午後:買物
“彼”――ルアークよりの提案に、半ば上の空になりながらも彼女は食事を終らせた。そして、食堂の隅で静かに待機していた侍女達と共に食事の後片付けを始める。
彼女達は、空になった二つ皿と薬液の入った瓶を、侍女達の控室へと持って上がる。
侍女二人に薬液瓶を棚の指定箇所へと収めさせるように命じる一方で、彼女自身は空の皿を控室に備え付けられた流し台に運ぶ、そして、“彼”に出された皿に残った薬液を指で掬って一舐めした。彼女の口の中に苦みの中に甘味や酸味の入り混じった微妙な味が拡がって行く。
口の中に広がった味を、“彼”にとって美味と言える味なのだと、心の内に刻み込ませる。この味見は、コアトリア家の人々の料理を味見するのと同様に、自分と異なる存在の味覚認識を理解する作業の一環である。これらの作業によって、彼女の認識機能が拡張され、やがてはコアトリア家の人々や“彼”により美味しい料理を用意することが出来る様になる筈である。
それは“家事用機体”に区分される彼女にとって、機能拡張しやすい分野であると同時に、大いに励みになる事柄でもあった。
ともあれ、そうした作業を終えた後、彼女は流し台に運んだ皿や匙を丁寧に洗い、洗い終えた食器を乾拭きして棚へと収めて行った。
* * *
これらの作業をそれ程の時間をかけることなく終わらせた彼女は、今度は外出の為の準備を始めた。
まず、彼女は衣装棚の扉を開いた後、今身に纏っていた侍女服を脱ぎ始める。そうして、脱いだ侍女服を彼女は一旦衣装棚へと収めた。
やがて、彼女は一糸纏わぬ姿となった彼女は、薬品や工具等を収めた棚より、一つの壺を取り出し作業台に置いた。そして、彼女は壺の封を開ける。壺の中には肌色の粘液状の物体で満たされていた。
壺の中身は、その名を“偽装皮膚”と言う。古代アティス王国において金属人等に用いられた装身具の一種である。
その正体は粘液状疑似生命に分類される魔法生物の一種である。半ば機械的に周囲の物質を捕食する様に行動する一般的な粘液状疑似生命とは異なり、これは魔法機械生命体の放つ魔力波動に反応して、彼等の外周を覆い、その質感や色彩を変化させる機能を有している。
この機能を利用して、魔法機械生命体――特に、金属人はその外見を生身の存在に近い容姿となることが可能となるのだった。
彼女は、壺の中に満たされた肌色の粘液――“偽装皮膚”に右手を浸し、その右手に向けて意識を集中させる。
次の瞬間、右手が浸された粘液の表面が、突如として幾重にも波打ち始める。そして、波打ちだした粘液は、右腕を這い上がって行く。
やがて、右腕を這い上がって行く粘液は侍女服の内側を通り、右肩から右胸や背……そして、這いずる様に拡がりながら彼女の全身を薄い層となって包み込む。全身を包み込んだ“偽装皮膚”は、単調で何処か不自然さを見せる肌色から、微妙にその色味を変化させて行き、それと同時に粘液状であった触感を若干の硬さと部分的に幾分かの凹凸を生じさせて行く。
それら一連の変化が終息した時、その場に立っていた彼女――メイの姿は、木製の外殻を有する人型の魔法機械ではなく、赤毛の髪とやや赤みのある肌を持った一糸纏わぬ人間の女性に見えた。
ただ、彼女の姿は顔や腕・指先と言った箇所はともかく、局部等まで微細に再現されている訳ではなかった。
古代においては、彼女と同型の家事用機体の中には、主人の閨での相手を勤める機能を有した機体も存在していたが、そうした機体の持つ“偽装皮膚”であれば、女性として裸体の形状を忠実に再現した物もいたと耳にしている。
しかし、彼女にはそうした機能を求められていないこともあって、そこまで微細・詳細なまでの模倣はされていなかった。
なにより、それ以前にある一点――より正確には二点が“偽装”されていないが故に、人間でないことは一目瞭然となっている。
ともあれ、“偽装皮膚”が正常に展開したことを、彼女は姿見で確認し、衣装棚に一旦収めていた侍女服を改めて袖を通して行く。
そして、彼女は衣装用の棚から面紗を取り出した。そうして取り出した侍女服の色合いに合わせた色柄の面紗を、彼女は自らの頭に被せた。
* † *
外出時……特に、“偽装皮膚”を纏っての外出において、彼女は面紗を被ることが習慣となっている。
それは、彼女の瞳に理由がある。彼女の目は白目・黒目の区別のない銀一色の物となっている。その目は金属人として見れば大きな違和感を抱かせる様な物ではない。
しかし、“偽装皮膚”を纏った彼女の瞳は、人間の様な虹彩持つ目ではなく、本来の銀一色の代物のままになってしまうのだった。金属人の姿ならともかく、人間の姿でその様な瞳を持てば強い違和感を相手に抱かせることになる。
だからこそ、その瞳を見慣れていないコアトリア家以外の者達と相対する可能性のある場所では、面紗を被る様になったのだった。
* † *
“偽装皮膚”で身を包み、侍女服を身に着け、面紗を被った彼女――メイは、改めて自らの全身を姿見に映して不具合がないかを確かめる。
鏡に映る自分の姿を、上から下まで順に見渡した彼女は、まず午前までの家事仕事で若干乱れた髪を軽く手櫛で整える。
そうして髪の乱れを直した彼女は、一旦面紗を上げて、右手の人差し指を色の薄い唇へと当てる。そして、指の当たる唇に意識を向け、そっと当てた指を唇に沿ってなぞる。その指の動きに合わせて、唇の色が鮮やかな真紅の色へと移り変わる。
それは、“偽装皮膚”が持つ機能を応用した金属人特有の化粧法である。この方法は、この家に遊び来た“彼”の妹から教えられたものだった。
唇をなぞった後、彼女は頬や目蓋を撫でて、それらの箇所に彩りを添える。
一通りの化粧を施した彼女は、改めて面紗を被り直し、次いで身に纏う侍女服の乱れを直して行く。
そうした一連の身支度を終えた彼女は、再び姿見に映る自らの姿を確認する。そして確認し終えた彼女は、姿見の前で深く頷いた後、部屋を出て“彼”の待つ場所へと向かったのだった。
* * *
彼女は階段を下り、廊下を進む。
そんな彼女が向かった先は、先程まで二人が食事を摂った“食堂”ではなく、最初に“彼”が降り立った中庭であった。
階段を下りた彼女は、厨房に寄って買い物籠を手にした上で、中庭に辿り着いた。
彼女が中庭に辿り着いた頃には、“彼”は中庭で騎獣たる機鳳――フォアンにもたれかかりながら彼女の到着を待っている所だった。
そんな“彼”の姿も、彼女と同様の意味で一変していた。彼の姿は、普段の神銀と飛行金による複合装甲に鎧われたそれではなく、薄い小麦色の肌と金色の髪を持った生身の人間の青年に見える姿へと変化していた。
“彼”は‘つなぎ’に袖無しの上着が組み合わさった古代アティス様式の礼服を纏っており、その姿は古代アティス王国の若き技術師と言った趣きを持っていた。
中庭で待つ“彼”は、到着した彼女の気配を逸早く気付いたのか、彼女に向けて眩しい程の微笑みを湛えて、彼女を迎えた。
「……メイさん、準備が整いましたか?」
「はい、お待たせ致しました、ルアーク様」
「それじゃあ、買い物へ向かいましょうか」
「はい……」
そんな言葉を交わし、金髪の青年と飴色の髪の侍女はともにコアトリア家の屋敷から都市の路地へと進み出たのだった。
* * *
“彼”――ルアークと彼女――メイの二人は、都市南部にある商業区画へと歩を進めた。
異国風の礼装を纏う青年と侍女の装いを纏う女性の二人が路地を進む姿は、道行く人々からの視線を集めることになる。とは言え、コアトリア家の侍女のことや、彼の家の交友関係を知る者はそれなりにいることもあって、二人の姿に目を止めた人々もその多くは暫しの後に得心した様子で視線を外した。
しかし、遠方より大神殿への巡礼に訪れた者等の中は、見慣れぬ取り合わせに映る二人組をしげしげと見詰める者も少なからず見られた。そんなこんなで、周囲の視線を集めつつ二人は都市の街路を進んで行った。
しかし、二人ともが特異な種族と言う生まれもあって、見知らぬ者からの視線を集めることも珍しくもない為、周囲の視線を気にすることなく歩を進めて行く。
そうして様々な商店が並ぶ商業区画へと辿り着いた二人は、建ち並ぶ商店に並ぶ品々へと視線を走らせる。半歩前を行く“彼”と、その後に続く彼女は、まずは食料品が販売される店が並ぶ市場を通って行く。
彼女は店先に陳列される様々な食材へと視線を走らせつつ、その鮮度や価格と言った事柄を吟味して行く。そして、これはと言った品を手に取り、再度の詳細に吟味を行いつつ店主等へと交渉を始める。
そうして彼女が足を止める毎に、“彼”は同じく足を止め、彼女の半歩後ろに下がり、食材を見詰めて吟味したり、店主等と価格等の交渉を進めたりする様子を感心する面持ちで眺めていた。
そうして彼女は、店主等との交渉の成果としての様々な食材を手に入れる。手に入れた食材は持って来た買い物籠の中へと収めて行く。
やがて、買い物籠に収まりきらなくなると、籠の中に仕込んでおいた大袋を取り出し、そちらへと食材を詰め込んで行く。籠と大袋を両手に抱え込んでふらつくメイの姿に、“彼”は声をかける。
「良かったら、袋の方を持ちますよ」
「え?……そんな、畏れ多い……」
「そんなこと言わずに……」
“彼”の言葉に恐縮する彼女に向け、“彼”は微笑みを返した。そして、そのまま“彼”は彼女の左手から大袋を取り上げ、自らの手に抱え込んだ。
「あ……ありがとうございます……」
「どう致しまして……」
恐縮の余り囁く様な声音で紡がれたメイの言葉に、“彼”は爽やかな微笑みと共に優しい言葉を返す。そんな“彼”の姿を見上げた彼女の頬は、彼女の意識に応じて赤みを増した色合いに染まって行った。
そんな彼女の様子を見下ろす“彼”の方も、彼女の変化に引き摺られるかの様に、頬を赤く染め始める。それに気付いた“彼”は、慌てて顔を背けて言葉を紡ぐ。
「さ、さぁ、メイさん……次のお店に、行きましょうか……」
「は、はい……」
大荷物となった籠と袋を抱えるその男女二人は、何処か甘酸っぱい雰囲気を纏わせながら、再び路地を進んで行ったのだった。
* * *
それから程なくして、メイ達は夕餉に使用する食材等を買い揃えることが出来た。
「これでティアス様達に出す夕餉の準備が進められます。お手伝い頂いて、ありがとうございます」
食材の入った籠を小脇に抱えつつ、メイは“彼”に向けて深々と礼をした。そんな彼女に“彼”――ルアークは空いた左手を振って言葉を返す。
「いえいえ、僕なんか大したことはしていませんから……それじゃあ、お屋敷の方に戻りましょうか?」
そう言って屋敷の方へと踵を返す“彼”に向けて、メイは思い切って声をかける。
「あ、あの!……もう少しだけ、向かいたい場所があるのですが……よろしいでしょうか?」
「……えぇ、構いませんよ」
メイの言葉に、“彼”は微笑んで了解の言葉を返した。
* * *
二人はひとまずコアトリア家の屋敷まで戻り、買い集めた食材等を屋敷で待っていた侍女達へと預けた。彼女よりの命令を受けて、侍女達の幾人かが手分けして受け取った後、屋敷の地下にある食材保管室へと運び込んで行った。
そんな侍女達の行動を金属人独特の感覚で認識しながら、メイは“彼”と寄り添う様にして再び路地を進んで行く。
その足取りは、夕食の準備のこともあって、心持ち早足気味ではあったが、隣を行く“彼”のことを想って嬉しさで軽やかなものとなっていた。
そうして、再び都市南部の商業区画へと足を運んだメイ達二人は、先程見回っていた商店の並ぶ路地よりも一筋二筋奥まった路地を進む。そこは食品を商う者達が並ぶ区画ではなく、鍛冶屋や家具職人と言った職人達の工房や彼等相手の商売を行う商人達の店が並ぶ区画であった。
炉の炎やそれに焙られる金属、或いは削られた木屑に仕上げや手入れに使う蝋や樹脂……そんな様々な物が放つ芳香や臭気が混然一体となった一種独特の雰囲気が漂う場所を、二人は心穏やかな様子で進んで行く。
一般の人々なら、その独特の臭気と雰囲気に気分を悪くしてしまいかねない場所ではあるが、二人は只人ならぬ存在――金属人である。炉から流れる金属を精錬する際の匂いや、蠟や樹脂が放つ異種独特な臭気も、さながら花畑や整えられた森林より溢れ来る芳香にも似た感慨を二人に与えていたの。
そんな訳で、周囲に漂う芳香で何とも穏やかな心持ちのまま、二人は仲睦まじく寄り添って路地を進んで行くのだった。
程なくして、二人は一軒の鍛冶工房の前へと辿り着いた。
そこは、コアトリア家の者達が懇意にしている鍛冶師が開いている工房であり、セイシアやレインが身に帯びる武具――槍や甲冑等の修繕や手入れも、概ね此処へと依頼して行われている。
ともあれ、通い慣れたこの工房の入口の戸を、メイは徐ろに押し開けた。
「……ご免下さい。親方、いらっしゃいますか……?」
黙して返事を待つ二人の耳に、工房の奥より鞴の唸りや刀身を叩く鎚の響きが漏れ聞こえて来る。何やら作業の最中と思われた。
待ってみるか否かを暫し思案したメイであったが、数拍の時を置いて今度はやや大きめの声で、工房の奥へと呼びかけの言葉を投げる。
「……ご免下さい。親方、いらっしゃいますか……?」
再び黙して、工房の奥へと耳をそばだてていると、作業の音が徐々に小さくなり、何がしかの指示を出す声が聞こえた。それから然程間を空けることなく、工房の奥より一人の人物が姿を現した。
手元や顔が煤で汚れた姿のまま彼女等の前に立ったのは、灰色の蓬髪と無精髭を生やした一人の老爺であった。
「……すまんな、奥で作業をしておってのだが、店番の者を置いておくのを忘れていた様だ…………おや、お前さんはコアトリア家の侍女さんじゃないか?」
「ジョルド親方、お久し振りです」
メイは工房の奥より現れた老爺に向けて、柔らかな口調で挨拶の言葉を紡ぐとともに、優雅に頭を下げた。
* † *
このメイが頭を垂れた老爺の名は、ジョルド=ヴィグルードと言う。メイ達が訪れた工房――“ヴィグルード工房”の頭を務める鍛冶職人である。
彼は“鉱山都市”マイニリー王国の出身にして、隣国たる“技術都市”テクノキア王国にて鍛冶を学んだと言う人物である。鍛冶の技術を一通り修得した若き日にセイシアと知り合い、彼の作製した槍や鎧と言った武具を彼女が気に入ったことから、ティアス達コアトリア家の者達と長い付き合いが続いている。
そうした訳で、コアトリア家で鍛冶に纏わる事柄では“ヴィグルード工房”へと依頼を持ち込むこととなっていた。
* † *
頭を下げた彼女は、改めて親方に向けて依頼の言葉を紡ぎ始める。
「今日は、鉱粉を少し分けて頂きたいと思いまして……」
「鉱粉って~と……もしかして、そっちの兄さんの為にかい?」
彼女の言葉に、彼女の傍らに立つ青年へと目線を移しつつ、親方は問いの言葉を返す。その問いかけに、頬に朱を注しつつも彼女は返答の言葉を紡ぐ。
「え、えぇ……こちらのルアーク様の為に、神銀と飛行金の鉱石粉を分けて頂きたいのです」
彼女の紡いだ言葉に、親方は若干苦笑気味な面持ちを見せながら、言葉を返した。
「う~~ん……神銀と飛行金の鉱石粉か……有ることには有るがなぁ……おい!」
返答の後に、ジョルド親方は奥にいるらしい弟子達に声をかけて幾つかの小箱を持って来る様にと声をかけた。
程なくして、工房の入口に置かれた台に、数個の小箱が並べられた。小箱の中には、鉱石を粉砕した細片が詰め込まれている。それぞれの箱に入っているのは、優れた魔法金属として知られる神銀と飛行金の鉱石である。
並べられた小箱の中身を見下ろしつつ、ジョルド親方はやや渋い面持ちで言葉を紡いだ。
「この間、“鉱山都市”から仕入れた神銀と飛行金の鉱石だ……
まぁ、西方大陸の代物には比べるとな……」
苦笑気味に紡がれた言葉に、彼女と“彼”の顔に僅かな苦笑の色合いが浮かんだ。
* † *
北方大陸西方域において、“聖蛇山脈”やや南方に存在する“鉱山都市”マイニリーが保有する数多の鉱脈は、豊富な種類と高い品質を誇る鉱石を産出することで広く知られている。
しかし、そんなマイニリーの鉱脈等よりも高い産出量と品質を誇る鉱脈が、“彼”の出身地である西方大陸には多数存在している。
そのことは、鍛冶師としての経験を積み重ねたジョルドには常識と言って過言ではない事柄であった。
* † *
そんな苦い表情の親方に向かって、“彼”は微笑みと言葉を返してみせた。
「そんなこと気にする必要はありませんよ。こちらの鉱石は、こちらの鉱石なりの良さがあると思いますよ。
あの……少し味見をさせて貰って……?」
「うむ……構わんよ」
「それでは、お言葉に甘えて……」
そう言うと、“彼”は一つの小箱へと手を伸ばし、そこに入っていた鉱石粉を一撮みだけ取って、それを口に運んだ。
暫く瞑目し、その鉱石を味わう様に、“彼”は静かに佇む。程なくして、“彼”は徐ろに目蓋を開け、朗らかな笑顔を親方に向けて声をかけた。
「……少し酸味が強い感じはしますけど、美味しいですよ、これ……」
「そうなのですか?……それは良かった」
“彼”の言葉を聞き、親方よりも先に彼女は喜色を帯びた声が漏れる。
その後を追う様にして、親方の口より呵呵大笑と言った風情の声が飛び出す。
「ハッハッハッ!……先を越されちまったな。
神銀と飛行金の金属人であるお前さんにそう言われると、こっちも安心だ……!
それじゃあ、こいつをどれだけいるかね?」
親方の問い言葉に、彼女は両掌で包み込む様な仕草で返事の言葉を紡ぎ出す。
「神銀と飛行金を……これ位の小瓶に、それぞれを一杯ずつ頂きたいのですが……」
「ふむ……その程度なら構わんよ。
聞いとったな?……奥にある適当な瓶に鉱石粉を取り分けてやれ」
彼女の言葉に、即座に了解の言葉を返したジョルドは、傍に控えていた弟子に鉱石粉の取り分けを命じる。彼の言葉に短い返事をし、工房の奥へと駆け去った弟子の姿を見送っていたジョルド親方は、改めて彼女の方へと振り返って言葉を続けたのだった。
「……っと、所で、この鉱石粉の代金はどうしておけば良いのかな?
何時も通り、コアトリア家の屋敷の方にツケておけば良いのか……それとも……?」
その問いかけに、彼女は少しはにかんだ様子を見せながら返答を口にする。
「……こちらは、私のお給金からお支払い致します。お幾らになりますか……?」
「……そうかね。そうだな…………う~ん、30,000……いや、大負けに負けて28,000銀貨と言った所でどうだい?」
彼女の返答に、ジョルドは暫し思案気に顎に手を当てた後、一つの金額を提示した。
その提示された金額は、その数字だけでは非常に高額なものと言えた。しかし、稀少でかつ高い性能を有する“魔法金属”の鉱石の価格として見れば、安価な値段とみることの出来る金額と言えた。
「はい、それで構いません。すみませんが、お支払いは後日お持ちする形でよろしいですか?」
「うむ、それは構わんよ」
「えっと、28,000マークって、アム《西方共通貨》に換算したら…………!
あの、メイさん……そこまで出して貰うのは、少し申し訳ないような……」
彼女と親方とのやり取りを聞いていた“彼”は、躊躇いがちに彼女へと囁きかける。そんな“彼”に向けて、彼女は微笑みを浮かべて言葉を返した。
「ご安心下さい、ルアーク様。それぐらいの蓄えは持っておりますから……」
「なら、せめて貴女の為の買物ぐらいは、僕に支払わせて貰えませんか……?」
「それは……その……」
微笑んで紡がれた彼女の言葉に、同様の穏やかな微笑みで返された“彼”の言葉に、彼女は返事を言い淀む。
「大丈夫ですよ。僕もそれなりにお金を持っているのは知っているでしょう?
それに今、懐の中にはそこそこのマーク貨幣を持って来ていますしね」
そんな二人のやり取りが交わされる中、彼女達の様子を眼前で見せられる破目になったジョルド親方の面持ちが微妙なものに移り変わって行く。
「……う~む…………お前さん達、そう言うやり取りは、店を出て行ってからやってくれんかね……?
こっちにして見りゃ、少々目の毒でね……」
不意に挟まれた親方の言葉に、見詰め合っていた二人は、我に返った様に慌てて目線を逸らした。
「あ……そ、それでは、私達は失礼させて頂きますね……では、この鉱粉の入った小瓶は頂いて行きますね。
さ、さぁ、行きましょう、ルアーク様……!」
「え?……あ!……はい、行きましょうか、メイさん」
そして彼女は、慌てた様子で早口で言葉を紡ぎ、“彼”の手を引いて“ヴィグルート工房”を後にしたのだった。
こちらの投稿が遅れに遅れて申し訳ありませんでした。
この続きもまた暫く先になるかと思いますが、楽しみに待って頂けると幸いなのですが……