進歩
急な出張につき更新遅れました。
またすぐに出張とのことで、今月は更新が遅めになりそうです。なにとぞご容赦賜りたい。
7300名。
これは、現在のガルディナのおよその総人口。実際には、それを少し上回っている程度だ。
「……うん、中々どうして、良い雰囲気じゃないか」
ゲオルグは市場を歩きながら、一人呟く。
普段ならフェリスやジルがその傍にいてもおかしくはないのだが、フェリスは今「ナーちゃんの服屋さんで新色が出たって言ってたから、ちょっと見てくるね」と言い別行動(ナーちゃんとやらをゲオルグは知らない)。ジルは普通に職務の真っ最中である。
前回の増員からそろそろ4か月。帝国との次回の取引を目前に控え、今日は、議会メンバー全員に対し「休め」と命令を下した。
それでなくとも、議会の参加者というのはあらゆる組織のトップ、労働管理だけでなく自らも実務を行っている者達であり、その多忙さは街でも随一である。故に、こうして命令してでも休ませないと、彼、彼女らはいつまで経っても休みをとろうとしない。これがゲオルグの指示によるものとあれば大問題であるが、自発的にそうしているのだから尚困りものである。
<ま、言えば休むだけ良い方か……>
そもそも、現在の議会メンバーというのはそのほとんどが初期組。文字や計算をゲオルグが自ら教えた者達だが、当時から寝る間を惜しみ勉学に励もうとしていた連中である。今の仕事もその延長線上に捉えているのだろう。
思えば、その時からゲオルグが「休め」と言わなければ休まない気質ではあった。それだけ勉強を楽しいと思い、仕事にやりがいを感じてくれているのは心底嬉しく思うと同時に、それ以外の楽しみや趣味も見つけて貰いたいとも思う。とは言え、いまだ娯楽や嗜好品の少ないこの街では、それも限られてしまうのだが。
<もう少し……もう少しだ。帝国との間で正式な国交が結べれば、酒や衣類、或いはそれらに必要な素材も流れてくる。そうなれば、この街に新たな文化が生まれるのも、そう遠くはない>
現在、リュドミラが少しずつ帝国内の亜人排斥論派の貴族の切り崩しを行っている。逆に言えば、それ以外の派閥に関してはほぼ完了している、ということだろう。もしくは、障害と成り得ないと判断されたか。切り崩しも、このガルディナの資源の価値、そしてゲオルグという存在を味方につける意義、そしてそのゲオルグが積極的に亜人の保護を行っているという事実を元に彼らを説き、実際にガルディナから流れてきている金や銀、そしてそれらの加工品を示すことで、彼らに利を説くという至極真っ当な説得。
亜人排斥論派の貴族とて、元を正せば教会の影響を恐れて興った派閥であり、そもそも教会の影響が薄い帝国内ではそれほどの規模でもない。教会と敵対することによるデメリット以上のメリットを示せば、鞍替えするのもある意味当然の流れと言える。むしろ、これを機に教会の影響下からの脱却も図れるとなれば、それに乗らない理由もない筈。というのがリュドミラの考えであり、彼女がそう言うのであればそうなのだろう、というのがゲオルグの見解だ。
餅は餅屋。帝国のことは帝国の人間がなんとか出来るのであればそれが一番望ましい。それが困難であり、結果としてガルディナに悪影響が及ぶようならば、ゲオルグが手を貸すことになるだろうが。
<まぁ、それはこれからの流れ次第だな……今ここで俺が悩んだところでどうにもなるまい>
結局のところ、全ては帝国次第なのだからと気持ちを切り替え、ゲオルグは久し振りの市場の散策を楽しむことにした。
「あっ!!ゲオルグ様!!いかがですか、今日の朝入ったばかりの果物ですよ!!」
「果物より魚ですよ!!こちとら鮮度が命!!つい今しがた届いたばかりのがありますよ!!」
「魚はまだ高いじゃない!!それよりこの織物!!昨日出たばかりの新色ですよ!!ぜひ妹君に!!」
ゲオルグが一歩市場に足を踏み入れると、そこは活気に溢れた、人間の街に勝るとも劣らぬ賑わいを見せる大通り。絶えず人が流れ、そこかしこで談笑する人々。食堂から響く笑い声。露店から飛び交う威勢の良い売り文句。
「ん……悪くない」
人より優れた聴覚や嗅覚を持つ身としては、少々騒々しいと言わざるを得ない場所ではあるが、それでも、ゲオルグはそれを嫌ってはいなかった。着実に成長していく街を、肌で、耳で、鼻で、目で、感じる事ができる。
それは、何物にも代えがたい幸福。至福といっても良い空間。
「果物か……少し見せて貰おう。魚はまだ人口に対して流通が少ない、俺にではなく、他の住民に食べさせてやってくれ。織物だが、そちらは今フェリスが知り合いの服屋に見に行っているところだ。それに、俺に女性物を選ばせてもロクなことにはならんよ」
朗らかな雰囲気でゲオルグに語り掛ける人々に、笑顔で応対するゲオルグ。それは、新しくやって来た住民達には信じがたい光景だったのだろう。幾人かが驚いた表情で彼らのやりとりを見つめていた。
ドラグニル。ただ一人で歴史を作り得る力を持つ、高潔で気高い種族。
人の欲深さを嫌い、卑しさを嫌い、その手の届かぬ秘境に住むことを選んだ、伝説の存在。
時として人里に訪れては、貧しい者、病に侵されし者、怪我に苦しむ者。そういった人々に救いを与え、幸福をもたらす、実在せし神。
それが、帝国の人々の認識だ。そして、そこに住んでいた者達からすれば、目の前で繰り広げられる光景は奇跡にも等しい。
寒さと飢え、そして差別に苦しむ自分達を拾い上げてくれた彼が、自分の作り上げた街で住民達と気安い関係を構築し、まるで親兄弟の様に振舞う様は、自分達がこの世ならざる世界へ誘われたのではないかと錯覚してしまう程だ。
だがこれは現実。その神にも等しい彼が、自分達にもその笑みを向けてくれる、声を掛けてくれる。
「そちらの野菜屋の方は見覚えのない顔だな。帝国からの者、と思って良いか?」
「は……はいっ!!」
「ん、早く馴染めると良いな。なに、ここの者達は皆、心優しい者ばかりだ。場合によっては、俺が手を貸すよりも良いこともあろう。無論、どうにもならぬと思ったなら気軽に俺のところへ来い。いつでもとはいかぬだろうし、必ずしも解決できるとも限らないが、力を貸すこと、知恵を授けることくらいはできるだろうさ」
「そ……そのような恐れ多いこと……」
「そう距離を置かれてしまう方が余程心苦しい。俺は、支配者ではなく、常にお前たちの傍らに在る家族でありたい。家族に、遠慮や気遣いは無用だ。そういうものだろう?」
そう言いながら笑みを浮かべる彼に、最近ようやく市場の一店を一人で切り盛りさせて貰えるようになった若い男が、頬を紅潮させて言葉に詰まる。
ドラグニルからの言葉に反応を返せない。それは不敬に違いないと思ってはいるが、その様子にすら微笑みを浮かべてただ優しく見守るドラグニルに、男はただ心奪われていた。
それは、幼い子供が父に理想の男性像を見たような、そんな反応だ。
やがて、ゲオルグが果物を一つ買ってその場を離れるその時まで、男は結局何も言葉を発せなかった。
「あっ、お帰り、兄さん」
「あぁ、ただいま」
自宅に帰ると、どうやら買ってきたばかりらしい衣服を陳列しているフェリスと遭遇した。言っていた新色の服だけでなく、既存の色の物も混ざっていたが、そこに突っ込みを入れるほど野暮でもない。
「どうだった、服屋の方は」
「うん、やっぱり人が増えたからね。新しいデザインのとかはすぐに売れちゃうんだって。農業とかみたいに一気に拡大できる職種でもないから、需要に供給が追い付いていない感じかな。染料の畑も、少しずつ拡大しているみたいだけど、街の外に出られないから森の中で苗を集めることも出来ないし、繊維関係もまだまだみたいだね」
休みだというのに、そんな至極真面目なことを言ってくるフェリスにゲオルグは苦笑を浮かべながら呆れたように言葉を返した。
「フェリス、それは完全に視察になってないか?」
「しょ……しょうがないじゃない。最近はどうしてもそういうことに目が行っちゃって……それに、みんなも色んな要望をよく言ってくるから、それになんとか応えなきゃって」
小さく溜息をつきながら、尾と耳を僅かに萎れさせたフェリスに、やはり苦笑を浮かべたゲオルグは、その隣に腰を下ろした。
「それだけ、信頼されてるのだろうさ。俺なんぞ、市場に行っても誰も要望なんて言ってくれん。まぁ、色々売りつけられはするがな」
「当たり前じゃない。要望って、要は不満、不足ってことだし、それを兄さんに言うなんて、きっと誰も出来ないと思うよ」
「あぁ、分かってはいるさ。だからこその議会なんだからな。だが、それにしても少し寂しいものだよ。少しくらい、俺に我儘を言ってくれても良いというのに」
「……みんな、兄さんのことが好きなんだよ。好きだからこそ、迷惑を掛けたくないし、自分達が自分の力で頑張っているところを見てもらいたい。勿論、私もね」
そう言いながら、悪戯っぽく小さく舌を出したフェリスの頭に手を置き、その耳を堪能する。
「んふっ……きゅ、急にはずるいよ……」
「なに、兄妹のスキンシップだ。それと、人一倍努力家な女の子に対する礼の気持ち、だな」
「っ!?」
女の子。その言葉にひと際強く反応したフェリスを見て、ゲオルグはしてやったり、と言わんばかりの笑顔を浮かべた。
「いつも感謝している。仕事でも、私生活でも、俺を支えてくれるフェリスには、他の誰よりも、な」
「そ……そう……なんだ……」
やがて、久しぶりに休みを満喫して疲れていたのか、フェリスはそのまましなだれかかるようゲオルグ方へ倒れ、寝息を立て始める。そんな彼女の頭を膝の上に置き、頭を撫で続けるゲオルグは、穏やかな笑みを浮かべている。
だがその表情とは裏腹に、心の中は少し乱れている。
フェリス。出会ってからもう5年近くにもなる、最愛の妹。だが、兄妹、という関係に少しだけ違和感を覚えてしまったのも事実だ。
自分をこれまで支え続けてきてくれたフェリスに、子を成せないかもしれないという事実を踏まえてもなお、一途に自分を慕ってくれているジル。
今はまだ、色恋に時間を割くような余裕はない、という言い訳を掲げ、答えを先延ばしにしている自分。そこに、大陸最強の名を欲しいがままにしているドラグニルの威厳など微塵も在りはせず、ただ優柔不断な一人の男がいるだけだ。
<……情けない話だ>
心の中で自嘲しながらも、妹の頭を撫で続ける。
喧噪が少しずつ静まり始めた、秋の夕暮れ時のことだった。




