青春2%『ある日の木の下での静寂』
「き、綺麗だ⋯⋯」
たったその一言が立花の口から零れた。巨木も綺麗だが、それ以上に見とれてしまうものがある。
木漏れ日が白銀の髪の毛を照らし、宝石のような輝きを生み出し、人形のような体つきをしていて、そして彼女の瞳はどこかはるか遠くを見ているようであった。
立花はその女性に近づくことも出来ず、ただ立ちすくんでいる。
すると、銀髪の女性がしゃがみこみ、少し長めの木の棒を手にした。
「⋯⋯」
女性は無言で、立花の方を見つめながら木の棒を手馴れたようにすばやく動かした。
強い風に砂が舞い上がり、上空に散ってゆく。
────き の し た さ く ら
地面に書かれたのは、女性の名前だった。漢字ではなく、何故かわからないが全て平仮名である。
「⋯⋯お前、きのした さくらっていうのか」
木下は真顔で二回ほど大きく頷いた。
「お、俺のなま⋯⋯な、ま」
立花は自分の名前を教えてあげようとするも、自分の名前すら口から出てこない。
頑張れ俺。先生にせっかくのチャンスを貰ったのだから友達一人くらい作らないと。
そう自分に言い聞かせて、立花はめいいっぱい息を吸い込んで大きく口を開けた。
「お、俺の名前は立花 春樹だ!! よ、よぅ、良かったら友達になってほしいんですが!!」
すると木下は一歩前へ出て、立花に向かって深々とお辞儀をした。
何故喋らないのか分からないが、仕草一つ一つに深い意味が感じられる。
「ここの整備を任されることになったんだけど⋯⋯。俺、ここにいて大丈夫なのかな?」
恐る恐る聞く立花は若干後ろに足が動いているのが自分でも分かった。
すると、またもや木下は立花に向かって深々とお辞儀をする。
一体この仕草が何を表しているのかは分からない。オッケーのサインなのか、あるいはアナタに興味はありません帰ってくださいの意味なのか。
すると、一言も喋らなかった木下の口からようやく言葉が発せられた。
「────はるきは青春してる?」
────思いもよらない質問だった。今最も悩んでいる事柄だった。寝ることよりも、三度のご飯よりも、テレビやゲームよりも大事で、興味があること。
立花にとって青春とは、自分自身を傷つける刃物同然の言葉。
昼にあんな事があってから、さらに臆病になっていた。
こんな質問に答えられる訳が無い。青春してるだなんて言えない。
⋯⋯あぁ、この子はきっと素晴らしい青春ライフを送っているんだろう。美人だし、スタイルいいし。あくまで個人的な意見だけどきっとそうに違いない。
「⋯⋯青春、か」
結局答えることが出来なかった。
青春をしていないなんてことも言いたくはないし、青春を送りたいだなんて口にするのも難しい。
そう立花が答えると、木下は何事も無かったかのようにホースを持ち、蛇口をひねり、巨木に水をあげ始めた。
「⋯⋯?」
────この後、二人は無言のまま整備を始めることとなった。
木下はホースでひたすら水をあげ、立花は落ち葉をホウキで回収した。
出会った瞬間のことが嘘かのように、赤の他人みたいにただひたすら無言でそれぞれの仕事をこなす。
木下が急にあんなことを聞いてきたのも不思議だが、それ以上に何も喋らなくなってしまったのも不思議でならない。
それから何日が経っただろうか。
木下は人が変わったような表情をして、巨木の整備を続けた。晴れの日も、雨の日も、どんな日でもその表情と整備の内容は変わることなく、整備しているのを立花は見ていた。
木下は暗くなるまで一度もホースを離すことは無く、ずっと水をあげ続けた。流石にそんなに水をあげたらかえって枯れてしまうだろうと言いたかったが、そんな雰囲気ではないので立花は自分の仕事に専念せざるを得なかった。
何故急にあんな態度をとったのか。
何故俺はあの質問に答えなかったのか。
その二つが、立花の頭の中を無限ループする。
突然の出会いに突然の後悔。
こんなこと普通は無いだろう。
あの件でやらかし、さらに先生に俺に友達がいないということがバレ、さらには木の整備までやらされるハメになるなんて。挙句の果てには一目惚れをした女の子の質問に答えられず、口を聞いてもらえなくなるなんてまさに不幸と言うべきだろう。
木下の様子を伺うも、変わらず怒っているようだ。
自分のせいで。情けないせいで。
そして立花はホウキを思いっきり握りしめた。
────それから数日後、立花は決意する。
「⋯⋯木下に謝ろう」
最初からこうすれば良かったんだ。最善の解決策が目の前にあったのになぜ気づかなかったんだろう。
立花は数学の問題を解きながら謝罪の言葉を考えた。
「この度は誠に申し訳⋯⋯。なんか固いかな」
授業が終わる頃には立花の謝罪の言葉が完成していた。放課後に木下のところへ行って謝る。それが立花のミッションかつ義務である。
────放課を知らせるチャイムが学校中に鳴り響き、立花はカバンを雑に持ち、走って木下の元まで行った。
木下は放課後は必ず木の下に居るはずなので、そこを目指して一直線に走り抜けた。
先生に怒られても、走り続けた。
そして、あの木の場所に到着した。そこには既に木下がホースで水をあげている姿が伺えた。
「きっ、木下!!」
立花は震える手を抑え、お腹の底から声を出した。
木下は突然の大声に驚いた表情でこっちを振り向く。
「あのとき、青春してるって聞かれた時、俺は────」
そう言いかけた時だった。謝ろうとした時だった。
木下はホースを地面に落とし、少し涙ぐんだ状態で校舎の方へ逃げていってしまった。
その理由は立花にも分からない。理解が追いつかない。
謝ることも出来ず、何故逃げていってしまったのかも分からず、立花は木の下で立ちすくんだまま、頬を涙がつたった。