Chuenr-戦士-
フェンは風のように跳び、一気に化け物に肉薄すると、金の紋様のついた棍を化け物の腹に突き刺した。
「Nfenr」
フェンが呟くと棍の先に黄金のマナが一瞬で陣を作り、化け物の中に吸い込まれた。
化け物はうめき声をあげ、途端にその動きが鈍くなる。
「剣技、斬」
その隙を逃さず旅人が背後から双剣を化け物の両足を深く斬りつける。
動けなくなった化け物は熱気の瘴気を吐こうとするがその力は弱弱しい。
フェンの「雨」の魔法は確実に「熱」の属性の化け物を弱らせていた。
自分の不利を悟った化け物は渓谷に落ちてまで地の底に帰還する選択をした。
腕の力だけで自分の巨体を持ち上げるとその勢いで転がって渓谷に戻ろうとしたのだ。
「させない!」
フェンは棍で化け物の腕を払った。
化け物はそのまま体制を崩し、倒れた。
フェンのいる方に。
棍を振り切った状態でとっさに動けないフェンを救ったのは大型犬ほどの大きさの白銀の猫だった。
フェンをとっさに背に乗せその場を離脱する。
「あ、ありがとう、ネフェア」
フェンがお礼を言うとその猫、フェンの契約の精霊は一つうなずき、またフェンの棍の紋様へと姿を変えた。
ネフェアが離脱したことにより魔力の弱まった棍に再び神聖なマナが宿る。
フェンが離脱した一瞬の間に旅人が再び双剣にマナの元であるエレメントを宿らせ胸の前に交差させるとそれを一気に振り仰いだ。
「剣技、クロスクロイツ」
冷静な旅人の発動呪文のあと、十字になって飛ぶエレメントが化け物を拘束した。
拘束は数瞬化け物の動きを完全に止めることができる。
フェンは化け物をきっと見据えると、棍を長めに持って飛び上がった。
曲芸のようなその動きはフェンが契約者であるからこそできる動きで、それゆえに完全に無防備な巨大な化け物の背中の上に悠々と飛び移ると、そのまま垂直落下して、化け物の心臓を棍で打ち抜いた。
おぞましい化け物の断末魔を耳を防いでやり過ごしてから、フェンは化け物の上から飛び降りた。
「まだ甘いが、成長したな、フェン」
旅人がそういうと、フェンはこそばゆそうにえへへ、と笑った。
つい先ほどフェンが倒した化け物は北の渓谷の地の底から結界を破って侵攻してきた化け物だった。
その化け物には普通の武器は利かない。
強力な魔法や大気中に漂うエレメントの力を借りた剣技を駆使しなければ決して倒すことのできない怪物だった。
精霊の森のシアンの小屋に旅人と共に移り住んでから1年が経っていた。
その間にフェンは旅人から棍での戦い方を学び、影に意識を移したネフェアから精霊語を使った魔法を教わっていた。
旅人はある事情によって魔法を教えることが出来なくなっていたからだ。
その事情を旅人は話してはいなかった。
精霊と契約をしたフェンの体は見た目だけでなく、内側も大きく変わっていた。
体重や重力を感じさせない身軽な動きができるようになっていたのだ。
ネフェアの話しによると、精霊の森の民は亜人であり、普段こそマナを絶対に持たないということを除けば人間と変わりはないが、精霊と契約を行い精霊のマナを体に巡らせることで半精霊へと覚醒することになるということだった。
覚醒することで変わったことがもう一つある。体の成長が止まってしまったことだ。
フェンは13歳だ。女の子の伸び盛りであるはずだ。
なのに1年前からその身長は伸びなくなってしまっていた。
比べる相手のいないフェンはあまり気にしていなかったが、ずっと子供のままの姿であることに不安を持った旅人がネフェアになんとかならないのかと聞いたところ、止まったわけじゃない、今はまだ伸びてないだけだとよくわからない返答が返ってきた。
とにかくフェンは楽々と自由に体を動かすことができ、同年代なら敵う者はいないのではないかというほどの強さを持つに至った。
「さて、そろそろ帰るか。明日にはここを発とう」
今回の戦いでは完全なサポートに回った旅人がそう言うと、フェンは思わず少し不安そうな顔をした。
住み慣れた精霊の森のそばを離れるのはフェンにとっては初めての経験だったからだ。
そんなフェンの不安を感じ取った旅人は慰めるようにフェンの頭を優しくたたいたが、優しい言葉はかけなかった。
フェンにとって、旅人は優しくも厳しい頼りになる師匠に他ならなかった。
フェンは気丈にうなずくと、旅人と共に家路についた。
しかし、精霊の森に入ろうとしたところで、そこにフェンの記憶から少し成長した姿のかけがえのない友人が立っているのが見えた。
フェンが唖然として動きを止めているうちにその友人、ロッテはフェンに気付き駆け足でフェンの元へと駆けつけると戦いの直後で清潔とは言い難いフェンにためらいもなく抱き着いた。
最後の別れくらいは、と気の利かせた旅人は先に帰り、フェンの邪魔をしないようにとネフェアは棍ごと猫の姿に変え、森の中へ駆けて行ってしまった。
そのため、その場所にはフェンとロッテの二人だけが残っていた。
「ロッテ……」
先に口を開いたのはフェンだった。
その声にはためらいがあり、表情には後ろめたさがあった。
「変わらないのね、フェンちゃん」
かつてのようにロッテはおっとりとそう言った。
男の子のように活発なフェンと女の子らしいおっとりとしたロッテは正反対だったがこれ以上気の合う友人はいないと思えるほど仲のいい二人だった。
ロッテは柔和に微笑むとフェンの頬についた汚れを指先で拭い取って言った。
「お礼も言わせてくれないうちに行っちゃうつもりだったの?」
「ごめん、ロッテ……私は変わっちゃったから、ロッテのこと守るにはあの時誰にも秘密で出て行くのが一番だと思ったの」
「そう……」
事情も何も知らないロッテはそれでもフェンの言うことを疑わずに納得してくれた。
「ね、フェンちゃん。もうこんな機会はないかもしれないんだから、夢の話をしましょう?」
ロッテはそう言うとフェンの手を引いて二人で並んで座れる切り株のところまで移動した。
「夢?」
「そう。フェンちゃんは旅をして何をしたい?」
「お婆様を探しに……」
「それは違うでしょう?」
フェンが戸惑ったようにそう言うとロッテははっきりとそれを否定した。
「それはしなきゃいけない、でしょ?したいこと、教えて。ね?フェンちゃん」
「したいこと?」
フェンは目を閉じて考えた。
したいこと、したいこと……。
そう考えるうちにフェンはなぜか心が軽くなっていくような奇妙な気分を感じた。
それに伴って弾むような楽しい気分が募っていく。
ロッテはフェンが使命のために心を殺していることをなんとなく察していた。
使命のために親友とも気軽に会うことを禁じたフェン。
それでもフェンはまだ子供だった。
心を使命のために縛り続けていることはきっとよくないとロッテは思っていた。
やがてフェンは楽しげに語り始めた。
「そうだなぁ。聖リーディアスには雪が降らないから、南に行って雪が見たいな。北の砂漠は遠くまでずっと同じ景色が続くんだって。それにずっと西に行ったところには同じ3女神を信仰してる国があるんだって。どんなところかなぁ……行ってみたいな。それでそれで……この世界、ディアハイムを隅々まで見たら、またここに帰ってきたい。お婆様が見た世界を知ってまたここに戻ってきたとききっとここから見える景色も違って見えるだろうから」
フェンの話をにこにこと聞いていたロッテはフェンの手を握って、微笑みかけた。
「フェンちゃんならきっと全部叶えられるよ」
「ありがとう、ロッテ。ロッテの夢は?」
はにかんでフェンが聞くと、ロッテはいつもの柔和な笑みで、少し恥ずかしそうに話した。
「私はね、王都の学校に行きたいの」
「学校?」
フェンは驚いて聞き返した。
子供でも立派な労働力であるこの国では学校は大きな街にしかない。
この近くの港町、ダフネンにもあることはあるのだが、商業都市だからかお金のある家の子弟しか入れないような場所だった。
そうでなくても村に住む人たちにとって学校は少し敬遠するものだった。
大人たちが教える簡単な読み書きさえできれば村では不自由なく暮らせるからだ。
「うん。この村にも一人は勉強のできる人がいた方が何かといいと思うの。それに私、本を読むのが好きだから……」
「すごい!いいと思うよ!ロッテは村の誰よりも字を読むのが上手だったもんね。……でも、お金とかはどうするの?お母さんたちにもそんなに出せないでしょ?」
少し心配そうにフェンが言うと、ロッテはいたずらっぽく笑って月光草の花の押し花を取り出した。
「あっ!」
「旅人さんが残して行ってくれた月光草だよ。これだけあれば学校に行けるはず。もちろん、学費は奨学金を狙うけどね」
ロッテは可愛らしくウインクをして月光草の押し花を大事そうにしまった。
「そろそろ日が暮れるね……最後に何か、聞きたいことある?」
ロッテが聞くとフェンはかねてより不安に思っていたことを尋ねた。
「私がいなくなったって知って、村はどうしてる?」
先にも説明した通り、村での子供は貴重な労働力だ。
その子供を一人失わせて、村に残した両親や祖母が肩身の狭い思いをしているのではないかという可能性にフェンが気付いたのは森で暮らし始めてからしばらく経ってからだった。
「フェンちゃんは旅人さんの養子になって村を出たって聞いたわ。その時、フェンちゃんの家族には相応のお金が渡されたみたい。だから村の皆はそんなに怒ってないみたい。あ、でもシェリルおばさんはお別れも言わないなんてって怒ってたかな」
ロッテの話しを聞いて、フェンはほっとして思わず涙ぐんだ。
養子の話しとかいろいろ知らない事情を聞いたけれど、フェンはそれについてはあまり気にしなかった。
きっと旅人が便宜を図ってくれたのだろうとすぐに思い至ったからだ。
シェリルおばさんについては、少し申し訳ないけれど。
「そっか。ありがとう、ロッテ……。もう暗くなるから帰った方がいいよ。危なくなるから」
「そう、ね……。あまり話せなかったけど、少しだけでも会えてうれしかったよ、フェンちゃん。元気で、無事でね」
「ロッテも。学校行けるといいね。頑張って」
そして二人は再び別れを惜しむように抱き合ってから、それぞれの家路についた。
朝早く、フェンは外に出る支度を済ませた。
強大なマナと右目を隠すための眼帯の魔具、左の銀髪を隠すためと身を隠すための旅人と同じフード付きの黒い外套。
多くの荷物を持っていったりはしない。
せいぜい財布と装備くらいだ。
旅ではほとんどその日暮らしになると旅人が言っていた。
それでもお金はいつ必要になるかわからないのである程度は持っておくようにとのことだった。
「準備はできたか?フェン」
「はい」
旅人の問いかけにフェンが応えるとネフェアが猫の姿になってフェンの外套の中に隠れた。
ネフェアは棍の姿のままだとやけに魔力の高い武器として目立ってしまうからだったのでマナを隠せる猫の姿を取ることがたびたびあった。
ちなみにそのような形に落ち着いたのには理由がある。
フェンの旅支度のためにダフネンまで行ったとき、ちょっとした騒ぎになったのである。
フェンは姿を隠してはいたものの、棍の装飾品的且つ魔力的価値に目をつけた人たちが相手が子供と侮って奪おうとしたのだ。
その騒ぎは旅人がおさめたものの、そのような騒ぎを嫌ったネフェアはそれ以来人目のつくところでは猫の姿を取るようになった。
いざというとき自力で逃げるためである。
フェンや旅人からしてみれば少し意外にも思っていた。
人を襲う精霊が人と騒ぎを起こすのを嫌って積極的にそれを避けようとしたからだ。
どうやらネフェアは無差別に人間を害する気はさらさらないらしい。
とはいえ、契約者でなければ旅人でさえ心を開く気はないようで、旅人にはシエンという呼び名しか許さなかった。
「さあ、行くか。とはいえ、最初の目的地はおなじみのダフネンだがな」
「はい。師匠!」
フェンが元気よく返事をすると旅人は苦笑した。
森を出るとき、フェンの領域になったシアンの小屋周辺はそのままにしておいた。
下手に領域を解除して月光草を取りに来た冒険者が迷い込んで小屋を荒らされるのはフェンとしても嫌だったからだ。
その感情が人よりも女神の代替者としての精霊に近いことに旅人だけは気づいていたが、それには触れずに別のことを指摘した。
「何も言わずに出て行くつもりか?」
フェンはしまった!というように慌てて振り返ると森に向かって深々とお辞儀した。
「今までお世話になりました。それでは、行ってきます!」
ダフネンには数時間で着いたが、既に陽は傾きかけていて、夕方になるまでそう時間はかからないだろうという時刻になっていた。
今日はダフネンの宿に泊まり、朝のうちには出て行くことに決まった。
旅人は宿屋で部屋を取ると、繁華街に足を向けた。
フェンはその後をなんとなくついて行った。
「師匠、こんなところで何をするんですか?」
「ああ、お前も旅をするなら覚えておけ。必要な情報は酒を飲みながら得るものなんだ」
「はい?」
「酒場には人が集まる。人が集まるところには情報が集まる。そこで旅の経路を選ぶんだ」
「あそこの橋が落ちたとか、あの道には盗賊がでる、とかそういうのですか?」
「そういうのもある。あとはあの町で祭りをやるとか、あの道に化け物が住み着いていて、倒したら賞金5万シードでる、とかな」
にやり、と旅人はそう言って不敵に微笑んだ。
「だがお前が入るとちょっと邪魔だな」
「邪魔って!さらっと酷いですね!?」
「見るからにガキがいると舐められんだよ。ただでさえ女に見られて苦労するのに」
旅人の言葉にフェンは驚いた。
「師匠、男性だったんですか!?」
確かに旅人の顔は整っているだけでなく中性的だ。
だが長い髪や私という一人称でフェンは勝手に旅人のことを女性だと思っていた。
フェンのあまりの驚きように、旅人がきょとんとフェンと顔を合わせて、それから他人事のように肩をすくめた。
「さてね。どうだったかな」
結局フェンは旅人から別行動を言い渡されてしまい、海に行くことにした。
これからどこに行くのかも決まっていない今、もしかしたらしばらく海が見納めになる可能性もあったからだ。
潮風に外套をはためかせ、フェンは橙色に染まっていく海を眺めていた。
この海をずっと進んだところには異世界とつながっているという島国があるそうだが、小高い丘から見ているのにもかかわらずその一端すらも見えなかった。
「海か」
人気のない場所だからかフェンの外套の中に隠れていたネフェアが出てきた。
「ネフェアは海初めて?」
「いいや。以前にも見たことはある。もう千年も昔のことだがな」
「千年か、すごいね」
精霊が長生きなのは知っていたが、ネフェアがそれほど長く生きているとは知らずフェンは感嘆した。
「これでも精霊の中では若いほうだ」
ネフェアは少しさびしそうにそう言った。
「そうなの?」
「ああ。人が女神の約束を忘れたときから、精霊は新しく生まれてくることができなくなってしまった」
フェンはネフェアの言葉に驚いた。
精霊が人を殺めるようになったのと精霊が生まれなくなったのは同時期だったらしい。
何か関係があるのかもしれないが、そこまで踏み込んでもいいものなのか見当がつかずにフェンは喋れなくなってしまった。
「フェン」
太陽が沈みかけ、背後に月が昇ってきた頃、唐突にネフェアがフェンを呼んだ。
「歌え。私のために」
それはあまりにも突然の願いだったが、フェンは呼吸をするように素直にそれを受け入れた。
フェンの歌声に送り出されるように太陽が完全に沈み、藍色の暗い海がフェンの歌声を吸収していくような不思議な感覚があたりを覆った。
ネフェアは目を細めてそれを聞いていた。
強い風が吹いて、風がフェンのかぶっていたフードを取り払ったが、フェンは気にせず歌っていた。
気の済むまで歌った後にはすっかり日が暮れて夜になっていた。
フェンはフードをふたたびかぶった。
「それじゃあお腹すいたし、帰ろうか?」
「影は食事はいらないんだがな……」
「あ、そっか。でもまだ秋だけど夜はもう寒いよ。何かあったかい飲み物とかないかなー。ココアとか飲みたいよね」
「だから私は……」
「飲むのもできないの?」
「できないわけじゃないが」
「それじゃあ飲んでみるといいよ。甘くておいしいんだから。いろんなところの料理食べれるってのも旅の醍醐味なのかもね」
フェンはにこっとネフェアに笑いかけて丘を後にした。
次の日の早朝、宿の中庭でフェンと旅人はそれぞれの使用武器を持って対峙していた。
恒例の早朝訓練だ。
最初こそ旅人は一本の剣を両手で持つというハンデを持ってもフェンは敵わなかったが、今では二本の剣を持った旅人にもついていけるようになっていた。
もちろん剣技なんかを使われてしまったらあっという間に負けが決定されるわけなのだが。
とはいえ、旅人はフェンの成長速度に舌を巻いていた。
普通の子供には無理だ。
いくらフェンが半精霊の体というスペックを持っていてもそれを使いこなすのは本人の才能に他ならない。
まさに戦士として生まれてきたような子だ、と旅人は思っていた。
魔法には苦戦しているようだったが、精霊語なんていう難しい古代魔法は旅人にだって使えない。
そのうえ歌の才能も抜群というのだから信じられないことである。
だがフェンとネフェアの話しによるとフェンの祖母、シアンは戦闘も魔法も歌も全て人並み外れていたという。
ネフェアは全ては語らなかったので、何か秘密がありそうだったが。
そんな風に旅人が気を逸らしている隙を感じたのかフェンが文字通り跳び込んできた。
旅人はひらりとそれを躱して棍を叩きフェンの姿勢を崩そうとしたが、フェンはその勢いを利用して深く体を沈ませると、ばねのように高く跳躍し旅人から一気に距離を取った。
「r」
フェンが短い精霊語を口にする。
短い精霊語は元素に直接絡むような性質の悪いものなので旅人は魔法で対抗せずその場を離れた。
その直後、旅人のいた場所から草木が一斉に生えて鞭をふるようにうねった。
空ぶりした魔法はそのまま消滅し草木も同時に一瞬で枯れて消えた。
精霊語は呪文が少ない代わりに術者の想像力によって魔法の質や効果が変わる。
難しいが呪文で相手にどんな魔法を使うのかを知られることなく使うことができる。
フェンの使ったrという呪文もそれ単体では「木」という意味しかないのだ。
それが足止めの魔法なのか、追尾の魔法になるのか、はたまた森の幻覚を見せる魔法になるのかは術者以外にはわかりようがない。
旅人が後ろに下がって二人の距離が開いたことで再び均衡状態になった。
先に動いたのは旅人だった。
フェンは完全に構えて対応できる状態だったが、旅人は甘い、と呟き双剣を巧みに操ってフェンの手から棍を落とさせ、首筋に刃を突きつけた。
「あっ……」
フェンが呆けた声をだす。
「力で敵うと思うなよ、フェン。敵が飛び込んで来たら避けて追撃だ。大の大人相手に攻撃を馬鹿正直に受けようとするな。いいか?お前はたしかに身軽だが、まだ13歳の、女の、子供だ。大人に力では絶対に敵わない」
「はい、師匠……」
フェンは落ち込んで力なくそう言った。
体制に余裕があるとき、攻撃を真正面から受けようとするのはフェンの悪い癖で既に旅人からそれについて何度も注意を受けていた。
旅人は短くため息をつくと構えを解いた。
「じゃあ、支度するぞ、フェン。行先が決まった」
「どこですか?」
フェンが棍を拾って抱えるとそう尋ねた。
「南だ。完全に冬になる前に小道の森を通って魔法都市カーヴァ=ツィリアに行く」
「カーバ、チリア?」
魔法都市の名前は難解だった。
魔法都市に気を取られてほとんど忘れ去っていたが、小道の森もなかなかやっかいな場所だった。
実りの秋だけあって食材には事欠かない。
食べれるもの、食べられないものを学ぶのにもちょうどいい季節だ。
しかし、問題はそのように生存にかかわるところとは違った場所にあった。
とにかく、道が多い。
どこにつながっているのかわからない。
地図にするにはフェンの腕いっぱいに広げなければならないほどの大きさの紙に細かい線をびっしりと書かなければならないだろう。
それでも辿ったと思われる道にいちいち印をつけなければすぐに現在位置を見失うほどだ。
そのため方角だけに当たりをつけて自ら道を開拓する旅人も数多く存在する。
そして新たな道がいくつも出来上がっていくのだ。
小道の森は、別名迷いの森と言った。
聖リーディアス王国ことセント・リーディアスは魔法大国だ。
その理由の大部分が魔法都市カーヴァ=ツィリアにある。
魔法技術の大半はカーヴァ=ツィリアに集まり、街には魔法があふれ、住民は必ず簡単な魔法のひとつは習得していると言われていた。
魔術師育成機関もカーヴァ=ツィリアには3つもあり、他に魔法が学べるところと言ったら王都のフェニチカ学院しかない。
旅人も魔法はカーヴァ=ツィリアの「法の派閥」という機関で学んだという。
つまり、フェンにその魔法都市で魔法について学ばせるつもりなのだろうと思っていた。
何が言いたいのかというと、フェンはまだ見ぬカーヴァ=ツィリアに気をとられていたということだ。
旅人が本当に行きたかった場所は魔法都市ではなく、小道の森の方だった。
フェンに本当に足りないのは魔法技術ではなかった。
そもそも魔法は別になくてもよかった。あれば便利、という程度のものでしかない。
旅に必要なのは、知識、機転、剣技だ。
フェンには知識がない。知識がなければ機転もありようがない。
剣技だけはフェンの武器と身体能力がカバーしているのでこちらは早急になんとかしなければならないものではなかった。
「さて、フェン。精霊の森と他の森には似ているが決定的に違う部分がある。わかるか?」
フェンは首をかしげた。
精霊の森はフェンにとっては庭みたいなものだった。
道は森が用意してくれるし、陽の光は通らないが、危険はない。フェンにとっては。
「まあ、これは旅人にとってはいちいち気にもしない常識だが……一般人にとって、精霊の森に精霊がいるように、森には魔獣と野盗がいる」
「魔獣?」
まがまがしい響きにフェンが眉をひそめた。
「やはり知らなかったか……ああ、気にしなくていい。精霊も森のそばに住んでいれば魔獣なんて知りようがなかっただろうからな」
「そうなんですか」
ということはそうでなければ知っていて当然ということだ。
「魔獣は一概に言えば大気中のエレメントの影響で変異したり狂暴化してしまった獣や植物、はては命ないもののことをさす」
「命ないもの、ですか」
「そうだ。そこらの岩とかじゃないぞ。岩はエレメント耐性が強いからな。そうではなく、獣や人の死体のことだ」
それを聞いてフェンは両手を前にひょいっと出した。
ゾンビを想像したのだろう。
「そんな可愛らしいものじゃないぞ。アンデッドの多くは戦争などの悪意で殺された人間だ。武器も鎧も持っているし、魔法を使うやつもいるだろう。強いぞ」
フェンはうなずいて、それから疑問を口にした。
「師匠なら勝てますよね?」
「数体相手ならまるで問題はないが、少し厄介なのは大人数だったり魔法を使える奴がいたりする場合だな」
「そういう相手には魔法で対処するんですか?」
「魔法は面倒だから私は使わないなぁ。そういう時は、剣技を使う」
「ああ。……数体相手なら剣技すらいらなかったんですね、師匠……」
「はは。まあでもお前もまだ使えないだろう?それでもちゃんと化け物を倒したじゃないか」
「あの時は眼帯も外してましたし」
フェンの眼帯はマナを隠す上に使用できなくさせる効果、つまりマナがないことにする効果があるため、眼帯をつけた普段のフェンには魔法が使えない。
「だが剣技を使うのに必ずしも自らのマナを使う必要はないだろう?」
「はい。たしか……剣技というのは自らのマナ、あるいは環境マナか大気中のエレメントを使い、それによって強化された攻撃のことを指すんですよね。人の身体能力では不可能な高速連続攻撃や魔法的効果を相乗させたりいろんな種類の剣技が存在します。剣技の発動条件は発動前のモーションと発動呪文の詠唱ですよね」
「その通り。だが、普通人はすべての攻撃すべて剣技にしてしまう能力なんてない。そんなことができるのはそれこそお前くらいなものだろう」
「へぇ……そうだったんですか。師匠にもできないことってあったんですね」
フェンがそう言うと、旅人は心底嫌そうな顔をして言った。
「お前には私がどんな風に見えているんだ?私にも人間の限界を超えたことはできないぞ?」
小道の森はやはり厄介だった。
フェンは片手に方位磁石を持ち、片手にはセント・リーディアスの地図を持っていた。
フェンの住んでいた精霊の森はセント・リーディアスの北東にある。
森の東に村があり、そこから北に少し進むと北の渓谷がある。
フェンと旅人が経由したダフネンは村のちょうど東にしばらくいったところにあり、海に面している。
小道の森はダフネンの南から西と南に広がっている。
けっこう広い森だ。少なくとも精霊の森の2倍はある。
そして間違って西に出てしまえば都市のひとつであるシリルに出る。
うまく南に出ることができればカーヴァ=ツィリアだ。
森を迂回した街をつなぐ街道もないことはないが、徒歩の旅であるため、そこを使っていれば冬の寒空の下野宿をする羽目になってしまう。
そのため森を突っ切る最短距離をとることにしたのだった。
旅人には他にも目的があるようだったが、それはフェンのあずかり知らぬところである。……と信じたい。
不安に思っていた魔獣は弱く、たいしたことはなかったが、やはり厄介なのはあちこちに伸びる小道だった。
最短経路を選んだつもりでも迂回させられたり、横道にそれてみれば段差で行き止まり、なんて場所もあった。
あまりにあんまりな森に対してフェンは舌打ちしかけた。
かなりストレスを溜めさせる森である。
森に入ってから数日はそうやって道に迷いつつ倒した魔獣の毛皮や爪や牙などを集めたり、薬草やタバコ、あるいは毒となる葉や花を採取したりしていた。
しばらくはカーヴァ=ツィリアに滞在する予定のためお金になるものを集めているのである。
今の季節は人の移動が多い。
時々他の旅人と鉢合わせることもあった。
「フェン。眼帯をつけろ。シエンは猫に」
緊張感を滲ませた声で旅人がするどく言った。
フェンは慌てて眼帯を取り付けてフードをかぶった。
フェンは人目につきにくい森では別に保護しているわけではない眼帯やフードを外していた。
またとっさのことに対応するためにも視界が狭まるのは歓迎できないことだったからでもある。
ネフェアは旅人の言葉に従い、猫に姿を変えるとフェンの肩に乗った。
「おや?旅人さんですか?」
フェンは旅人の背に隠れ、そっと声のする方を見た。
フェン達が通る小道とは別の小道から二人組が来ていた。
一人は旅をしているという割には装備をしていない。
だが、その後ろにつき従うようにしている男は大剣を背負って、フェンと同じように全身を黒いローブで覆い隠してした。
フェンはその男の頬にちらっと赤い光がうごめいたのを見てぎょっとした。
「こんにちは」
旅人はそれに気づかなかったのだろうか。
先ほどの緊張感を一瞬で消し去ったかと思うと、人当たりのいい笑顔で応えた。
「護衛付き……ということは南部商業組合の商人ですか?」
「ええ、そうなんですよ」
旅人が尋ねると武器の持っていない男が賞賛するように手を叩いて応えた。
「もうすぐ冬でしょう?毛皮を売るのを目的にした旅人が南下してきますからね。街だと競争が激しいからこうして森の中で、相場より少し高めに買い取って回っているんですよ。どうです?あなた達もそういう毛皮を持っていませんか?」
「ふふ。商売上手ですね。ええ。これだけですけれど」
そう言って旅人は集めていた毛皮を取り出した。
それよりもフェンは女性らしい口調の旅人を初めて見たためぎょっとしていた。
いったいなぜ女性らしく振舞うのだろう。
酒場では女に思われて困ると言っていたのに。
しかし前に出ている男はまっとうなようだ。
とはいえ、商人ならばフェンの珍しい容姿に目をつけないとも限らない。
伝説のルーナフィアナと同じような姿のフェンは格好の獲物だと旅人に教わっていたためフェンは前に出ようとはしなかった。
「そちらはお子さんですか?いや……弟か妹かな?」
商人がフェンの顔を見ようと近づいてきたのでフェンは慌てて旅人の背中に隠れた。
「すみませんが、見ての通り人見知りで……姉の子供です。不幸があったので引き取ったんです」
「これは失礼を……それならばやはりお金はご入り用なのではありませんか?あなたのようにまだ若い女性が子供を養うのは大変でしょう」
「そうですね。あまり危険なところにも連れていけませんし……」
旅人のしおらしい態度にフェンは呆れかえった。
化け物を倒させておいてよく言う……。
だがまあ、媚を売っているというより、何か目的がありそうだと思い、フェンは事の次第を静観することにした。
「それならば特別に高めに毛皮を買取りましょう。いや、私にもちょうどこれくらいの養子がいましてね。他人事には思えないのですよ。あ、でもその代わり、ウチの組合をよろしくお願いしますね」
「ふふ。商売上手ですね。ええ、私達としても願ってもみないことです。お言葉に甘えさせていただきますね」
二人が何か商売の話しをし始めたので、フェンは二人から目を逸らして先ほどから一言もしゃべらない男に目を向けた。
ついさっき見た赤い光はもう見えないが、その代わり陰湿な雰囲気を放っていた。
商人もあんな男が同行者なのだから、さぞかしつまらないことだろうとフェンは思った。
「フェン」
突然肩のネフェアが小声で話しかけてきた。
フェンはちらっとネフェアに目を向ける。
「あの男。後ろにいる方だ。アイツはおかしい。関わらないほうがいいかもしれない。できるだけ早く別れよう。影響がでるかもしれない」
何の?とは聞けなかった。
ネフェアはその場にいるのが我慢できないというかのようにどこかへ姿をくらましてしまったからだ。
フェンはそれなら商人に言った方がいいのではないかと悩んだ。
あの朗らかな人が同行者の異変を感知しているようには思えない。
フェンは呼ぶように旅人のマントのすそを握った。
旅人は商人との交渉が終わったらしく、毛皮と銀貨の入った袋を交換していた。
それから商人と護衛の二人はフェン達が進むはずだった道を通ったので、フェン達は行動を共にしたくなかったネフェアに従って少し西にそれる道を通った。
フェンが旅人にネフェアの言葉を伝えると、旅人はああ、とあっさり返した。
「あいつらは野盗の一味だろうなぁ」
「えええええええええっ!?」
「なんで商人は街で商売するかわかるか?」
「いや、そんなことより今の二人……!」
フェンが口をぱくぱくさせて先ほどの二人が通って行った道を指差したが、旅人はフェンを無視して続けた。
「ちゃんと人がいるからだよ。小道の森ほど人と会えるかわからない場所はないからな。こんなとこで商売する奴はよっぽどの馬鹿か、やばい奴のどちらかだ。あいつら待ち伏せして状態の良い毛皮を状態の良いまま手にいれ、あとから金も回収するつもりなんだろうな。たぶんここら辺の道は全部奴らの根城に繋がっているはずだ」
「……まさか。師匠、最初からわかってたんですか?」
「そうそう。小道の森に居ついている野盗を捕まえたら10万シード出るぞ!一冬カーヴァ=ツィリアでちょっとした宿に泊まってもおつりが出る金額だ!それに今交換した10シードもあるから食べ物だって贅沢できる」
「さてはそれが狙いでしたね!?わざと見つかる道を通っていたんですか!?」
思い返せば、今まですれ違った他の旅人たちは皆東に向かっていた。
そんな中旅人は南に行こうと言っていたのだ。
フェンもそのときは野盗がいるなんて知らなかったから、普通にカーヴァ=ツィリアまで最短の方角を進むことに是非はなかった。
「さあ、奇襲をかけるには予想よりも早く着いて先制攻撃が一番!走れるな?フェン」
旅人がにやりと人の悪い笑みを浮かべて走り出す。
「ああ、もう……まったく、もーっ!!」
フェンはやけくそのように叫ぶと旅人の後を追って走り出した。
「ところで師匠。なんで女性らしく振舞っていたんですか?」
「そんなの女の方が商人の羽振りがよくなるからに決まってるだろ」
「……」
フェンは今度こそ無駄口を叩かずに黙々と走り続けた。
商人は振り返り、旅人達の姿が見えなくなったのを確認するとくっくと笑い出した。
「うん。あれですね。ダフネンで見た、かのルーナフィアナと同じ姿の歌う少女としゃべる猫」
「確証はない」
先ほど一度も喋らなかった男が重い口を開いた。
「子供と猫のセットは珍しいですよ?ちらっとみましたが、あの子供はあなたのように身を隠していました。普通の子供ならそんなことをする必要はありませんよね」
「だが……」
その男は案外慎重な性格のようだった。
商人はいらだちまぎれに舌打ちをした。
「なんにせよあの二人と一匹は獲物です。すでにマーキングしたのですから。それにたとえ子供がただの子供だったとしても彼女の方も顔はいい。十分儲かりますよ」
「だが子供一人守って旅ができるほどの実力者だ」
「おや?あなたともあろう人が、ただの人間にすぎないあの旅人に敵わないとおっしゃるんですか?」
「……」
商人は内心高笑いをあげていた。
たった二人の人間、それも片方は子供だ。
基地に誘い込めばゆうに30人以上もの野盗が二人を待ち受けている。
さらにこちらにはこの悪魔に魂を売った男がいるのだ。
負けるわけがない。
商人は二人の価値を計算し始めた。
精霊との契約者は伝説の存在だ。
半精霊とも呼べるほどの身体能力と魔法技術を兼ね備えているという。
だが今は精霊は人間の味方ではない。契約を交わせる人間などいないだろう。
どうせたまたまそれに近い髪を持っているだけに過ぎないだろうが物好きな貴族なら下僕としてそれは高く買い取ってくれるだろう。
「かのルーナフィアナに祝福されし子供」といったところか。
まあそうでなくても用途の広い子供は高く売れる。
それにあの旅人。
かなり美しい顔立ちだ。精神を折って愛玩用に売れば儲かるだろう。
しゃべる猫はなんだかわからないが、ゆえに希少価値がある。
くすくすと商人は自分の輝かしい未来を想って笑った。
だが商人は知らない。精霊との契約者に人間はそもそもなれず、精霊の森の民だけが精霊に受け入れられることを。
そしてその子供が、まさしく伝説の精霊との契約者であることを。
「し、師匠……!待ってくださいっ……」
フェンは肩で息をしながら地面に座り込んだ。
「なんだ、もうへばったのか。情けないやつめ」
そう言う旅人はけろっとした表情だ。
しかし二人はもう3時間もほぼ全力で休まず走り続けていた。
「子供が……ベテランの旅人の大人に、……体力で敵うはずがないでしょう……!」
息も絶え絶えにフェンがそう言い切ると、旅人はふむ、とうなずいた。
「それもそうだ」
そしてひょい、と未だに呼吸が乱れているフェンを担ぎ上げた。
ネフェアはその拍子にフェンから転がり落ちて旅人を恨めし気ににらんだが、何も言わなかった。
「しばらく休んでいろ。とりあえず行けるところまでいかなくては」
「え、ちょ……こんな状態で休めるわけ」
「行くぞ!」
「話を聞いて!」
フェンが悲しそうに叫ぶのと旅人が再び走り出したのは同時だった。
やがて旅人が走るのをやめたとき、フェンは自分の体力がそれなりに回復しているのに気付いて愕然となった。
旅人におろされながらそんな馬鹿な、と呟く。
「さて、けっこう来たな。どうもこの道は少し遠回りだったらしいが」
「そうなんですか?」
「ああ。フェン、地図を貸せ」
「はい」
フェンはポーチから綺麗に折りたたんだ地図を旅人に渡した。
旅人はその地図を広げると小道の森に何かを書きこんだ。
「情報によると、野盗の根城はここだ」
そう言って旅人は地図に描かれた小道の森の南の方に印をつける。
大体カーヴァ=ツィリアから1日くらい歩いた場所だ。
「で、私達が通ってきた道が大体こんな感じだ」
旅人は慣れた手つきでダフネンからここまでの道のりを一本線で書いてしまった。
「師匠、今まで通った道の距離まで覚えていたんですか!?」
フェンが驚いて尋ねると、旅人は珍しく少しはにかんで言った。
「いや、これは記録していたんだ。次の参考にもなるしな。お前もそのうちこれくらいできるようになる」
さて、と旅人が気を取り直すように間を置き、道の最後の方を丸で囲った。
西にそれる道だったにも関わらずぐるっと方向が変わってこのまま行けば盗賊の根城の真横からぶつかることになりそうだった。
「本当に行くんですか?」
不安そうにフェンが聞いたが、旅人は無情にもああ、と言っただけだった。
「小道の森の旅の最後にしてはなかなかスリルがあるじゃないか」
「スリルなんて求めてません」
「お前はつまんない生き方をする人間だな」
「なんで私が責められてるんですか!?普通危険は回避するものです!私は間違ってない!」
フェンが一生懸命自分の主張を旅人に受け入れさせようとしても旅人は笑ってかわすだけだった。
「まあまあ。もう賽は投げられたんだ。今更じたばたしてもしょうがないだろう?」
「投げた口がそれを言いますか!……はあ、もういいです。それで、どうするんですか?」
旅人はよくぞ聞いてくれたというように、にやりと笑った。
その瞬間フェンはもう本当に不本意なことになると確信してしまったが、不幸にもそれを回避できる能力をフェンは持っていなかった。
フェンは外套の留め具を外した。
留め具だけではない。眼帯も外し、ネフェアの棍も持っていた。
つまり外套さえ脱げばもうフェンの髪や瞳を隠すものはなくなるということだった。
フェンは外套が脱げないように気を張った。
そして旅人とフェンは野盗の根城のある開けた場所に出た。
するとあちこちから野盗がぞろぞろと出てきて二人を取り囲んでしまった。
旅人はとっさにフェンをかばうように抱きしめた。
しかし当然かばうためではない。
「わかっているな?」
旅人がこっそり言うと、フェンは小さくうなずいた。
おそらくフェンの仕草はおとなしげなひ弱な子供のように野盗の目に映っただろう。
旅人は顔をあげて叫んだ。
「どうして野盗が!?」
「ふふ……愚かな旅人ですね。ここに誘い込まれたとも気づかずに……いえ、気にしなくてもいいんですよ?気づかれないようにするために小道の森を選んだのですから」
野盗の間から悠々と現れたのは先ほどの商人だった。
旅人が顔をしかめたのを見て愉悦の表情になる。
「さっきの……!はめたんですね!」
旅人はまた女性らしく振舞った。
油断を誘うために先ほどと同じ設定でいく、と決めたからだ。
それにしても、とフェンは場違いにも感心してしまった。
旅人は本気で悔しがっているように見える。
なんて演技力なのだろう。
そういえば先ほど、商人たちに会ったときも警戒心を一瞬で消して朗らかで人の良い女性を演じていたではないか。
「はめられた方が悪いんです。この世界は弱肉強食。弱い者はすぐに強い者に喰われる運命なのですよ!」
商人が叫ぶと一斉に下品な笑みを浮かべた野盗が余裕綽々というように襲い掛かってきた。
いまだ!
フェンはそう判断し旅人の腕から抜け出して高く跳躍した。
それと同時に外套がフェンから離れる。
そして奇しくも、頭上に月を従えてフェンは契約者としての姿を野盗にさらした。
「a」
フェンが精霊語を唱えた瞬間、勢いのつよいつむじ風が広範囲にわたって野盗を襲った。
中心のフェンとその真下にいた旅人を除いて、だ。
フェンが着地したと同時に風はなくなったが、あっけにとられたように野盗はフェンを見つめた。
棍を構え、姿をさらしたフェンは子供ながらに美しかった。
「私は精霊との契約者」
そう、まるで精霊のような。
「約束を違えた人間に、罰をくだす」
フェンは精霊の言葉を借りて、冷たく言い放った。
旅人の作戦はこうだ。
まずひ弱な二人を演じ、野盗が油断して集まったところをフェンが牽制する。
旅人にGOサインをもらってフェンは契約者としての能力を解放することになったので、それならば正体をばらしてしまおうとフェンは考えた。
セント・リーディアスで生まれ育ったものならば必ず精霊を畏れる。
守られているから、森に入った人間を襲うから、だけではない。
神世の力にあふれた女神のマナに触れた人間は心から3女神とその眷属である精霊を愛し、畏れずにはいられなくなるからだ。
今や女神のマナは薄れてしまっているが、まだ残っている。
だから、どんなに悪の心を持っている人間でも女神に逆らうことはできないのだ。
フェンが正体をばらせば必ず大きな隙ができるはずだった。
その隙を旅人が一掃する、という算段だった。
だが。
野盗がひるんだところまでは予想通りだった。
しかし、フェンに畏れを感じない人物がいた。
その男は大剣を振りかぶって襲い掛かってきた。
旅人がそれを双剣で受け止め、はじいた。
「こいつ、マナの巡りが……」
旅人が呟いた。
その男は道中、商人に付き従っていた護衛の男だった。
その男に引きずられるように野盗が再び動き出した。
その表情は先ほどとは違い真剣になっている。
だが何人かは迷っているようなそぶりを見せた。
この中でも特に信心深い者達だろう。
旅人は護衛の男との戦いで足止めされているため、30人近い野盗をフェン一人で相手することになった。
斧を振り上げてきた男の腹を棍の先で突き、前後から襲ってきた男たちには棍を大きく振って薙ぎ払った。
その直後に背後から襲ってきた男には払った姿勢のまま棍を後ろに突き、よろけたところで再び払って昏倒させる。
飛び道具を使ってきたことを察知すると、フェンはとっさに精霊語を唱えた。
「r」
飛び道具は森の木々から伸びたツルに全て絡め取られ、逆発射されて飛ばした者の元へと返った。
まさか自分が投げた武器に襲われると思わなかった野盗が一気に数人倒れる。
数人が一斉に襲い掛かってきたら飛び上がり、空中で軽やかに回転すると手のひらを野盗たちに向けて精霊語を放つ。
「Nfenr」
その途端フェンの手のひらの黄金のマナが陣を作り、野盗たちに向けて鋭い水の弾丸が数多く放たれた。
圧倒的なフェンの戦いぶりに野盗の士気が下がっていく。
半信半疑だった野盗もフェンが本当に契約者なのかもしれないと信じはじめていた。
もちろん信心深い者たちは既に許しを請うようにひざまずいて両手を差し出していたが。
フェンは余裕ができてきて、ちら、と旅人の様子を見た。
旅人は厳しい顔で護衛の男をにらんでいた。
男が口を開いた。
「お前、黒衣のクエロか。ふん。女のフリをしてだましていたわけか」
「勝手に勘違いしたのはそっちだろう。私は誰に対しても自分が男か女か言ったことはないんだがな」
旅人は飄々とそう言い放ったが、直後にきっと男を睨みつけた。
「お前は、人殺しの巡りの狂った狂戦士だな」
旅人は確認というよりも断言に近い語調で言った。
「人を殺してマナの巡りを狂わせた狂戦士。巡りの変わったマナの変化に耐えられず死ぬ者もいれば変化に耐え、狂う奴もいる。巡りの変わったマナは身体さえ変えてしまい、その力はエレメントをも巻き込んで増幅していく。そいつはもう人とは言わない。魔獣と同じだ」
ふっと男が笑った。
「だが俺には力がある。意志もある。……お前の話しはよく聞くぞ、クエロ。それほどの強さなら俺と同じになれば最強の戦士になれるだろうに」
フェンは二人の会話に驚きを隠せないでいた。
生きながらにして魔獣になった男。
そしてその男の一撃を跳ね返し、対等に渡り合った旅人。
しかも旅人は有名な存在らしい。
そういえば、フェンは旅人から名前を教えてもらっていなかった。
クエロ、というのが旅人の名前なのだろうか。
「私は遠慮する。巡りが狂えば早死にはするし、街にも行けなくなる。なにより私は人間をやめるつもりがこれっぽっちもないからな」
「……残念だ」
魔獣と化した男は身に赤いマナのようなものをまとわせた。
それはフェンが初めて男を見たときに発見した赤い光の正体だった。
変質し、フェンにはそれがマナには見えなかったのだ。
「ならば、死んで俺の糧になれ」
男は大剣を振り上げると、旅人に向かって目にもとまらぬ速さで振り下ろした。
旅人はとっさにかわし、フェンはほっと一息ついたが、そのためフェンの隙を感じて襲ってきた野盗に対して対処ができなかった。
「あっ……!」
だが、フェンが短い悲鳴をあげたのは負けを察したからではなかった。
フェンは巨大な猫に姿を変えたネフェアに素早く抱えられ、空高く投げ飛ばされたからだった。
落ちたフェンを受け止めたのは猫ではなかった。
精霊の森で、フェンと顔を合わせた人に似た姿の美しい精霊がフェンを抱えた。
影とはいえ、精霊だ。
野盗は初めて見るであろう精霊の姿に虚を突かれ、そしてあふれる神威に屈服した。
フェンは歯噛みした。
こうしてネフェアの力を借りることになってしまったのが悔しかった。
ネフェアはなだめるようにフェンの髪をなでると、つと旅人の方へ視線を向けた。
旅人は血まみれになっていた。
だが倒れてはいない。
珍しく肩で息をしていたが、倒れているのは魔獣となった男の方だった。
何があったのか、フェンは見ていないのでわからない。
ただ、旅人の困惑した表情がとても印象的だった。
旅人はしばらくぼうっと男を見つめていたが、男から目を離すとぐるりと辺りを見回した。
「降伏しろ。私達が逃げられないように張った結界はとっくにお前たちが逃げられないようにする結界に変えてある。余計な反抗はしないほうが身のためだ」
旅人の言葉で完全に戦意を失った野盗は次々に武器を放り投げた。
旅人が倒した男は野盗の中で最も強い男だったために敵わないとはっきりと認識したのだろう。
フェンから始まり、精霊と、旅人。
たった3人だけでも、野盗の戦意をくじくには十分すぎる戦力だった。
Chuenr-戦士-
クレン。
精霊の森の民の戦士は朝生まれと決まっていた。
そのため戦いを表すChurという単語と朝を表すenorという単語が合わさって戦士を表すChuenrという単語ができた。




