002:止まるリアルと始まるセカイ【2】
「えっ、お前も〈エターナルオンライン〉のオープンβに当選したのか!?」
「ああ、何か知らない内に当選してた」
昼休みになった教室は、ガヤガヤと騒がしいものになっている。
俺は何でもないように返事を返しながら弁当――俺の家は父子家庭かつ、上と下の姉妹は料理だけはからっきし駄目なので俺が毎朝作っている。当然、夕食も俺だ――を広げた。今日のおかずは卵焼き常備に、ベーコンとほうれん草の炒め物と鶏の唐揚げにレタスとトマトの簡単なサラダ。今日の唐揚げは我ながら出来が良い。
「でも、お前んちってWD無かったんじゃなかったのか?」
「それならなんか三台当たった」
「はあ!?」
そんで俺の机に自分の机をくっつけて購買で買ってきた焼きそばパンとカレーパン、それにコロッケパンを頬張りながら驚きを表しているのは友人の神田誠二。短い茶髪をツンツンと立たせたそれなりのイケメンである。
一年の最初の席が前と後ろだったとこから始まった仲だ。何の因果かこいつも〈クロニクルオンライン〉をやっていて、それで話が弾み今ではすっかり仲のいい友人になってる。
「そう言えば"お前も"って言ってたが誠二も当選したのか?」
「あ、ああ。俺の方はWDを元々持ってたから確率の高いほうに応募して当選したんだが……」
そこで一度言葉を切り、誠二は信じられないような目つきでこちらを見ながら、言う。
「確率の低いWDセットの方で三台も当たるなんてなぁ……」
「うん、俺もびっくりだ」
「……ん? 三台ってことは夏乃先輩と秋穂ちゃんも来るのか?」
「おう。誰一人としてぼっちになる事無くこの夏を切り抜けられそうだ」
「そ、そうかぁ……。夏乃先輩もくるのかぁ……」
急に夢の国へとトリップし出した誠二。
理由は至極単純である。こいつは夏姉に惚れてるのだ。結構俺の家に遊びに来たりするのだが、初めて来たときに一目惚れだそうだ。いやー、青春だねぇ……
そしてこうやって夢の国にとんで行った誠二を現実に引き戻すのにも、もう慣れたものだ。俺は弁当をついばんでいた箸を置き、きゅっと指を引き絞る。そのまま誠二の額あたりまで持っていき思い切り離すと、パチンッと小気味いい音と共に指の先で誠二のでこを叩く。
――ただのデコピンだ。
「あだっ」
「戻ったか?」
「お、おう。すまん」
「なぁに、気に済んな」
最初の方は文句言ってた誠二も、最近はこんな感じである。慣れって恐ろしいもんだ。
「しっかし、遂に冬紀もVRデビューか」
「ああ、そう言うことになるな。PCのゲームしかやって無かったからもうWDのは諦めようかと思ってたけど、こんな形で出来るとは思ってもみなかったぜ」
「きっと驚くぞ、余りにリアルすぎてな」
「それはもう死ぬほど聞いたさ」
こいつが初めてVRと体験した時の話は何度も聞いている。貧乏への嫌味かこんちくしょう、とやさぐれた瞬間もあったが、それをスルーしている内に俺のスルースキルは更に磨きあげられたものになった。
正直、そんなに磨きあげられなくても良かったのだが。
とにかく、話もそこそこに俺たちは再び昼飯を食べ始めた――。
◆◆◆
「へー……これが〈エターナルオンライン〉か」
夕食を終えた俺は自室に備え付けられたPCを覗き込み、そんな事を呟いた。
一昔前はPCを家族に一つづつ完備なんて貧乏家庭が出来るはずも無かったのだが、最近のPCは随分安くなったもので、こんな貧乏家庭でも余裕で人数分を買える程である。
そして俺はそのPCで〈エターナルオンライン〉の公式ホームページを閲覧していた。
そこで知った〈エターナルオンライン〉の世界観は、なんと言うか……混沌としている。比率で表すならば、中世ヨーロッパ:日本の江戸:西部劇、5:3:2と言った感じだ。本当に混沌としている。
キャラクターの成長には職業制を用いているようだ。公式ホームページに載っているのは一次職の《ノービス》と二次職の《ファイター》、《プリースト》、《メイジ》、《スカウト》の四つの職業で、Lv5になった時点でその四つから選んで転職できるらしい。
更に、サブ職業として生産職が選択できるそうだ。こっちでも経験値は入るので、(若干矛盾するが)サブをメインとすることも出来るらしい。
公式ホームページをとりあえず一通り見終わった俺は、今度は攻略サイトの方へ移動した。
攻略サイトとっても、クローズドβテストの情報しか載って無いのでそこまで多いとは思わないのだが――、
「――――って、うわっ」
攻略サイトを開いた俺は余りの情報量、文字量に思わず声を上げる。
こちらには初期の四つの職業しか載って無かった公式ホームページとは違い、様々なクエストの情報、ポーションなどの重要なアイテム類、意外と美味しいなど、色々と書いてあった。
そのあとも俺は様々な事を読み込みながら、夜の時間を過ごしていったのだった―――。
◆◆◆
ついに……、ついについについに!
「「「来たぁ―――――っ!」」」
夏休み初日。昼飯を早々食べてリビングで三人揃ってそわそわしていると、唐突にピンポーン、とインターフォンが鳴った。
そこからの夏姉の動きは素早かった。シュビッ! とか擬音が付きそうな速度で玄関へとダッシュし、扉を開ける。
そこには爽やかな笑顔の宅配便のお兄さんが立っていて、夏姉はもの凄い速さで印鑑を押したかと思うともう荷物の運び込みに入っていた。宅配便のお兄さんもびっくりしてましたよ、ええ。
とりあえず俺たちはそれを各々の部屋へ持っていき、自分の身体をスキャンする。俺の場合は脚が唯一の不安要素だったが、問題はないらしい。
このスキャンというのは、WDの中に自分の身体のデータを読み込ませることを指す。
これの具体的な方法はWD本体を何処か……机の上とかに置き、その前に下着姿になって立つ。そうしてみると下半身の場違いな重量感が余計に目立つ。……が、そのことは気にしないこととする。
そして俺が発した「スキャン」の音声を感知し、WD本体から帯状の赤いレーザー光線が俺を頭から爪の先まで通過していく。十秒程するとピーッと電子音が鳴り、完了となる。
これでどうやって身体の情報を読み込んでいるのかは全くわからんが、とにかくそういう物らしい。
そして何故、こうやって身体のデータを読み込ませるのかと言えばもちろん、キャラクターの作成に使うからだ。
無論、一からキャラクターを作ることも不可能ではないのだが、それだと手間がかかり過ぎるし、第一に扱いずらい。
本来の自分の身体とかけ離れたそれを使うのであれば、それは現実での身体と違った重点などになり、容易に動かす事が出来なくなるのだ。
そして俺はそのデータをPCの方に移し、キャラクターを作ってゆく。
顔や体の造形は基本、変える気は無い。この顔は両親に貰った大事な顔だ。それを変えるなんて事が出来るだろうか。いや、する人もいるだろうが、俺にはできない。
変えるとしたら、髪の色と瞳の色くらいだろうか……。
俺は小一時間PCと格闘し続けた。
部屋の中にはマウスをクリックする音と「……ぅうん……」という俺の不安げなうめき声だけが木霊していた。
しかし、それも昔の話。今の俺はPCに表示されている俺のキャラクターを見ながら、満足げに頷く。
「っし。これでいいだろ」
PC画面に映るのはトランクスタイプの下着を着用した仮想での俺の身体。
変更した髪の色は黒と紫の中間色、といったところか。全体的には紫寄りだが、三、四つほどの黒に近い髪の束がある。この髪色は俺が愛読していたとあるライトノベルの主人公の髪色であり、結構気にいっていた配色だ。この色(特に黒の束)を出すのに苦労したものだけれど……。
瞳の方は結局、あまり変えなかった。理由として、先にも言ったライトノベルの主人公が俺の瞳みたいな色だったからだ。
より近付ける為に暗さを増してみたのだが、予想外にあっていたのでそうしただけだった。……そう言えばあのライトノベルってどうして売れなかったのだろうか? 俺的にはそうとう面白かったのに人気がでなかったらしく三巻で打ち切りにされた。続き待ってたのに……。
そんな事を考えながら画面に映るキャラクターを眺めていると、コンコンッと部屋の扉がノックされ、返事もする間もなく扉が開けられる。
「キャラクターの設定終わったかー?」
「いい感じに出来た?」
「あ、夏姉に秋穂。ああ、一応できたよ」
そう言って部屋に入って来た夏姉と秋穂にPCの画面に映る俺のキャラクターを見た。
「――あ、身体は、全く変えて無いのね」
「……そう、なんだね。兄さんは、その――か、身体が細いから、そこら辺とか変えるのかと思ってた」
「あー……、身体が細いのは好きじゃないけど、俺は自分の今の身体を大事にしたいからな」
「そうよね……」
夏姉が、何とも言えない顔でそう呟く。秋穂の方は黙ったままだ。
俺の家が父子家庭の貧乏家庭という話を少し前にしたかもしれないが、それは母さんが俺が中二のころ……、三年前に他界しその時に俺があるものを失ったからだ。
近所でも評判の美人であった母さんはキャリアウーマンなんかやっていて、バリバリ働いていた。そんな自慢の母が他界したが故の父子家庭であり、それに伴った俺の欠損を補う為の貧乏家庭だ。
母さんの生きた証であるこの『身体』はゲームだろうと当然残す。それが俺の考えである。
――――このままでは悲しい話題になっていきそうな予感がしたので、俺はもとから疑問があった方へと話題をずらした。
「そう言えば、こっちに来たってことはそっちのキャラクターは出来たのか?」
「もちろんだ」
「うん。結構うまく出来たよ」
「へぇ、じゃあ俺もそっちのを拝見しに―――」
「「ダメ」」
俺の言葉が終わる前に夏姉と秋穂から否定の言葉が被せられた。
「何でだよ?」
「あんたね……。今の自分のキャラクターがどんな格好してるかわかる?」
「トランクスのパンツ一丁」
「そこがわかればいくらおバカな兄さんでもわかるでしょう?」
「バカは余計だが……、別に何も関係無いだろう?」
「こんだけバカだとは正直思って無かったわ……」
「そうだね……」
夏姉と秋穂が心底残念そうに言葉を零し、可哀そうな物を見る目で俺を見てくる。いやいや、何故だ。
「いや、だから何でだよ?」
「何でって、ゆきの方のキャラクターが下着ってことは私たちも下着ってことよ? 見せられるはず無いでしょうが」
「はあ? 夏姉や秋穂の下着姿なんて風呂上がりとかにしょっちゅう見てるじゃないか。それが何で今になって―――」
そこから先の言葉が続く事は無かった。
バチンッ! と言う音を俺の聴覚が聞き取ったときには俺はもう女性二人から平手打ちされていた。右が夏姉、左が秋穂というそれは、同時にやられたが故に衝撃を受け流すことが全く出来なくて、半端じゃない衝撃になっていた。ジンジンと痛む両頬を押さえながら、正面を向く。
目の前の夏姉と秋穂はゆでダコといい勝負できそうな真っ赤な顔で、プルプルと何かを耐えるように震えている。
「ゆ、ゆきはっ、何時の間にそんなにデリカシーの無い子に育っちゃたわけ!?」
「そ、そうだよ兄さん! 兄さんにはデリカシーが無さ過ぎるんだよぅっ!」
そう言って夏姉と秋穂は脱兎の如く俺の部屋から離脱していった。
そんな二人を俺は茫然と見送りながら、呟く。
「――――そんなら服着て風呂からあがってこいよ…………」
俺のそんな無駄な抗議の呟きは、誰一人として届く事は無かった。
虚しく響くだけであった。
◆◆◆
昨日、WDが家に届いてからキャラクターの作成をしたりなんだりあったが、それよりも大変だったのが待つことだった。
オープンβテストの開始が届いたその日ではなく翌日と知ったのはいざログインしようと意気込んだ時だった。まあ、考えてみれば普通の事なのだが、出鼻をくじかれた俺は不貞腐れたように攻略サイトを巡回していた。
そのあとは、いつもどおりに帰りの遅い父さんを置いて俺の作った夕食を三人で囲う。その最中には、ログインしたらどの職にするかとか、生産職はどうしようかとか、誠二の奴もくるらしいとか、色々と話し込んだ。
夕食を終えた俺たちは早々とベットへと入ったのだが、いかんせん眠れない。俺だけかもしれないが期待とか興奮とか色々混ざりあって全く寝付けなかった。
こりゃしょうがない、と思った俺は結構な時間であったがもう一度PCを起動し、攻略サイトや公式ホームページを特に読むわけでもなくぼーっと眺める。
部屋に掛けてある時計の針が三の字を過ぎたころ。さすがに瞼が重くなってきて、ベッドに入った。
朝、眼を覚ましてから眠気覚ましに、と一番にシャワーを浴びて簡単な朝食を作り、食べてから数時間。
そして今に至る。
ベットの上にの寝そべった俺の頭にはすでにWDが装着されている。
只今の時刻11:59。そしてそれを確認した時に丁度12:00へと変化した。俺はそれに合わせ、興奮を纏った声を上げる。
「《ワールドダイブ》!」
その声と共に、俺の意識が全て闇へと包まれた。