7.ゲームオーバー
最初に目に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。
「……っああぁ」
上体を起こし、背伸びをした後、ゆっくりと辺りを見回す。飾りっ気のない丸太組みの壁、質素なテーブルに椅子が二つ。窓から差し込む陽光が、室内を明るく照らし出している。見覚えのある部屋だったが、光源がランプから太陽に変わっただけで、随分と印象も違って見えた。
「……寝ちまった」
“魔導兵”の操縦を終えた後のことを、よくは覚えていなかった。考えてみれば、夜通しコントローラを握り悪鬼と戦い続けたのだ。仮眠を挟んだとはいえ、徹夜でゲームをやり込んだ状態と大差はなく、身体に蓄積された疲労もまた同様だった。むしろ、精神的な面を勘案すれば、やはり“魔導兵”の操作の方が堪えたかもしれなかった。
ベッドから降りると、窓から外の風景を見やった。木々までの距離は思いのほか近く、“魔導兵”を通じて見た光景によく似ている。白ローブが準備のためにと席を外していたことを考えれば、やはりこの家の庭先あたりがスタート地点だったのだろう。
窓に手を掛けると、存外簡単に開け放つことができた。柔らかな風が部屋に滑り込んでくる。太陽の位置からして、時分は昼前後といったところだろうか。
「お目覚めか」
ドアが開き、部屋の主が戻ってきたことを知らせた。手には持っているのは、陶器のポットだ。その中身はきっと、昨夜も振舞われたお茶だろう。
白ローブはテーブルまで歩み寄り、無言でポットの中身を木製のカップ二つにそれぞれ注いだ。独特の、それでいて嫌な感じはしない香りが漂ってくる。
「寝起きだ、喉が渇いているだろう」
「サンキュー」
礼を言いながら、差し出されたカップを受け取る。火傷するほどの熱さではないお茶は、すんなりと飲むことができた。むしろ、身体は思いのほか水分に飢えていたらしく、気が付けばカップの中身を一気に飲み干していた。
「悪かったな、ベッド占領しちまってさ」
友人の部屋へ泊まり込みで遊びに行き、睡魔にあっさりと負けてその寝床を独占した時の気まずさに近い感覚があった。そしてそれは、寝ている時より起きた時が特に辛い。
「気にするな、客人をもてなすのは家主の責務だ。それに、やることもあったのでな」
曰く、緊張の糸が切れて眠りの谷に転がり落ちていった客人をベッドに寝かせた後、悪鬼の死体を確認しに行ったのだという。野ざらしにしておいては宜しくない存在であるらしく、その亡骸を焼き払ったらしい。何がまずいのか、との問いには、他の動物が悪鬼の血肉を喰らうと魔獣に変貌する可能性があるからだ、との答えだった。狂暴化した野生生物の群れなど、近隣に居を構える者にとっては障害でしかない。当然の措置であると言えた。
悪鬼といえば、一つだけ疑問が残っている。答えも何となく予想はついていたが、それでも確認しておきたかった。
「そう言えばさ、悪鬼って喋れるんじゃなかったっけ?」
“魔導兵”を介して目にした悪鬼であるが、人の言葉を操る様を見た記憶がなかった。白ローブの当初の説明では、人語を介すると言われた記憶があったが、あれは方便だったのか。その疑問に対し、白ローブの男が用意していたのは、ある程度想像のとおりの回答であった。
「人語を操ると言うには語弊があった。言語ではない、魔を用いて心へ意思を伝える。一種の魔法と言っても良いだろう」
そして、心を持たない“魔導兵”とは意思の疎通ができなくて当然である、そういう理屈だ。予想どおりの回答を得て、思わず大きく頷いていた。
それから、と白ローブは言葉を続ける。曰く、悪鬼の躯の処分と同時に、“魔導兵”の回収も行ったらしい。一体目は操作練習の後、この家の付近に。三体目も役目を果たした後、同じくこの家のそばに。二体目のみ、悪鬼の火炎を受け操作不能になったため、その場に放置されていた。
「やっぱり、“魔導兵”も動物に影響あんの?」
悪鬼の骸がそうであるならば、“魔導兵”も同様なのだろうか、という疑問だ。魔を宿して動いていたとはいえ、元々は無機物の鎧だろう。動物が体内に取り込む心配はないのではないだろうか、そう思ったのだ。
「影響はない。――そうだな、心情的なものだ」
自らが秘術を用いて造り出した“魔導兵”が可愛かった、という事だろうか。理解できなくはないが、白ローブの口調にはいまいち腑に落ちないものがある。
「さて、最後の仕事に取り掛かろう。君を元の世界へ送り返さなければな」
会話の流れを切るように、白ローブの男は話を性急に進めた。確かに、白ローブに対する唯一の要求は、地球への帰還に他ならなかった。だが、この世界に召喚され、その役目を果たしたとなると、少しばかりの欲が出てきてしまう。
「帰るのはいつでもできるんだろ?」
せっかく、と表現するのは憚られるが、異世界に行くという経験は、この先の人生では望むことのできない、途轍もなく希少なものに違いない。帰還手段が確保されているのだから、地球とは異なる文化に触れてみたり、この地ならではの食材を口にしてみたいというのが人情ではないだろうか。簡潔に言えば、こういう事だった。
「ぶっちゃけ観光とかしたいんだけど、駄目かな?」
「……お勧めしない。一刻も早く、この地を離れるべきだ」
白ローブの言葉は、こちらのテンションとは異なり、かなり重いものだった。やんわりとした否定などではく、完全な拒絶だ。そしてそれは、忠告のようなニュアンスも含んでいるようだった。
「見るものがないとか、そういう理由? 俺、そういうのあんまり気にしないよ」
言葉を続けてみるも、白ローブの男は頭を振るばかりだ。これだけは譲れない、そういう意思が滲み出ているようだった。はぁ、とため息をつき、何とかこの朴念仁を説得できないかと考えを巡らせ始めた、その時だった。
コンコン、と乾いた木の音が、不意に室内に響く。誰かが、家のドアをノックしているのだろう。来客に違いなかった。
「時間はない、今すぐ君を元の世界へ――」
「失礼します」
「お邪魔しますね」
焦燥を隠さずに事を進めようとする白ローブの意思に反し、その扉は開いた。そこから姿を現したのは、数名の女性だった。全員、年の頃は二十歳前後だろうか。質素で線が出にくいゆったりとした服に身を包んでいる。手には各々バスケットを抱え、その中身は布に覆われているものや、大きな瓶、花など様々だった。
「――ここには立ち入らぬ約束だったはずだ」
女性陣に身体を向けながら、白ローブは強い口調でそう言い放った。こちらに背を向ける格好となり、その表情を窺い知ることはできない。しかし、その調子から険しい顔をしていることは想像に難くない。
「魔導士様、そちらのお方がそうなのですね?」
「鎧の兵士を操り、村を助けて下さったお方――」
投げかけられた言葉をまるで無視し、女性たちは白ローブに詰め寄っていく。白ローブのことを尊称で呼びながらも、有無を言わせない態度がどこか不自然に思えた。
女性たちの問い掛けに対し、白ローブは無言のまま両手を大きく広げた。君たちをこれ以上先に進ませない、召喚した者には触れさせない。そういう意思を体現しているかのようだった。
「何か思い違いをなさっていませんか? 魔導士様」
「私たち、お二人のために食事を作って参りました。あれだけの大事を成されたのです、さぞお腹もすいていらっしゃるでしょう?」
先頭に立つ栗毛色の髪の女性が微笑みながら、手にしたバスケットから布を取り払う。そこには、サンドイッチのようなものがぎっしと詰め込まれていた。それに呼応するように、女性たちが次々に布を取り払っていく。姿を見せたのは、肉料理、果物、ワインなど様々だ。
反射的に、唾を飲んでいた。ごくりと喉が鳴る。その音が自分にも聞こえてみっともないと思うが、よくよく考えればこの半日、白ローブに振舞われたお茶以外は口にしていない。腹も減って当然だった。
それに、思いがけず異世界の食に触れるチャンスを得たのだ。この申し出を断る理由が、見当たらなかった。
「いいじゃん、せっかくだしご馳走になろうぜ。俺、腹減ってるしさ」
テーブルに木製のカップを置き、そのまま白ローブへ歩み寄ると、その華奢な両肩をバンバンと叩いた。広げた両の腕を下げることなく、白ローブが首だけでこちらを振り返る。フードのせいで表情が読み取れないのはいつものとおりだが、その口元は決して笑ってはいない。
この状況で何をそんなに警戒しているのだろうか、正直理解できなかった。村の危機を救った立役者に、ささやかな宴を設けてくれると言っているだけではないか。
「好意は素直に受け取るべきじゃね? お前も座ろうぜ」
なおも肩を叩くと、ようやく白ローブはその腕を下げた。ため息を一つ吐き出すと、こちらに向かって小さく頷いた。
「――君がそこまで言うのなら」
「そうこなくちゃ」
白ローブと向かい合うようにテーブルに着くと、左右から女性たちが次々に料理を並べていった。てっきりバスケットを並べるだけかと思いきや、皿まで持参して盛り付けをするという準備の良さである。てきぱきと用意されていく宴席の準備に、驚きを隠せない。
「おおー! うまそう!」
見慣れた食材使っていると思われるものもあれば、そうでないものもある。どんな味がするのかは、全く予想がつかない。しかし、鼻腔をくすぐる香りはすこぶる良いもので、間違いなく旨いと歓声を上げてしまうだろうと思われた。
「折角ですから、お花も用意しますね」
一番小柄な、金髪の女性がバスケットに用意していた花束を取り出した。なるほど、食卓に文字通り花を添えるという趣らしい。見た目も華やかな演出に、頬は緩みっぱなしだ。
花を立てる器を取り出そうとしているのか、バスケットを床に置いたのか、ウェーブのかかった金髪が左の視野から消えていった。
「止めろ!!」
突如、対面の白ローブが立ち上がる。こちらに向かって手を伸ばし、何かを止めようとする必死の形相がフードの下に見て取れた。「お、結構イケメンだな」と初めて目にする白ローブの顔を評価したのも束の間、鈍い衝動が身体の左側から伝わってきた。
その方向を見ると、花の準備をしているはずの女性が、こちらにもたれ掛かってきていた。しかし、衝撃の正体はそれだけではない。金髪を揺らしながら、女性はゆっくりと離れていった。
「――え?」
女性が触れていた場所から、痛みが走った。今まで味わったことのない、身体の芯まで響くような鋭い痛みだ。ゆっくりと、目を痛みの発生源へと向ける。
そこにあったのは、左脇腹に深々と突き刺さる一本のナイフだった。
「うわああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
それを見てしまったが故なのか、痛覚が遅れて来ただけなのか、突如として襲い来る激痛に思わず声を上げていた。右手で傷のあたりを押さえてみるが、手にべっとりとまとわりつくものがある。確認するまでもない、相当な量の出血がある。
体勢を維持することがままならなくなり、額からテーブルに突っ伏した。料理が乗った更に頭を打ち付けてしまい、食卓の上がぐちゃぐちゃになる。が、そんな事を気にしている場合ではない。
「っぐうぅぅ……ど……どうし……て……?……」
頭が回らない。痛い。熱い。ただただ痛い。熱い。何故だ。痛い。何故こんな目に。痛い。熱い。痛い。村を救ったはずなのに、どうして。痛い。痛い。熱い。
「うちの子の……シルヴィアの仇よ!」
ナイフを突き立てたであろう、金髪の女性がそう声を張り上げた。
子供の仇? どういう事だ? シルヴィアという子供が悪鬼の正体だったのか? 分からない。何も分からない。分かるのはこの消えない激痛と、流れ出る血が止められないということだけだ。
「そこを退け!」
白ローブの男が怒声を発しているのが聞こえる。どこかに行こうとしているのを、女性たちに阻まれているようだ。治癒術師、行かせません、邪魔をしないでくださいなど断片的な言葉は聞き取れるが、徐々にそれらも遠いどこか発せられる音のように聞き取れなくなってきた。
目を開けているのが辛い。自分では目を開けているつもりなのに、視界は黒く塗りつぶされていく。全身から力が抜けていく。
「……俺が……何した……ってん……だ……」
それが、最後の思考になった。
明日の更新で完結となります。
よろしくお願いします。




