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勉強会をする理由と学校へ行く理由

作者: pike

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フリーター、ニート、そんな言葉を、テレビでよく目にします。インターネットで調べたので、意味は分かります。


僕は、そんな時代のごく普通な小学生です。勉強は、あまり好きじゃありません。運動も、人並みくらいで、それほど好きじゃありません。好きな子はもちろんいます。一度、隣の席になったことがあって、その一ヶ月間はすごくドキドキしていました。



【なぜ勉強をしないといけないの?】とか、【なぜ学校に行かないといけないの?】とか、時々思っていました。まわりの友達は特に不満そうな顔もしないで、グランドを走ったり、算数の文章問題を解いたり、読書感想文を書いたりしていました。ドッジボールも楽しかったし、いろいろ思っても、すぐに忘れていました。



ある日、通学路を家に向かって帰っていると、ふと、リコーダーを机に忘れてきていることに気がつきました。それほど、遠くまで来ていなかったので、教室まで取りに帰ることにました。



空は白がたくさん混じったオレンジ色で、吹く風は夕食の仕度の匂いがしていました。



校門を抜け、階段を一つ駆け上がり、教室に着くと、先生が机に座って採点か何かをしていました。


「どうしたんだ?」


低くて、優しい声が教室に響きました。


「リコーダーを忘れてしまって……。」


「そうか、気をつけて帰るんだぞ。」


「はっ、い。」



少し沈黙の時間が流れました。



「先生、なぜ勉強ってしないといけないんですか、なぜ学校に行かないといけないんですか。」


頭で考えるよりも前に、口がひとりでに聞いていました。そして、何か扉を開けてしまったかのような不安な気持ちになりました。



先生は、こっちを向いてゆっくりと話してくれました。


「すごくいい質問だね。勉強、面白くないか?」


「うん、あんまり……。どっちかって言うと、面倒くさいかな。だって、漫画とか読んでいる方が面白いし、ゲームだって……。」


「だって?」


「ゲームだって、面白いし、敵をいっぱい倒して強くなったら嬉しいし。ストレス解消できるし、気分もいいし。」


「漫画とか、ゲームって、面白いし、楽しいよね。先生もいろいろ持っているよ、古いものばかりだけど。」


「先生もゲームするんですか?」



「もちろんね。先生も小学生の頃は、ゲームばかりしていたよ。あるゲームのおかげで友達と仲良くなったり、喧嘩したりしたな。」


「ほんと?大人はみんな、難しいことばかり考えているんじゃないの?」


「そんなことないよ。先生だって、子供の頃があったんだ。」


「なんか、信じられないな。そんなこと想像できないよ。」



「そういう、ゆう君だって、大人になるんだよ。」


「へぇ、よく分かんないな。どうなったら、大人になるの?勉強が終わったら?学校を卒業したら?仕事を始めたら?」


「どうなんだろうね。勉強は大人になっても続くしね。体が大きくなったらかな。歳をとったらかな。何か違う気がするね。学校を卒業したらっていうのは、少し当たっているかもしれないな。」


「へぇ、学校を卒業したら、大人になるんだ。」


「うん、そうかもしれないな。学校でいろんなことを勉強したり、考えたりする。そして、自分にとって、一番興味あるものを見つけて、卒業するんだよ。」


「興味があるもの?なんだかよく分からないなぁ。勉強はあまり好きじゃないし……。」



「そう?勉強に興味を持つ必要なんかないよ。興味あるものを見つけるために、勉強をするんだ。興味あるものっていうのは、自分をワクワクさせるものなんだよ。それを目一杯頑張って勉強して、学校を卒業する。その興味で、将来、社会での責任とか、自分の気持ちとか、家族のお腹とかを満たすんだ。それができるようになったら、大人になっているかもしれないね。」


「勉強に興味を持つんじゃなくて、興味を見つけるために勉強する?お腹を満たす?」



「そう。勉強は目的じゃなくて手段。『勉強は役に立たない』とか、『生きていくには小学校の勉強だけで十分だ』とか、言っている大人も多いけど、勉強を目的と勘違いしているんだよ。勉強は目的じゃなく手段なんだ。」


「そういえば、勉強は役に立たない、無駄だって、テレビのニュースでサラリーマンが言ってたけど。」


「確かに、そういう大人は多いね。仕事に就く時に、それまでやってきたことと違うことを選べば、それまでの勉強が直接仕事に役に立つことは少ないからね。そんな一部だけを切り抜いた不十分なニュースでは、誤解してしまうよね。」


「でも、キャスターは肯定も否定もせず、苦笑いをしてたよ。」


「そのサラリーマンも、ニュースキャスターも、そう思っているかもしれないけど。でも、ゆう君なら、大人になった時に、どう思うだろうね。人の言葉や表情から、いろいろと推測することはできるけど、その人の気持ち、経験までを理解することはできないよ。大人の言葉から、自分の将来を不安がったり、あきらめたりすることは無いんだよ。大事なのは、自分だったら、どう思うんだろう?ってこと。」


「……。」



「例え話をしようか、ある子が校庭の真ん中で転んだとしよう。それを見た人はどう思うだろう?一緒に遊んでいた同じクラスの仲良しだったら、心から心配して駆け寄るだろうね。他のクラスの憎たらしい奴だったら、ざまあみろとか思って、見て見ぬ振りをするかもしれない。全然知らない子だったら、転んだということを認識するだけで、また遊びに夢中になってしまうかもしれない。それも、目の前で見たのか、教室からぼんやり校庭を眺めている時に見たのか、それによっても、思うことって違うと思う。同じことを見たり聞いたりしても、人や立場、それまでの経験によって、思うことや感じることは違うと思う。」


「でも、たくさんの大人が、無駄だって思っていることを、立場を自分にしたからって、急に無駄じゃないって、思うことはないと思うけど……。」



「今は、ニュースだけじゃなくて、インターネットのような便利なものまで広まっている。そこに溢れている情報から、誰でも好きなものを自由に取り出すことができる。みんなが、みんなに言いたいことが言える。だけど、それを聞くか聞かないか、どう理解するかは、聞き手の自由なんだよ。こんな情報が散乱している時代、断片ばかりを拾い読みして、自分の都合のいいように解釈することはたやすいからね。特に、勉強は無駄だ!なんてことを聞いたら、面倒くさいし、無駄ならやめてしまおう、なんて考えてしまったりする。それらは参考にしても、それらに呑み込まれる必要はない。自分の信念で、情報を選択しなければならない。信念、自分の考え方は、経験から生まれてくる。」


「誰かの書いた文章を読めば、それはそれで経験になるんじゃないんですか?」


「うん、少しはね。でも、自分だったら、そう思うとか、思わないとか、考えていないと、自分で答えを出すことができなくなるよ。ゆう君が言った【自分の立場】っていうのも、持てなくなるよ。誰か他の人の言葉を覚えたって、それは自分の経験じゃない。他人の言葉や、情報だけを先回りして手にしたって、自分が直面した時には、役に立たないことが多い。人の言葉は、覚えるんじゃなくて、聞き、考えるものなんだ。」


「自分で経験して、勉強して……、ちょっと嫌だなぁ。」



「【勉強】っていっても、机の上で本を開いてすることばかりじゃないよ。絵を描くことかもしれないし、音楽を作ることかもしれないし、お話を作ること、ダンゴ虫の足を数えること、どうやったら掃除を早く終わらせるかを考えること、もしかしたら、ぼーっとしていることかもしれない。とりあえず、自分でやってみることだ。生きていることが全て勉強なんだね。それらのほとんどには、決められた教科書は無いんだよ。そして、自分にとっての最大限の仕事に就いて、社会のためや、自分や家族のために頑張って、汗を流すんだ。」


「え?勉強って、漢字の読み書きや、算数や理科や、歴史がどうとかってことだけだと思ってたけど。お母さんが『勉強しなさい』っていう時は、漫画を読んだり、寝そべってテレビを観ていたり、ゲームしていたり、そんな時だから……。」


「お母さんが本当に言いたかったのは、ケジメをつけなさいっていうことじゃないのかな。ゆう君に、時間を決めて、一生懸命にいろんなことをやって欲しいんじゃないかな?テレビも、漫画も、ゲームも、ゴロゴロするのも、そして学校の宿題も、時間を決めて集中して一生懸命に。」


「漫画もゲームも、一生懸命に?」



「そう、たくさんのこと、一生懸命に。ゆう君みたいな歳の時に、好きなことも好きじゃないことも、できそうなこともできそうにないことも、一生懸命にがむしゃらにたくさんやっていって欲しいな。」


「でも、好きじゃないことや、できそうにないことをやるのって、あんまり意味無いんじゃないのかなぁ。」



「そんなことないよ。できるかできないかなんて、やってみないと分からないだろ?少しくらいやってみるだけじゃ何も分からないよ。思い切りやっても、失敗したり、結局できなかったりすることもあると思う。それでも、あとから考えてみると、それが力になっているんだな。だって、好きなこととか、できてしまうことって、もっとできるかもしれないし、100%力を出し切れていないかもしれない。思い切り、もう限界!!というくらいやってみて、できなかったとしても、力を出し切ったっていうことだから、素晴らしいと思うよ。それからまた、自分にぴったりな別なこと探せばいいしね。」


「でも、少しだけやって駄目だったら、嫌になって、すぐ限界ってなっちゃいそう。」


「確かにね。できないことって、すぐ嫌になってあきらめてしまいそうになるね。でも、そんな時って、目標とかゴールとか夢とかを、欲張って高くしすぎていることが多いんじゃないかな。目標の階段の段差が大きかったら、その半分、まだ大きかたったら、そのまた半分という具合に、自分で目標への進み方を変えていけばいいと思うよ。大きな段差を目の前にして、諦めてしまうよりよっぽどいい。でも、一歩一歩確実に理解しながら、上ることが難しいこともある。そんな時は目をつむって上ることも必要だ。後から下の段を見てみると、それまで分からなかったことも、よく理解できることが多い。その段差の決め方と上り方が【勉強の仕方】だって思うよ。」


「夢への階段の上り方……。」


「そう。夢は持つだけじゃなくて、少しずつは前進しなくちゃね。目標に向かって前進しながら、自分に向いていることと、向いていないこと、できることと、できないことの見分け方を身に付けるんだ。夢を見ることと、現実逃避することを混同しないためにね。」


「自分にぴったりなこと、見つけられるのかな。」



「いろんなことに興味を持っていれば、きっと、見つかるよ。例えば、ゲームが好きで、ゲームばかりしていたらどうなるかな。すごく上手くなると思うよ。でも、もっと上手い人がいたり、難しくてどうしてもクリアできなかったりしたら、自信なくなるだろうね。もしかしたら、世界一上手くなるかもしれないけど。でもそれって、一握りの人だけだと思う。」


「いろんなことに興味があれば、そうなっても大丈夫だね。これはアイツに負けるけど、これなら絶対負けない、とか思えそうだし。」



「うん。いろんな興味を見つけるところが、学校なんだね。したくない宿題とか、委員会とかクラブ活動とか、トイレ、飼育小屋の掃除当番とか、いろいろ経験して欲しいな。学校で言われている、しなくちゃいけないことのほとんどは、普通は誰でも嫌で面倒臭いものばかりだよ。先生もそう思うよ。」


「先生も宿題とか、めんどうくさかったんだ。」


「それがそうなんだね。でも、その中から少しだけ自分が興味を持てそうなことを見つけたよ。」


「少しだけ?その他は無駄だったんだ。」



「そうだね。でも、全部に興味出ちゃったら、一日何時間あっても足りなくなってしまうだろう?でも、何もしなかったら、それすら見つけられなかっただろうしね。たくさんのことやってみないと、自分に合っているのかどうかも分からないし。それに、たくさんの小さな成功や大きな失敗から、【勉強の仕方】を学んだよ。できなかったことをできなかったって思うのも、精一杯やり遂げたって思うのも、自分が決めることなんだよね。誰も決めてくれないんだから。それは、手を抜いてやるか、全力でやるかにかかっていると思う。自分に嘘をつくのは難しいからね。」


「いろんなことを試して、自分にぴったりなもの見つけたら、何だか自分の自信になりそうかも。」



「そうそう、自分の中の自信になる。たいていの人は、それより他人からの評価の方を気にしてしまう。本当の挫折に直面した時に力になるのは、他の人からの評価なんかより、自信、自分を信じる力なんだよ。たくさんの経験の中から、自分が選んだんだから、なにくそ!!ってね。生きるって自分に負けないってことなのかもしれないね。そのために、いろいろと経験する。少し、話が大きくなり過ぎちゃったね。」


「何となく少し分かったような気がする。」


「そう?無理はしても無茶はしないで、毎日の中でいろいろ目にして、耳にして、手にしていって欲しい。死ぬ気でやって、もしできなくても、本当に死ななくてもいい。別のことを探せばいい。世の中には、いろんなことが溢れているからね。学校をその場として、大いに利用しないとね。」


「うん、学校で勉強頑張ってみるよ。自分の何かを見つけられたらいいなぁ。」



「そうだね。【見つける】って言ったら、無理矢理探すみたいで何だか荷が重いけど、【気づく】って頭の中で言い換えればいいよ。焦らなくてもいいけど、手抜きはやっちゃだめだよ。それに、【勉強】っていうのは、机の上で教科書広げてやることばかりじゃないってことも覚えておくんだぞ。時には、【何もしないこと】も【勉強】だ。先生が大学生の時に、一年間大学に行かないで、遊んでいたことがあったんだ。先生のお父さんは、大学に行かないんだったら働けとか言わず、こう言ったんだ。『別に何かをしようとか思わなくてもいい。何もしないことを一生懸命やれ。』その一年間は、何もしないことを何となくではなく一生懸命やったよ。その時の経験が、大人になった今でも力になっているんだよ。」


「遊びも宿題も、やりたいこともやりたくないことも、とにかく、やってみるよ。」



「よし。遅くなってしまったね。先生が今日は家まで送っていってあげるからね。」


「やったぁ。」




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ふぅ、そこまで読んで、私は、インターネットブラウザの×印をクリックした。どこの誰が書いたのか分からない文章を偶然見つけて読んでいた。デスクトップの壁紙にリナの笑顔が映し出される。


夕刻の西日がディスプレイに反射し、笑顔に焦点を合わせ辛い。もうすぐ、リナが帰ってくる。いつも、勉強しなさい、勉強しなさいと言ってきた。勉強とはさせられるものだと思っていた。勉強の仕方なんてものはなく、生まれつきの頭の良し悪しで決まると思っていた。自分の事は棚に上げて、ただただ勉強しなさいと、繰り返してきた。


自分に劣等感を感じているんだろう。そんなこと、リナには見透かされているに違いない。親の価値観に当てはめてきた。リナが幼稚園の頃、園で飼っているうさぎを描いて、持って帰ってきてくれたことがあった。それは、ピンク色のうさぎの絵だった。


自分の成功体験をそのまま押し付け、失敗体験は無条件で避けさせた。あることができても、期待通りで、褒めてやるより、ほっとした気持ちの方が大きかった。あることに失敗しても、言ったのに何で分からないのと、励ますでも一緒に考えるでもなく、苛々していた。親と子は、影響し合い、良い方向へも悪い方向へも一緒にいってしまう。今日は自分の部屋に入ってしまうのを止めて、ゆっくり、自分の言葉で、話してみようか。


壁に掛けられた時計を確認する。 時間が無い、さぁ、夕食の支度を始めよう。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




そこで、僕は鉛筆を置いた。昨年から、教員免許の試験に小論文が加わった。【勉強をしなければならない理由】と、【学校に行かなければならない理由】についての小論文だ。


また、学生を卒業しても、すぐに教師にはなれず、三年以上社会に出ていないといけなくなった。溢れていた教師は数が不足し、何か対策をとらなければならないと、国も気づき始めていた。


明らかに、教師が経験不足なのだ。今までは、ただ会社員になりたくないという理由だけで、教師を選ぶ学生もいた。生徒も自分自身も説得できず、生徒の親とマスメディアの顔色を伺って、今日も事なきを得て、ほっとしている。モノや制度を作るより、子供一人と真剣に話すことは難しい。


何枚も用紙を追加で貰う僕を、試験官は変な目で見ている。制限の十枚はとっくに過ぎている。


今は望めば、どんな情報でもすぐ手に入る。大人が子供の頃に知らなかったことも、今の子供達はよく知っている。昔は、子供の疑問なんて大人にごまかされていたけど、今は違う。子供をごまかすんじゃない。子供に、真実を語るんじゃない。経験と理由を話してやるんだ。


あるのは現実だけだ。真実なんて、そんなものは無い。それは、ただの大人の価値観だ。


僕もこんな時代の異端児として排除されるのだろうか。それとも……。



 試験終了のチャイムが鳴った。

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