011:湿原で澄んだ音を奏でた俺は
俺は翅剣を左の下方に構える。
妙にぬかるんだ大地を出来るだけ踏みしめ、掴む。
「――――――いくぞっ!」
俺は跳び出す。
まずは斬り上げ。しかし、それは図太い根にコォンッと響いた様な音を立てて弾かれた。中は空洞なのだろうか、異様に響く。
大ぶりで振るわれた大樹の剛腕を、微弱なバックステップで避ける。
自分の眼が驚愕に見開かれる。ここから見えるHPは雀の涙ほどしか減らなかった。いや、本当に減っているかも定かではない。
しかし、タネは植えた。
「ちっ! 硬いなッ!」
でも、硬い事には変わりない。
俺は絶え間なく剣を振り続ける。
カァァン コォン カァンッ コカァンッ コォンッ コォォォン……
まるで良質な木琴を叩いているかのような、ムキムキの大樹には全く似合わない綺麗な音が響く。
――――剣戟は続く。
はぁはぁと息が上がっていくのがわかる。
これまでの長かった走劇のおかげで、疲労はピークだ。今にも限界を超えてしまいそうな身体だった。
「…………取り合えず、一分だッ!」
一分。
それは俺の剣が持つ猛毒の制限時間。解除されるまでの、時間。
出来るだけその間に、HPを減らしたいところだ。削れる時に、削れ! 切れる前に、削れ!
コカココカカココココカカカコカココカカコォォォォン……ッ!!
湿った草原に場違いな澄んだ音が連続して響く。
大樹が振るう剛腕を、俺は避け続ける。
そして、一分。削れたHPはギリギリ三分の一だけだった。
しかし、硬い。猛毒の効果が12パーセント、約一割。それに対して俺が削れたのは約二割。普通ならもうとっくに倒してる筈なのに……、ってこれボスか。
一旦距離をとる。今のヤツは毒の解けた状態だった。対して俺は疲労のたまった状態だ。息が、切れている。
「…………はぁ、はぁ、はぁ……」
俺はもう一度翅剣を構える。
「願わくばもう一度……、毒の侵されろぉッ!」
なんか物騒なことを叫びながら俺はもう一度剣を振るう。黒紫の剣戟が、舞う。
「――なっ!?」
俺は目を疑った。
コォン……、と響いた後に訪れた変化は、HPバーの下に現れた。
「猛毒ってこんなに簡単に出るのか!?」
これは、俺がここに来る前に攻略サイトで見た話と違う。
俺がそこで見たのは毒系の状態異常は制限時間切れで解除された場合は次に掛かる確率が極端に落ちる――というものだったはずだ。これには、抗体が出来ているのでは? と言われていたが、真意は明らかではない。
だが――、
「"らっきー"だ!」
猛毒が絶対に出る。
これは俺の絶対的なアドバンテージだ、と思う。これなら絶対に勝てる。あと数分粘れば勝てる。
俺は意気込む。
「行くぞっ!」
景気付けに一発。
今のところ一番威力のある戦技のモーションを再生。そしてそれを己に投影。
自分の身体が、何かに突き動かされていく感覚。
身体が加速され、知覚が加速され、思考が加速される。
「おぉぉぉおおおおっ!!」
発動するは今のところ最大威力である《トライスラッシュ》。
黒紫の刀身が淡い水色の燐光を纏う。相当な速さで動かされる俺の腕に従って、剣の軌跡が水色の正三角形を描く。
「――――あっ」
「ゴボォォォォオオオオゥウウウウッッ!!」
初めて、奴のHPがが目に見えて減少する。
――俺は嗤う。
それからも俺は大樹の剛腕を避ける事に専念しながら、自分が扱えるだけの戦技を次々と織り込んでいく。
――毒に侵された敵を見て俺は、嗤う。
◆◆◆
「ゴォボッ……、ゴボオオォォォォ……」
消え入りそうな断末魔を上げ、《漲る大樹人》は倒れた。湿った空気を通して響く断末魔はどこか悲しげだった。
その声を聞くときは俺はもうすでに湿った地面にぶっ倒れていた。というか聞く前からぶっ倒れていた。
――正直、猛毒のタイミングが間違ってたら俺は死んでた。
もう体力(HPじゃないほう)は欠片も残っていない。ぶっ倒れたままで、ぜぇはぁと切れ切れの息の音が木霊し、肩が激しく上下する。
とりあえずHP回復のためにポーションを取り出す。キュポンッとコルクを抜き、小瓶に入った薄赤の水薬をいっきに煽る。
剛腕を一度かすっただけだったので、ポーション一本で事足りた。
今度は腹ごしらえに、とメニューを操作して虫肉を取り出す。
寝転がった俺の真上に出現。え、ちょっ、まっ――――
べちゃ……
「うへぇ……」
俺が避ける前に顔面に虫肉が激突。赤黒い血が滴る新鮮な生肉を熱いキスをすることになった。あ、これはノーカンね、ノーカン。俺まだファーストキスまだだから。
顔に乗った虫肉をどけてから、ポーションによって少しだけ回復した体力(この場合は数値的なHPではない)を使って、むっくりと体を起こす。
ついさっき熱いキスを交わした相手ではあるが、俺はぐっちゃぐっちゃと喰いちぎって口に含む。
薄情だとは言わせない。むしろ俺のファーストキス(ノーカン)を奪ったあいつが悪い。
今度は喉が渇いてきたので、あの《スライムゼリー》を飲んでみる事にする。
とりあえず、今度は逃がさないぞっ! と言わんばかりに俺はクラウチングスタートの様にすぐ動ける体勢になった。
そしてアイテム欄から《スライムゼリー》を選択し実体化のボタンを――、押すっ!
唐突に、とろりとろりと虚空から青色のゼリーがこぼれ落ちる。
俺は高速で体勢を変え、顔を上に向けたブリッチの様な体勢になる。ガバッと大きく開いた口には青のゼリーが入ってきた。ゼリーというよりも液体に近いソレをゴクリゴクリと喉を鳴らしながら飲んでいく。
味は確かに備考に書いてあったようなサイダーの味だ。だが、残念なことに炭酸が抜けた甘ったるい感じのヤツだ。まぁ、俺はこれはこれで美味いと思うが、人によりけりだろう。
そんな感じでゴクリゴクリと俺は飲んでい――――、
「――――――ごっふッ!?」
むせた。
予想以上の量に俺の口がキャパティシィを超えた。うん、ムリ。
「ごっふ、げふ、げふ、げふ…………」
ブリッチ解除。
俺は湿った草原にどっかり座りこむ。
「こりゃあ、やっぱりコップとか入れ物が無いと駄目だな、うん」
口元に少しだけ残った《ブルーゼリー》を大雑把にゴシゴシと右腕で拭う。
俺は背中から倒れ込む。湿った地面が背中に感じられて少し気持ち悪い。でも同時に、何か暖かい。
今は月煌めく夜だという事を忘れそうだ。現に、月明かりがとめどなく輝いているので視界は良好である。
俺は少し目を瞑る。
じめじめとした空気が俺にかぶさるように漂う。
そこからちょっと……、まぁ、寝た。
◆◆◆
「――――what!? Oh!!」
あれ? 何故に俺の口から急に英語? ――ハッ! もしかして俺には英国人の血が……
「――って、痛いっ! 痛いって!」
バカなこと言ってる間に頬とか脇腹とかチックチック、チックチックと何か鋭利な物が突き刺される。
寝ころんだ身体を起こして何だ何だと俺の周りを確認すると――、なんか50センチメートル位の角の生えたイモムシが三匹、もぞもぞと俺に群がってる。サイズは中型犬くらい。確認すると、名前は《イッカク芋虫:Lv26》とかいう……
「うぎゃぁぁあああああっ!?!?」
思わず悲鳴を浴びた。じゃない、上げた。
何だこの状況!? そしていつの間に朝になった!? お天道さんが異常に眩しいのだけども!?
もぞもぞと群がりながら《イッカク芋虫》は俺のいたるところをチクチクと突き刺してくる。幸い、防具が機能しているのか知らないが貫通するまでに至っていない。
しかしそれでも攻撃は攻撃、俺のHPはちゃんと減ってる。
――ハッ! そうだ昨日は、
チクッ
「いたっ、痛いっ! ちょ、お前ら! 大人しくしてろ!」
俺がそう言うと、言葉がわかるのか一歩引いた位置になる。なんだ、話のわかる奴で助かった。
――そうそう、昨日は、
チクチクッ
「いでっ、ちょ、さっきより痛くなってるっ! ……ほら、まてっ!」
俺は今度は身ぶり手ぶりで相手を落ち着かせるように手を向ける。なんか猛獣に「どーう、どうどうどう」って言ってるみたいな雰囲気。よし、今度は大丈夫だな。
――よしこれでオッケーだ。そうだ、昨日は、
ブスッ
「いっでぇぇぇええええっ!! ちょっとまて! 何だその一線を越した効果音は! 刺さってる! 俺の脇腹に刺さってるんじゃねぇか!!」
一匹の《イッカク芋虫》のそのご自慢の一角が俺の脇腹に刺さっていらっしゃる。座っていた俺は思わず立ち上がった。
それと同時にぐわん、と釣られるように《イッカク芋虫》がくっ付いてくる。
スポッ、ヒュっ
――と、思ったら抜けて飛んでった。ニ、三メートル飛んだところで地上とグシャッと再会している。……何がしたい。モンスターに聞いても駄目だということは分かっているが、もう一度問う。何がしたい。
とりあえず、いい加減キレた。
「さすがに我慢のげっんっかっいっだっ!」
腰の翅剣を抜く。
弧を描いて飛んでいった方は一旦放っておいて、目先の二匹の《イッカク芋虫》を狩る。
袈裟、逆袈裟と景気付けに二閃。そのあとも絶え間なく剣を動かす。《漲る大樹人》と戦った後だからか、皮膚が異様に柔らかい気がする。
ズザザザザッと剣閃が走り、それと同時に二匹がデータの屑となる。
そしてそれと入れ替わりに俺の脇腹に刺さったヤツだ。コロスコロスブッタギル。
とりあえず《トライスラッシュ》をお見舞いしといた。さっきの落下ダメージが少しあったからか、今回は一撃でデータの屑となった。
「おし、片づけは完了だな。これで思考を再開出来るぜ。そうそう昨日は――」
――そうだ昨日は野宿したんだ。
「――ってまたか俺っ!!」
俺のツッコミが湿った空気に木霊した。
さすがにまた野宿は自分でもどうかと思った。うん。
「………………」
あと、一人ボケツッコミは寂しい。
あー……、こういうときだけの都合のいい仲間がいればいいのに。はぁ……
《漲る大樹人》の防御力の高さは、完全物防特化になっているからです。魔法防御は、相当おろそかになっています。
その証拠に、わずかながら魔力(もしくは"気力"。もしくはMP)を伴う戦技は目に見えてダメージを与えることが出来ました。
湿原で澄んだ音を奏でた俺は、どこかデジャブを感じえない芋虫にどつきまわされていた。