天使(陽)
ケーラさんはパン屋の仕事に戻り、私も私の義務を全うするのです。
陽守芽依はおなかがいっぱいです。それはパン屋「しょぱん」の試作パン俺シリーズのフルコースをそこで働くお姉さんと食べたからです。
梟公園のベンチでパン屋のケーラさんと別れると、今度は八ツ森市を反時計回りに西へと目指します。目は見えませんが不思議と方角を間違えた事はありません。西岡駅を通って南ヶ原にたどり着いたら、そこから私の住んでいる八ツ森の東に位置する木漏日町へと帰宅します。それが私のお散歩ルートなのです。なのです。(復唱)
私の手の中にあったパンが入った袋やペットボトルは無くなり、右手に指揮棒を握るだけとなりました。あとは空色の肩掛け鞄に貴重品が入っているぐらいかな?
身軽になった私の体はパンエネルギーを燃やし、その歩みを進めます。人の気配や車の音に気をつけながら道の脇をスタスタと歩くのです。春風が心地よく、目元に巻かれた白いリボンを優しく揺らしています。きっと空は高く、蒼く澄み渡り、お日様燦然としているんだろうなぁ。私の目に映る世界にほとんど色彩はありません。
ただ不思議な事に微妙に色合いの違う光の輪郭が世界を朧気に浮かび上がらせているのです。そのおかげで私は眼球が無いのにも関わらずこうして大地を歩く事が出来るのです。私には出来る事が少ない。けど、こうして歩くことは出来るのです。
住宅街を歩いていると車の駆動音が聞こえてきて一台の車が止まります。
「芽依さん、今日も巡回ご苦労様です」
声をかけてくれたのはこの八ツ森市を巡回しているタクシーの運転手、杉村誠一さんです。この方だけは私のお散歩をパトロールと称してくださるので私の好感度は高いのです。
「いえ、杉村おじさんもご苦労様です。今日も八ツ森は平和の様ですね」
「そうだね。昨夜若者達が繁華街で騒ぎを起こしたぐらいであとは平和だね」
「夜はおじさんに任せます。私は夜は出歩かないのですです」
「あぁ。おじさんに任せといてくれ。じゃあちょっと用事があるからこれで失礼するよ」
「はい。お気を付けて」
私はタクトを持つ手で敬礼を行い、おじさんの車を見送る。
このタクシーのおじさんの娘さんも八ツ森で起きた事件の一つに巻き込まれてしまった。その前はどんな仕事していたかは教えてくれなかったけど、タクシー運転手をしながら八ツ森をこうして巡回している。
私もあの事件が無ければこうして町を一周するようなお散歩コースを辿らなかったと思う。
誰かが起こした悲惨な事件は残された私達に少なからず影響を与えています。もうそんな悲劇を繰り返してはいけないと。
西岡の駅に近付くにつれて街行く人々の喧騒は大きくなっていきます。
雑多としている中を歩くのは大変なので歩む速度を落とします。
不思議と人が多く集まる場所に人型の影は密集している様に思います。彼らが何者かは分からないけど、漂っているだけなので問題無さそう。逆に人気のない場所や建物の影に不思議な仮面を付けた人達をよく見かける事があります。誰かの目を気にするようにこちらを見てくる彼らは少し不気味ですが、この10年こちらに危害を加えるような事はしてきませんでしたのできっと安全。私の妄想が創り出した幻覚なのかも知れないけど。
そんな事を考えていたら数人の若い声の男の人達から声をかけられました。昼間にこの辺りを彷徨いているという事は不良生徒ということでしょうか。これは厄介です。
「銀髪のお姉さん、よくこの辺を歩いてるの見かけるけど毎日何してるの?それ指揮棒だし、目に布巻いて危なくない?」
数人の男が興味深々といった感じにこちらに痛いほど視線をぶつけてくるのが分かりました。主にリボンを巻いている両目に対してですが、それらの視線は私の体にも向けられている気がします。由々しき事態です。目の見えない私は他者の親切に助けられている分、他者の横暴には弱いのです。
「えっと、ただ散歩しているだけで、指揮棒なのは白杖だと歩くのに少し邪魔になるからで、目に布を巻いてるのは……」
するりと私の背後に誰かが回ると。私のリボンを解いてしまいました。力なく落ちてくリボンを慌てて拾おうとしますが、それを別の男の人が持ったまま返してくれません。
「あれ?お姉さん外人さん?銀色の睫も長いし、もしかして美人さん?」
私がリボンを返して貰おうと男の人の掲げている手に向かって指を伸ばしますが、上手く位置関係が分からないのでたぐり寄せる事が出来ません。ちなみに私は日本人で美人さんでも無いです。
「私は日本人です」
「なんで目隠ししてるの?そういう趣味なの?」
「目が見えないからです!」
「ふーん……お姉さんもこの時間帯にこの辺りを彷徨いてるって事は暇でしょ?俺達とちょっと遊ばない?」
私がリボンを取り戻そうとピョンピョン跳ねていると、他の男性が私の両肩に手を伸ばし、身動きをとれなくされてしまいます。
「見ての通り私は目が見えません。だから貴方達とは遊べませんよ」
数人の男達が小さな笑い声をあげています。その声のおぞましさと彼らの放つ僅かな光も消え、黒く塗りつぶされていくようでした。
「お姉さんはただじっとしていればそれで……あとは俺達がきっちりと楽しませてあげるから……ぶへっ!!」
私と話していた男の子が叫び声をあげながら地面に吹き飛ばされてしまいました。
「なんだお前っ!!」
次に悲鳴が聞こえてきたのは私の背後からでした。その衝撃と共に私の両肩を掴んでいた男性が引き剥がされて尻餅をついた様でした。殴られたのか苦しみに喘ぐ声が聞こえてきます。
誰かが助けに来てくれた様です。
あ、この匂いは。
「腐れ不良どもに名乗る名など無い。芽依お姉様に気安く触れるなど私が許さない」
毎朝、私に挨拶をしてくれる亘理紗凪ちゃんだ。
いつも私のピンチに駆けつけてくれる私の騎士の様な中学生の女の子。
「なんで体操着なんだよ!」
男の子の言葉を無視して私に声をかけてくれる紗凪ちゃん。
「お怪我はありませんか?芽依お姉様?あとは任せて下さい」
「うん。大丈夫だよ?ちょっと面倒くさかっただけ」
数人の男達が紗凪ちゃんをとり囲んで仕返しをしようとしている。
「舐めやがって。まとめて連れてくぞ!!」
「おぅ!」というかけ声とともに、一斉に男達が紗凪ちゃんに飛びかかるけど、そこに紗凪ちゃんの姿は無くて次々と男の人を叩き潰していくのが音で分かった。襲いかかる男を軽々と投げ飛ばし、ついには全滅させてしまった。地面の方で男の人達の呻く声が聞こえてくる。
スタリと私の前に紗凪ちゃんが立つと、男の人に掴まれた両肩を優しく叩いてくれる。
「芽依お姉さま、この辺りは散歩コースから外しましょう」
「ううん。ダメ。私はこの人達の事も含めて八ツ森の安全を守りたいの」
紗凪ちゃんが呆れた様に溜息をつく。
「ならここで私がこいつらを二度と出歩けない様にしておきます」
倒れていた男の子の手元からカチリという音が聞こえて紗凪ちゃんに向かって突進してくる。そのシルエットからそれが刃物の類だと判別出来る。私は紗凪ちゃんに前から抱きつくとくるりと体を反転させてその間に体を割って入らせる。私を助けようとしてくれた人にそんな怪我、させられない。紗凪ちゃんが嬉しそうな悲鳴を上げながら私に抱きついてくる。
「いつもありがとうね」
「芽依お姉様?」
男の人の突き出すナイフがどんどんと私に迫る中、突然何かが弾ける様な破裂音が辺りに鳴り響いた。
その破裂音にその場にいた誰もが驚いて腰を抜かす。私と紗凪ちゃんも例外なくその場にへたりこむ。ナイフを持った男の人もそれは同じで私の横を掠めるように地面に転がる。
「痛っ、何だお前!?」
もう一度破裂音が響いたかと思うと男の人の手元から金属音が聞こえてナイフがどこかに弾け飛んでしまった。
ツカツカと靴音を響かせながら、私の目に黄金に輝くシルエットが現れ、芯の通った厳しい少女の声が聞こえてきた。
「その少女に打ちのめされた段階で大人しく下がっていれば見逃していたものを。ナイフの不当所持と暴行容疑でお前等を補導する」
その後、立て続けに破裂音が3回聞こえたかと思うと、私を囲んでいた男の人達が悲鳴を上げてその場から逃げ出していくのが分かった。
輝く人から聞こえた破裂音は銃声なのかも知れない。警察の人かな?
「芽依お姉様!お怪我は?!」
尻餅をついていた私を紗凪ちゃんが起こしてくれる。黄金の光を湛えた少女が私の近くに落ちていたリボンを拾うと優しくそれを渡してくれる。
「君のものだろ?」
私は何度も頷いてそれを受け取る。
「待って下さい!私が」
紗凪ちゃんが受け取ったリボンを私からとるとするりと慣れた手付きでそれを私の両目に巻いてくれる。
「ん?少女よ、リボンを巻く位置がズレているぞ?下に行きすぎて目にかかってしまっているぞ?」
黄金に輝く少女が首を傾げながら紗凪ちゃんに間違いを指摘してくれる。けど、それで正解。
「あっ、いいんですよ。それで正解です。私、全盲なので目にリボンを巻いて貰っているんです」
「出来ましたよ、芽依お姉さま」
うん、きつすぎず、緩すぎず、いい感じ。
「そうか……それは失礼した。だが、尚更無茶はするな」
「はい。気をつけます」
紗凪ちゃんは男の人がナイフを持って近付いて来たことに気づいていないみたいだった。
黄金に輝く少女の後ろに、同じ様な輝きを持った男の人がやって来て少女に声をかける。
「お嬢様、そろそろ」
「あぁ。分かっている。とにかく君は嫌でも目立つ銀色の髪をしているんだ。あまり不用意に一人で出歩くな。そこの体操着の少女もまずは助けを呼びなさい。たまたま私が通りかかったからいいものを」
私達に注意を促し、立ち去ろうとする少女の輝きがあまりにも綺麗でつい私は言葉に出してしまう。
「綺麗……こんなに輝いている人、初めて見た」
足音を立てて立ち去ろうとする彼女の音が止まり、くるりとこちらに向き直る。
「それはただの誉め言葉か?」
「いえ、私には貴女が黄金に光り輝いて見えます。光は弱いですが後ろのお付きの方達も」
しばらく間があった後、その黄金の少女が口を開く。
「君の名前は?」
「陽守……陽守芽依です」
「そうか。私の名前は天ノ宮サリア。八ツ森特殊部隊Nephilimの隊長だ。何か気になる事があれば警察にかけてくるといい。私の名前を出せば繋がるはずだ」
「は……はい?ありがとうございます」
「失礼する」
黄金に輝く人達は車に乗り込むとそのまま私達の前から消えてしまった。近くに立っていた紗凪ちゃんが何故か震えている。ごめんね怖い思いをさせて。
「黄金に輝く真っ直ぐストレートなプラチナブロンド。澄み切った綺麗な蒼い瞳!それに加えて非の打ち所が無い完璧なモデル体型!!サリアお姉様っ!!」
あっ、違う。
私の他に紗凪ちゃんの新しいお姉様が出来たようだ。
「くそっ、なんなんだあいつら!」(不良A)
「ナイフはまずいでしょ、ナイフは」(B)
「ちょ、ちょっとびびらしてやろうかと」(A)
「それにしても……」(B)
「あぁ。カラオケ一緒に行きたかったな。俺達の歌を聴いて貰えればきっと惚れられたはず!」(A)
「銀髪の盲目美少女か……一生養ってあげたい」(B)
「あのやたらと強い体操着の女の子と制服姿の金髪美女も可愛かったな」
「うんうん」(街の不良達)
「な、ナイフ!?あの男ども!今度見つけたらその腕へし折ってやる!!」(亘理紗凪)
「まぁまぁ。それよりなんで私のピンチがわかったの?」(陽守芽依)
「へっ?!あ、愛のパワーです!(盗聴器を仕掛けてるなんて言えない)」(亘理紗凪)
「天ノ宮サリアさんに早速相談しようかな……(鞄の中かな?)」(陽守芽依)