カレーの素性(1)
不定期掲載。16時ころ更新します。
――鋼をも貫こうかというその視線を受けながら、あの娘――ヤヤは顔色ひとつ変えず、こうつぶやいた。
「――わたしも、ここで待っている……」
それが聞こえたか、聞こえなかったか、あの女は粗暴な連中を従えると、フンっと顔を背けて、店から出て行った。
……ぽつねん、と残されたわたしたちは、どうすればよいのでしょうか……?
――ぐるっ、ぎゅ、ぎゅー!
あ、あれ? なんだかすぐ近くから、わたしのようなものには聞き慣れない音が……?
「――岡本、この音は……一体?」
「は、はい、お嬢様……申し上げるのも恐れ多きコトながら、空腹のあまりお嬢様のお腹の虫が哭いている音、ではないかと……」
な、なんですって!? い、いやしくも名家中の名家の令嬢にして次期当主のわたしが、このわたしの肢体の空腹を押さえきれず、勝手に世に訴えて出ていると申しますか!!
「なな、なんとかなさい。こここのようなはしたない姿、庶民のみなさんに見られでもしたら……」
あぁ、見られてます、見られてます! 店主と、ヤヤという娘がカウンターの方からこちらをじーっと!
「そ、そう申されましても、こればかりはお嬢様になにかお召し上がり頂くほかはなく、かといって、この店のカレーを頂こうにもあの娘が……」
ヤヤはちら、とこちらを見たあと目を伏せて、キラキラしたフォークをマントの端で一心不乱に磨いている。
店主は仕方がないという風にキッチンに入ると、なにかを食器によそってこちらに歩み寄ってきた。
コトリ、と音を立てて置かれたそれは、お皿いっぱいに盛りつけられた真っ白いご飯。
「あ、あの……?」
「はい? マドモアゼル」
「こ……これだけですの?」
「はい」
「え……。なにもなしで、この白いご飯をいただけ、と?」
「――Veuillez utiliser le sel si bon(よろしければ、塩をお使いください)」
「……つまり、これは……」
「――名付けて『エア・カレー』」
店主のあとを引き取ってキッパリと言ったのは、あのヤヤだ。
「……それであなたの空腹は、きっと満たされるはず。――さぁ、至高の味をそのライスの上に思い描いて、思う存分喰らうがよい……!」
あぁ、いちいちのお食事の度に、このような難儀な思いをしなければならないなんて……本当に、庶民の皆さまの生活は、大変ですコト!!
「――先ほどは、とんでもない目に合いましたわ!」
屋敷へ帰る車の中。
どうやらその『エア・かれぇ』とやら(つまり白いごはん)で空腹を埋められたわたしは、例によって岡本に当たることで鬱憤を晴らしていた。
「そもそも岡本、あなたがしっかりしていないから、あのようなことになるのです!」
「も、申し訳ありません」
「……光輝ある家系のわたくしが、よりにもよって、おかずもなしの白いごはんだけなどと……!」
とは言いながらもわたしは、先ほどの食事から得た不思議な感覚に思いを巡らせていた。
いつもの食卓では考えられない、たったひと皿だけの料理……いえ、料理とすらもいえない、真っ白に炊かれたお米だけのディナー。
しかしそれは、先の冬に訪れたスイス・マッターホルン山麓のゲレンデのごとき、気高き白さをそなえ、ほのかに香る甘みが口腔の唾液腺をゆるませる。
そして、わずかに振りかけたSel(お塩)がまたその香を引き立て、店に流れるあのカレーの匂いとやらが否応にも食欲を挑発する。
気がついたときにはわたし、わずか三分でひと皿の白いごはんをぺろり、と頂いちゃっていましたの。
「……あぁ、でもなんだか、こんなにお食事を美味しく頂いたのはひさしぶりかしら……。もしも、あのごはんに『かれぇのるぅ』とやらをたっぷりかけて食すことができたら、一体どんな……?」
ぼぉっと窓の外を眺めながらつぶやいたわたしに岡本が、
「――でしたらお嬢様、明日と言わず今晩の夜食にでも、屋敷のシェフに作らせてみては……」
「いけません! わたくしの『初めてのかれぇ』はあの店で、と決めたのです。その決意を翻すことなどわたくしの矜恃が許しません! それに……あの店の経営が傾いてしまった原因の一端は、つまり、わたくしにもあった、ということなのですから……」
そう。わたしがあのひと皿をいただいたあと、閉店したお店ではこのような会話が交わされていた。
「――肉が……手に入らないのです」
納得のいく料理ができない、これほど料理人にとって辛いこともなかろうと思うわたしの問いかけに、店主はそのように答えた。
「え……肉? お肉なら市場でも、街のお店屋さんでも……」
当たり前すぎるわたしの反応に店主は、
「あぁ、もちろん……普通のよいお肉ならばいくらでも手に入ります。対価さえ支払えば、ね。……だが、うちで使っている肉は……」
そう応じると物思いに沈んだ顔で口を閉ざした。
「特別なもの、なのですか?」
岡本の問いにあの娘――ヤヤが応じた。
「カレーの、カレーによる、カレーのための肉。それがここで使われていた食材」
「そ、それは一体、どういうお肉ですの?」
「……あなた自身で調べて。たぶん、それがこのお店にも、あなた自身にも最良の方法……!」




