しょぱん(陽)
鹿さん食べられちゃった。
公園で日夜死者蘇生術を試みる「久瀬浩樹」君が童話の朗読を終え、イソップ寓話集の文庫本(岩波書店さん発巻)を閉じるとさ私に丁寧にそれを渡す。
「面白かったけど、ちょっと悲しい物語だったね」
浩樹君がベンチに腰掛ける私の横にそっと座り直す。
「あぁ。傲慢な心が鹿を死に追いやったんだな」
「え?違うよ、悪いのは騙した狐さんだよ?」
浩樹君が溜息をついてそれを否定する。
「芽衣さん、童話っていうのは大抵教訓を含んだ構成になっていて、真意を読みとらないと」
「違うもん、狐さんが変な事を鹿に吹き込まなければ鹿さんは食べられ無かったもん」
「……そうだけど、ライオンがライオンである限りまた別の鹿が食べられる。それが狐かも知れないし」
「じゃあ悪いのはライオンだね」
「いや、ライオンは伏せって動けなかった。そのままでは野たれ死んでた。芽衣さんは見殺しにするのか?」
「嫌、そんな事出来ない」
「じゃあどうする?」
「草を食べてもらう」
「消化不良と栄養失調で死んでしまうよ」
「なら……弱り切って死にそうな鹿さんを見つけて差し出す」
「……結局、芽衣さんも狐じゃないか」
「あれ?本当だ。そう考えたら狐さんが動けない友達の為に頑張ったいい子に見えてくるね」
「そうだな。だけど、最後の最後に狐はライオンのおこぼれを貰うんだ。鹿の心臓を」
分からなくなってきた。何が正しくて何が悪いのか。
「心臓を?」
「あぁ。結局、貰うもんはもらってるのさ」
「うーん……じゃあ悪いのは誰?」
「だから、自分の傲慢から来る行動で身を滅ぼすなって事だよ」
「じゃあ……結局鹿さんの心が悪かったんだね」
「狐が一枚上手だって事も言える」
「すごいね。世渡り上手だね」
「あぁ。ホントに。僕とは違うよ」
「私とも違うよ。浩樹君は本当は狐にもなれるのに、それをしないのは誠実だからだね」
「僕が?まさか?」
浩樹君が自嘲気味に笑うと手にしていた書物を広げて読み始める。浩樹君は私なんかよりも賢くて未来もある。本当は全部分かってるんだ。どうすれば生きやすいかという事も。でも君はあえてそれを選ばない。死んだ友達の為に。私は見えないけど、それぐらい分かる。
「芽衣さん」
「何かな?」
「あんたは僕に学校行けって注意しないんだな」
浩樹君は友達がクラスのいじめにあって助けられ無かった事を悔やんで登校拒否の状態にある。けど、私にそれを叱る権利なんか無いと思う。
「私も学校行って無いからね」
「そりゃそうだけど、芽衣さんと僕は違うから」
見えないからかな?
「私なら同世代の子と一緒に同じ授業受けたりしたいけどなぁ」
「僕は嫌だよ。その中にはあいつを苛めた奴らもいる。僕は許せない、あいつらを絶対」
浩樹君が怒っている。
「浩樹君は許せないんだね」
自分の事が。
「あぁ。あいつら親の影に隠れやがって。絶対に引き吊り出してやる」
「それは誰の為?」
「だって、このままじゃ死んだ良平が報われ無い」
「良平君はホントにそんなこと望んでいるのかな?」
浩樹君が乱暴に分厚い魔法書を閉じるとベンチから立ち上がる。
「だから本人に聞くんだっ!」
私は浩樹君の悲しみを心に感じて胸に手を置く。
それからずっと浩樹君は幾つもの魔法陣を地面に描き続けて止まらない。
それを叶える事が出来ないのは本人もよく分かっているのに。止められ無いんだね。私は傍観者。だからそれ以上は踏み込めない。
「浩樹君、私そろそろ行くね?」
「うん。怒鳴ってごめん」
「また明日ね」
私が立ちあがって手を振るとそれに手を振って答えてくれる気配がした。
私は、私は彼に何をしてあげられるんだろう。
自分の為に必死に頑張る友達を、向こう側の世界からただ見つめ続けるだけしか出来ない良平君に。
肌に受ける太陽の照り具合から、今は大体10時ぐらいだと思う。
私は八ツ森市の北丘駅前まで歩いて来て贔屓にしているパン屋さん「しょぱん」に辿りつく。駅前ともなればそれなりに人でごった返しているので歩くのにも注意が必要で慎重に人にぶつからない様にするのが大変。
パンの焼ける良い匂いを鼻に感じながらお店の扉を開くと、来客を知らせるベルがカランコロンと音を立てる。草原でヤギとかを呼び寄せる為のベルの音。
「あっ、イラッシャイ。芽衣ちゃん」
「こんにちわ。ケーラさん!」
声の感じで分かる。店の奥で恐らくレジの前に立って居る人はいつも私に親切にしてくれるパン屋のケーラさんだ。多分、美人さん。
ケーラさんが別の人にレジ番を頼むと、私の横に着いて一緒にパンを選んでくれる。ケーラさんの細くてしなやかな指が私の片腕に触れて案内してくれる。その手の温かさが私は大好きだ。きっとパン生地の酵母菌達もそう感じているに違いない。じゃぱん。
「今日の気分は何かしラ?」
「んーっとね、最初はカレーパンが食べたかったんだけど、チョココルネが食べたくなって、今はまた変わったかも」
「カレーパンにチョココロネか……。ちょっと待ってね」
そういうとケーラさんが次々と私の顔の近くにパンを持ってきて匂いを嗅がせてくれる。使用具材や色、形まで丁寧に。お仕事の最中なのに迷惑じゃないのかな?私にとってはこの毎朝のやりとりも貴重な日課で大切なのだけど。
「ケーラさん、お仕事大丈夫?」
気のせいか店内が騒がしくなってきた気がする。
「いいの。芽衣さんはえっと、アレです。上取引相手サマ?だからこれも接待なのデス」
「わーい」
もう完全にお言葉に甘えてしまおう。毎日くるとは言っても小ぶりの食パンと私のお昼に食べる為のパンを幾つか買うだけなんだけどね。
「あっえ!?」
ケーラさんが突然驚いた様な声をあげる。
「(芽衣さん、この頭に乗っけている雀のヌイグルミは本物ですカ?今、瞬きした気がします!)」
あ、完全に忘れてた。すっかり私の一部の様に同化してて忘れてたよ。パンの耳貰わないと。
「ケーラさん、この子の為にパンの耳貰ってもいいですか?」
「え、えぇ。イイワヨ?(雀さん、大人しくしていて下さいね?バレたら私が店長に怒られちゃうんですからネ)」
私の頭上に鎮座する雀にケーラさんが内緒話して、それに雀さんが「チュン」と頷く様に答えた。すごい、ケーラさん。
「あ、芽衣さん。今日もあの休憩場所に寄りますか?」
「うん。梟公園の例の場所で休憩を鋏むつもり。あっ!ケーラさん、ここ、飲み物売ってないですか?」
ケーラさんが私の全身を見渡す視線を感じる。
「あ、いつもの水筒がありませんネ」
「そうなの。由々しき事態」
「それなら一本私からサービスさせて貰いますネ」
「いえ、いいですよ!お代はきちんと」
「違うんでス!今日のお昼、何個かお店の試作品を芽衣さんに試して頂きたくて。あ、大丈夫です、店長にきちんと了解を得ていますからネ」
ケーラさんが振り返って、お店の奥に居る店長と合図を送り合っている気がする。
「じゃあ今日は、パンのフルコースですね!」
「フフッ、そうなります。試作品限定ですけどネ。あ、いつもの食パンの他に、芽衣さんお昼のパンは今回は止めておきますか?」
「いえ、今日はオーソドックスなメロンパンでお願いします!」
今日の楽しみが増えました。
私はお店で食パンとメロンパン、そしてペットボトルの午後ティー(レモン)、あとパンの耳を手に入れると再び散歩道を歩き出しました。
駅前から少し距離のある梟公園は八ツ森の北方に広がる森と住宅街の境目にある大きな公園です。次はそこを目指します。
体重は軽いですが、こう見えて散歩で鍛えられた足は強脚なのです。
次の目的地は
3つめの じぶんのばしょ 。