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3.電源オン

 白ローブの男に少し待っていろと言われ、部屋で一人になってからどれくらいの時間が経っただろう。質素な木製のカップで提供されたお茶――少なくとも紅茶や緑茶ではない――も、随分とその熱を失ってしまっていた。片手でカップを掴み、その中身を一気に呷る。程よく冷えたお茶は、喉に潤いと爽やかな喉越しをもたらした。


 ふぅ、と息を小さく吐き出す。

 部屋の中を見渡しても時計のようなものはないし、スマートフォンに代表される電子機器の類は自宅のテーブルに投げ出してきたっきりだ。正確にどれだけの時間が経過したか知る術はないが、それでも大分待たされているような気がする。

 カップを机に置くと、視界の端にコントローラが見えた。身体を軽く乗り出し、コントローラを手にする。

 十字の形をしたボタンが左側に、四種類のマークが入ったボタンが右側に、それぞれ親指で操作することを想定しているであろうスティックが二本その内側に。人差し指と中指を伸ばすと実にフィットする場所にボタンが二つ左右それぞれに。触感はプラスチックのそれではなく木製だが、丹念に磨き上げたのだろうか、現物と比べても違和感のない仕上がりだ。


「準備ができた」


 部屋の扉を開け、白ローブが戻ってきた。若干息が上がったような調子なのは気のせいだろうか。よく見れば、ローブの袖がうっすらと水気を帯びて斑に変色していた。


「で、具体にどうすりゃいいのさ?」


 敢えて聞くことでもないと思い、先の話を促した。自分に任せたいという仕事をさっさと片付け、元の世界に戻りたいというのが隠すまでもなく本音だ。白ローブの体調など、究極的に言ってしまえばどうでもいいことだ。自分を無事に送り返してくれればそれでよい。


「そう急かすな。手順というものがある」


 部屋を出ていく前に淹れていった茶を飲みながら、白ローブは息を整えていた。一口、二口と飲み進めるうちに、呼吸は大分整ったようだった。

 さて、と小さく呟き、白ローブはテーブルの対面に腰を落ちつけた。ローブの懐から薄い朱色の液体で満たされた小瓶を取り出し、言葉を繋いだ。


「これから、この液体で君の目と耳に魔法で膜を張る。“魔導兵”と視覚と聴覚を共有するものだ」


 目と耳に膜、と言われ、また心が落ち着きを失う。まさか視力と聴力を失うことになったりするのではないか、という漠然とした不安が芽生えてくる。先に説明を受けていたとはいえ、直接的なものだとは思いもしなかった。

 そんな想いが表情に出ていたのか、白ローブの男は間髪入れずに説明を流し込んできた。


「君に危害を加える気など毛の先ほどもない。時間的な余裕は、そんなにないのだから」


 苦笑混じりに吐き出されたのは、わざわざそんなことをするために異世界から人間一人を召喚するほど暇ではない、そういうニュアンスを含んだ言葉でもあった。

 理屈が通った話を聞き、安堵した。強張っていた肩から、すっと力が抜ける。

 そうだ、この白ローブの男は困っている。苦し紛れに自分の師匠が遺した秘術“魔導兵”を再現し、それを自分に操作させてこの境地を乗り越えようとしているのだ。明確な害意があるのならば、こんな回りくどい設定や、緻密に再現されたコントローラなど用意したりはしないだろう。


「決心はついたか? なら、始めよう」


 こちらの不安が霧散したことを察したのだろう、白ローブは小瓶のコルクを外した。左手に瓶の中身をゆっくりと垂らす。液体は粘度が高いのだろう、ねっとりと白ローブの手にまとわりつき、テーブルにこぼれる事はなかった。白ローブは小瓶を置き、空いた右手も薄朱色の液体に絡め、両手を擦り合わせ液体を伸ばしていく。不思議なことに、水音など全くない。

 何をしているのか興味が強くなり、首を伸ばして覗き込もうとした、その時だった。白ローブが両手を広げると、液体が大きく膨らんだ。まるで巨大なシャボン玉が両掌にくっついている、そんな状況だ。


「手品……じゃ、ねぇよな」


 シャボン玉の表面には、朱の線が揺らめきながら走っている。波に踊らされるロープのように、一定の動きはないが、決して切れることはないように見えた。


「これが、さっき教えた膜だ。目は瞑っていた方が良い」


 白ローブの両手が、目前に迫る。言われるまでもなく、目は固く閉じていた。

 五秒。十秒。何も起こらない。

 十五秒。二十秒。何かが触れたような感覚は、訪れなかった。


「……おい! 終わったのか?」


「ああ、もう大丈夫だ」


 白ローブの声に応じて、ゆっくりと目を開ける。

 だが、変化はなかった。視界は先ほどから何一つ変わっていない。


「本当に終わったの、コレ?」


 あまりにあっさりと終わってしまった魔法に、完全に拍子抜けしてしまった。激しい光を伴うことも、劇的な転変もない。素っ頓狂な声が自然と漏れ出していた。


「終わった。準備は」


 これを忘れるなよ、と白ローブの男は、コントローラを手渡してきた。それを受け取り、いつものように両手でそっと握りこむ。無駄な力を極力込めず、いつでも反応できるよう身体と心の準備を整える。


「始めようか」


「ああ、ゲームを始めようぜ」


 コントローラを渡した男と、受け取った男。触れ合うほど近い距離にいる二人の心には、途轍もない温度差がある。


 それに気づいているのは、白いローブを纏った男だけだった。

書きなれないため、一話一話の文章量が安定しておらず、お恥ずかしい限り。

残り四話分も同様の傾向がございます。

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