第79話【クロイツァー・ルージ】
「こんな時間に女二人で何してるんだ?」
「は?」
いきなり声を掛けられたレィナは顔をしかめた。
隣のリーネは戸惑いながらレィナを見る。
「あんた誰よ?」
まったく知らない男だったからレィナは聞いた。
相手は気持ち悪い下品な笑いを浮かべている。
その視線を感じたレィナの身体がざわつき、リーネを自分の後ろへとやった。
何か嫌な感じがするこの男。
腕を組みながら睨み付けた。
そんな警戒心を持ったレィナの態度に、黒フードの男は「誰だと思う?」と嗤いながら近づいてくる。
嫌らしい舐めまわすような視線で。
「まだ初潮の来てなさそうなガキどもだが、まぁいいか。ほら奉仕させてやるからこっちに来い」
「はぁ!?」
奉仕させてやるって、何言ってんのこいつ!?
レィナを掴もうと伸びてきた手。
それをレィナは片手で弾いた。
「ちょっと! 気色悪いのよ! 近寄らないでよね!」
「なんだよ金の心配してんのか? それならその辺の盗ってきてやるから心配すんなって。ちゃんとその貧相な身体に金払ってやるよ。だからそこの裏で頼むわ。な?」
こ、こいつ本当に何を言っているの!?
男の手がやらしい動きをしながら伸びてくる。
歪んで爛れた男の欲求を解消しようと、まだ幼いレィナとリーネに手を出そうとしている。
吐き気さえ覚える男の臭気にレィナは恐怖を覚えて一歩下がった。
後ろのリーネとぶつかり、ハッとなって腰の双剣に手をやった。
自分が下がってどうする。
見習いでも騎士なのだから市民のリーネを守らねば!
「悪いけど他を当たって。それ以上近づいたら斬るわよ?」
「ああ!? んだよどいつもこいつも!」
男の形相が一気に変わった。
その豹変に驚いたせいで飛びかかってきた男の対応にレィナは失敗した。
「あっ!」
「きゃあ!」
押し倒されたレィナ。
その下敷きになるリーネ。
「この国の女は本当にふざけやがって! 男様を舐めてんじゃねぇぞ! ああコラッ!?」
男が怒声を張り上げながら握り拳を高く振り上げた。
殴られると確信して、全身に力を入れるも男を押し返すことはできなかった。
姉カティアに鍛えてもらっていたから筋力にはそれなりに自信はあったのに……押し返せなかった。
動けない。
男と女の筋力差。
いやそれ以前に大の大人と子供である。
体格差も歴然。
女に毛が生えた程度の筋力しかないレィナでは相手にならなかった。
くそ!
なんなのよこいつ!
なんで!
せめて、せめてリーネだけでも殴られないように守らないと!
「女が男に逆らうな! 弱ぇくせに! 黙って孕まされて育児でもしてろってんだ! お前らにはそれしか価値がねぇんだよ!」
悔しい!
こんなクズ野郎に手も足も出ないなんて!
男の拳がレィナの顔面に向かって降りおろされる。
目を閉じて、歯を食い縛って打撃に備えた!
ドゴン!
鈍い音が響いた。
痛みは、なかった。
え、あれ?
「げっほぉあ!?」
代わりに響いた男の悲鳴。
思わず目を開き、何が起きたのかを確認する。
レィナとリーネを押さえつけていた男は吹き飛んでいた。
派手な轟音を響かせて瓦礫の壁に激突し、男は倒れた。
「おー、やるじゃんグリータ」
次いで聴こえてきたのは聞き覚えのある声だった。
※
グリータの放った蹴りが黒フードの男を見事に吹き飛ばした。
おかげで押し倒されていたレィナさんとリーネさんが解放される。
「おー、やるじゃんグリータ」
「A級ドラゴンと比べたら可愛いもんだよ」
おお?
なんかグリータがカッコいいぞ?
まぁこいつもなんだかんだ『1年Aクラス』の中では上から二番目の実力者だったもんな。
つまり俺の次に強い騎士だから、それもそうか。
ふん、と鼻息を吐いたグリータは男を一瞥してから倒れているレィナさんに手を差し出した。
「大丈夫か?」
「え、あ……」
差し出されたレィナさんはグリータを見て頬を赤くする。
「だ、大丈夫……」と手を握り返し、グリータに力強く起こされた。
彼女の下敷きになっていたリーネさんも忘れずにグリータは手を差し出す。
「怖かったろ? ほら」
「あ、ありがとうございます!」
リーネもまた顔を赤くしながらグリータの手を握った。
レィナの時と同じように力強く起こす。
「それにしてもこの男……この国の男じゃねぇだろ? いくらなんでも下品過ぎるぜ」
「あーこいつ前に俺の家に泥棒してた奴だよ」
「マジか!?」
「おう。でもちょうど居合わせたカティアさんとローエさんにボコボコにされて城に連行されて捕まってたはずなんだけど」
カティアさんとローエさんの名前が出て来たせいかレィナさんとリーネさんが「え?」と俺を見てきた。
俺は肩を竦める。
「なんか脱走してたみたいだな」
「どうやって?」っとグリータ。
「ディザスタードラゴンの攻撃で城に穴でも空いたんじゃないか?」
「なるほどね」
「あ、あのグリータさん!」
「ん?」
グリータの前に出てきたのはリーネさんだった。
彼女はグリータの両手を握り大きく頭を下げる。
「助けて頂いてありがとうございます! 本当に助かりました!」
「ぇ、ああ、うん。いいよいいよ。当然の事をしたまでだって」
女の子に手を握られて、グリータの顔が赤くなっている。
分からんでもないぞグリータ。
リーネさん可愛いもんな。
「いえ! あのままだったらレィナさんが殴られてました。本当にありがとうございました! ね? レィナさん?」
「ん、うん……」
話を振られたレィナだったが、グリータの顔を見て縮こまった。
照れていると言うよりは、どこか悔しがっているようにも見える。
「ありがとう……助かったわ……」
掠れるような声でレィナは言った。
顔は相変わらず真っ赤である。
それもそのはずだろう。
『アタシはカティア姉さまに何度も鍛えられてるからアンタより遥かに強いわよ』
ってなことを以前グリータに向けて言い放っていた。
人間相手にこのザマなのだから恥ずかしいのだろう。
「いいってべつに」
過去の大見栄など追及せず、当のグリータはそれだけ返して終わった。
レィナさんはそんなグリータをしばらく見つめる。
「く……ぁ、こ、このやろう……」
グリータに蹴り飛ばされた男がよろりと立ち上がってきた。
レィナとリーネが驚き、その二人を守るように俺とグリータが前に出て壁になる。
男は顔面を蹴られたせいか鼻血で凄いことになっている。
気絶してりゃいいのに。
また暴れられては面倒だ。
気絶させてロープで縛り上げておくか、と俺とグリータは拳を構えた。
「この、やろうがああああ!」
喚きながら突撃してくる男は、次の瞬間!
顔面を掴まれ浮いていた。
「うがっ!?」
え!?
なんだ!?
第三者の乱入。
それは赤い髪の男性だった。
鋭い眼光はライトブルーに煌めき、厳格さをひらかす男がそこにいた。
誰だこの人?
装備を見ると鎧と双剣。
騎士みたいだが。
「ぉ、お父様!」
レィナさんが乱入者をそう呼んだ。
……お父様!?
お父様と呼ばれたその男性は片手で黒フードの男を持ち上げ、軽々と瓦礫の壁に投げ飛ばした。
黒フードの男は悲鳴を上げながら吹き飛び壁に激突する。
頭を強打した男は白目を向いて倒れた。
ついに気絶したらしい。
レィナさんのお父様はまるでゴミを見るような眼で男を見てから、レィナさんの方へ視線を向ける。
「レィナ。こんなところで何をやっている」
怒を含んだ声音で叱るようにレィナさんのお父様は言った。
その言葉の重さは周囲の人間の介在を許さない怖さがあった。
「す、すみません。どうしても寝付けなくて、その……」
「そんな時は横になって目を閉じているだけでもいいと教えたはずだ。寝不足は狩りにて致命的なミスに繋がる。スタミナ切れて動けなくなれば死ぬしかないんだぞ」
「すみません……お父様」
何か言いたそうなレィナさんだったが、言葉を呑み込んで素直に謝っていた。
「わかったのならさっさと帰って休め」
「はい」
レィナさんは踵を返し、家がある方角へと歩き始めた。
「そこの小僧」
レィナさんのお父様に指を差されたグリータはビクつく。
「はい!? ぁ、オレですか?」
「そうだ。すまんがそこの女二人を送ってやってくれ」
「あ、はい。わかりました!」
なんの反論もせずグリータはレィナさんとリーネさんを連れてこの場を去って行った。
あれ?
一人にされた。
いや、正確には二人なんだけど、まさかこのレィナさんのお父様と二人っきりにされるとは。
レィナさんのお父様ということは、カティアさんのお父様でもあるということだよなこの人?
俺はカティアさんと過ごした夜のことを思い出し、変な汗が出るのを全身から感じた。
「お前が……ゼクード・フォルスか」
カティアさんのお父様は静かに俺の名を呼んで、その鋭い眼光に黒騎士の姿を映した。




