悪夢(陽\陰)
時々私は嫌な夢を見ます。
それはある日行方不明になった兄の夢です。私が6歳の時、突然私の前から姿を消したのです。最後に兄と交わした言葉も顔も声も表情も上手く思い出す事ができません。母の話では私と兄はある事件に巻き込まれ、その時に亡くなったそうなのです。しかし、私には今も何処かで兄が生きている気がするのです。だって私は兄の最後の姿を見ていないのですから。
これはきっとただの悪い夢。
私はその夢の中で6歳ぐらいで前を歩く兄の後ろをトテトテと必死に着いていきます。懸命に足を動かし、手を伸ばすと兄の少し大きな手を握ります。この夢の色彩は鮮やかに私の脳内に記憶されています。私はこの後起きる惨劇以降、プツリと正常な色彩の記憶がありません。
夕刻が過ぎ去り、車道に等間隔に並ぶ丸い街灯がチカチカと点滅を始め、暗い道路を部分的に浮かび上がらせています。街灯に照らされていない箇所がまるで奈落の底に繋がる常闇の様に思え、私は不安になって兄に声を掛けます。
「お兄ちゃん、いつもと道違うね?」
振り向いた兄の顔は私の夢ではいつも奇怪な仮面を被った不気味な顔をしています。私は怖くなって必死に手を振りほどくと、お兄ちゃんを連れて逃げようとします。兄の上空に気味の悪い大きな獅子舞の様な仮面のバケモノが浮かんでいたからです。
「お兄ちゃん!逃げよ!」
兄の両腕が今度は私の左右の腕を掴み、その場から動けなくなってしまいました。私は兄では無くその頭上に浮かぶ仮面のバケモノを見つめます。バケモノの大きく節くれだった指先から細い糸が伸び、兄の身体に伸びていました。まるで操り人形の様に。もう私の知る優しい兄はどこにもいませんでした。獅子舞の様な仮面の化け物が何かを呟いた後、身の丈以上の大きな口を広げてそのまま兄に噛み付いてしまいました。私を掴んだその両腕だけを残して兄の身体が切断され、獅子舞の怪物に口の中で細かく咀嚼されていきます。その溢れ出た肉片と血液が私の体に降り注いでゆきます。
獅子舞の怪物が笑いながら兄の身体だった肉片を吐き出すと、血塗れな口が再び大きく開きます。その口の中には鋭利な歯が並び、粉々に砕かれてしまうでしょう。私は恐怖というより怒りを抱きます。兄と遊んだ記憶がひしめき合い、私の口から悲痛の声が絞り出されます。
意識を黒く塗りつぶしていく様な怒り。それが私の感情を高ぶらせ、恐怖すら搔き消してしまいます。私は兄の腕をぶら下げたままその手を伸ばします。
意識を失う刹那の瞬間、背後から声が聞こえ、私の魂に誰かが触れた様な気がしました。
その夢の光景を最後に、私の世界から色彩が消え、病院で目を覚ました私の眼球はくり抜かれていました。
これはきっと夢。
悪い夢なのです。