至高の時間
「ふむ………ティナ」
「は………はい!!」
「こっちへ」
「分かりました!!」
会議が終わり、ゲオルグがティナを近くへと呼ぶ。ティナは尻尾を風切音がするんじゃないか思える程に全力で振り、その他の者はそれを羨ましそうに眺めた後、順に退室していく。フェリスだけは傍らに残っているが、どこか羨まし気に、しかし微笑みながらそれを見ていた。
「ん、ではそこに」
「はい!」
ティナはゲオルグの目の前に椅子を置き、そこに腰かけ背を向ける。背もたれがゲオルグの邪魔にならぬよう、横向きにである。
「では、いいか?」
「はい!よろしくお願いします!」
その声を確認してからゲオルグは自らの懐に手を入れて、櫛を取り出した。それを使って、ティナの髪を梳いてやる。
「くふっ………ふぁ……」
ティナが気持ちよさげな声を上げてそれを受け入れた。そう、これが会議の度に起こるイベント、ゲオルグによるブラッシングである。
会議自体はまだ三回目なのだが、初回の会議で精神的に疲れていたゲオルグが、終了直後にフェリスを捕まえその髪を梳き虎耳や尾を愛で、癒されているところを他の面子に見つかったことに端を発す。
ちなみに、ゲオルグがフェリスの耳や尾を触るようになったのは、新たな住人を迎えた次の週くらいのこと、屋敷に帰ったゲオルグが、いつものようにその髪を梳いていた時、ふと聞いてしまったのだ。「耳と尾を触ってもいいか?」、と。本人曰く、「疲れていて気付けば言葉にしていた、今となっては後悔はない、むしろ満足である」、とのこと。
その言葉を聞いたフェリスは二つ返事で了承した。元々、耳や尾を触らせることに大した意味合いはないのだそうだ。よくある物語だと、耳や尾を触らせるのは心に決めた人だけ、だとか、触った人は責任を取らなければならない、とかがあるが、この世界にはどうやらそんなものはないらしい。
もっと早く聞けばよかった、とゲオルグが思ったのは言うまでもない。変な所で現代人だった頃の知識が邪魔をした形である。
ただやはり耳などは敏感なようで、出来ればよく知らない相手や信頼出来ない相手には触らせたくない、ということはあるようだが。
兎に角、フェリスの虎の耳と尾を触る権利を獲得したゲオルグはモフった、思う存分モフった、やや固めの毛並みの耳を、尾を、眠りに就くまでモフった。時は顔を寄せ頬でその感触を堪能した。
フェリスが「んふっ………や……ん………あん……」、などと甘い吐息と共に体を震わせようがお構いなしである。普段、二人は二つのベッドで別々に眠るのだが、その日は同じベッドに連れ込んだ。字だけ見ると、いや行動そのものが既にアウトだが、それだけ飢えていたのである。フェリスも無論同意の上で、文字通りゲオルグが疲れて眠るまでそれは続いた。
ゲオルグに淡い想いを抱くフェリスが、その晩、眠りに就けなかったのは言うまでもないだろう。ベッドから抜け出そうにも、がっちりホールドされていたのだ。
ゲオルグの、獣耳に対する愛故に。
それしか言葉はあるまい。それからというもの、暇を見てはフェリスを捕まえて癒されていたゲオルグだが(その他にもよく住民を捕まえたりもしてるが)、それを会議に出席した面子に見られ、フェリスだけはズルい、となったのがこの行事である
「ティナはこれから忙しくなるからな………頑張ってくれよ」
「はい、ゲオルグ様のご期待………裏切らぬよう努力致します」
「ふふ、これは、魚料理に舌鼓を打つ日もそう遠くはないかもな」
恍惚とした表情を浮かべながら、可愛いことを言ってくれるティナ、その髪を存分に梳いた頃、ティナが眠ってしまわぬ内に次の段階へ移る。即ち、耳と尾である。
「やん………ちょっとくすぐったいです」
「ほう、ではこうか」
「あっ……ん……はふ……」
耳をこねくり回し尾を撫でると、最初はくすぐったいと身を捩っていたティナが、今度は艶っぽい声をあげ始めた。文字にして表すと、非常に危険な香りがするが、これはあくまでスキンシップである。
スキンシップである。
「兄さん、そろそろ」
「あと5分」
「うにゃぁ………やふ……」
ちょっとフェリスが不機嫌になってくるも、この魅力には抗えない。フェリスと同じ虎人族であるのにもかかわらず、その毛並みと感触はフェリスよりやや柔らかい。どちらが良いなどとは言わない、どちらも良いのだ。
フェリスから耳と尾に関する事を聞いた頃から箍が外れ、最近では隙を見て様々な種族の耳や尾を男女無差別にモフるゲオルグは、その僅かな違いにも個性を見いだし感動したものだ。無論、全員に許可は取っている。その結果、「ゲオルグ様は耳と尾を大層好まれる、触って頂きたくば念入りに手入れをすべし」、などと住民から言われ始めたのだが、それは本人は知らない。
一応、恋人のいる者達には遠慮していたのだが、そういう者達は両方を満遍なくやってやれば問題無いと最近判明した。「自分という恋人がありながらそんなことをさせるなんて」、ではなく、「恋人である自分を差し置いてそんな良い思いをするなんて」、などと言う怒り方をするなんて誰が予想しただろうか。
彼らにとってゲオルグとは、主である前に家族、親であるという認識らしい。親に可愛がられることに何の罪がある、強いて言うなら、親は全ての子に平等であって欲しい、と言うのが彼らの言い分である。
<この世の天国はここにあったのか………>
と思ったかはさておいて、やましさを内包しないゲオルグのスキンシップは獣人に概ね好評である。ただ、獣の耳と尾を持たぬエルフとドワーフが最近ちょっと寂しそうだったので、エルフはその人間より長く敏感な耳を軽く撫でたり、ドワーフはその筋肉質な体を労るように揉んでみたりしている。これも好評であるが、正直なところを言えば男のエルフやドワーフ、いや獣人もだが、それらが顔を赤らめ潤んだ瞳で見上げてくるのは別の意味で凄まじい打撃力である。
なのでゲオルグは、毎日最後にモフるのは必ず女性と決めている。どれだけの偉業を成そうが人望があろうが力があろうが、ゲオルグも感性は至って普通な男なのである。これに関しては男性陣からの同意も得ている。流石に結婚した者が出てきたらその者にまでこんなことをするつもりはないと明言してもいるが、これが後に、夫婦となった者はその配偶者と子供以外に耳と尾を触らせてはならない、という不文律の元となる。
ゲオルグ、つまり親でさえ触ることを遠慮するものを他人が触るべきではない、ということであるが、それが後々微妙に変化し、最終的には、プロポーズに対する返事に己の耳、或いは尾を触らせ、以降その相手以外には触らせない、というのが獣人族の風習として根付くのだが、それはしばらく先のことである。
そして、ティナを愛でるゲオルグは、そんなことになるなどと思いもしていない。ただただ今目の前にある獣耳と尾を愛でるだけである。
……………およそ5分後にフェリスに叱責されすごすご仕事に戻る姿が目撃されたそうだが。




