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第八章 黄泉の井戸

 静まり返った廃屋の前に一人立ち、藍は夜空を見上げた。

「雅……」

 得体の知れぬ力を手に入れた明斎が事を起こそうとしている状況にも関わらず、藍にとって今一番気がかりなのは、雅の身体の状態だった。

(あの黒い塊は雅の身体をむしばんでいる……。それなのに……)

 何もできない自分に腹が立ち、頼ってくれない雅に納得できない。身勝手とはわかっているが、藍は自分のやり場のない感情を何とか押さえ込んだ。

高天原たかまがはら神留かんずまります、あめ鳥船神とりふねのかみに申したまわく!」

 そして思い直し、飛翔の祝詞のりとを唱え、宙へと舞い上がる。

小野おののたかむら公縁の地と言えば、あそこね)

 藍は光に包まれ、山陰の空を飛翔した。


 仁斎と丞斎の元「呉越同舟」コンビは東山区にある珍皇寺に到着した。すでに時刻は午前零時を回っている。

「釣りは要らん」

 丞斎は料金メーターを見ずに運転手に壱万円札を十五枚渡した。

「えええ!?」

 脅かされて踏み倒されると思っていた運転手は仰天していた。

「あ、いや、いくら何でももらい過ぎです、お客さん」

 彼は狼狽えて運転席を飛び出し、スタスタと歩いて行ってしまう仁斎と丞斎を追いかけた。

「今から米子まで戻っても仕事にならんだろう。ならばこちらのホテルで休み、明日の朝帰ればよい」

 丞斎は振り返ってそう言うと、また仁斎と共にスタスタと歩いて行ってしまった。

「あ、ありがとうございます!」

 運転手は丞斎の心遣いに深々と頭を下げた。

「住職にこんな夜更けまで起きていてもらったのは心苦しいが、仕方あるまい」

 仁斎が言う。丞斎は頷いて、

「明斎の馬鹿者のくだらぬ嫉妬心でこの国を滅ぼされては堪らんからな」

 二人の老人は珍皇寺の門をくぐった。


「どちらさまですか?」

 ドアをノックする音に気づき、黒のパジャマ姿の剣志郎は眠い目を擦りながら尋ねた。

「儂だ。遅くにすまんが、手を貸してくれ」

 聞き覚えのある老人の声に剣志郎は完全に目が覚めた。

「遠野さんですか?」

 彼はすぐにドアのロックを解除し、出羽の修験者である遠野泉進を中に入れた。

「しばらくだったな、竜の子。元気だったか?」

 前年の暮れに会って以来だったが、剣志郎は妙に懐かしい思いがした。


 その頃、小野宗家の家の炬燵こたつがある部屋でモジモジしながら話をしていた茨城分家の裕貴ゆうきと神奈川分家の御幸みゆきは、御幸の携帯が鳴り出したのでギクッとしていた。

「お祖父ちゃんだ……」

 御幸は思わず裕貴と顔を見合わせてしまう。

(もう少しだったのに……)

 照れながらも自分達の気持ちを打ち明け合い、これからというところで無粋な電話がかかって来たので、御幸は祖父善斎を恨みかけた。しかし、今は鳥取で何かが起こっているのは御幸も裕貴も感じている。だからそう無碍むげにはできない。

「こんな時間にどうしたの、お祖父ちゃん?」

 御幸は呼吸を整えるように尋ねた。すると善斎の声が、

「これからそちらに出羽の遠野泉進が行く。宗家の裏庭にある黄泉の井戸の封印を強めるためにな」

「え? 泉進様が?」

 御幸は泉進と高校時代会った事があるのだが、スケベなジイさんというイメージしかない。

「昨年の辰野神教の事件の時に関わりがあった竜神剣志郎という藍の同僚の教師も同行している。皆で力を合わせて、黄泉の井戸が解放されるのを防いでくれ」

 善斎の言葉に御幸はギョッとして裕貴を見た。裕貴も思わず唾を飲み込んでしまった。

「わかったよ、お祖父ちゃん」

 御幸は裕貴と目配せし合ってから返事をした。すると善斎が、

「まさかとは思うが、裕貴と一緒ではあるまいな?」

「え?」

 御幸は仰天して携帯電話を落としそうになった。裕貴はドキッとして御幸から離れた。携帯を通して善斎にばれてしまうような気がしたのだ。

「や、やだなあ、お祖父ちゃん。何言ってるの? もう十二時過ぎだよ。一緒にいる訳ないじゃない」

 御幸は心臓が破裂しそうなくらい動悸が激しくなっていた。

「ならよい。裕貴にも声をかけて、泉進を迎える準備をしろ。何をすればいいかくらい、巫女のお前にはわかるな?」

「う、うん」

 御幸は手が汗ばんだので携帯を持ち替えながら頷いた。

「では、頼んだぞ」

 御幸は携帯を切り、フウッと溜息を吐いた。

「聞いた通りよ、裕貴君。早速取り掛からないと」

 御幸は炬燵から立ち上がった。裕貴も立ち上がり、

注連縄しめなわの儀だな?」

「うん。私、着替えてくるね」

 御幸は微笑んで言うと、部屋を出て行く。

「あ、俺も」

 裕貴も慌てて廊下に出た。


 剣志郎は上下ジャージに着替えると白装束に着替えた泉進を乗せて小野宗家に向かって出発した。泉進から鳥取と島根で起こっている事を聞かされ、彼は藍の事が心配で堪らなくなっていた。

「仁斎からの連絡でな。鳥取分家の馬鹿息子が仕出かした事を収めるために小野宗家の黄泉の井戸を封じ直さねばならんのだ」

「そ、そうですか」

 剣志郎は運転に集中しながら助手席の泉進の話を聞く。

「藍はどうしているんですか?」

 剣志郎はハンドルを切りながら尋ねた。泉進は剣志郎をニヤリとして見ると、

「気になるか?」

「そりゃあ気になりますよ。何しろ、一世一代の告白をした相手ですから」

 つい口を滑らせ、あっとなる。しかし泉進はそれをからかうような事は言わなかった。

「藍ちゃんはもしかすると勝てぬ相手と一戦交える事になるかも知れん」

 泉進の物言いに剣志郎はビクッとした。

「勝てない相手、ですか?」

「うむ。何しろ、始めの女神だからな。藍ちゃんの最終奥義の姫巫女二人合わせ身も通用しないだろう」

 剣志郎は思わず車を停止してしまった。

「そんな!」

 すると泉進は剣志郎を睨みつけ、

「そうならないために小野宗家に行くのだ! しっかり運転せんか!」

と怒鳴りつけた。

「あ、はい!」

 剣志郎はアクセルを踏み込み、車を再スタートさせた。


 仁斎と丞斎は珍皇寺の住職の案内で裏庭にある黄泉の井戸に来ていた。

「六十七年ぶりか」

 丞斎が井戸の前に立って呟く。すると住職が、

「あれ以来全く異変のような事はありませなんだが、昨日の朝、その蓋がガタガタいいましてな」

 仁斎と丞斎はハッとして住職を見た。住職は井戸の蓋を見て、

「何やら不吉な事が起こる気ィがしましたので、丞斎はんからご連絡いただいた時はやっぱりて思いましたわ」

 丞斎も井戸の蓋に目をやり、

「やはりここに影響を与えているか。そうなると、東京の黄泉の井戸も何か起こっているやも知れんな」

 仁斎は丞斎が「宗家」という呼び方を極力しないのに気づいているが、丞斎自身無意識に言っているのでとがめたりしない。

「そちらは裕貴と御幸が収めてくれよう」

 仁斎は井戸に近づきながら応じる。

「やるぞ」

 仁斎は丞斎をチラッと見て言った。丞斎は頷いた。二人は柏手を四回打った。すると井戸の蓋がバンと跳ね上がり、地面に落ちた。

「おお!」

 それを見て住職が思わず叫ぶ。

「戦時中、源斎が軍部に協力して自分の力を溜め込もうとしたのを阻止するため、一度ここを開けたが、あの時より妖気が強くなっているな」

 丞斎が井戸を覗き込んで言った。仁斎は黙って頷くと、井戸に手を差し入れた。

「あの時は使わずにすんだが、今回は使わずにすませる事は難しいな」

 仁斎はそう言いながら井戸の中からこぶし大の黒い玉を取り出した。

「ほお、それが黄泉の玉ですか?」

 住職が目を見開いて尋ねた。

「そうです。これを使わねばならぬ日が儂らが生きているうちに来ようとは、夢にも思わなかった」

 仁斎はその玉を両手で包み込むようにして持った。

「長生きし過ぎたのだ、儂らは」

 丞斎が自嘲気味に言った。

「開祖である小野篁公のお力で封印した那美流の闇を解き放つ以外、始めの女神に勝つ手段はない」

 仁斎は黄泉の玉を睨みつけて呟いた。

「では、収め直すか」

 仁斎は黄泉の玉を住職に手渡すと、丞斎ともう一度柏手を四回打った。すると地面に落ちていた蓋がまたバンと跳ね上がり、スパンと井戸の上に落ちた。

「これだけでは心許こころもとない」

 仁斎と丞斎は懐から注連縄を取り出し、井戸の周囲を囲い、蓋の上に渡した。そしてもう一度柏手を四回打った。

「ほお……」

 住職が思わず溜息を漏らしてしまうほど、井戸の周辺が清らかな気で満ちていく。

「勝てますか、これで?」

 住職が黄泉の玉を仁斎に返しながら尋ねる。仁斎は首を横に振り、

「わかりません。只、これで勝てねばもうどうやっても我らの負けだという事は確かですな」

 住職はスッと手を合わせ、

「微力ながら祈らせていただきます」

「ありがとうございます」

 仁斎と丞斎は住職に頭を下げ、珍皇寺を後にした。

「さて、次はお前のところだ」

 仁斎は門を出るなりそう言った。丞斎は頷き、

「黄泉の井戸跡、だな」

 その言い方は不満そうだった。丞斎にして見れば、何百年もの間存在した篁自身が作った最初の黄泉の井戸なのだ。明治の世に宗家が東京に移る時、当時の当主である楓の指示で井戸も移築された。丞斎はそれを受け入れられないのだ。

「東京のものより重要だぞ」

 仁斎は丞斎に気を遣った訳ではないが、そう言った。丞斎は更にムッとし、

「わかっている」

と応じた。

「む?」

 その時、二人は藍の気配を感じ、ほぼ同時に空を見上げた。

「お祖父ちゃん、丞斎様」

 光り輝きながら、藍が舞い降りて来た。

「ここはもうすんだ。後は京都分家の井戸だ」

 仁斎が小声で言った。

「京都分家の?」

 藍も丞斎と仁斎の未だに続く確執を承知しているので、小声で応じた。


 光の結界の中で、明斎は未だにもがいていた。

(おのれ……。まだ俺を拒むか、始めの女神……。何が足りないのだ?)

 全身汗まみれで明斎は眉間に皺を寄せた。

「この身を捧げたというのに何故なのだ!?」

 彼は大声で叫び、髪の毛を掻きむしった。その時、明斎は雅が動いたのに気づいた。

(雅が島根を離れたか……。やはりあの程度の刺客では無理だったか)

 明斎はフッと笑い、

「ならば貴様の手に入れた書に尋ねるとするか!」

と言い、また空間を歪めてそこに分け入り、姿を消した。


 山の中を移動していた雅は、目の前に突然明斎が出現したので、ハッとして後ろに飛び退いた。

「明斎!」

 明斎はニヤリとして雅を見た。

「雅、島根の分家の廃虚で見つけたものをよこせ。そこに始めの女神を起こす最後の手がかりがあるのはわかっているんだよ」

 目を血走らせて雅を睨みつける明斎は、かつて宗家を滅ぼそうとした源斎や小山舞に似て来ていた。

「始めの女神は起こしてはならない。それに俺が見つけた書にはそんな事は書かれていない」

 雅は後退りながら右手に漆黒の剣である黄泉剣よもつつるぎを出した。

「力の差は歴然としているというのに、まだ逆らうつもりかよ、てめえは!?」

 明斎が怒りに任せて怒鳴る。彼の右手には光と闇が混合した剣が現れた。

「始めの女神を起こそうとする者は命を懸けて阻止するのが、島根分家、すなわち第一分家の者の使命だ」

 雅がそう言うと、明斎はカッと目を見開き、

「第一分家は鳥取分家に移ったんだよ。だから、俺が第一分家の当主だ。よって始めの女神を起こすのは正当なる行為だ!」

 明斎の常軌をいっした言動に雅は哀れを感じていた。


 剣志郎と泉進は小野宗家に到着し、玄関先で裕貴や御幸と顔を合わせていた。

(この男が、藍の遠い親戚?)

 剣志郎は敵意こそ見せないが、警戒心を持って裕貴を見た。

(こいつが、藍ちゃんと同じ高校の教師?)

 裕貴は藍に昔は確かに惹かれていたが、藍の気持ちが雅にあり続けているのを悟り、身を引いたのだ。だから北畠大吾が剣志郎に吹き込んだ情報は完全に的外れである。

「御幸ちゃん、すっかり大人っぽくなったな」

 泉進がそう言うと、御幸は苦笑いして、

「ありがとうございます」

 御幸は剣志郎の事が気になっていた。

(この人が、藍姉あいねえがよく話してくれる人ね)

 御幸はあまりにわかり易い剣志郎の裕貴に対する反応にもう少しで笑いそうになってしまった。

(それにこの気圧されるような気の流れ……。無自覚なのが怖いな)

 御幸は剣志郎の竜の気に気づいていたが、当然の事ながら、裕貴もその凄まじい気に驚いていた。

(泉進様が連れて来るのも頷ける。この人の気があれば、藍ちゃんも戦える)

 裕貴は剣志郎と違い、全く警戒心はなかった。

「時間が惜しい、黄泉の井戸に行くぞ」

 泉進は三人に先んじて裏庭へと歩き出した。剣志郎達はハッとして泉進を追いかけた。

「おーい、俺も混ぜてくれ」

 そこへ北畠大吾が現れた。裕貴と剣志郎が同時に振り向き、

「北畠、どうしてここに?」

 二人は申し合わせたかのように異口同音に尋ねた。

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