第1話 大公令嬢
「01 大公令嬢」、及び「02 後悔と決意」は、サンフルール王国、王都が舞台のお話です。
前世の記憶を取り戻すとはいったいどのような状況だろう。『自分』ではないジブンに驚愕するのか。はたまた膨大な情報量に混乱するのか。
レティシアにとっては、そのいずれでもなかった。むしろ、いつどの時点で思い出したのかもはっきりしないくらい、段階的で断片的な思い出し方だった。そのせいか、彼女が記憶を取り戻したと、誰一人として気がつかなかった。しかし、おかしな子供だとは思われていたようだ。
「お母さまったら、せっかく書いた楽譜を捨てちゃうんだもの。」
レティシアはぷりぷりと文句を言いながら、紙に点や線を書き殴っていた。
大真面目に『楽譜』を書いているのだが、三歳児の拙い筆致に加え所々に英字や日本語を書いたせいで、周りの大人たちは「お嬢様はまた意味不明なお絵かきをしている」と思い、せっかく書いたものを捨ててしまうのだ。
レティシアが最初に取り戻した記憶は、膨大な量の楽譜だった。それも、音楽記号から注釈、解説に至るまで詳細に覚えている。この記憶を自覚すると、今度は猛烈にそれを書き記したくなったのだ。『忘れてはいけない』と強く感じて。
ともあれ、三歳児が目を血走らせて意味不明な記号を書いた紙を量産し始めたのだ。誰もが彼女の脳みそを心配した。
レティシア・クララ・ベルローズは、この国の宰相を務めるベルローズ大公の娘なのだ、早く『まとも』な淑女にしなければ。そのような思惑のもと、レティシアには選りすぐりの家庭教師がつけられたのだが…。残念なことにその効果はイマイチだった。
◆◆◆
周りからおつむを心配されつつ月日は流れ、六歳になったある日のこと。レティシアは母親に連れられて、初めてのお茶会に参加することになった。
「よろしいですか、お辞儀はお上手にできております。後はご挨拶を覚えていただければ完璧なのですが…」
「~~!」
「ああ、いけません。そのように怖いお顔で睨まれたら、御年四歳のご令嬢が泣いてしまわれます。お顔はこう、にっこりと…」
「…。」
「そう引き攣った笑顔ではなく…。もう少し、リラックスしてくださいませ。…そう!それで良しにいたしましょう!さあ、ご挨拶っ」
「…。爺、カンペ使っちゃ、ダメ?」
「『カンペ』?お嬢様、意味のわからないことをおっしゃって爺を困らせるのは…え、台本?いやいやお嬢様、ご挨拶程度で台本はないでしょ…あららら泣かないで下さいませ、せっかくのお化粧がぁ~!」
自邸のエントランスにて…早くもパニックに陥っていた。
レティシアは、人見知りかつあがり症のきらいがあり、この爺をはじめ大人たちを悩ませていた。これで果たして大公令嬢として社交界に出ていけるのかと。
だが、無情にもお茶会の刻限はやってくる。デスタン邸のエントランスで馬車を降りたレティシアは、それでもしずしずと母親についてお茶会の開かれている庭園へ足を踏み入れた。挨拶は…割愛された。少々ぎこちなくも、淑女の礼をクリアし、顔を上げたレティシアは固まった。
「こ、このたびは、ようこそ、ご足労、くださいました。」
舌っ足らずな声の主を見て。あどけないものの愛らしい顔つき、さらさらした世にも珍しい銀髪、アメジストのような透明感のある瞳。初めて会うはずの彼女に、なぜか見覚えがあった。
「ベ、ベ、ベアトリーチェ…!」
息も絶え絶えにその少女の名を呟くや、レティシアは白目をむいてひっくり返った。
◆◆◆
乙女ゲーム『秘密のシンデレラと五人のプリンス』は、レティシアの前世『日本』で一世を風靡したゲームだった。中世ヨーロッパ風世界観のもと、庶民だったヒロインが突然王女と判明し、王宮を舞台に見目麗しい五人のプリンスとの恋愛を経て女王となるというストーリー。
ベアトリーチェは物語のキーパーソンとして登場する。もちろんレティシアも重要な役なのだが…いかんせん五つすべてのルートで破滅もしくは死亡する悪役令嬢なのだ。
ベアトリーチェの顔を見て瞬時にそれを悟ったレティシアは、ショックのあまり意識を飛ばし、そのまま寝込んだ。数日間破滅の悪夢にうなされ、レティシアは乙女ゲームの内容を全て思い出した。
◆◆◆
(ヒロイン登場はあと十年くらい先…まだなんとかできる…よね?!)
破滅回避策をたてよう。ゲームとは違ってポンコツな悪役令嬢だが、全力で生き残りを目指すのだ。
体調を回復したレティシアは、そう決意した。
とりあえず、ゲームの悪役令嬢像から少しでも離れよう。
鏡を見つめれば、子供ながらもつり上がった切れ長の目にアイスブルーの瞳、ツンと上向きの鼻に、薄い唇というまさに悪役顔が無表情で見つめ返してくる。
まずこの顔をなんとかしたい。
ためしに、できるだけ子供らしく笑ってみる。…悪だくみの顔にしか見えなかった。悲しい。
(目が細いのがいけないの?)
笑いながら頑張って目を大きくあけてみた。
(…なんか、変。)
ならばと、歯を見せて、笑顔。
「!!」
(い、いいい今の顔はナシ!封印!見ちゃダメ…!)
自分の顔にこう言うのもアレだが…ホラー映画に出てくるラリッてる系殺人鬼みたいだ。まだ幼児なのに…。何これコワイ。
(ダメだ。顔の造りはどうにもならない。)
ただ、アッシュブラウンの髪はまだナチュラルなままだ。
(ゲームのレティシアのトレードマークは、ぐりんぐりんに巻いた縦ロールだもんね。しかも、360度全方位縦ロールをやたらめったら飾り立てて三段レイヤーにしてて…。)
プレーヤーからは、親しみをこめて(?)『メデューサ』と呼ばれていた。…ああはなるまい。レティシアは固く決意した。