XXX:不意な呟きをした俺は――、
短いですが、短編(?)です。
これで多少ですが主人公の在り方の元が見えるのでは、と勝手に考えます。
では、どうぞ――――
――――母さんが、死んでからだ。
目の前で大好きな母さんが死に。
その近くで殺した指名手配中の享楽殺人者が取り押さえられた。
俺はその時、母さんと夕飯の買い物の最中だった。
その時は夏姉も居ず、秋穂も居なかった。
だから、あんなに俺は柄にもなく楽しんだのかもしれない。
結果があれだ。
俺はそれから、“死”に対して変な意識を持つようになった。
俺は、“殺したモノ”に対して異常な憤怒と憎悪を持つようになった。
俺は、“殺された人”に対して異常な悲しみと悔しさを抱くようになった。
例で言えば、俺は現実のニュースなどでは勿論。テレビドラマや映画、マンガなどでも“殺したモノ”には必要以上に憤怒と憎悪を抱いたし、“殺された人”には異常なほどの悲しみと、なにも関与していないのにかかわらず、悔しさが溢れた。
中学の頃の話。
平和な学園マンガを読んでいて、突然に、物語の本筋には関係のない、端の方で殺しをする奴が現われた時、余りの憤怒と憎悪でそれを破いてしまった。
周りが引く位に引き裂き、もはや原形をとどめていないそれを俺は踏み倒し、最後は燃やして灰にした。
流石にこれは自分でも行き過ぎたと知覚できる出来事で、それからは出来るだけ自制をきかせた。
これも中学の頃。
特に話もしないクラスメイトの親族が亡くなったと聞いた時に、悲しくなって、悔しくなって、泣いた事がある。
そのあとは出来るだけ気を付けるようにし、そんな事は無くなったが、あれは自分でも制御できないことだった。
――――しかし、やはり俺の“死”に対する意識は変な物で、それは人にしか作用しない。
ゲームやアニメで、人間ではない異形なモノが殺されても、それには何も抱かない。他人と同じように、酷く無関心だった。
それはたとえ完璧に人の形をしていても、“人じゃない”と心のどこかで思っているのか、やはり何かを浮かべる事は無かった。
これを誰かに話した事は無いけど、封じ込めることでどうにか均衡を保っているのではないか、と勝手に思っている。
不思議なことで、自分な事なのに、考えれば考えるほどに分からなくなっていった。
手を伸ばせば伸ばすほどに、どこかに走り去ってしまった。
追いかけようとも、どこかに飛んで行ってしまった。
そんな変な心の形だった。
――――母さんの死が、きっと今の俺の行動の基盤になってる。
やっぱりそれは俺のエゴでしかないのだろうが、勝手に自分がそれを背負いたがっている。
“殺したモノ”を殺すことで、なんとか自制を保とうとしているのかもしれない。
だから今日も俺は、“殺したモノ”を殺しに行くんだと思う。
掃除する為に、走るんだと思う――――。
『なんで主人公はこの類のゲームをやっているのか?』と質問があったので、この場を借りてちょっと説明します。
何故主人公がこの類のゲームを始めたかといえば、バランスを保つためです。
本当のきっかけは姉に勧められたから、でありますが、やろう決心したのは“ゲーム内の殺すモノ”を殺すことで、無意識に心のバランスを保とうとしたのです。
日常的にフィクション、メディア等に死があふれる世の中で、“ゲーム内に設定されたor現れた悪者”を殺すことで、悲しさや悔しさ……、それらを緩和しようとしているのです。
これに関しては主人公は自覚しておらず、無自覚にゲームを進めています。
なので主人公はこういう類のゲームを始め、ここまで来ているのです。
……この説明で納得していただけるかはわかりませんが、自分の中と小説ではこうなっているので、ご了承願います。
不意な呟きをした俺は――、やっぱり、わからない。