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第8話 『詐欺師の寝床』亭

ポンポーン ポンポーン


単調に連続する音。まるで葬送の鐘のようだ、と大公家に仕えるメイドたちは囁きあった。緩慢な連打の底に、地鳴りのような不気味な低音、そして悪魔の囁きとも怪異の予兆ともとれる旋律が加わると…。


練習室の前を通りかかったメイドがぶるりと肩を震わせた。

「なんて気味の悪い曲かしら。日がな一日聞こえるのだもの。」

「夜なんか怖くて一人で歩けないわ。」

「私も~。も、耳に染みついちゃって。夜、眠れなくって。」


これ以上聞きたくないと思えど、弾いているのは大公令嬢だ。無駄に腕が良いため、大変陰鬱な雰囲気がダダ漏れでたちが悪い。


「…懐いていらっしゃいましたものね。」

「ショックが大きかったのでしょうけれど…」


頼むからやめてくれ、というのが使用人の総意だった。



◆◆◆



「お嬢様!外出いたしましょう。王都に大っ変評判のよい菓子屋ができましてな、これは行かねば損ですぞぉ!」


爺やの強引な勧めで、レティシアは数日ぶりに外に出ることになる。お忍び用の質素なワンピースを着せられたレティシアは、まるで人形のように表情がなかった。

道中も、同行の侍女と新任の家庭教師が代わる代わる話しかけるものの、まるで反応をみせず、ただぼんやりと遠くを見つめるばかりだった。


「お嬢様、よろしければ降りてみませんか?」

件の菓子屋に到着し、家庭教師が促してもその唇は微動だにしない。


仕方なく、家庭教師と侍女が馬車を降り、買いに行くことになった。一人残されたレティシアは、やはり人形のようにそこに座っていた。


しばらく時が経ち、喉の渇きを覚えたレティシアは、緩慢に視線を動かせた。そして目についたボトル―向かいの座席の下に隠すように置いてあった―を拾い上げ、中の液体を飲み干した。

そしてまたしばらく時が経ち、レティシアは立ち上がった。



◆◆◆



王都エクラリシェスのメインストリートは活気に溢れ、行き交う大勢の人々で賑わっていた。爺やの言っていた菓子屋の前は、よほど人気があるのか長蛇の列ができている。

その日がたまたま、よく晴れて暖かかったこともあるだろう。いつにもまして人が多かった。


一人で馬車を降りたレティシアは、人の流れの中をふらふらと歩き出した。


「~~♪」


鼻歌を歌いながら、雑踏の中でくるくると回る。

「ヴァイオリ~ン、きょーそーきょく~、ぱっがに~に~♪」

頭の中で流れるヴァイオリンの軽やかな旋律に合わせて気ままなステップを踏む。


「次わぁ~、ツィぎょイネりゅ~うゃイゼン~」

ヴァイオリンを構えるまねごとをして、耳が拾い上げた雑音にレティシアはピタリと踊るのをやめた。


「…ジングージじゃない。」


ボソリと低く呟くと、レティシアは雑音の発生源―寂れた一軒の酒場に向かって駆けだした。



◆◆◆



場末の酒場、『詐欺師の寝床』亭。今にも崩れ落ちてきそうな天井に、ろくに掃除もされていない店内。古い狭い汚いで格付けするなら、まちがいなくこの店は星を五つもらえるだろう。


エールを片手にポーカーに興じる数人の客を相手に、ほろ酔いルノーはふらふらしながらヴァイオリンを弾いていた。といっても店内の喧噪にその調子外れな音色はほぼかき消されてしまっているが。


「ッ、どうよ~?俺の名演奏は。これぁなぁ、」


「ああん?『女のケツを追っかけるゴミの唄』だっけか?」


「名演奏?迷演奏の間違いだろ。」


「…ッ!ちっげーよ!『別嬪と伊達男』だっ!」


ルノーが声をあげたまさにそのタイミングで、バアンと入口の扉が蹴り開けられた。


「でぇてこぉ~い!じぃんぐう~じ~!」


「お、おい。なんだぁ?」


邪魔な酔客を押しのけ、レティシアはヴァイオリンをぶら下げた大柄な男に詰め寄った。


「じんぐう~じぃ~、音がぁ~、ズレてんだよぉ!!」


「……へ?」


「半音~、しゃげろぉ!!」



…なんだこれ?

ルノーがまず抱いた感想だ。


酒場に乗りこんできたのは、子供。なぜか目が尋常でないレベルでぎらついているが、きれいな顔だちをしていた。呆然としていると、その子供は腰に手を当てて叫んだ。


「ヘタクソだって言ってんだよぉ!!!」


「いってくれるじゃねーか、このクソガキ!」



◆◆◆



「しょ…しょれでぇ~、あ、あたひのしぇいでぇ~」


(…なんでこうなったかな。)

ムキになるんじゃなかった。

言い返したせいで、もう十分以上、このおかしな子供の要領を得ない話の聞き役をさせられているのだ。


適当に相槌を打ちながら、ルノーは酒を呷った。

カウンターに投げ出したヴァイオリンを一瞥しては、もう何度目かの舌打ちする。悔しいが、このおかしな子供の言うとおり、自身のヴァイオリンの腕は底辺だ。歌が上手かったルノーは、歌って下手な演奏を誤魔化して今までやってきたが…それで稼げる金など雀の涙、エール一杯分にもならない。


「おおい、酒ぇ。」

よほどヘタクソ発言が効いたのか、酒の減りが早い。

そんなルノーをチラリと睨んだ店主は、差し出されたジョッキにエールではない透明な液体を注いだ。…ジンである。


「しょ…しょれでぇ~」


「ああもう!うっせぇなぁ!」

子供を遮って酒を飲もうと伸ばした手が空をきる。

白い小さな手がジョッキを奪い取り、いっきにそれを飲み干した。


「おい!俺の酒だ…っておまえ、酒クサっ!」


「フフフフフ!」


「フフフじゃねえ!おい、誰だガキに酒飲ませたのぁ!」


ルノーが店内を見回すと、なぜか冷たい視線が返ってきた。…理不尽だ。


「きゅーきゅーしゃを呼んでくだしゃ~い!きゅーきゅー…の、しゃイ…レン…わぁ、はーげーはーげーはーげー…」


狼狽えるルノーの前で、レティシアは意味不明なことを言いながらよろけて…据わった目のまま後ろへひっくり返った。

冒頭に登場する曲ですが、タイトルが物語の核となるものです。

さて、なんという曲でしょう?

忘れかけた頃に、また登場します。

救急車のサイレン、音で言うと「シーソーシーソー」なのはご存じだと思います。お馴染みのドレミファソラシドはイタリア語。これをドイツ語にすると「CDEFGAHC」になるわけです。ドイツ語音階で救急車のサイレンを表すと「HーGーHーGー」になるのです(豆知識だよ)。

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― 新着の感想 ―
[一言] ハゲは知らんかった。 半音て。移調してんじゃん(笑) とりあえずは、冒頭と酒場を。 これからゆっくり読みますねー。
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