カレーを知らない娘(4)
今後不定期に、16時ころ更新しようと思います。
わたしはキッと心を決めるとスプーンを片手にとりその得体の知れぬ食物を大きくひとすくいした。
かたずをのんで岡本が見守るなか、そのままゆっくりとスプーンを口元に近づける。
あぁ、これが禁断の初体験……。庶民の味とはいったい……? ゆっくり、ゆっくりとその不思議な刺激臭が近づいてくる。
「ごくり……」
スプーンを目の前にして、唾液を呑み込み唇を開こうとする。
「あぁ、パインバックのお嬢様ともあろうかたが……」
……この期に及んでいつまでもうっとうしいわね岡本。
「あーん」
と、わたしの可憐な唇にひと口目を入れようとした、その瞬間。
「――食べてはいけない!」
鋭い言葉とともに、わたしの手元で何かが一閃! 瞬時にスプーンが弾き飛ばされ、わたしの口は空気を咀嚼するばかりだった。
な……一体なにが……?
あたりを見回すと、岡本が目を細め、人差し指と中指で一本のフォークを受け止めている。その銀器の、鋭い歯と歯の間にわたしの持っていたスプーンは絡めとられ、その先端は……
「むぐぅ……」
……岡本。フォークに弾き飛ばされたスプーンを咄嗟に受け取ったのは良いが、たっぷりとその上に乗ったベリーベリーホットのかれぇは、その口中をもって受け止めてしまったようね。
「……か、辛い~~!!」
冷静を装っていた岡本は、しかし一瞬の後に口から火を出す勢いで飛び上がった。
「水、水を!! 衛生兵、えいせいへい~~」
意味不明のたわごとを叫びながら、あわてて駆けつけた店主の差し出した水をひと口。
「ぶふぅ! ――し、しかしなんだ? この、辛みが流された後のさわやかさ。……それに強烈なスパイスの刺激が、具材や肉の旨みを一層引き立てているようだ!」
なに? 岡本はわたしがいただくはずのかれぇライスを一足先に賞味してしまったの? なんという僭越! なんという無分別の極みかしら!
……ともあれ、この事態を招いた元凶が、この男ではないことは確かなようね。
――わたしの手元に飛んできたフォーク、一体この不遜な行為の張本人は……?
岡本と反対のほうに目をやると、カウンターの隅の席にわたしたちが店に入ったときからわだかまっていた小さな人影が、目深にかぶったキャスケット帽? の下から鋭い視線をこちらに向けている。
……おんな……女の子でしょうか、あれは……?
「――なんですの、あなた。このわたくしをパインバック家次期当主と知っての狼藉か?」
「……そうと聞けば、なお、あなたにこのカレーを食べさせるわけにはいかなくなった」
その視線の主は、マントともローブともつかない、鳶色の奇妙な衣装をまとい、そしてそれと同じ深い鳶色の瞳でこちらを射抜いている。
見たところ、わたしより背は低く、およそ……一五三~四センチくらいかしら?
その子のただならぬ生い立ちは鋭い表情から感じ取れるものの、容貌はいまだ大人の入り口にも入らないあどけなさをありありと残している。
たぶん、一三~四くらいの小娘じゃないのかしら。……しかし、それにしてはあの身のこなしは……?
火花を散らしながら視線をかわすわたしたちの張りつめた空気を破ったのは、意外な男だった。
「……ヤヤ、そのへんにしておきなさい。……お嬢さんにも、とんだ失礼をいたしました……」
意外にも低く澄んだ声であたしたちの間に割って入ってきたのは、ついさっきまでコトの成行きを手もなく見守っていた料理人だった。
「……失礼しました、お嬢さん。……このコはまぁ、ウチの常連でして……」
!? どういうことでしょう、純粋な和食の作法を使わないお食事処で、日本語なぞを耳にするなどとは?
「……よ、良いのですよ、ご主人。謝罪の気持ちがあるのならば、それを受け入れるのが高邁な度量というもの、でしょう」
――礼をつくしている(つもりの)相手には、こちらも同じ言葉で受け答えするのが相応でしょう。
「ただ……」
わたしは店の主人から、常連と紹介された娘に視線をうつす。
「そういった言葉は、コトを始めた張本人から聴きたいものですわね……」
その娘はいまやカウンターのスツールから腰を下ろし、小柄なその身を、しかし毅然とした態度でこちらに向けている。
「……あなた、名前は」
「ヤヤ……シズキ・ヤヤ」
夕食前のスパイスになればと思いましたが、ランチ前の投稿のほうがよい、などの御意見がございましたら、よろしくお願いします。




