夜中の訪問者
そろそろベッドに入る時間だ。
すっかり街が夜の帳に包まれた頃、僕はアンドレアに促され、一人自室のベッドへ潜りこんだ。だが、そのあとすぐ、玄関からトントンと誰かがノックする音が響きわたった。
(ん? 誰……?)
僕はひょこっと布団から顔だし、床に足をついて、自室をそっと飛び出す。
そして、一階に降りて、夜中に誰だと訝しげにしているアンドレアが玄関に向かう様子を、背後からバレないよう覗いていた。
(もしかしてグレアム帰ってきた? でもグレアムならもっと騒がしく帰ってくる気が……)
アンドレアとグレアムには、足音や癖で出すそれぞれの音がある。一緒にいれば、自然と分かる音だ。だが、玄関を叩くノックは静かで遠慮がちだ。
アンドレアが戸を少しだけ開けて、誰が来たのか確かめる。
戸の隙間から、誰かがアンドレアに声を発する。「どーも。お久しぶりです。アンドレアさん」
アンドレアはその明るい男の声に目を丸くし、やがて眉間にシワを寄せた。
「ディノ……お前…………」とアンドレアは険しい様子で答える。
「いや~~~。仕事でちょうどこちらに伺ったものですから、ご挨拶をと思いまして」
「はぁ? それにしちゃあ、夜更けに来るのはおかしいだろ」
「あっははは! へへっ。まぁね……いや~~~それはその……財布をすられまして宿代が払えないものですから困ってて……あの~その、今晩泊めさせてくれませんか」
とディノと呼ばれた男は拝んだ。
「あ? なら宿屋に拝み倒して、馬小屋でもなんでも泊めさせてもらえ」
しかしアンドレアは冷たく突っぱねる。
「長旅だったんです。もうクタクタで……。同じ院のよしみでお願いしますぅ~~~」
「お前みたいなのをウチにあげてたまるか!!」
「グレアム。グレアムはいないんですか。お願いグレアム、アンドレアさんを説得してください~~~~」
どうやらディノという訪問者はアンドレアとグレアムの知り合いらしい。何やら親しげな雰囲気もある。
僕は腕を組んで考える。
(アンドレアは頭が固いから、きっとあの人は何か怒らせてしまったんだな。でも、困っている人を放っていいのかな)
でももし、ここにグレアムがいたら、アンドレアを説得して泊めてあげる気がする。
そして僕は熟考し、よし! と決めた。
僕はアンドレアに近づいて、
「ねぇねぇ。その人、困ってるんじゃないの? 泊めてあげたら?」
と後ろからアンドレアに言う。
「オルヴァ……もう寝ろって言っただろう」とアンドレア。
「そこのお坊ちゃん! そうなんです。とても困ってる。たった一晩でいいんです。後生ですから」
と玄関の外にいるディノが縋る。
そのディノの姿に僕は可哀想になってアンドレアを見つめる。
「ねぇ。アンドレア……」
と上目遣いで僕はアンドレアの袖をきゅっと掴む。
「アンドレアさん~~~~っ」
とディノはディノで瞳を潤ませ懇願する。
そんな二人に見つめられ、アンドレアはやがて、深い深い溜息をついた。
「はぁ……。一晩だけだぞ」
アンドレアは仕方なく戸を開け、ディノの表情はパァッと明るくなった。
だが、アンドレアはそこでようやくディノの後ろにもう一人、青年がいることに気づき、ぎょっとする。しかもその見知らぬ青年は、平民の格好をしているのだが、どこか高貴な雰囲気があった。
「バーバラさま……じゃなかったバート。こちらの主人にお許しをいただきました。泊めていただけるようです」
「そうか。ありがとうディノ」
にこりと青年は笑い、アンドレアの前に立つ。
「すまない。一晩世話になる」と高貴な雰囲気を纏う青年が言う。
アンドレアはぽかんと口を開け、しばらく惚けていたが、ハッとして二人を招き入れた。
僕もアンドレアの後ろに隠れて、二人のお客様を観察する。
(ディノって人は腰が低い感じ……。バートって人は…………)
僕はバートという青年と視線が重なった。すると、彼はニコリと僕に笑いかけてくる。
「こんばんは。遅くに訪ねてしまってすまない。私はバートと言う。一晩泊まらせてもらってもいいかな?」
「は、はい!」
僕はバートという上品な青年に、妙に緊張してしまい、ピンと背中が伸びていた。
ディノが僕を見て「オルヴァって言うんですよね。グレアムから聞きましたよ」
アンドレアはこちらの事情を色々知っているらしいディノに、眉間のシワを寄せ、深い溜息をつく。そして、僕と客人を引き離すように、さっさと客人を奥に連れて行く。
「オルヴァ、お前はもう寝ろ」とアンドレア。
「え~~~~」
僕は不満げに頬を膨らませたが、アンドレアの睨みに屈し、自室へと戻っていった。
◇
アンドレアはまずディノをグレアムに貸している部屋に通した。その際、グレアムが仕事で出て行っていると言うと、ディノは少し残念そうに眉尻を落とした。次にバートを客室に案内した。どちらも狭い部屋だが、ベッドが用意されていた。
バートを客室に置いてくると、アンドレアは事情を聞こうとディノのもとへ向かい、狭い部屋に二人きりになる。
「おい。あの人はどういう人だ。なんだか妙に高貴な感じなんだが」とアンドレアはディノに迫る。
するとディノは「やっぱ隠せてないですよね……」と視線をずらし、乾いた笑いをしていた。
「えーと……まぁ…その、俺は今、あの人に雇われて案内人をしているんです」とディノ。
「こそ泥のお前が?」
「盗みはもうやってませんて! 心の底から反省してます!!」
「え~~~?」
アンドレアは片眉をあげ、ディノを上から下までじっくり観察し、さらに顔を歪ませる。
「もう今は悪いことは一切してません。神に誓ったっていい!!」
というディノの言葉をアンドレアはまだ疑っていたが、やがて嘆息した。
「まぁいい。もう泊めることになってしまったし。その代わり、後日、前にウチから盗んだ分をきちんと返すこと。約束できるか」
アンドレアは腕を組み、ディノを鋭く睨む。
ディノはアンドレアの様子に恐れ戦き、ぶんぶんと頭を上下に激しく揺らし肯定した。
ディノはかつて、アンドレアが好意で泊めたというのに、うちで盗みを働いた。すぐに気づいたアンドレアは激昂し、それからディノとは音信不通になったのだ。
アンドレアはかつて最後に見たディノの姿が脳裏に浮かぶ。
あの頃のディノは、いつもヘラヘラして軽薄だった。
こいつはもうダメだ、とアンドレアは諦めていたが、もしかしたら、そうではなかったのかもしれない。
「……グレアムとは会ってたのか」とアンドレアは尋ねる。
「ええ。奴とは何かと縁があるみたいで。グレアムはいつまでも変わりませんねぇ」
「それがアイツのいいとこだ」
「そうですねぇ。……ああそうだ。さっきの男の子が引き取った子ですか」
「グレアムに聞いたってさっき言ってたな。ったく、あいつは口が軽い……」
「まぁ、詳しい事情は聞かなかったですけど、あなたらしいと思いましたよ。放っておけなかったんでしょ?」
「……」
「あの子がいくはずだった孤児院が、俺たちがいたところみたいな所とは限りませんけど、自分の手が届く範囲は助けたいという正義感が働いたってところでしょうか」
「なんだ。偽善者とでも言いたいのか」
「いいえ。あなたも変わってないことが嬉しいんですよ。アンドレアさん」
ディノの慈愛の満ちた表情を見て、アンドレアは瞼を瞬かせる。
年下で頼りなかったディノは、ちょっと大人になって戻ってきたらしい。
アンドレアは肩をすくめると、ディノに背中を向けてドアノブを回す。
「あとオルヴァに変なこと吹き込んだら殺すから。分かったな」
最後にそう捨て台詞を言い残し、アンドレアはその場を去った。
一度リビングに戻り、ソファーに沈んで、一息つく。
なんだかどっと疲れた。
アンドレアは目頭を押さえ、腹の底から長い長い溜息をついた。
◇
朝になった。僕は目覚めたとたん、昨夜来たお客様のことを思いだし、気になってバッと勢いよくベッドから飛び出していた。
一階に降りると、いつも通り、アンドレアは朝食を用意している。
「アンドレア。あの人たちは?」
僕は台所でフライパンで目玉焼きを焼いているアンドレアに話しかけた。
「まだ寝てるだろ。はぁ。今日は四人分も用意しないといけないのか……」とアンドレアはボヤく。
「僕手伝うよ。食器出すね」
「そうか? じゃあそこに皿四枚置いてくれ」
「は~~い!」
僕は戸棚から食器を取り出しながら、お客様のことを考えていた。夜中に訪れた彼らは一体どんな人たちなんだろう。
一晩お世話になると言っていたから、お客様と交流できるチャンスは朝食しかない。
学校に登校するまでに、お客様は起きるだろうか。
僕は少しドキドキしながら、アンドレアを手伝っていた。
身支度を整え、鞄を用意し終わって、リビングに朝食を食べに再びやってくると、お客様の一人バートという青年が座っていた。どうやらアンドレアの知り合いらしいもう一人の客人ディノは、まだ起きていないらしい。
僕はわっとなって、ごくりと唾を飲み、思い切って一歩進む。
「おはようございます」
と僕は愛想よく挨拶する。
「おはよう。オルヴァくんだったかな?」とバートが答える。
「はい。……ええっと、あなたバートさん」
「ああ。その通り。昨日は本当にありがとう。宿に泊まれなくて困っていたんだ」
「いえいえ。えっと、えっと……どういたしまて?」
なんて言ったらいいか混乱する僕を、バートは微笑ましそうに見つめる。
そのとき、朝食を全て作り終えたアンドレアがリビングやってきて席に座る。
「あんたら、これからどうするんだ? 財布をすられたって言ってただろ?」
とアンドレアが尋ねる。
バートはにこりと笑い、
「とりあえず換金してしのぐ。その間にお金は届けてもらえるよう手配するつもりだよ」
「……」
アンドレアは瞼を瞬かせ、バートを観察する。
僕もまたアンドレアと同じようにバートを見つめる。服装こそ平民の旅装束だが、言葉や仕草は明らかに余裕があって裕福な人間にしか見えない。
「だから今夜は宿がとれるはず。昨日はお金がすられるとは。初めての経験だった。とてもでビックリしたよ。でもこれが旅の醍醐味というものだな」
バートは今のこの状況を楽しんでいるようだ。
「バートさんは今夜もこの街にいるんですか?」と僕は思ったことを聞く。
「ああ。しばらくはこの街に滞在するつもりだ」
にこりと微笑むバートにつられ、僕も白い歯を見せる。
そうして朝食の時間が穏やかに流れ、僕は学校に行く時間になった。
ディノの方は一行に起きる気配はなく、このままだと再び会うことはなさそうだ。
バートが今夜は宿がとれると言っていたから、僕が帰ってきたときにはお客様はいなくなっているにちがいない。
僕は学校に行く直前、アンドレアにそっと耳打ちする。
「ねぇねぇ。バートさんたち、この街に滞在するなら、このままウチに泊まったらいいんじゃない? 部屋はあるしさぁ」
だが、アンドレアは頭を振って「ダメだ」と強く言った。
「え~~~~。いいじゃん別に。悪い人じゃなさそうだよ?」
「だ・め。ほら、さっさと学校行く」
「ぶ~~~~~」
そして僕はアンドレアに不満たらたらで学校に出かけたのだった。
◇
バートとディノの二人はアンドレアの家をあとにする。
街を歩きながら、バートの私物を換金できるところを探している。
「ディノ。オルヴァくんは君に会えなくて残念そうだった」
「そうでしたか。そりゃあ悪いことをした」
とディノは言ったものの、実の所アンドレアに「オルヴァに変なこと吹き込んだから殺す」と言われたため、オルヴァを避けていたのだった。
「あの家、すごくあたたかい感じだったな。リビングの柱を見たか? 柱にオルヴァくんの身長を記録したキズがついていた」
「へぇ~。アンドレアさんがつけたのかな。子育てしてるんだなぁ」
ディノはアンドレアのことを思い浮かべ、くすっと笑う。
アンドレアは同じ孤児院にいたときも、下の子たちを何かと世話を焼いていた。その中で特に可愛がっていたのがグレアムだ。グレアムもまたアンドレアを心の底から慕っている。
そのときバートが換金出来る店を見つけたのか、急に走り出した。
ディノは慌てて追いかける。「待ってください。”バーバラ様”!」
バーバラ様と呼ばれたバートが振り返った。「バカだな。ディノ。今の私はバートだぞ」
白い歯を見せ、また走り出したバートの背中を追いかけながら、ディノは思った。
彼は…………”彼女”は、来年はきっと、こんなふうに無邪気に振る舞うこと出来なくなるだろう。責任と家門のため、苦労を背負うことになるのだ。
ディノはそれが哀れに感じ、まだ同時に、お金持ちに哀れを抱くようになった自分の変化を、不思議に思うのだった。




