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小箱




 夕食が出来上がったと、アンドレアが一階から二階の自室にいる僕に向かって叫んだ。

 すると、僕はすぐに「は~~い!」と返事をして、宿題を閉じ、部屋を飛び出す。

 一階のリビングに来ると、すぐさま料理が並ぶテーブルに付こうとして、ふと立ち止まる。

「ねぇ。アンドレア。あの箱は?」

 僕は隅の棚に置かれた小箱を指さした。それは彫刻で模様がいくつも刻み込まれている魅力的な箱だった。

 この中に何か入れるとしたら、特別で大切なものを仕舞っておきたい。

 僕は興味をそそられ、アンティークな小箱に近づき、まじまじと見つめる。


 アンドレアはテーブルの椅子を引いて座り、

「ああ。今日、(のみ)の市で買ったんだ」

「へぇ~。良さげな箱だし、結構高かったんじゃない?」

「いや、それが安かったんだ」

「ふ~ん」

 箱を観察すると、いくつも傷がついていた。それで安かったのかもしれない。しかし、それでも、この小箱の魅力は減ってはいなかった。

「良い買い物出来て良かったね!」僕は白い歯を見せる。

 すると、アンドレアも嬉しそうに微笑んだ。

 しかし、僕はそんな彼の様子に頬を緩ませたそのとき、小箱に一切触っていないはずなのに、それが床に落ちた。


 小箱が床に転がる。そして中身がカランコロンと乾いた音を鳴らした。


 僕は驚いて一瞬体が固まっていたが、すぐに小箱を拾った。

「気をつけてくれ。オルヴァ。それ気に入ってるんだ」

 アンドレアが眉間にシワを寄せ強めに言う。

 僕はとっさに「ごめんね」と謝罪したものの、触っていないのに、という気持ちが湧いてモヤモヤした。


(そういえば中身なんだろう……)

 僕は小箱を開けようと、蓋の隙間を爪でカリカリする。しかし、開かない。


「アンドレア。この箱、開かないの?」

「ああ。そうなんだ。だから、安かったんだよ」

「……」

 僕は中身が気になって、耳元で小箱を振ってみる。すると、またカランコロンと乾いた音がする。

「これ、なんか入ってるけど…」と僕。

「みたいだな。どうせ、大したものは入ってないだろ」

 アンドレアは中身に興味はないらしい。


(中、気にならないの?)


 と僕は瞼を瞬かせ、首を傾げたものの、この話はそれ以上、広がることもなく、別の話題へと移ったのだった。


 それから夕飯にありつき、いつものように穏やか時間が流れていく。僕はアンドレアが作ってくれた料理に夢中になって食べ、今日一日のことをアンドレアに報告する。アンドレアはそんな僕を微笑ましそうに見つめ、きいていた。

 そして、あっという間に夕食の時間が終わる。


 なんの変哲(へんてつ)もない平凡な一日の終わりだった。

 しかし、食器を片づけ、自室に戻って、ベッドに仰向けになったとき、忘れていた違和感が脳裏をよぎった。


「あの箱……」

 僕は箱のことを思い浮かべると、何故か鳥肌が立ち、寒気がしてブルッと震えてた。

 なんだか嫌な予感がする。しかし、すぐに気にしすぎか、と肩を竦め、瞼をゆっくりと閉じた。




 次の日、僕はいつも通りの時間に家を出て、学校に向かっていた。途中、シェーラちゃんと合流し、僕の足取りは軽やかになっていた。

「シェーラちゃん。あそこ新しいお店が出来てるね!」

「あ、ほんとだ。なんのお店だろうね。オルヴァくん」

「ねぇ~~~」

 そんな些細な会話も、シェーラちゃんとだと、心がいっぱいぽかぽかする。

 僕らは二人、和やかに学校に向かっていたのだが、そのとき、目の前に何かが振ってきて、足下でガチャンッと音がした。

「え?」

 目を瞬かせ、下を見つめる。

 すると、そこには粉々になった鉢植えが落ちていた。

 僕はサーと血の気が引いた。

 あと数センチ先を歩いていたら、僕はこの鉢に当たっていた。


 しかし、そんなことを考えている暇もなく、今度はベチョッと何かが降ってきて頭にひっついた。

「あ…オルヴァくん、鳥の糞が…………」

 シェーラがあわあわと指さす。


 しかし、またまた、鳥の糞がついたかどうか僕自身が確認する暇もなく、今度は暴走した馬車がこちらに向かって駆ける音が響きわたった。

「気をつけろ!!!」と誰かが危険を知らせて叫んでいる。

 僕らはビックリして、音がする方を見る。凄まじい勢いで馬車が駆け抜けている。

「シェ…シェーラちゃん!!」

 僕はとっさに彼女の腕を掴み地面を蹴った。

 馬車はちょうど僕らのすれすれのところを横切って、向こうに走り去っていく。

 あのままあの場に突っ立っていたら、今頃、馬車に跳ねられていたに違いない。


 僕とシェーラは顔を見合わせると、ふーーーーっと長い長い一息をついた。

「びっくりしたぁ…」とシェーラは馬車が消えた方を向いて言った。そして、僕の方に振り返り「オルヴァくん、ありがとう。オルヴァくんがいなかったら私、あぶなかった」

「シェーラちゃん……」

 僕はシェーラに上目遣いでお礼を言われ、胸をときめかせる。


 待てよ。さっきの僕ってヒーローみたいで格好良かったんじゃ? とっさの行動とはいえ、僕グッジョブ!!

 彼女に勇敢で格好いい男だと思ってもらえた!

 我ながら単純だが、シェーラの前では仕方がない!!


 と僕は心の中で大きなガッツポーズを取ったのだが……


 シェーラがごそごそとスカートのポケットからハンカチを取り出し、僕に差し出す。

「オルヴァくん。頭についている鳥の糞、これで拭きなよ」

 慈愛に満ちた表情で渡され、僕は固まる。


 そうだった! 頭に鳥の糞がついてるんだった!!

 これじゃ、かっこつかないよ~~~~~~~~~~っっっ


 僕は上がっていたテンションを急降下させ、シェーラの好意は丁寧に断った後、自分のハンカチで糞を(ぬぐ)った。



 シェーラと学校に到着する。教室に入ると、皆思い思いに談笑したり、一人静かに過ごしたりしていた。

 ベルンが読書に勤しんでいる姿を見つけ、僕はいつもどおり彼のもとに行こうとして、その前にガシッと腕を捕まれた。

 びっくりして振り返ると、そこには占いが得意の同級生の女の子アルマがいた。

 彼女はメガネをクイッとさせ、しげしげと僕とその周りを見つめている。

 シェーラがアルマの様子に首を傾げる。「どうしたの。アルマちゃん?」

 しかし、アルマはシェーラの声に気がつかないほど、僕の方を凝視していた。

 僕は分けも分からず困惑する。アルマとは一度も雑談すらしたことがなく、占いが得意なことくらいしか知らないのだ。

 アルマは眉間にシワを寄せ、僕を上から下まで凝視すると、

「来なさい!」

 といきなり廊下に連れ出され、人気のない廊下の死角まで引っ張られた。

 そこでアルマは僕にドンッと両手で壁ドンしてきた。

「ひぇっ!?」

 僕は身を縮ませて、小さな悲鳴をあげる。

 アルマはそんな僕を鋭く睨みつけると、いきなりバシンッと平手打ちをしてきた。

「いたっ!? え!?」

 またバシンッとアルマに叩かれ、つづけざまに何度も叩かれ続けた。

「出て行きなさいっ。このっこんのっっ!!!!」とアルマ。

「や、やめてよ。わ~~~~~んっ」

 僕はあまり話したことのない同級生で、しかも女の子に、なすすべもなく涙目を浮かべ、縮こまる。

「オルヴァくん。大丈夫!?」

 あとから僕とアルマを追いかけてきたシェーラが間に入ってきた。

「アルマちゃん。どうしちゃったの!?」

 シェーラは僕を背中に隠し、アルマに訴えた。

 しかし、そんな健気なシェーラをも睨みつけ、アルマは懐から一枚の紙を引っ張り出し、シェーラを払いのけて、僕の元に身を乗り出した。


 また叩かれる!!


 僕が涙目で目をつむったそのとき――――


 アルマは「悪霊退散!」と、勢いよく僕の顔面に御札のようなものを張り付けたのだった。

 ちなみに僕は札を張られた勢いが強すぎたのか、壁に後頭部をぶつけ、意識を無くして、保健室に連れて行かれることとなった。



 ぼんやりと意識が目覚め、僕がうっすら瞼を開けると、「オルヴァくん!」と心配そうに僕の名前を呼ぶシェーラに声が聞こえてきた。

 ぼやけていた視界がだんだんハッキリしてくると、シェーラの顔がすぐ近くにあって、僕は目を大きく見開いた。

「シェ、シェーラちゃん!?」

 と僕が驚いていると、シェーラはほっと安心した様子で胸に手をあてた。

「良かった。良かったぁ。オルヴァくん」

 安堵するシェーラを前にして、僕は一瞬、状況が掴めずにいたが、だんだん先ほどのアルマとのやり取りを思い出していた。


(ここは保健室……。そうだ、僕、なんか悪霊退散って言われて、それで…………)

 どうやらその後気絶し、保健室のベッドに運ばれたらしい。

 そこまで把握したところで、シェーラの背後に実はいたらしいアルマがひょいと顔を出した。

「ふんっ。私が素晴らしい霊能者だったから良かったものの、あのままじゃ貴方いつか死んでたわよ。感謝しなさい」

 とアルマは偉そうにこんなことを言う。

 僕はしばらく目を瞬かせ、

「はあ!?」

 と苛立たちげに声を荒げるが、すぐにアルマにひと睨みされ、びくっと肩を揺らし縮こまった。


 アルマとあまり話したことが無かったが、こんなにも強気な女だったとは。占いが得意ということくらいしか知らなかったアルマという女の子の情報は、今日のことで”苦手な女子”という称号がついた。


 とアルマの情報を更新しているところに

「オルヴァくん。オルヴァくん」

 とシェーラの声に視線を向ける。

「あのね。オルヴァくん。アルマちゃんが言うにはね。オルヴァくんは悪霊にとりつかれてたんだって。でもまだ軽い状態だったから、アルマちゃんが力付くで追い払ってくれたみたいなの」

「え……」

 と僕はアルマを見つめる。


 すると、アルマは鼻をツンと立てて、鋭く僕を指さす。

「そうよ。あんた、どっかで変なもの拾ったみたいね」

「……」

「なんか朝から二人とも色々不運に巻き込まれたらしいけど、それも霊のしわざよ。死ぬ前に私が気づいて運が良かったわね」

 僕はまじまじとアルマを見つめてから、頬をひくつかせ「何言ってんの。そんな、霊とかいるわけが」

 と僕は空元気に明るく言うが、かぶせるように、シェーラが「アルマちゃん、霊感あるよ」と教えてくれた。


 僕ら三人がいる保健室はしばらく沈黙が続いた。


 そこに授業の始業を知らせるチャイムが鳴り響く。

「あ、もう休み時間終わっちゃった! アルマちゃん早く教室戻ろ!!」

 シェーラが慌てて、僕に背を向けた。僕はとっさに、そんなシェーラの袖を僕は握って引き留める。

「ぼ、ぼくももどるっ」

「え……。でもオルヴァくんは、もう少し休んだら? 今、目が覚めてばかりだし………」とシェーラ。

「だだだだ、だいじょうぶ。もうへいきっ」


(いま一人は嫌だ~~~~~~~っ!!!!)


 たとえまだまだ明るい昼間とはいえ、幽霊がいたなんて聞いて、一人で保健室に入られるわけがない。怖い。怖すぎる。幽霊がとりついてたとか、考えるだけで震え上がる。


 分かりやすく幽霊にビビっている僕を、シェーラはしばらくじっと見つめる。そして、やがて全てを包み込むような慈愛に満ちた微笑を浮かべた。

「うん。そっか。じゃあ、一緒に教室戻ろっか」

 シェーラは僕に手を差し伸べる。

 華奢で小さな可愛い彼女の右手。だけど、今はその手がこんなにも頼もしく思えるなんて。


 僕はシェーラと手を合わせ、彼女に引っ張られるように保健室を出て行く。

 そんな僕とシェーラを背後から見ていたアルマが、何やら僕を馬鹿にしたように鼻で笑ったものの、幽霊でいっぱいいっぱいになっていた僕はそこには全く気がつかなかった。




 その日、家に帰るとアンドレアがリビングで捜し物をしていた。なんでも、昨日、(のみ)の市で買った小箱が無くなってしまったらしい。どこにも移動していないはずなのに、とアンドレア残念そうにしていたが、僕はむしろほっとしていた。

(なんか……あの今日のことってあの小箱が関係してたような気が…………)

 

 と一瞬そんな考えが過ぎり、頭を振って思考を散らす。


(いやいやそんなまさかまさかねぇ)


 なんかもう考えない方が良い。怪しいことには触れない方が安心である。


 夕食を終え、自室のベッドに仰向けになると、不意に今日のシェーラとのやり取りが脳裏に過ぎった。


「そういえば……僕、今日……シェーラちゃんと手を握ったのでは…………?」


 ハッとそのことにようやく気づいたものの、幽霊に気を取られていたせいで、感触とか全く覚えていなかった。


 なんてもったいない!! と頭を抱えたものの、数々の情けない姿をシェーラに見られたことも思いだし、顔面を両手で覆う。


「…………よし。今日のことは全部忘れよう。うんうん」


 僕をそうしっかりと心に決めると、ベッドにもぐり込み、一日を終えたのだった。




 ◇



 定期的に開催される蚤の市は今日も賑わっている。

 露天を通り過ぎた一人の青年が、一つの小箱が目に入り、足を止めた。

「おじさん。この小箱、すごく繊細な彫り物がされているね。値段はいくらだい?」

「ああそれ」

 と店主は小箱の見た目の予想より安い値段を提示した。

「ええ! いいの? そんな安い」

「その代わり、その箱、開かないからよ。それに拾いもんだしな」

「へぇ~。そうなんだ…。じゃあ、これいただくよ」

「まいどあり」

 店主は青年からお代を貰い、足取り軽やかな青年の背中を見送る。

「……今度は戻ってくるんじゃねーぞ」

 その店主の呟きは、雑踏にかき消され、誰の耳にも入らなかった。



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