004:見知らぬ樹の海で迷子の俺は【1】
「……ここは、どこだ…………?」
状況を整理しよう。
俺は、あの『第二次チュートリアル』とか言うのを聞いて、まあ驚いたけどそのままスルーしたはずだ。そのあとは人垣をかき分け、なんとか外に出たはず。それからは街の外に出て思い切り走ったんだった。そうだ、狂ったようにシャウトしながら。
ゲームの仕様なのか疲れにくくなってたこの身体のおかげで相当の時間を走っていたはずだ。
そして、今だ。
ギャーギャーと不気味な鳥の声が木霊する。俺の周りを囲むのは森……、というか樹海だった。昼間のはずなのに、周りの日の光は樹木の葉に隠されて何処か薄暗い景色が広がっている。
「明らかに……、明らかに初心者が来る所じゃないだろう、ここは…………」
今までモンスターに遭遇しなかったのが不思議でしょうがない。
まあ、その事は俺の運気が高かったからに違いない、と勝手に結論付け、俺はとりあえずメニュー画面を見てみる事にした。
「オープン」と音声を発する。すると、目の前に薄青で半透明のウィンドウが開かれた。思考だけでも開くことは可能らしいのだが、初心者には今一難しいらしい。なので、今回は音声展開でやる。
俺はその項目の中から【キャラクター】の項目を右の人差し指で押し込む。するとウィンドウはキャラクターのステータス画面に映り、様々な情報が記載されていた。
【Snow:ノービス:Lv1】
多分一番上が名前、二番目が職業、最後がレベルだろう。……いや、それ以外あり得ないか。その他にもHP100にMP100と、いかにも初期値っぽいのが並んでいた。
俺は次に【アイテム】の項目へと移動する。そこには何もないものかと思っていたら、《木の剣》と《木の杖》という二つの武器が入っていた。それを見て、そう言えば武器を装備してなかったな、と今更ながらそれを装備する。
無論装備するのは《木の剣》。剣は物理系職の物、杖は魔法系職の物だ。実は両方とも打撃武器なのだが、このどちらかを選ぶかにより今後のステータス成長に変化が起きるとか、起きないとか。公式ホームページの情報なのだが、いかんせん表記が曖昧だったので余り確証は無い。
俺の手元に青い光の粒子が集まっていき、一メートル前後の木製西洋剣を形作る。無から生み出されたそれを見て「おー……」と声を上げ少し感心し、そして腰に収めた。
「とりあえず……はし――いや、歩くか。これ以上迷うのは得策じゃないしな」
一応、今後の方針(?)を決め、俺は歩き始めた。―――――正確には、歩き始め"ようとした"。
「……ん?」
ふと、視界の上の方で何かが煌めいた気がして上空を仰ぐ。
しかしそこには鬱蒼と葉に覆われた僅かな空があるだけで何も無かった。気のせいか、と気を取り直して俺は歩き出す。そしてその瞬間、
―――――ズゥバァッッン!!
「……っ!?」
俺が今の今までいた所に激しい衝撃音が響き渡った。俺が慌てて振り向くと、そこには剣が刺さっていた。
「はぇ? ……――――」
思わずこぼれてしまった間抜けな声。
しかしその声もすぐ消えた。俺の視線の先に刺さる剣はとても、とても美しかった。それ故に息を呑み、思わず無言になった。
特にこれと言って特徴的な飾りがあるわけではないのに目を引くその姿と、透き通るような黒銀の刃を持ったそれは全てを包んでしまう闇夜の様に美しかった。
細く長い刀身は細剣と片手剣の中間、と言った感じだ。――いや、やっぱり片手剣の方が合っている気がする。
そして俺はそれを小鳥が餌をついばむような軽い手つきで一度触れた。瞬間、そこから薄青で半透明のウィンドウが開いた。そこには、こんな事が表示されてあった。
【剣王の剣:《スライシィス》】
【この剣は如何なる者も操る事が出来る。善を慕う者も、悪を望む者も、和を好む者も、平を嫌う者も、全てが、この剣で舞う。そしてこの剣は、主と共に在る。】
【《スライシィス》 を入手しますか? Yes or No】
俺の指が勝手に、イエスの部分に触れた。
それとともに【《スライシィス》 を入手しました!】と言うものに変わった。俺は、光の粒子へと変わっていくその剣を追うように【アイテム】の項目を開いく。
そこには、新たにデフォルトされた剣のアイコンがあった。俺はそれを何かに憑かれたように滑らかな動作で装備する。先ほどと同じく手元に光の粒子が集まってゆく。
俺はそれを握り、持ち上げた。―――と、思った。
「ぅ、ぅおぉぉもぉぉいぃぃ―――――――――っ!!」
その重量に耐えきれず、ザクッ、と音を立てて《スライシィス》が俺の手に握られたまま地面に刺さった。
俺は自分の叫び声に、幻想に浸っていたような気分から現実へと帰還した―――あ、いや、ここ現実じゃなかった。
「ぐぉぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉぉ…………―――」
獣のような低い唸り声をあげながら《スライシィス》を両手で掴み、持ち上げようとする。……のだが、ぴくりとも動かなければ、うんともすんともなんとも言わない。"如何なる者も操る事が出来る"んじゃなかったのかよ!? と、唸り声をあげるのに忙しい口の代わりに思考が叫ぶ。
「―――ぐっ、……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
走った後もこんなに息が上がらなかったというのに、酷い息の荒れようだ。
だが、これで少しわかった事がある。ついさっき(唸ってるとき)思い出したが、これは攻略サイトに書いてあった『低レベル者が高レベルの武器を装備した時に起きる現象』だ。
具体的には、そんな事態が起こった時に武器の方は本来の重量の数十倍、数百倍、はたまた数千倍にまで重量を引き上げて、無駄に振り回せないようにするらしい。
実際、振りまわすどころか持ち上げられていないのだから成功なのだろう。
「てことはLvが足りないってわけか…………。―――いや、そりゃそうか。考えてみりゃ当然だな、一次職のLv1がこんなレアアイテムっぽい武器を装備できるはずが無い」
そんな風に思考が結論へと至った時、ガサガサッと木の葉は擦れる音がする。俺は反射的に身構えてそちらを向く。
俺の視線の先――生い茂る草木の間から顔を出したのは、紫と黒のでっかい芋虫だった。毒々しい。
確認することも無く、それがモンスターだと悟る。……しかし、一向に襲ってくる気がしない。俺は不審に思ってモンスターの事を注視する。
そしてモンスターの上に現れたのは《???》と言う表示とその下に青いHPバー。《???》と言うところには本来モンスターの名前が入るはずなのだが、プレイヤーとモンスターのLvが開きすぎていたりすると見れないらしい。ようするにヤツは相当格上のモンスターだってことだ。うへー……。
そして同時に何故ヤツが俺に攻撃してこないのかもわかった。何故かと言うと、ヤツが非好戦的モンスターだからだ。これはヤツの《???》が黄色だったことから理解した。
ちなみに逆の好戦的モンスターは名前の部分が赤色で表示されるらしい。
俺はヤツが攻撃してこないモンスターだとわかると少しホッとして息を吐く。その証拠にもヤツはそこらへんの葉っぱをムシャムシャと食べている最中だった。
「それなら逃げるべきだな。負けるのは目に見えてる」
うん、そうだそうだ、と俺の中の二等身の俺が同意する。……そんなの居たのか、俺の中。
そしてそんなアホな事考えていた時、ふと、ある考えが思い浮かんだ。それは《ノービス》のLv1が格上すぎる黒紫の芋虫に勝てる方法。だが、成功するとは限らない。むしろ失敗しそうな気がする。
しかし、俺はそれを試さずにはいられなかった。
故に俺は剣を【アイテム】の項目へとしまった。
手ぶら、初期装備、初めの職業のLv1、というこの世界での最弱に位置する筈の俺は、ゆったりとした歩みで黒紫の芋虫へと向かう。自分でも呆れるくらい緊張していない事に、俺は少し驚いた。
黒紫の芋虫は僅か10センチメートルの距離にまで近づいているのだと言うのにまるで俺が存在しないかの様に葉をムシャムシャと頬張り続ける。
俺は何も握ってはいない右手を差し出す。仮にそこに剣があるのならば、振りおろせば黒紫の芋虫の首を確実に切り落とす位置。俺は空いた方の左手で「オープン」で出現させたウィンドウを操作する。
利き手ではない左手の所為か、やはり存在した緊張の所為か、ぎこちない動作で俺はウィンドウを操作していった。そして最後―――、
俺は《スライシィス》を装備した。
握った右手が、途方も無い重さを感じ取る。俺はそれを支えるなんて先刻のような馬鹿なことは考えず、重力に力を貸してもらうように思いきり振りおろした。
たかがLv1の腕力でも少しは足しになるようで、《スライシィス》の落ちるほんの少しだけ速度が増す。
斬ッ
「グギャッ」
《スライシィス》が、黒紫の芋虫の首を切り取った。落ちてゆく刃に無抵抗に己の首を差し出す様は、ギロチンに首を掛ける死刑囚のようだった。
そして黒紫の芋虫が、青い光の粒子となって散った。それ共に"ポーン"という電子音が俺の耳に届いた。はやる気持ちでキャラクターのウィンドウを開けてみると【Snow:ノービス:Lv2】と変化していた。そして俺は狂喜した。
「は、は、ハハハ………、マジ……か」
余りの喜びに上手く感情を表に出す事が出来なくなるほどだった。
そしてまたガサガサと擦れる音が鳴る。そして沸いて出てきたのはまるで『殺してくれ』とでも言うようなタイミングで出てきた黒紫の芋虫の大群。しかもそのすべてノンアクティブである。
もはやあれは脅威ではない。あれは―――、
餌だ。
◆◆◆
数分後、まだ三分の一も喰い終わっていない時。
"ポーン"と本日四回目である電子音が樹海の空気を震わせた。俺は地面に食い込んだ《スライシィス》を【アイテム】の項目に戻すと今度は【キャラクター】のウィンドウを開いた。するとそれと同時に追加で開かれるウィンドウ。そこには、
【転職可能Lvまで達しました。転職しますか? Yes or No】
―――とあり、俺は迷わずイエスを叩く。
【どの職業に転職しますか?】
【《ファイター》……仲間を守る戦士】
【《プリースト》……仲間を癒す司祭】
【《スカウト》……敵を討ち取る狩人】
【《メイジ》……敵を滅する魔法使い】
俺はそこで特に迷うことも無く、《スカウト》の部分を叩いた。
何故スカウトかというと、単純だ。一番足の速さが速そうだからである。《プリースト》や《メイジ》は魔法系の職なので問題外。《ファイター》は将来は金属鎧を装備するはずなので重くて走りずらそうだから却下。そうやっていくと必然的に《スカウト》になる。
それに《スカウト》は軽装備の小回りが利く職であるはずだから、俺の戦闘スタイルと合いそうだ(まだろくな戦闘した事無いけど)。
【《スカウト》 に転職しました!】
その表示を確認してから【キャラクター】の項目を見ると、【Snow:スカウト:Lv1】となっていた。何とも言えない満足感を身に奔らせ、俺は歓喜した。
そして新たにその下に【スキル】というものが増えていた。それを開くと、そこには【小剣:Lv1】【片手剣:Lv1】【短弓:Lv1】【索敵:Lv1】【隠密:Lv1】の五つが見て取れる。このスキルというのは、それに対応した技能を使うことでLvを上昇させ、使える戦技、効果を増やしていくと言うものだ。
ここで戦技の事も説明しておこう。
これは、武器スキル――俺の場合は【小剣:Lv1】と【片手剣:Lv1】と【短弓:Lv1】だ――が一定のレベルの達すると習得することが出来る"技"である(魔法スキルでは魔技と称される)。
これはMPを消費してシステムにより身体をアシストしてもらう事が出来るので、剣の初心者だろうが誰でも使える。今のところ俺には小剣に《スタブ》が、片手剣の所に《スラッシュ》が、短弓の所に《ショット》がある。
この武器スキルを見る限りスカウトは遠近両方戦えるオールラウンダーであることが予想される。ここから先の転職で遠距離か近距離か決まるのかもしれない。
次に俺は【アイテム】の項目を開いた。
黒紫の芋虫からドロップした《強毒の糸》×7やら《強酸の粘液》×3やらが場所を取っている。その開いた所には新たに《鋳鉄の短剣》《鋳鉄の剣》《木の短弓》《木の矢》×30と、《スカウトセット》というアイテムが追加されていた。これは転職時の餞別、ということらしい。攻略サイトに載っていた。
一応俺は、そこにあった《スカウトセット》なる物を装備してみることとする。今の服を光の粒子が包み、入れ替わるように俺の防具――というより服装が変化した。
今の俺の服装は、カーキのシャツに、その上に明暗の少し違ってはいるがほとんど同色のベストを重ね、ストライプの黒いズボンとそれを中に入れたブラウンの革のブーツだった。
結構似合っている――、と思いたい。
次は《鋳鉄の剣》を装備しようか、と考えたところでやめた。
何故かと言えば、《鋳鉄の剣》で黒紫の芋虫が倒せるかの自信が全くないからだ。
スカウトに転職している筈なのに、まだ名前が黄色い《???》で表示されているということはまだまだ格上だということだ。それを、スカウトの初期装備と思わしき武器で勝てるとは思えない。
そこからはまた、俺は徐々に増え続ける黒紫の芋虫の大群を《スライシィス》で喰らってゆくのだった。
◆◆◆
ぐぅ~~~きゅるるる
「…………腹が、減った」
散々、黒紫の芋虫を喰らい(狩り)続け、大群が一段落したところで俺は腰をおろしていた。その際に、腹の音が鳴ったのである。
あのチュートリアルとかで感覚がほぼ完全に再現されている、とか言っていたが、本当だった。樹海のせいもあるのか、辺りは結構な暗さである。
ちなみにこんな暗さの中でも喰らい続けることができたのは、【索敵:Lv20】のおかげである。視界の端に映る小さなマップにノンアクティブモンスターが黄色い光点として表示されるようになったのだ。それを使って黒紫の芋虫の位置を確認し、ひたすら喰らい続けたわけだ。
そんなこともあって今の俺は【Snow:スカウト:Lv23】のスキルが【小剣:Lv1】【片手剣:Lv22】【短弓:Lv1】【索敵:Lv20】【隠密:Lv20】である。小剣、短弓は全く使ってないので、手つかずの状態だ。
そして腹の件だが、解決策は―――ある。
あるのだが、出来れば使いたくない。何故かって? それは簡単さ。【アイテム】の項目に格納されている唯一の食糧が《黒紫の蟲肉》×12だからだ。幸か不幸か、毒のありそうな名前だが毒は持っていないらしい。備考にそう書いてあった。あと、意外と美味いとか。
――でも正直、食いたくなかった。
しかし俺の腹は『減ったぞぉ!』と叫んでいる。
食べたいのに、食べたくない。食べたくないのに、食べたい。そんな葛藤が頭の中を渦巻く。
そして、散々な葛藤の末、食欲が勝った。
人の三大欲求には逆らえないものなのだと、再認識させられた瞬間であった。
俺は意を決して、《黒紫の蟲肉》を実体化させる。目の前に光の粒子が集まりはじめ、ボトリ、という鈍い効果音と共に虫肉がそこへと参上した。
「うぐっ……」
思わず息が詰まる。
そこからの俺はもう自棄だった。鼻をつまみ、目を瞑り、右手で虫肉を掴んだぁ! そしてそれを口に運んだぁ! 俺は虫肉を噛みちぎったぁ! 噛むたびにコリコリとした感触がうめぇ!! ――…………ん? 美味い?
少し遅れてその事実に気がつく。
「美味い……? 美味い…………。美味いっ!!」
三段階に変化する俺のテンション。最初は疑惑100%。そこからしみじみとした感じになって……最高に美味い事に気がついた。そこから俺は虫肉にがっつき、約十秒の内に跡形も無くなった。
「ま、まさかこんなに美味かったとは……」
と、その時。
「……ふぁ……な、何だ? 急に眠気が……あれ、か? 腹いっぱいになったから……か?」
知らぬ間に蓄積されていた疲労と、食事による満腹感により訪れた睡眠欲に対して、俺の意識は逆らうことなく落ちていった……。
見知らぬ樹の海で迷子の俺は……――蟲の肉を食べることを覚えた。