜風が彼の、綺麗に流した髪を揺らす。
(また、会おうね。)
「貴方の歌は、私に値しない。」
顔合わせを兼ねたリハーサルで、まっすぐ目を見てそう言い放った彼女―金森百合。大人しい内気そうなイメージがあったのに。音楽が絡むと、人が変わるんだ。
「練習したの?全っ然できてないよ。貴方の歌は私に値しない。ううん、舞台に立つ価値だってないから。」
突然伴奏が中断し、彼女からそう言われた。
正直、ムカついたね。俺は俺で積み上げたモノがある。歌への思い入れだって…。
それに、彼女はあくまでもピアノ伴奏。声楽の先生じゃない。だから、つい言い返してしまった。
「どこができていないと、君は思うの。」
一応、口調は穏やかにしたつもりだよ?けど、彼女はそれを聞くやピアノの蓋を閉めて立ち上がった。
「どこが悪いかもわからないの?自分の声なのに。もう、いいです。私は伴奏を降ります。」
断っておくけど、俺は別に彼女の伴奏にこだわってなどない。主催者側が決めたキャスティングに従っただけ。
それに、《誰も寝てはならぬ》の伴奏はそれほど難しいものじゃないんだ。祐さん曰く、音大生なら初見でサクッと弾けるレベルらしいからね。
降りたければ降りればいい。他の誰かに頼めば済む。
けど、彼女の声に、眼差しにあるのは、揺るぎない否定で。だから、らしくもなくムキになってしまったのだ。
「待って。何が悪いかって聞いてるんだ。答えろ…!」
帰ろうとする彼女の腕を掴んで引き寄せ、つい大きな声を出して…焦った。女の子相手にカッとなる―イメージダウンじゃ済まない…。血の気が引いた。けど彼女、なんて言ったと思う?
「その声。」
「…は?」
普通に怯えられるか、キレられるかと一瞬身構えた俺は、肩すかしをくらって目を瞬かせた。
「今の声は、いい。生き生きしてて。貴方の声はとっても魅力的なの!ちゃんと歌えるの!けど、さっきはなんか力抜けてて、カッコつけの無表情で…!カラフだよ?命がけなんだよ?その覚悟も、気迫も、全っ然なかったの!」
薄笑いで歌うとかあり得ないでしょバカにしてるの?!歯ァ食いしばれ!
(いや…歯、食いしばったら歌えないよ?)
胸ぐらを捕みそうな勢いでまくし立てた彼女は、頼んでもいないのにアツイ楽曲解説を始めた。
「最初のフレーズが1オクターブ低くなって繰り返すでしょ?
なんであそこにあんな余計なモノが入ってるかわかる?低音で魅せるためでしょ!美味しいところ!休むところじゃないの!」
「…。」
「あっちこっちでヘンなブレス、雑音要らないから!ヘラヘラ歌ってるとあの女に首刎ねられて終わりだよ!リューも無駄死に!」
「…。」
「それから!全体的に強さが足りない!わかるでしょ?この音型!ホォップステェップジャア~ンプ!!最ッ高ッお~ん!!!」
ジェスチャーも交えてヒートアップする彼女。その後、非和声音が尊いとかなんとか切々と語り始めた。
(あー…なんか面倒くさ。)
彼女から視線を外し、何気なく目をやった床に紙切れが落ちていて。ああ、彼女の腕を掴んだとき、鞄から滑り落ちヤツだ。返そうと、それを拾いあげた俺は瞠目した。
「な…、これ、は」
《誰も寝てはならぬ》のピアノ伴奏楽譜。けど、なんかごちゃごちゃといろんなコピーが貼りつけてあって、マーカーや色ペンでびっしり書きこみがしてある。
(調べたの…?全部、君が?)
信じられない心地で彼女を見た。いや、伴奏だからって予習を全くやらないわけじゃない。でも、有名な曲だし、ちょっとググれば歌詞の和訳なんて簡単に手に入るくらい、身近な曲なんだよ。
わざわざ図書館で参考資料漁ったり、分析なんてする必要、ないだろ…。
それに、声楽の技巧的なことは何一つ書いてなくて、音型とか、和音とか、歌詞の語順とかをヒントに、曲の「世界観」が彼女なりの言葉で綴られていて。
否が応でも、自分の知識の貧弱さを思い知らされた。
それから、空いた時間を見つけては必死に練習し、なんとか本番を乗りきった。
それでも、ものの数日じゃ大した進歩はなかったし、むしろ力が足りないと痛感したよ。ムカつくけど、彼女が啖呵を切らなければ、そのことに気づきもしなかっただろうね。同じようなことをオカンみたいな友人に言われたし。
それで。
彼女に「お礼」を言うべく、打ち上げの時に外に呼び出して…三秒で逃げられた。まあ、ちょっと親睦を深めたいな~と思っていたからね。サービスのつもりで壁ドンしてみたんだけど。
最後に見た怯えと警戒心いっぱいの眼差しが忘れられないんだ。あんな目で俺を見るのは、君だけだろうから。
Sempre un amabile
(いつも愛らしく笑う顔)
leggiadro viso,
(淑やかな顔)
in pianto, in riso,
(涙も、微笑みも、)
君となら、仲良くなれると思うんだ。
だから、また会いにいくよ。
è menzognero.(全部まやかし…)
…コロコロ変わる、風に舞う羽根のように。
歌声は愉しげなまま、夜の暗がりに消えた。
真夜が歌っているのは、オペラ《リゴレット》より《女心の歌(風に舞う羽根のように)》です。ヴェルディ作曲♪
次章から、再び本編。レティシアたちのお話に戻ります。




