パンソムリエ(陽/陰)
パン屋で働くケーラさんが自転車を押しながら私の横に並んで一緒に歩く。近くに水の流れる音を耳に感じてケーラさんが自転車のスタンドを立てる音がしてその手が私の右手に触れ、四人掛けベンチにエスコートされる私。
「芽依さん、着きましたヨ?」
私は左手に抱えていた袋をそっと右側におくとケーラさんが私の左側に腰掛ける。ケーラさんからは焼きたてパンの良い匂いとマーマレードジャムの香りがした。私は手探りで右側に置いた紙袋の中からパンの耳を入れた袋を取り出し、封を開けると細かく千切ってベンチの空きスペースにそれを並べる。
「チュン太、お昼ご飯だよ?」
私がそう合図すると私の頭の上に鎮座していた雀のチュン太(ケーラさんが名付け親)が嬉しそうに翼を羽ばたかせてパンの耳をついばみ始める。それに伴って数羽の雀も集まってきたようだ。さえずりが幾つも重なって聞こえてくる。
「チュン太とお友達も美味しそうに食べていますね。フフッ、木漏日町のしょぱんを宜しくね?」
ケーラさんの声はいつも抑揚の優しい心が和む声色でついついその心地よさに会話を忘れて聞入ってしまいそうになる。多分、カウンセラーに向いていると思う。彼女と話しているうちに小さな悩み事なんか消えてしまいそう。
「さぁ、芽依さん。うちの新作を早速試して貰えますカ?」
私が鼻息を荒くしてそれに頷くと、クスリと小さく笑われてしまった。服を汚さない様にしっかりとエプロンまで着用させてくれる。私は目が見えないのでよく食べ物を落としてしまうから。そしてウェットティッシュで丁寧に私の指先も拭いてくれる心遣い。
「今回の新作は男の人が食べても満足できるボリュームを目指した総菜パン「俺のパン」シリーズでス!」
ケーラさんが紙袋を漁る音が聞こえてきてその中の一つが取り出される。私はその匂いを敏感に感じ取ると構成素材名を並べていく。
「テリヤキチキンときんぴらゴボウの人参、ゴマ、レタスにマヨネーズ。そして豚チャーシュー・・・・・・だと?なんて贅沢なボリューム!こんなの女の子には食べられないよ!けど、男の人なら大満足!あとは素材のボリューム感が鍵を握る!」
ケーラさんが優しい笑い声をあげながらパンを割ると一層薫り高い香りが辺りに広がる。確かにこのこってり感は女性には重いかも、けど・・・・・・。ケーラさんが眼前にそれを掲げると私は空腹を我慢出来ずにお腹を鳴らす。
「さ、パンソムリエの芽依さん、第一のパン、俺のテリヤキです」
私が大きく口を開けるとケーラさんはそのパンをゆっくりと私の口の中に持ってきてくれる。ゆっくりそれを噛みしめると「あ、イタッ」とケーラさんが小さな悲鳴を上げる。ごめんなさい、少し、指を噛んじゃった。
「気にしないで下さい、そのまま食べてみて下さい」
私が租借を続けると口の中で程良い辛さのテリヤキソースの味付けがされたチキンと、味のついたチャーシューが絶妙なハミングを奏でながらその形を崩していく。そしてその合間に細かく切りそろえられたきんぴらゴボウが噛みしめる感触を楽しませてくれる。
「あぁ、おいひぃ」
私が最後の一口分まで味わうとケーラさんが緊張気味に感想を求めてくる。
「ど、どうですか?芽依ソムリエ?」
「鳥肉と豚肉を大きめにしているのがいい。反対にゴボウをアクセント程度に控えめにしている点や、隠し風味に醤油やごま油を使用しているのもグッドです。私の好みで言うとコーンがあれば嬉しいかな?」
「本当ですか?良かった。判りましたコーンは店長さんに言って盛り込む様にして貰います」
「ただ・・・・・・」
ケーラさんが私の言葉に怯える様に小さな悲鳴を上げる。
「多めのマヨネーズは減らすか、むしろ無い方が素材の味を引き立てられます。もしかしたらゴマ油もいらないかも。あとパン生地がもっとモッチリした方がいいかも知れません。芽依ジャッジは72点を指し示しています」
ケーラさんが少し残念そうな声をあげる。
「そうですか、確かに言われてみればそうかも知れませんね。ムグムグ」
私とケーラさんが食事を一緒にする時はいつも半分ずつ食べる。いつから始まった習慣かは忘れたけど、それはまるでお互いが自分自身の半身であるかの様に習慣化付いてしまった。
「確かにマヨが多い気がします。店長はマヨラーだからですネ。今回はマヨ抜きを強く提案してみます」
「お値段は?」
「この手の平サイズで400円で」
「却下。出せて300円よ。勉強し直しなさい」
「ひーん、勉強させて貰います」
ケーラさんが涙声で私に手持ちの暖かいストレートの紅茶を飲ませてくれる。仄かな茶葉の香りがテリヤキの風味を綺麗に口の中から消し去ってくれる。
「芽依さん!第二の俺パン!厚みベーコンと目玉焼きサンドです!」
私とケーラさんはその後もパンを繰り返し半分こしながら、試食を行なった。それが五回ぐらい繰り返されると私たちはお腹一杯になって両手を上げてギブアップする。
「さすが俺のパンシリーズ!すごいボリュームでしたね!」
「はい!私もすごくお腹一杯になりました。途中で少し芽依さんには多こっそり多めに食べて貰っていました」
「え、えぇ?!」
ケーラさんが申し訳なさそうに私に謝りながら再び暖かい紅茶を口元に運んでくれる。食事の用意を片づけると、そっと私の頭を撫でてくれる。
「チュン太が乗っていた所、少し乱れていました。あ、チュン太は他の雀達とどこかに行ってしまいました」
「そうだね」
「芽依、綺麗な銀色の髪ですね」
「そうかな?白髪じゃないんですか?」
「違います。やや紫がかった銀色の素敵な髪ですよ」
私は6歳の時、兄が死亡した事件に巻き込まれて以降、その黒髪は元の色を忘れてしまった様に銀色に変わってしまっているらしい。色が判らない私にはどう頑張っても確認出来ない。
「この髪色、目立つみたいで嫌なんですけどね?」
「いいと思います。遠くからでも芽依さんだって判るので便利です」
私はそっとケーラさんの居る方に向き直る。
「ケーラさんも煌めいていて綺麗です」
ケーラさんが少し照れた様に手を止めて座り直す。
「また、芽依さんのお話、聞かせて貰ってもいいですか?」
私は元気よくそれに返事をする。
その話の内容は私から見える世界のお話。
誰もその話を信じてくれないけど、ケーラさんはただ一人、頷きながら私の不思議な話を頷きながら聞いてくれる。
私の目から見える世界は少し違う。
黒い霧がかかる世界に物体の輪郭が仄かに輝いて見える。
黒い霧の世界に漂う影の様な住人達。
そしてその中に紛れる様にしてこちらを伺ってくる仮面をした奇妙な出で立ちを彼らの事を。彼らはその世界に於いてきっちりとした形を持ち、静かに音もなく存在していた。色々な形の仮面やマスクを付けた彼らは歯車やパイプ、ランプなど理科の実験で出てきそうな用具をゴテゴテと着飾った住人達だ。ちょっと素敵な彼らの姿は見えない私の作り出した妄想かも知れない。暗く寂しい世界に持ち込んだ私の願望の欠片。けど、ケーラさんだけはそんな私の話に耳を傾け、どこか懐かしそうにしている。
あ、今日見た浩樹君のお友達、良平君の事も話しておきたいな。
そしてもう一つ。
「ケーラさん、ごちそうさまでした」
「お粗末様でス」




