夕 :買い物の続きから夕餉の支度まで
“ヴィグルート工房”を出た二人は、顔を真っ赤に染めながら職人区画の通りを歩いていた。二つの小瓶は、工房で用意された小さめの木箱に収められ、“彼”の手に抱えられている。
暫しの間、赤面して黙々と通りを進んでいた二人だったが、不意に彼女は歩みを止めて、その頭を振り仰いだ。見上げる彼女の視線の先には、一つの看板が掲げられた店があった。その店の看板には、“クラウデル家具店”と書かれていた。
暫しの間、店の看板を見上げていた彼女は、顔を下ろして店の扉を開いた。
「……こんにちは……キャメル様、いらっしゃいますか……?」
店に入った彼女が投げかけた呼び声に、程なくして一人の人物が顔を出した。
「はいはい、いらっしゃいませ……っと、これはメイちゃんじゃないか」
顔を出したのは、暗色の髪を持つ痩身の中性的な容姿の人物であった。彼の人物の名はキャメル=クラウデル――この“クラウデル家具店”の店主である。
「お久し振りです、キャメル様」
微笑みかける店主に向けて、彼女は深々と頭を垂れた。そんな彼女の様子を見て、その微笑みを些か苦笑混じりのものに変えつつも、店主キャメルは穏やかな口調で言葉を紡ぐ。
「お久し振りだね。今日やって来たのは、いつもの品で良かったかな……?」
「はい、お願いします」
「分かった……ちょっと待っててくれるかな。今用意して来るからね」
そう言うとキャメルは微笑んで店の奥へと引っ込んで行ったのだった。
店の奥へと去ったキャメルを見送る彼女に向けて、“彼”は問いの言葉を囁いた。
「……あの、メイさん……あの方は、どう言う方なんですか……?」
「……どう言う方……?」
「何と言うか……何か、貴女の態度が幾分か畏まっている様な気がしたもので……
もしかして、あの人はメイさんの“親”なんですか……?」
その問いかけに、彼女は困惑気味に目を見開いた後、微苦笑を漏らした。
* † *
古代紀の金属人にあった慣習として、彼等は自らの創造者を“親”と認識すると言うものがある。
これはメタル・ビーイングの始祖たるミゼル=ヴァンゼールが、その創造主であった魔法機械の名匠フォウム=ヴァンゼールの養子となり、彼の工廠――ヴァンゼール工廠を受け継いだと言う事績が前例となって形成された慣習である。
この事から古代紀のアティス機械王国において、創造された数多の金属人は、基本的に自らの“核結晶”を創造した術師を親と見做し、その姓を名乗っていた。ただし、比較的後代の量産型世代機の中には、製造された工廠の名を自らの姓として用いており、若干の例外と言える存在も少なくない。
一方で、金属人の“親”と認識されるのは、“核結晶”を創造した術者だけではない。それは金属人の身体――その基礎骨格や外装等を製作した者に対しても、彼等は自らの“親”と見做す慣習を持っている。
ただ、当然のことながら、“核結晶”の創造者と“機体”の製作者が同一の人物である例は少なくない数存在する。
しかし、人間の“魂の座”を再現する精緻な術式を込めた“核結晶”を創造する才能と、均整の取れた美しい肉体を再現した“機体”を作製する能力と言うのは微妙に異なるものであり、両者を兼ね備えた者がそれ程多い訳ではなかった。むしろ、両立していない場合の方が多い傾向にあったとも言えるだろう。
これは魔法術式の取り扱いに関してはユロシア帝国を起源とするユロシア人やその血の色濃いアティス人と言った人間|(当然だが古代紀の人間種である)やユロシア・エルフ族やトート族等の種族が得意としていたのに対して、機体の造形に関してはアティス大陸を期限とするベルグ人の血が色濃いアティス人やオドヴォル・ドワーフ族と言った諸種族が得意としていたと伝えられている。
こうした事情から、機体を後者に該当する諸種族が作成し、“核結晶”を中心とした中枢部の作製を前者に該当する諸種族が行う……と言う分業制での魔法機械の製造が、それなりの規模で行われていた。
その様な分業制で創造された魔法機械生命体の場合、“核結晶”を創造した者を“親”と見做し、その姓を名乗ると同時に、機体を製造した者も同様に“親”と見做して敬意を払う習慣が見受けられた。
もっとも、“親”と見做す両者ではあっても、姓を譲り受ける”核結晶”の創造者の方が、より敬意を払うべき者とする傾向にあったらしい。
* † *
微苦笑を浮かべる彼女の姿に、“彼”は彼女の顔と店主が去った店の奥を交互に視線を走らせる。
その困惑気味な“彼”の様子に浮かべる笑みを優しげなものへと移しつつ、彼女は返答の言葉を紡ぎ始める。
「……少し違います。そう言えば、お話していませんでしたね……
確かに、私達の身体……基本骨格や外部装甲に当たる箇所は、ティアス様が他の方にお願いして作成して頂いたそうです。その方の名前は、アエゲスト=ネイト様……“芸術都市”ミュゼリアでも高名な芸術家の方です。
この店の店主であるキャメル様は、アエゲスト様のお弟子の一人なんです。聞いた所によると、アエゲスト様の助手として私達の身体の作製にも関わっていたそうですよ」
「へぇ、そうなんですか……なるほどね……」
彼女の返答を聞き、“彼”は納得気に軽く数度頷いた。
そんなやり取りをしている間に、幾つかの瓶や小箱を載せた台車を押したキャメル氏が店の奥より現れた。
「……やぁ、お待たせ……
今用意出来るのはこんな所なんだけど、中身を検めてくれるかな……?」
「はい、それでは失礼致します」
出て来たキャメル氏の言葉に、メイは一度頷きと共に言葉を返した後、台車に載せられた幾つかの瓶や小箱を順番に手に取り、その蓋を開けて中身を検め始める。
小箱に収められていたのは淡褐色の粉末――樫材のおがくずであり、瓶に入っているのは赤味の帯びた琥珀色の粘り気のある液体――樹脂溶液や粘性のある光沢を帯びた乳白色の固体――塗蠟、或いは蒸留で純度を高めた酒精と言った物が収められていた。これらの品物は、彼女が食料としている物品の数々であり、彼女の配下であるコアトリア家の侍女達の体内薬液の原料でもある。
そうして箱や瓶の蓋を開けて中身を覗き込んだ彼女は、一頻り品物を眺めた後で店主に向けて声をかける。
「キャメル様、味見してもよろしいですか……?」
「えぇ、構いませんよ」
店主の承諾を聞いた後、彼女はその指で箱の中身を少しばかり摘み取り、或いは瓶の中身を掬い取って順々に口に運んで行く。
「……………………!」
口に含んだおがくずは奥深い旨味を感じさせる上質の味わいを持ち、舐めとった樹脂溶液や酒精は各々独特の心地良い甘味が口の中に広がる。
流石は高級家具を扱う店舗で揃えられた品々だけはあり、高品質な品々特有の美味しさを持っていた。その妙なる味わいに、彼女は一時恍惚とした面持ちで立ち尽くす。そんな彼女の姿を目にして“彼”の顔に朱が射したことは、店主であるキャメルだけの秘密となったのだった。
* * *
ともあれ、“クラウデル家具店”が用意した品々は、その高い品質に彼女が満足し、その様子を確認した“彼”の懐から出されたマーク銀貨によって全て買い取られた。
“彼”――ルアークの為に購入された品々と、彼女――メイの為に購入された品々を“ヴィグルード工房”より借り受けた台車に載せて、二人は再度帰路に着いたのだった。
彼女等がコアトリア家の屋敷に程近い路地に到った時、屋敷の方から彼女等に向けて駆け寄る人影があった。
「あ!……やっ~と、帰って来た!」
「……レイアお嬢様……」
“虹色”の髪を靡かせて駆け寄って来たのは、彼女が仕えるコアトリア家の令嬢――レイア=コアトリアだった。
駆け寄る“虹髪”の少女に向けて、彼女は問いの言葉を投げかけた。
「如何かなさったのですか、レイアお嬢様……?」
「って、如何もなんも……皆んな帰って来たのに、晩飯の準備が何も進んでないんだぞ……!」
「……え?……まだ、夕餉を行うには幾分余裕のある時間帯だったと思うのですか……?」
「今日は“武術”の教練があったから、あたしはもう腹ペコなんだ……それに、もうそろそろ夕飯時なのには違いないんだからな……!」
「それは、申し訳ありません」
頬を膨らまして捲し立てる令嬢に彼女は首を垂れた。そして、隣に立つ“彼”の方へと向き直り、彼女は言葉を紡ぎ出す。
「ルアーク様……申し訳ありませんが、夕餉の準備を進めねばなりません。失礼させて頂きたいのですが……」
悄然とした風情でそう口にした彼女に向けて、“彼”は微笑みを浮かべて言葉を返した。
「メイさん、お気になさらずに……荷物は僕が運んで置きますから…………二階の、貴女の部屋で良かったですか……?」
そう言って、“彼”は荷物が乗った台車の取手に手を置いた。
「そんな!……そんなことをして頂いては……」
「それこそ、お気になさらずに……レイアちゃんが待っていることですしね」
恐縮頻りと言った風情の彼女に向けて、“彼”は茶目っ気を漂わせた口調で言葉を紡ぐ。その言葉に、彼女は再び深く頭を垂れた。
「は、はい……申し訳ありません。屋敷のレンやメルに手伝わせる様にしますから……」
それだけ言うと、急かす様に見上げる令嬢に従って屋敷の中へと駆けて行ったのだった。
* * *
屋敷に戻る道すがら、彼女は自身の持つ魔法機械支配力を起動させる。
屋敷の敷地を進みながら、彼女はその能力によって屋敷に残る侍女達の状況を確認する。
侍女達は魔法機械人形であり、特に指示されていなければ屋敷の住人の邪魔にならない部屋や廊下の隅で控えているか、自室の格納筒で休眠する程度で、自発的な行動を取る機能は基本的に保有していない。その所為もあって、侍女達は先程購入した食材の収納を行った後、各々が厨房や地下の保管庫の近辺で動きを停めて待機しているらしいことが感じられた。
彼女は歩を進めながら、そうした侍女達に向けて遠隔での指示を与えて行く。
食材保管庫付近で待機している者達には、夕餉に用いる食材を運ばせ、厨房付近で待機している者達には、竈の火や鍋等の用意を命じて、調理の準備を進めさせて行く。そうした上で、竈の火を熾したレンと、食材を厨房へ運び終えたメルに“彼”――ルアークの下で作業を手伝うようにと指令を飛ばす。
玄関を通り、廊下でレンとメルに擦れ違った後、彼女は厨房へと到着していた。そこでは既に、運び込まれた食材の下拵えが進んでいる所であった。
何と言っても、侍女達も彼女と同じく“家事用機体”に分類される存在である。作るべき献立と調理の指示を与えてやれば、この程度の準備は進めてくれる。
後は、仕上がりの味付けや盛り付け等の繊細な作業や、不測の事態への対処と言った部分を行える者がいれば良いのだ。
そんな訳で、彼女は侍女達の作業が順調に進んでいるのかを監督しながら、少しばかり物思いに耽っていた。
今日は“彼”――ルアーク=ヴァンゼールが訪問している。
“彼”は屋敷の主――ティアス=コアトリアの親友の子息であり、コアトリア家にとって大事な客人である。そんな客人と共にする夕餉となれば、普段より幾分か華やかな献立とした方が良い様に思われる。しかしながら、金属人であるルアークにとっては普通の食事を食することは出来ない。
とは言え、人間等の多くの亜人程の頻度ではないものの、魔法機械生命体も定期的に食事を摂取する必要はある。だからこそ、今日の夕餉に“彼”の為の食事を用意することにしようと考えていた。
幸いにして、先程買い揃えた鉱石や薬液の類は品質の良い物であった。“彼”の手伝いをしているレンとメルへと支配力を伸ばしてその様子を確認すると同時に、“彼”の為の食材となる鉱石や薬液を取り分けで持って来る様にとの指示を与えたのだった。
* * *
そうして、夕餉の準備は侍女達の手によって進んで行く。
そんな中でコアトリア家の人々の食事は、侍女達の手によって進められて行く。そんな中で、彼女自身は“彼”の為の食事――鉱物粉を薬液に溶いた金属人用スープの調合を手ずから進めていた。
金属人用スープと言う代物は、摂取する金属人の体内薬液の成分を基本として、装甲や骨格を構成する主要金属の鉱物粉を練り込むことで出来上がる代物であり、その調合は比較的容易な物と言えなくはない。
しかし、“彼”は、神銀と飛行金の複合素材によって構成されたと言う稀有な金属人である。スープには神銀と飛行金と言う二種類の魔法金属の粉末を加える必要がある。
例えば、どちらか一種の鉱物粉のみでスープを調合しても、“彼”は十分食用に値する代物と言ってくれるだろう。しかし、それは言うなれば、塩の入れないスープや砂糖を入れない菓子の様な、何処か間の抜けた味しかしない代物でしかない。
だからと言って、適当に二種の鉱物粉を混ぜ入れれば良いと言う訳でもない。基本的に“彼”を構成する割合と等しい比率で神銀と飛行金の鉱石粉を混入しなければ、味の均衡が崩れて恍けた味になってしまう。これに“彼”自身の体調等を勘案した上での微調整を加えてより良い配合割合を算定しなくては、美味なるスープを調合することは出来ない。
更に欲を言うなら、基礎となる薬液の配合にしても、“彼”の体調を考慮して配合具合を微調整した方が良いことに間違いはない。
そんなことを考慮しながら、彼女は薬液の調合から進めていた。
“彼”は、金属人としては一般的な水銀等の液体金属を基礎として、幾つかの魔薬と言った薬液を容量を正確に測りながら丁寧に調合して行く。
溶媒である薬液の調合が済むと、そこに慎重に粉砕した“魔力石”の粉末を加えて行く。
今回加えているのは、ティアス謹製の“虹色の輝石”やラティル謹製の“虹色の碧玉”を粉砕した代物である。何れも普通の“魔力石”と比べ物にならない程の濃密な魔力を内包した上質な物……いや、最上級の品質とも言える物である。
これらは、コアトリア家で働く侍女としての彼女等に俸給兼食料の一つとして定期的に渡されている。
余談ではあるが、これらの輝石は、その透明度と鮮やかな“虹色”の色彩もあって並の宝玉なぞよりも高額で取引されている。
ともあれ、この輝石を用いるのは当然、“彼”により美味なる食事を摂って貰いたいと想いの表れであった。
魔法機械生命体にとって、“魔力石”は共通の食糧源である。故に、“魔力石”の粉末は魔法機械生命体には心地好い甘味と言った味わいを感じることが出来る物質であった。しかし、人間の甘味料に質の上下がある様に、“魔力石”の味もその品質に左右される。
彼女の経験からすれば、市場に出回る様な並の“魔力石”を粗製の黒糖の如き物と譬えるなら、この“輝石”は上質の白砂糖をふんだんに使った果実の砂糖煮にも譬えられる様な芳醇で濃厚な美味を齎してくれる物であった。
そう言う訳で、これら“輝石”の粉末を惜しげもなく薬液に溶いて行く。とは言え、人の料理と同じく、むやみやたらに投入すれば良い訳ではないので、その辺りの分量は見極めた上で調合して行く。
ちなみに、大陸間移動と言う高高度かつ超長距離の飛行を行った後で精密な魔法機械の整備を行った“彼”の疲労を癒す為に、心持ち“輝石”の粉末は多目に入れていた。
そうして、“魔力石”の粉末が薬液に十分溶け込んだ所で、先程購入した物から抜き出した神銀と飛行金の鉱石粉を、天秤で最適な分量を量り取って薬液へと溶いて行く。
やがて、適度な粘度を得て出来上がった薬液を、彼女は小匙で軽く啜って味を確かめる。強い苦味の中に覗く豊かな甘味を感じるその味は、彼女自身にとっては余り美味しい物ではないものの、“彼”にとっては美味なる味であると思えるものであった。
* * *
そうして完成した“彼”の為のスープが入った皿に蓋をし、同様に調合で使用した素材の容器の封をした彼女は、厨房で働く侍女達の方へと振り返る。
振り返った彼女の視線の先では夕餉の準備がほぼ整う状況となっていた。“彼”の為のスープの調合を進める脳裏の片隅で、“支配能力”を利用して侍女達の動きを監督していたので、彼女にとっては何も驚く様なことではない。
彼女は最後の仕上げ――味付けの確認や盛付け等と言った作業を進めた上で、出来上がった料理を食器用の台車へと移す様に侍女達に命じる。
そして、その台車の一角に、手ずから調合した“彼”――ルアーク用の食事が入った皿を収め後、台車を引く侍女達を率いて食堂に向かうのだった。
ルアークには気合の入った手料理なのに対して、主家の人達には(ロボットな)侍女達が自動的に作成した料理と言う対比……
自分で書いていて何ですが、落差が酷い気がしなくもない……(苦笑)