人魚(シェーラの話0)
少しエセ関西弁が出てきます。苦手な方はご注意ください。
一日の最後の授業の終わりを告げる鐘が鳴り響き、黒板に書き込む先生の手がぴたりと止まった。
「では、今日の授業はここまで」
と算数の先生である担任は、持ってきた冊子をトントンと机でそろえながら帰りの連絡事項を伝える。そして、帰りの挨拶も済ませると、一面に書かれた黒板を消すことなく教室をあとにした。
先生が教室を出てドアが閉まったとたん、静かにしていた生徒たちは一斉にしゃべり始めた。
「オルヴァくん、ベルンくん、かえろ」
と帰り支度を済ませたシェーラがニコニコと近寄ってくる。
僕はもちろんと大きく頷いて、鞄を肩にかけたのだが、ふとベルンが一人スタスタと黒板に向かって歩き出した。その様子に僕は、ぽんっと手を打った。
「今日はベルンが黒板消しの当番だったね!」
と僕は言うと、シェーラにちょっと待ってて、と告げた。
ベルンを手伝いをしよう。そう思ったそのとき……
「ベ、ベルンくん。黒板消し手伝うねっ」
と頬を染めた女の子が、ベルンに話しかけ、二つある黒板消しのもう一つを持って、一生懸命消し始めた。
ベルンは一瞬瞼をパチクリさせたが、そのまま特に何も言わず二人で黒板を消す。全部消し終わると、ベルンは女の子に近づき、素直にお礼を言った。
「ありがとう。手伝ってくれて」
とベルンはクールに言う。
すると、ベルンと目があった少女は、ゆでタコのように頬をカッと染め、「う、うんっ。じゃあね」とすぐさま立ち去った。
おそらくあの女の子はベルンに気がある……。というか、見目が良く、クラスで一番頭の良いベルンは、このクラスで一番モテている。のだが、ベルン自身はモテに興味が無いらしく、どんなに女の子にチヤホヤされてもスルーしていた。
一部始終を見ていた僕は額に手をあててから、天を仰いだ。なんであんな愛想なしがモテるのだろう…。
別に羨ましくなんかない。だって僕は沢山の女の子にモテたいんじゃなくて、シェーラちゃんたった一人にモテたいだけなのだから!
(って待てよ。女の子はみんな、格好いい男が好き、だよね。じゃあ、シェーラちゃんも……!?)
と僕が最悪の想像にサーッと青ざめていると、ベルンが自分の席に戻ろうと、こちらにやってきていた。
「オルヴァ? なにそんなとこで突っ立ってる」
とベルンは小首を傾げ、片眉をあげる。
そんな些細な仕草さえ、顔が良いゆえに神々しい。
(くそ~っ。このっこのっ)
「このイケメンがっ」僕は思わず、瞳を潤ませ拳を作り、悪態をついていた
しかし、ベルンの方は「はぁ?」と眉間にシワを寄せ、頭にクエスチョンマークを浮かべた。
◇
僕とシェーラとベルンは三人で学校をあとにする。最近はすっかり三人で帰るのが、おなじみになっていた。
前はベルンとシェーラが会話することも少なかったのだが、二人とも打ち解けてきたらしく、僕を介さなくても、二人でしゃべっていることも多くなった。
実のところ、その状況になると、僕はちょっぴり複雑な気分になる。
シェーラがベルンに惹かれるのでは? という恋情の揺れと、ベルンが僕以外に親しい友達が出来ていく様子にジェラシーを感じる自分がぐちゃぐちゃになって、胸がモヤモヤするのだ。
(でもでも、シェーラちゃんに好きになってもらいたかったら、僕自身を知ってもらうべきだし、ベルンはもっと友達を増やすべきなんだから!)
とベルンとシェーラの会話を聞きながら、自分に言い聞かせていたときだった。
あとちょっと三叉路というところで、雨がばらつきはじめた。
僕ら三人は天を見上げる。
「空が青い……」
とシェーラが呟く。
「日照雨だな」とベルン。
「雲がないのに、どっから雨が降ってるんだろ?」
と僕。
そんなふうにぼんやり歩いていると、ふいに僕は誰かとぶつかって、尻餅をついた。
「ってて……」
と眉間にシワを寄せ、顔を見上げると、そこには美しい長い髪の大人の女性が立っていた。女性も僕とぶつかってよろめいたらしいが、転ぶことは無かったみたいだ。
彼女が僕を見下ろし、視線が交差する。
(え……?)
女性の青い瞳から、雨と一緒に涙がポロポロ落ちている。
鼻水もずるずるとすすって、ひっくひっくと嗚咽をもらしていた。
僕はしばらくポカン…と口を開け、思わず「お姉さん。どうしたの? 大丈夫?」と自分が立ち上がる前に心配な声をあげていた。
すると女性は目を見開いて僕を数秒見つめてから、やがて堰が切れたように、号泣しはじめた。
「うわぁああああああああんっ。もうあかんっ。あかんわぁ」
女性の言葉は、この辺りでは、あまり聞き慣れない訛りの発音だった。
僕らは号泣する女性にぎょっとし、目を白黒させる。
「あんた優しい子やなぁっ。そんな優しくされると…っ。う~~~っ」とお姉さんは泣きながら言う。
「え? え? え~~~~??」
僕は訳も分からず、助けを求めるようにベルンとシェーラに視線を向ける。しかし、二人も僕と同じように当惑していた。
しかし、そんな僕らの戸惑いに気づく余裕もないのか、お姉さんは「海に帰りたい。帰りたい~~~~っ」と泣きじゃくる。
「海? お姉さん、海の方の人なの?」と僕は立ち上がり、お姉さんを見上げる。
「そうやっ。今すぐ帰って海ん中入って、村に戻りたい~~~~っ」
そう言うと、お姉さんは僕たちより、うんと背が高い大人なのに、子供みたいにしくしく泣いていた。
僕はなんだがお姉さんが、幼い女の子のように見えてきて、可哀想になってきた。
(お姉さんの言葉、この辺りじゃ聞かないイントネーション。きっと遠くから来たんだ。それでホームシックになっちゃったのかも……)
慣れない土地での新生活、それはきっと不安もいっぱいだ。
僕はむくむくっとお姉さんをなんとかしてあげたい! という気持ちが湧いて、すぐにベルンに尋ねた。
「ねぇ。ベルン。この辺りに海ってある?」
「あるわけないだろ」とベルンは呆れ混じりに答える。
「そりゃそうか……。う~ん……あ! 川ならある。ほら、お姉さん、川は海につながってる。実質、川が海みたいなもんだよ!」と僕。
「んな、むちゃくちゃな……」ベルンはぼそっと小さくつっこみ、唯一、ベルンの声を聞き取ったシェーラは苦笑をこぼしたのだった。
僕はお姉さんの手を引っ張り、近くの川辺へと連れて行く。橋の上から川を指さし、元気をだしてと励ます。
そのころには日照雨は止んでいた。
「この川はきっとお姉さんの海につながってるよ」と僕。
「そうやなぁ。この川……下ってったら、きっと帰れるやろなぁ…」
しくしくと涙を流しながら、お姉さんは欄干にもたれ掛かって、川面を眺める。
そんな僕とお姉さんを、背後からベルンとシェーラが観察している。
「オルヴァくん、優しいね」シェーラがそっと微笑む。
「ふんっ……」
ベルンはそんなシェーラの言葉に腰に片手をついて、鼻を鳴らした。だが、そのとき、ベルンは目を見開いて、瞼を瞬かせた。
ベルンの表情を見ていたシェーラも、なんだろうと彼の視線の先を追いかける。
すると、お姉さんの肌が、みるみる鱗に包まれているではないか!
人間の肌から魚の肌に変化する様を、二人は呆然と見つめていた。
だけど、僕はまったくそんなことにも気づかず、ただひたすらお姉さんに寄り添っていたのだった。
お姉さんの気持ちが落ち着いた頃、彼女は普通の人間の姿に戻っていた。
当然、僕は最後まで気づくことなく、お姉さんと別れの挨拶をした。
「ありがとうぉ。ありがとうなぁ。あんたら、ほんまええ子やねぇ」
とお姉さんは僕らに頭を下げる。
そして、彼女は手を振り、その場から立ち去ろうとしたそのとき、ベルンが口を開いた。
「あの…海はこの近くにはないですけど、本の中なら」とベルン。
「本?」とお姉さんは振り返って、きょとんとする。
「海のことを書いた本なら、たくさんありますから」
「……」お姉さんは瞼をパチクリし「本かぁ…。せやけど、まだ人間の字、読めへんのよね…」
(人間の字?)
僕は一人、お姉さんの言葉に違和感を感じ、小首を傾げる。
「だったら、絵本は? 海の絵本はたくさんありますよ」
シェーラがにこりと微笑んで、言葉を紡ぐ。
「そうかぁ……。そうやねぇ……」
お姉さんはふむと下顎に親指と人差し指を置いて、物思いにふけると、やがて僕ら三人に白い歯を見せて微笑をこぼした。
僕らは通学路に戻って、また三人になったとたん、ベルンが淡々と言う。
「さっきの女の人、たぶん人魚だな」
「え? 人魚? ベルン、なに言ってんの?」と僕。
「お前は近くにいて気づかなかったみたいだけど、あの人、感情が高ぶってたのか、肌が鱗になってたときがあったんだよ」
「へ……?」
「ねぇ。私も見たよ。オルヴァくん。人魚さん、私、初めてみた」
「え? え? シェーラちゃん??」
僕は二人の言葉に混乱し、目をぐるぐるさせる。
人魚といったら、伝説的種族、滅多に拝めない、貴重種である。そんな人が街に居たら、もっと騒ぎになっているはずだ…と思う。
「人魚って案外、普通に歩き回ってるんだな。この街は人間ばっかりだと思ってたけど、もっと色んな種族が潜んでいるのかもしれない」
ベルンは興味深そうに、しみじみ呟く。
すると、シェーラは一瞬、びくっと肩を揺らしたものの、僕とベルンは気づくことなく、歩き続けた。
「交易都市とか、ダンジョンの近くとか、活気のあるところじゃないと見られないと思ってた。お前のお節介もたまには役に立つときがあるんだな」
「な、なにそれ。ベルン、なんか言い方ムカつく!!」
◇
自宅に帰ったシェーラは、階段を昇って、自室へと入った。
狭い室内には、勉強机とベッドがある。ベッドの上には、大きな猫のぬいぐるみがあった。
「ただいま」
とシェーラは猫のぬいぐるみを抱きしめる。
ぎゅうっと抱きしめたのち、シェーラはベッドに仰向けになって天井を見上げた。
「……」
ぼんやりとして、深いため息をつく。
そしてシェーラは起き上がり、上半身の服を全て脱ぎ去った。
長い髪を両手で全て背中へとなぎはらう。
とたん、彼女の周りに光の粒子が集まり、一気に弾けた。
シェーラはそっと首を捻り、背中を伺う。
何も無かったはずの彼女の背中には今、大きな片翼の翼が生えていた。
片方しかない翼を見て、シェーラは物憂げな瞳になった。彼女はまた深いため息をつく。それは悲しい悲しいため息だった。




