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Fire〝ファイア〟  作者: 湯上 日澄
4/8

Inning ♯02 火炎 (後)


       Ⅵ


 笑うスコーピオンの口から、よだれが飛び散った。

「楽ちい! ホントに!」

 でたらめに回転しながら撃つ。社交ダンスの姿勢で仰け反りつつ、もう一発。もとに戻って大笑い。

 一方、その周囲で閃光を放つ銃は、44マグナムほど短小ではない。宇宙船を思わせるデザインの機関銃は、そのまま電柱を引っこ抜いてきたかのような巨大さだ。

 撃つ、撃つ、撃ちまくる。

「ぎゃはははは!」

 発砲の反動に、水銀の色をしたマントが小刻みに波打っていた。

 硬質な銀色に輝く巨人……射撃型死神〝スペルヴィア〟の数は、二、三、四体。機関銃がなだれを打って噴きだす排薬莢は、すでにその足元で山盛りだ。

 脚を肩幅まで広げると、スコーピオンは勢いよく右腕を掲げた。決めポーズのまま空へ絶叫する。

「ミュージック、チェンジ!」

 銃声が綺麗にとまった。長くこだまする余韻の中、降参とばかりに地面を跳ねたのはサービスエリアの看板だ。

 よく示し合わせた動きで、死神たちの手が背後に回った。これまた現れた電話ボックスより巨大な物体を、風鳴りとともに肩にかつぐ。

 ミサイルランチャー。

 空はよく晴れていた。

「愛しちゃいなさい」

 うまそうに葉巻の煙を吐いたスコーピオンの後ろで、鋭い噴出音が連続した。硝煙で真っ白になったレストランへ、燃えるミサイルの軌跡四発が蛇のように吸い込まれる。

 レストランの中から響いたのは、なにかを弾き返す甲高い音だ。ミサイルすべてが、スコーピオンめがけて反転してきたのは次の瞬間だった。きっちり四発。

 スコーピオンはつぶやいた。

「カサ貸して」

 閃光。

 爆煙を突き破って、妙な包帯だらけの人影が飛んでいった。ぼろ雑巾のようにアスファルトを二転三転。踏まれた蛙のように大の字になってから、ようやくおとなしくなる。さすがに死んだか。

「……!」

 スコーピオンの悲劇を見守っていた死神たちの仮面は、急に戻された。

 靴音が響いたのだ。濃い煙の向こうから歩いてくる。ガラスの破片を踏みしめ、悠然と。

 渇いた金属音に、ジェイスは静かに立ち止まった。見よ。まっすぐ前を向くジェイスの頭を、左右から現れた死神の銃口が狙っている。

 間の抜けた拍手が聞こえた。

 空に向かって手を叩くのは、仰向けに倒れたままのスコーピオンだ。

「一杯どうだい〝ファイア〟♪」

 死神二体に腕を借りて起きた包帯の姿は、すでに埃まみれだった。直立不動のジェイスを目の当たりにして、もともと丸いその瞳がなお剥きだしになる。

「おいおい、なつかしい顔じゃないか。暗殺者のニコラス・ジェイスと言えば、闇の業界じゃもはや伝説だぜ。くたばったって聞いてたが」

 紳士らしい手つきで、スコーピオンは襟に香水をふった。突然、それを仮面に吹きかけられた死神が、迷惑げに首を振る。

「デカい組織いくつかを、たったひとりで〝暗殺〟しちゃったんだって? こりゃ女絡みだな、完全に。百歩譲っても、こっち側の人間さ、お前は」

 手首のスナップだけで、スコーピオンはマグナムの輪胴を引き出した。足元に落とされる排薬莢のきらめき。新たな銃弾を一発ずつ弾倉にこめながら、スコーピオンはふらふらジェイスに近づいた。

「似たもの同士、積もる話といこうや、ジェイス。まず、俺が暗殺者をやめたわけだが……おっと、それより」

 持ちあげた銃口で、スコーピオンはジェイスの顎をゆっくり押した。撃鉄のあがる響き。

「最近ペット屋から入荷した〝ダリオン〟の話がお好みかい?」

 根元からちぎれ飛んだマグナムの銃身を、スコーピオンはぽかんと眺めた。死神たちの分もあわせて三つ。

 鋭い音がした。炎の円を描いて一回転したジェイスの両手が、左右の死神の胸を貫いたのだ。破裂した銀色の巨体ふたつが、赤く焼けた雨と化して地面に降り注ぐ。

 残る死神たちの機関銃がひるがえった先、ジェイスは煙をひいて旋回した。重心を低く落とすや、右腕をおもいきり後ろに引き絞って構える。

 ジェイスの右肘から、複雑な金属音。いきなり袖を突き破って現れたロケットブースターが、荷電粒子の凄まじい炎を噴いた。

 まさしく発射寸前のミサイル。口を開けたままのスコーピオンの表情も、火の粉混じりの陽炎にゆがんでいる。

 ジェイスは答えた。

「聞こう」

 残る死神二体の機関銃が吠えた。二方向から。ただ、勢いよく砕け散った地面にジェイスの姿はない。代わりに揺らめくのは、美しい炎の螺旋だけだ。

 吹き飛ばされた死神の背中が、壁におびただしい亀裂を穿った。溶かし砕かれた仮面を始点に、巨体が即座に火だるまと化す。その顔面を鷲づかみにしたジェイスの掌は、まだ真っ赤に輝いたままだ。

 慌ててミサイルランチャーを掲げると、最後の死神は銃爪を引いた。

 そのときには、炎をまとったジェイスの姿が、後ろ向きに死神の眼前に現れている。正面に広げた両の掌、さらには、両足の膝を裂いて牙を剥いた新たなブースターを、瞬間的に逆噴射したのだ。

「!?」

 死神は声なき悲鳴をあげた。

 ジェイスの右手に掴まれて悔しげに震えるのは、たったいま発射したばかりのミサイルだ。全身のブースターから火を噴いて、ジェイスは反転した。むりやり進路をねじ曲げられたミサイルの弾頭が、死神の額に触れる。

 大爆発。

 体の随所から白煙を残し、ジェイスは地面をこすって着地した。



 揺らめく炎の向こう、銀色のワゴンが急発進するのをジェイスは見た。

「ぎゃは!」

 中指を突き上げ、舌を出したのは運転手のスコーピオンだ。

 後部座席の窓からは、猿ぐつわ代わりの包帯で口封じされたエマが、なにか訴えたげな視線でこちらを見ている。ジェイスのタクシーの真横に駐車していたテロリストを、いまさら非難しても始まるまい。

 ジェイスは迅速だった。

 無残にパワードスーツを燃やされ、地面で痙攣する焦げだらけの生物の襟首を、容赦なく掴みあげたのだ。痩せっぽちの体に対して、いびつなまでに巨大な頭部。こののち長きに渡って〝ファイア〟に籍を置くこととなる。もちろん、モルモットとして。

 ジェイスは質問した。

「お前らの拠点は?」

「……!」

 アーモンドの形をした大きな瞳が、おびえたように見開かれた。

 アーモンドアイは、必死に何事かを説明している。悲しいかな、甲高いノイズとしか形容できない。

「………」

 ジェイスの手は拳を結んだ。ふたたび掌から肘にかけて展開したブースターが、凄まじい炎を吐き始める。さすがのアーモンドアイも、言語翻訳の必要性に気づいたらしい。

「ちょ、おま……」

 油でもさしたように、アーモンドアイは饒舌に説明を始めた。多角式推進装置の火が消える。

 自分は単身赴任の身で、故郷に帰りを待つ家族がいるという話題に移った時点で、ジェイスは拳を振り下ろした。アーモンドアイは気絶した。

「………」

 騒ぎを聞いた野次馬か、レースレプリカのバイクに乗った市民が通りがかった。まっすぐ横に伸ばされたジェイスの腕に、その首がラリアットの形で引っかかる。

 けたたましく転倒するバイク。一方、ひとつ宙を回転したツナギの運転手は、静かに地面へ降ろされた。怪我ひとつない。

「………」

 尻餅をついた運転手は無視して、ジェイスはバイクにまたがった。まだ外は寒いというのに、そのスーツの袖と膝は焼け焦げてぼろぼろだ。

 ふと我に返り、モニカ・スチュワートはヘルメットを脱ぎ捨てた。

「あんた馬鹿!? 警察呼ぶわよ!?」

「………」

 感触を試すようにアクセルをふかすと、ジェイスは眼鏡の女に振り向いた。冷たい視線にひるんだモニカへ向けて、傷ついたバッジを掲げる。刑事の忘れ物だ。

「そうしろ」

 短く告げるなり、ジェイスが巻き起こした突風に、モニカは顔をかばった。バイクが一瞬ウィリーしたかと思いきや、テールライトの赤い軌跡は遥か百メートル遠方だ。スーツ屋の閉店までにはまだ時間があるはずだが……

「……タクシーでも拾うか」

 ため息をついたモニカの足に、なにか丸いボールのような物があたった。

 釣りあがった瞳の怪生物。だが、モニカが悲鳴をあげることはかなわなかった。

 軽い衝撃。当て身だ。気絶した彼女の体を、何者かの腕が優しく受け止める。モニカのうなじを襲った手刀は鋭い。ただ、そんな非紳士的な行いを起こしたのは……中性的な顔つきの青年だった。場違いなほど整った目鼻立ちは、まるで西洋人形だ。

 やはり小鳥の歌うようなソプラノで、青年は囁いた。手首で輝く銀色の腕時計に。政府の闇〝ファイア〟が科す猟犬の首輪へ。

「こちら、エージェント・シオン。第三種接近遭遇の予防を確認しました。どうぞ」

〈おう。けが人は病院送り完了だぜ、お嬢ちゃん〉 

 シオンと名乗った青年は、常に笑っているような目元をひそめた。

「あのですね、フォーリングさん。そろそろやめてくれません? 〝お嬢ちゃん〟なんて呼び方……」

 困り顔のシオンの肩に、ぽんと手が置かれた。

「ごくろう。アル中の相手は辛かろう、シオン君」

「局長」

 火の粉を運ぶ風に、ジェリー・ハーディン局長のコートははためいた。

 サービスエリアには、政府の特殊車両が続々と停車している。上空の大型ヘリからロープを伝うのは、特殊装備に身を固めた隠蔽班たちだ。

 隠蔽するまでもなく、食堂は地響きとともにぺしゃんこになりつつある。じっとそれを眺めるハーディンの額に、音をたてて青筋が走るのを見て、シオンは一歩後退した。派手な交戦は控えろと、口を酸っぱくして言い聞かせておいたはずだが……

「スピード狂はどこかね、シオン君?」

「しょ、少々お待ちください……こちらシオン。エージェント・ジェイス、応答願います」

 通信機の回線を切り替えた瞬間、シオンは目を細めた。

 腕時計から響き渡る笑い声に、くぐもった女の悲鳴が重なる。銃声、銃声。

〈……教えてやろうか。俺がスーパーマンをやめたわけを!〉



 人工動力で波打つ海平線の向こうに、欠けたパズルのような空の〝穴〟が見えた。

 ミノエス中部の湾岸高速。

 トンネルの入り口は、たいへんな混雑だった。まるで、ビタミン不足の中年の血管だ。

 バイクの重低音が風を切った。

 膝がこするほど車体を傾け、車と車の隙間を縫うのはジェイスだ。蟻の子一匹通さぬ渋滞を前にしても、速度を抑える気配はない。ただ、四肢から飛びだしたブースターの点火口には、すでに炎の渦が集束している。

 大気の爆発とともに、ジェイスの姿は消失した。渋滞する車の群れを眼下に、火の玉と化してトンネルの天井をぶっちぎる。

 一方、出口の検問所では、警官がひとり、アイマスク代わりの帽子を目からあげたところだった。あくびとともに、気だるげにスピードガンを構える。

 パトカーの車内に、鳥の鳴き声そっくりの音が響いた。計測完了。周囲の一般車両に衝突しながら、銀色の大型ワゴンが駆け抜ける。

 手にとった無線機を、警官は口にあてた。

「こちらソーマ。スピード違反のワゴンが一台……」

 トンネルの天井から、上下逆さまに何かが飛び出したのはそのときだった。

 ジェイスだ。高速で通過した燃える風が、無線に語る警官の帽子を吹き飛ばす。静寂に舞う炎の破片。

 スピードガンが、ふたたび何か言った。

 時速千キロ?

「こちらソーマ。街に巡航ミサイルが」

 道路の分岐帯に乗り上げたジェイスの背後で、ちぎれた木の葉が燃えては舞った。大きくブースターをふかすと、柵をぶち破って上空の鉄橋に侵入する。

 鋭い円を残してとまったジェイスのバイクからは、都市のオフィス街が望めた。ぶすぶすと煙をあげるのは、限界まで擦り減って灼熱する車輪だ。右に左に、車が鉄橋を通り過ぎる音だけが響く。

 ジェイスの目が細まった。

 はるか眼下の道路に、銀色のワゴンが輝いたのだ。一気にアクセルをひねられたバイクの後輪が、火花の雨をまき散らす。

 疾走。

 ガードレールの破片をまとって、次の瞬間、ジェイスのバイクは鉄橋を飛び出した。青い空。ハンドルを手放したジェイスの右足が、踵のブースターから火を噴きつつ一閃する。

 強烈な回し蹴りを浴びたバイクは、そのまま道路へ飛んだ。高速で蛇行するスコーピオンの車の前に。

「ぎゃははは、は……は?」

 捕えたエマに浴びせていた馬鹿笑いを、スコーピオンはみずから止めた。

 絶妙の角度と速度でバイクに乗り上げ、ワゴンが宙を舞ったではないか。

 ちぎり取られたワゴンのドアの向こうに、一回転してジェイスが現れた。手足をしばられ、必死に身をよじるエマの首根っこを掴む。

 防護壁を新聞紙のように切り裂き、ワゴンは海へ急降下した。

 地を這うような笑い声。

「追いつくの早すぎ! エージェント・ジェイス!」

 銃声と同時に、ジェイスの脇腹が血を噴いた。猿ぐつわ越しに悲鳴をあげるエマの眼前で、スコーピオンの44マグナムが吠える、吠える、吠える。ジェイスの右肩を貫き、頬に血の線を刻んだ銃弾は、背後のガラスを砕いて虚空に消えた。

「教えてやろうか。俺がスーパーマンをやめたわけを!」

 目を血走らせて叫びながら、スコーピオンはジェイスの頭に銃口をあてた。

 渇いた音。残念、弾切れだ。

 エマを横抱きにしたジェイスの腕が、そして足が炎の翼を広げる。

 ワゴンから飛び立つ刹那、ジェイスは聞いた。海に吸い込まれてゆく車内で、目を剥くスコーピオンへ。

「レジ係か?」

 道路に着地したジェイスの背後で、派手な水柱が噴きあがった。


       Ⅶ


 高速道路には、ひどい渋滞が巻き起こっていた。

 大規模な転落事故発生と銘打ち、現場検証の間、政府が完全に道を封鎖したためだ。不運な運転手たちのいらだちを代弁して、車のクラクションは鳴りやまない。

「オーライオーライ」

 政府の特殊部隊員が誘導灯を振る先、トラックの荷台から降りてきたのは黄色のタクシーだった。

 タクシーのサイドミラーに反射するジェイスの手は、大量の包帯の見え隠れする胸元にネクタイをしめなおしている。血と焦げ痕でさんざんだったスーツも、今や新品だ。

 それを横目にしながら、エマはつぶやいた。

「〝ファイア〟……ネーミングセンスを疑うわ。名前の元は、ジェイス。あなたたち政府の闇に奪われた命の灯火や、銃の火花、燃やしてきた建物の炎のこと?」

「………」

 身だしなみを整えるばかりで、ジェイスは答えなかった。

 破壊された防護壁の向こう、クレーンが海から引き揚げた大型ワゴンは、大量の水滴を落としている。その銀色の車体が粘土細工のようにひしゃげているのは、水面への激突が生半可なものではなかった証拠だ。全身の骨を粉砕された運転手……すでに包帯ぐるぐる巻きで要領のいいテロリストの遺体があがるのに、もはや時間はかからない。

 その光景を、静かに目で追うのはエマだった。政府の医務車両がテント代わりに開いた後部扉の下、小さくため息をついて続ける。

「シェルターの外はひどい吹雪なのに、その火の粉はまだ燃え尽きずにいる。〝ファイア〟。時間切れ間近のこの世界には、ぴったりの組織名ね」

 エマの耳にふと、かすかな笑い声が聞こえた。

「くくく……」

 中性的なソプラノの声だ。思わず辺りを見回したエマだが、隣には白衣の医者しか座っていない。エマが前に伸ばした腕の切り傷を、医者はどこか機械じみた丁寧さで消毒している。その抗菌マスクの向こう、きゅうっと三日月型に微笑む医者の瞳にも気づかず、エマは切り出した。

「いろんな職業にカモフラージュした政府の殺し屋が、街角から都市を監視してるって噂は聞いてたわ、ジェイス」

「……副業だ」

「どっちがよ。運転手のほう? エージェントのほう? 身も蓋もない人」

 ふわりと微笑んだエマの目に、ジェイスの手首の時計が輝いた。通信という名の紐でつながれた銀色の首輪。事件の一部始終を傍受したエージェントたちは、いまごろ、よだれを垂らして敵の本拠地に突入していることだろう。エマはジェイスに質問した。

「なにと戦ってるの、あなたたちは?」

「さあ」

「どこから来た客?」

「遠くから」

「そう。長旅ね」

 海辺で現場検証にいそしむ鑑識係たちの頭上、カモメ群れの鳴き声はどこか切ない。真実を知りすぎたエマを待つ運命を、きっと哀れんでいるのだろう。

 タクシーのサンルーフに突っ伏したまま、エマはそっとジェイスに掌を出した。

「ありがとう、ジェイス。あなたのタクシーを選んで正解だった」

「………」

 握手に応じる代わりに、ジェイスは金色のきらめきを差し出した。ナイフの跡も生々しい警察のバッジ。ああそうか、サービスエリアでついうっかり……

「傷だらけになっても、相変わらずね、このバッジも……あなたと一緒で。もう未練はないわ」

 エマの指先がバッジに触れるのと、ジェイスの腕時計が笑いだすのは同時だった。

〈おはよう! エージェント・ジェイス!〉 

 聞き覚えのあるテロリストの声に、エマの顔は凍りついた。

〈そろそろ教えてやろうか、俺が競泳をやめたわけを!〉

 なんの音だろう、時計の向こうから聞こえてくるこれは。犬科の動物を思わせるスコーピオンの息遣いに混じって、なにかが高速で回転している。工業用のドリルだ。

〈人体の不思議ッ! おでこに開けられた穴は、第三の目になるんだって! その気持ちいいのなんのって、もう天にも昇る心地よさ〝らしい〟! 連れてきなさい!〉

 スコーピオンはおたけびをあげた。時計のスピーカーから響いたのは、どん、と木製のイスが軋む音だ。地面をこすって引きずられてきた何かが、無理やり座らされたらしい。

〈好きだろ!? な!? そうしよう!?〉

〈……!〉

 映りの悪いテレビのように、スコーピオンに前後に揺さぶられるのにも、その隊員は必死に耐えている様子だった。本拠地への突入と同時に、逆に捕えられてしまったのだ。ただ、さすがは政府の闇ごようたしの強襲部隊。雑念を無にする術を心得ている。

 スコーピオンが舌なめずりするのを、エマは聞いた。火花を散らすドリルの先端を、病的に手を震わせながら、隊員の眼球に接近させるスコーピオンが脳裏に浮かぶ。

 ジェイスの腕時計からの音声に、かすかに隊員の声が混じった。

〈い……い、い〉

〈うらやましーなーッ! 政府のワンコちゃん!〉

〈い……い、いいいやだああ! たすけてええ!〉

〈わかりました〉

 スコーピオンの声は、急に冷静になった。興味を失ったかのごとく、ドリルの悲鳴がやむ。

 やめて、とエマはつぶやいた。ふたたび叫んだのはスコーピオンだ。

〈虫歯発見~~ッッ!〉

〈ああわうわああわ!〉

 凄まじいドリルの回転にあわせて、隊員の声も振動した。

 肉を裂く響きが、硬いカルシウム質を削り始めるまで時間はかからない。やわらい何かを再びかき混ぜたのを最後に、隊員の体が横倒しになる音が聞こえた。スコーピオンのかんだかい笑い声が、あとを追う。

〈死んだ!? ぎゃはははは!〉

「!?」

 エマは息を呑んだ。

 今度の笑い声は、通信の向こうだけに留まらない。すぐ近くからだ。

 道路に降ろされたばかりの大型ワゴンの車内、鑑識のピンセットが小刻みに震えた。

 おお。水浸しのシートで馬鹿笑いするのは、こぶし大の丸い顔だ。包帯ぐるぐる巻きにされたその片目、画面の数字は高速で減りつづけている。スコーピオンお手製の爆弾だった。

〈ぎゃはははは!〉

 エマを素早く引き込む手があった。急スピンしたタクシーの中へ。

 ジェイスだ。

「つかまれ」

 爆発とともに、道路の底は抜けた。


       Ⅷ


 不法投棄の山が、夕焼けに赤い絨毯をしいていた。

 ジノーテ西端の廃病院。

 午後五時十分……

 経営難につぐ経営難によって打ち捨てられたこの病院に、例に漏れず妙な噂を漂わせたのは、そこかしこにくすぶる焚き火の跡だったろうか。

 いわく、真夜中の窓辺からこちらを凝視する目、目、吊りあがった目。はたまた、無人のはずの屋上近辺を、木の葉そっくりの動きで舞い踊る強い輝き。

 スプレーアートも毒々しい正門を走り抜けるや、タクシーは急停止した。

 先客がいたのだ。病院のロビーを囲んで停車したジープの扉には、どれもこれも、政府の刻印が染め抜かれている。これ以上進めそうにない。

 タクシーを駆け降りたエマの足元で、おもいきり泥が跳ねた。音に驚いたドブネズミの一家が、廃油まみれの汚水をたれ流す下水管へ突進する。

 その水溜りに波紋を生んだのは、赤い絵の具だった。とめどなく滴る輝きを、静かにたどった先には……おお。

 押し殺した声で、エマは囁いた。

「ひどい」

 ジープの前に立つと、エマは拳銃をひと払いした。黒い羽根を群れでちらして、カラスの鳴き声が夕陽へ飛び立つ。鋭いくちばしを真っ赤に飾ったまま。

 エマは逆さまになった手首の脈をとりかけ、やめた。無意味との判断に、眼球から繊維をはみだしながら、隊員たちも怒っているようだ。

 特殊装備の死体から血をしぼりながら、いまやジープは磔の十字架と化していた。

 それも、一台や二台ではない。苦悶げに吐かれた隊員の舌を、両目を、そして手足をボンネットに縫いつけるのは、おもに建築に使われる長大なネジだ。ここまで深く鉄をえぐるには、工業用のドリルが必須かと思われる。

「イカれてるわね……完璧に」

 足元の空き缶を蹴り飛ばすと、エマはタクシーに振り返った。彼なりの黙祷か、ジェイスは腕組みしたまま目をつむっている。

「あんたも? ジェイス。なんでそんな平然としてられるわけ。仲間なのに、どうして」

「死人だからだ」

〝ファイア〟の仕入れたこの座標に、連れていけとわめいたのはエマ自身だった。泣く子と情熱派には勝てない。

 悪魔の哄笑のごとく、ドリルの回転音が響いたのはそのときだった。

 スコーピオンだ。

「ぎゃーははは! 南無三ッ!」

「や、やめ、やめやめめいいい……」

 ドリルに振動する隊員の悲鳴は、割れた窓から院内を無数にこだました。

「助けなきゃ!」

 顔を強ばらせ、エマは地面に転がるサブマシンガンを掴んだ。ジープの死体から拝借した予備弾倉のベルトを、いそがしく腰に巻く。

 タクシーの車体に背をあずけたまま、ジェイスは告げた。

「五分待て」

 さきほど倒壊した道路にはばまれ、政府の本隊もかなりの足止めを食っている。もっとも、手首の通信機から断続的に漏れる位置情報を聞く限り、ヘリの到着はじきだ。

 が。

「ヒーロー願望、って聞いたことない?」

 つぶやいて、エマは軍用ナイフの鞘を足首に巻いた。ピン付の缶を後ろポケットにねじ込む。催涙弾か閃光弾かは、使ってみるまでわからない。

 勢いよくマシンガンの装填桿を引くと、エマは深呼吸した。ジェイスを見もせず問う。

「あとで街まで送ってくれる?」

「霊柩車ではない」

目も開けず、ジェイスは即答した。夕焼けに染まった風に、ネクタイだけが揺れている。

「……残念」

 少し悲しそうに眉をひそめると、エマは駆けだした。ロビーへ踏み込み、鉄骨むきだしの支柱を盾に、真っ暗な通路の左右を用心深くうかがう。

 やはりジェイスは動かなかった。

「………」

 閉じる花弁のごとく落下した大鎌は、次の瞬間、ジェイスの体を一気にタクシーへ縫いとめていた。勝ち誇ったように仮面を輝かせる死神が二、三、四体。

 タクシーは爆発した。


       Ⅸ


 爆風とともに、コンクリートの破片が舞った。

 闇を切り裂いてエマに飛来する鎌、鎌、鎌。素早く前転してそれをかわすと、流れるようにマシンガンを撃ち返す。

 千人収容の待合室の壁を背にして、エマは荒い呼吸を繰り返した。ススだらけの頬。小さくうめいて押さえた脇腹の傷は、細く血をしたたらせている。

 廊下の先は、三歩進めば暗闇だ。ただ、ときおり輝く泣き笑いの仮面。足を動かす気配もないのに、無数の鎌の軌跡だけが平行に診察室から診察室へ往復している。

「からかってるつもり?」

 エマの小声とともに、ひび割れた床に空の弾倉が跳ねた。残りの弾倉はひとつ。額に汗をにじませながら、新たな弾倉をマシンガンに差す。差した途端、背後の壁を突き破って現れたのは、骸骨のような二本の腕だ。

「!?」

 悲鳴とともに、エマは頭上めがけて引き金をしぼった。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。

 水に手を突っ込んだような音が連続し、銃声は途絶えた。弾切れだ。硬直したエマの足元に、同じ数の銃弾が黒い液体をひいて吐き戻される。

 エマをはがいじめにするのは、巨大な鎌を握った腕だった。必死にもがきながら見上げた壁面には、死神の顔。ほら怖くないよ、と半分コンクリートにめり込んだまま笑っている。

「人間、いや生き物ってやつは、どいつもこいつも狭い何かに隠れるのが大好きだ」

 しみじみ語る声があった。雄大な景色でも見たように。

「そうだろ、お巡りさん?」

 いつからいたのだろう。

 墓石のごとき整然さで並んだベンチに、診察を待つ人影があった。ひとり、ふたり、三人、四人……飛びだした綿に薄気味悪いクモの巣をからませ、来院者といえば、積もり放題のホコリばかりになって久しいはずだが。

「学校、会社、家族、刑務所、それから棺桶……腐った空気に驚いて産声をあげた瞬間から、最後におさまる世界の寸法は決まってる。俺もそうだ。もちろん、お巡りさんも」

 独白する暗黒のそこに、赤い光点がくすぶった。

 鎌を押し返そうと手を震わせるエマの鼻先に、品のよい葉巻の煙が流れてくる。それすらも、この臭いの凄まじさには勝てない。むせかえるような血の臭気。

 声は、エマに告げた。

「俺たちゃ魚さ。犯罪の海でしか生きられない、可哀相なお魚」

「スコーピオン……あんたには今度こそ、処刑台の整理券を贈るわ」

 エマのその気迫に、スコーピオンは小さく口笛を吹いた。足を組んでベンチにくつろぐスコーピオンへ、問うたのはエマだ。

「どこ、人質は?」

「人質ぃ? 心外じゃないか。警察に知らせたら命はないぞ、って遅い遅い」

 大きくひろげたスコーピオンの両手は、すでに血と脳漿でどろどろだった。

「人質なんて最初からいない。とうぜん、刑事さんも違う」

「!?」

 広い待合室を駆け抜けた光に、エマは思わず顔をそむけた。窓という窓から、黒いカーテンが一斉に引かれたではないか。

 カーテン? 違う。今まで窓辺をさえぎっていたのは、すべて死神の黒いマントだったのだ。仮面、仮面、そして仮面。数えきれない。

 うっとりした声で、スコーピオンは囁いた。

「みんなここにいるよ」

 血のような夕陽が明るみにした光景に、エマの瞳孔は広がった。

 端から端までずらりとベンチを席巻した政府隊員たちは、やや背が低い。ちょうど鼻のあたりで水平に分割された頭部からは、白いアイスクリーム状のものが窺える。

 おまけに、彼らの決めポーズ。あれも、これも、あれも。我が家のソファでテレビに向かうときそっくりの足組みは、ひとめで今のスコーピオンと同じ姿勢と知れる。

 ミュージカルのごとき統一感だった。

 うつむいたまま肩を揺らすエマを見て、あわわと口を押さえたのはスコーピオンだ。

「泣かしちゃった? 俺知らね」

「笑ってるのよ」

 四つん這いになったまま、エマは顔をあげた。ほつれた前髪の間から、大きく瞠られた片方の瞳。その奥で燃える殺意に、スコーピオンともあろう者が生唾を飲んでいる。

「死人があたしに教えるわ、スコーピオン。骨のひと欠片も残さず、あんたを焼く炎が見える、って。炎の名前は、地獄」

「ずいぶん昔、ピクニックに寄った覚えがある。よく見りゃこの街だったが」

 スコーピオンの指が鳴った。片膝をついた死神が捧げる物体は、まだ記憶に新しい。

 銀色のアタッシュケース。

〝ダリオン〟

「もう晩ご飯食べた? お巡りさんだけのとっておき♪」

 歌うようにスコーピオンは口ずさんだ。

 蜘蛛のうごめきを見せるその指先が、アタッシュケースの持ち手近くのダイヤルに暗証番号を打ち込む。桁の数はあきれるほど多い。続いて、その横のスリットにカードキーを走らせると、ランプの色は緑から赤へ。最後に、赤と青の鍵を左右の穴に突っ込み、3カウントで同時に回す。

「こいつがまた、よく人の出来た奴でよ。簡単に言うと、そうだな。こいつは、寄生した動物の体ん中で育つ」

 スコーピオンは必死に笑いをこらえた。所せましと二人を囲む死神たちに、動揺の稲妻が走る。

 まさか、やる気か!?

 スコーピオンは続けた。

「初恋と似てないかい? 自分の中で、想像もしない何かが凄い速さで成長してく。最後は、繭か蛹代わりにした宿主の体をぶち破って、はい。一丁あがり」

 冷気とともに口を開けたケースが、スコーピオンの顔に青白い隈をつくった。

 頑丈な耐衝撃カプセルに漂う〝ダリオン〟は、早くも乳白色の根をよじっている。嬉しそうに。ただ、カプセルじたいにも驚くべき量の認証過程があるのは、もはや恒例だ。それだけで鍵屋を営めるぐらい多彩なキーを使って、さきほどより複雑な手順を、スコーピオンはせっせと繰り返した。

「魚の話の続きだが……こいつにゃ、狭い世界を自力でどうにかする根性がある。さすがの俺にも無理な芸当さ。脱帽ってやつよ」

 スコーピオンは色っぽく指招きした。

 手前の死神が、がんじがらめにしたエマの背中を押したではないか。くの字に折れたエマの眼前、ああ。爪のような拘束を瞬時に解かれたカプセルが、糸ほどの隙間から粘性の溶液をたらす。

「い……いや」

 鳥肌をたてて、エマは首を振った。しだいに動きが大きくなる。嫌だ嫌だ嫌だ。その様子を、スコーピオンは楽しげに見守った。

「お、なついてやがる。ウブな純真ボーイだとばかり思ってたが、こいつめ。意外と風上に置けないな」

 気泡をかわして激しく花弁をうねらせ、ダリオンはすでにカプセルの端っこに待機していた。全身の針を削岩機のごとく回転させる先には、涙にぬれるエマの顔が。待ちに待った寄生の相手が見つかったらしい。

 反対に、スコーピオンの瞳はとろんと恍惚したままだ。開けっ広げた唇の端には、かすかに涎さえ光っている。

「泣き虫は治るかな♪」

 飛行機のエンジン音が聞こえた。

 ダリオンごと黒焦げになったカプセルを見て、首をかしげたのはスコーピオンだ。包帯の手を一直線にかすめた炎の柱は、そのまま床を砕いて猛烈な勢いで燃えている。

「熱ちち」

 つぶやいたスコーピオンの包帯を、導火線のごとく這いあがる炎。それを払うべく奇妙な踊りを披露するスコーピオンを、エマは口を開けて眺めた。荷電粒子砲……こんなことができるのは、一人しかいない。

 病院の屋上、吹き抜けの窓が割れた。

 ガラス片をまとって飛び出したのは、四体の死神だ。はるか空中を落下しながら、輝く鎌を振る、振る、振る。レーザーの軌跡を縦横無尽に跳ね返す音、音、音。

 鋭い光が乱れ舞った。腹部を貫かれた死神が爆発したときには、胴を両断された二体は壁に激突して炎上している。

 地響きを残して、最後の死神は床を跳ね飛んだ。宙にきらめく破片。その顔が燃えあがったのは、ジェイスが仮面から掌を離して反転したのと同時だった。

「~~~ッ!」

 粒子の雨が散った。大勢の死神のもたげた鎌が、倍以上の長さにまで膨れあがる。出力最大。その中央、煙の流れる両腕を、万歳の姿勢に広げて叫んだのはスコーピオンだ。

「ようこそ! エージェント・ジェイス!」

 黒マントの群れが襲いかかるより、ジェイスが消えるのは一瞬早い。背中合わせに死神たちの後ろに現れたのは、両腕を交叉させた人型の炎だ。

 続けざまに、死神の仮面は爆発した。ジェイスの駆け抜けた足跡にそって、ふた筋の火の線が床を揺れている。

 だが、海を割るように飛び退く死神の多さ。

 腰を抜かしたエマの背中は、何かにぶつかった。ジェイスの脚だ。ぼろぼろに炭化したスーツの上下は、まだ濃い煙をあげている。

 エマは不敵に微笑んだ。

「死体を運ぶのはタクシーじゃない。霊柩車でしょ?」

「………」

 あちらの非常口で揺れる扉を、ジェイスは無表情に見据えた。その奥の階段を、スコーピオンの笑い声は遠ざかってゆく。全速力で。ジェイスは短く告げた。

「客だ」

「え?」

 エマは目を丸くした。いまや、ジェイスの肩と脇腹は、シャツ越しにも赤く染まりつつある。それでいてなお、囁くジェイスの声は冷静だ。

「逃がすな」

「たったひとりで、この数を相手にするつもり? 冗談じゃないわ、あなた本当に……」

 抱きつきざま、エマは勢いよくジェイスと唇を重ねた。

「白馬の王子様かもね!」

 エマは非常扉を蹴り開けた。音を合図に、死神たちは一斉に跳躍している。ジェイスめがけて吸い込まれる刃、刃、刃。

「………」

 唇をぬぐったジェイスの手は、轟と燃えた。



 巨人の倒れたような衝撃が、むきだしの鉄筋を揺らした。

 きしんだ天井からぱらつくホコリに、小さく「ワオ!」と叫ぶ声がある。

「うん。燃えちゃってね、まったくのお祭りなの」

 新たな葉巻を八重歯にくわえながら、スコーピオンは階段を急いだ。耳と肩の間に挟んだ携帯電話の表面、戯画化された蠍のLEDが愛らしく明滅している。内ポケットから抜き出したシガーカッターを、スコーピオンはカニみたいに開けては閉じた。

「元気してるか、愛しの闘牛士マタドール。え、調整中? じゃ、エドガーは? あのクールガイなら、人間ミサイルのジェイスといい勝負……嘘ん、裏切った? 死だね。死ねばいいのに」

 銃声。

 吹き飛んだ葉巻の先端を、スコーピオンは夢見がちに眺めた。ちょうどいいや。今度は口元で点火したライターが、銃声とともに手から弾かれる。

 シガーカッターと携帯電話を、スコーピオンはまとめて床に手放した。

「こいつぁまた、鉄砲の使い方がえらく家庭的だな。俺の嫁になるか?」

「悪党と警察は、いつだって恋人同士よ」

「なるほど」

 葉巻だけは丁寧に胸ポケットへしまってから、スコーピオンは振り返った。階段の下から拳銃をかまえるエマを見るなり、にやりと目をほころばせる。

「とりあえず、手でも上げたらどう?」

 エマのその指示以上に、頭のうしろで段取りよく手を組むと、スコーピオンは壁の方を向いた。ある意味、よく訓練された動きだ。

「もっと歌えよ。こうだ。〝お前には黙秘権がある。法廷での証言は……〟」

 足を襲ったエマの蹴りに、スコーピオンは綺麗に両膝をついた。後頭部に銃をつきつけられながらも、その顔はまだにやついている。

「気分はどうだい、女王様?」

「最高だわ。あんたみたいな変態を背中から狙うのが、警官の仕事。辞めるなんて勿体ないわね、あんたも」

 腰に吊った手錠が、エマの指にあたって音をたてた。天井から配線だけでぶらさがった蛍光灯が、静かに振り子を描いている。

 スコーピオンは、唇をつりあげた。

「楽しいぜい♪ 悪党いがいを撃ち殺すのも」

 スイッチの鳴る音に気づいたときには、もう遅い。

 耳をつんざく爆音。非常階段の吹き抜けを、凄まじい火柱が駆けのぼる。

「!」

 壁際まで吹き飛んだエマの視線の先、屋上へ疾走する包帯の切れ端が見えた。瓦礫に放り捨てられた起爆装置のリモコン。まさか手下ごと……では、ジェイスは?

「なんでみんな殺しちゃうの!?」

 遅れて屋上に転がり込むと、エマはすかさず正面に銃を向けた。それから左、右、と矢継ぎ早に照準しながら、叫ぶ。

「年貢の納め時って言葉、知ってる!?」

 強い風が吹いていた。着陸線のすりきれたヘリポートからは、紫色に暮れる都市の風景がうかがえる。

 注意深く屋上を進むエマの視界の端、白い影がはためいた。すかさず旋回する銃口。うつむいたまま沈黙を守る照明に、包帯が引っかかっている。

 暗闇に、泣き笑いの仮面が浮かんだのはそのときだった。

「!?」

 とっさに身を投げ出しておらねば、エマの体など蜂の巣と化していたはずだ。

 糸より細い光線の雨に貫かれた地面は、同じ本数の煙をあげている。そして、夕闇の空に飛び回る小さな輝き。漏斗の形をした無数のそれらが、レーザーを放ったらしい。地球外の技術によって生み出されたそれは、なぜか派手な黄金色だ。

 地響きに、コンクリートの破片が舞った。枯れた貯水槽の上から、巨大な人影が降り立ったのだ。

 地面に寝転がったまま、エマは拳銃を跳ね上げた。撃つ撃つ撃つ。

 水のような揺らめきを見せる金色のマントに、いったんは銃弾は突き刺さった。が、巨人の足元に吐き戻される金属音。案の定、銃弾はアーモンドアイの流体装甲を泳いだばかりで、その奥の操縦者には届かない。

 形こそ似通っているものの、その死神は、エマはもちろんのこと〝ファイア〟が今までに確認したどのタイプとも違う。マントをふくめ、どこもかしこも豪華な金色、金色、金色。天を向いた死神の人差し指の先、ハエのごとく宙を旋回する漏斗状の自律攻撃ビットもまた、黄金に輝いている。

 殲滅戦型死神〝ラクシリア〟

「ミュージック、チェンジ!」

 合理的がモットーのアーモンドアイは、こんな節操のない叫び声は出さない。そんなことより、両足を肩幅まで広げ、右腕をあげたその姿。テロリスト……スコーピオンの決めポーズではないか。

 死神はやはり、スコーピオンの声を張りあげた。

「いい眺め! 愛と正義と復讐のために立ち上がった、美貌の女刑事だ!」

「スコーピオン!」

 パワードスーツの拡声器にも負けぬエマの絶叫に、スコーピオンはのけぞった。わざとらしい。そこだけ真っ白な道化師の仮面も、うろたえるように震えている。

「ちゅ、ちゅちゅ駐禁っすか!? 勘弁してください!」

 急に土下座した死神の上から、いっせいにビットは散開した。気付いて逃げ出したエマだが、もう遅い。数えきれぬビットの先端が輝いたときには、全身をレーザーに切り裂かれ、エマは宙を舞っている。

「~~~ッ!?」

 一回転して地面に叩き付けられると、エマはかすれた悲鳴を漏らした。太股をおさえた指の間から、鮮血が噴水のごとくほとばしっている。レーザーが動脈を貫いたらしい。

 ずたずたのエマの眼前に、黄金のマントが降り立った。

「ぎゃはは、お人形さんみたい! じゃ、どこからもぐ? 手? 足? 臓物? 頭は痛いから最後ね♪」

 死神の骨ばった指が、倒れたエマの瞳に広がった。

「教えてやろうか、俺が地球人をやめたわけを」

 突然声を低くして、スコーピオンはエマの肩を掴んだ。その腕と、ゆるやかに上がったエマの拳銃がすれ違う。失血に、かたかたと痙攣する銃口。自分の頭に向けるのは、右手がなくなる直前ぐらいでいい。遊んでいるのか、スコーピオンはゆっくり語り始めた。

「九月の真ん中あたりだったかな。まだ俺にも、助手席に乗せる女房がいたころだ。夜中の十二時過ぎ、旅行先から家へ帰る途中……」

 エマは叫んだ。

「おしまい!」

 銃声……

 同時に、巨人は炎に包まれた。目を見開くエマ。

「へ?」

 コンクリートの地面を真下から貫いた荷電粒子ビームが、スコーピオンの流体装甲を直撃したのだ。いや、それだけに留まらない。一発、二発、三発……立て続けに突き上がった炎の槍は、またたく間にヘリポートに燃える円を描いた。飛びすさる死神を追って。

「びっくりするほど正確な狙いだな! だが! 今度は俺も正装だ! バズーカの爆発だってへっちゃらなんだぜ……出てこい! エージェント・ジェイス!」

 スコーピオンの呼び声に答え、ヘリポートは爆発した。

 下から。

 ぶち破った建物のかけらをまとい、夜空に跳躍した人影がある。全身のブースターから火を吐くジェイスだ。

 片膝をついて着地したジェイスの周囲に、大きく火の粉が舞った。背後のエマには振り返りもしない。代わりに、右腕を後ろへ引きしぼって、斜めに身構える。発射準備は完了だ。その鋭い視線の先、スコーピオンは大笑いした。

「タクシーのご到着! さあ、どこへ連れてってくれるんだい!?」

 オーケストラの指揮者のごとく、スコーピオンは両手を広げた。

 複雑に配置を変え、ジェイスを包囲するビット、ビット、ビット。いっせいに放たれたレーザーの糸が、縦横無尽にジェイスを貫く。いや、そこにあったのはジェイスの残した炎の残像だけだ。

 どこへ?

 なんという超スピード。炎の尾を横に流しながら、死神の背後でジェイスは答えた。

「地獄だ」

 稲妻の走る音とともに、スコーピオンは輝いた。

 おお。見れば、輪になって集合したビットが、中央に壁のごとく光を張り、ジェイスの拳を受け止めているではないか。バリアにもなるのか!?

 踵のブースターを全開にして、ジェイスは回転した。強烈な回し蹴りだ。これも、角度を変えたビットのバリアに防がれて届かない。瞬時にバリアが消えたかと思いきや、ビットの先端はジェイスめがけて輝いている。血の霧をまいて吹っ飛ぶジェイス。昇降口の壁に衝突したジェイスを追い、ビットはなおレーザーの雨を乱れ撃つ。撃つ。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。張り裂けるような悲鳴は、エマのものだった。

 八つ裂きにされた壁は、パズルのようにばらけて瓦礫の山と化している。舞い上がった煙を眺めながら、ふたたび笑ったのはスコーピオンだ。

「地獄は〝ここ〟だって言ってんだろ、ジェイス! お前ごときのハンドル捌きじゃ、俺を案内することはできなかったな……天国へ」

 スコーピオンの手招きに従い、ビットの群れはその周囲へ戻り始めた。

 戻り始めた瞬間、ジェイスの消えた瓦礫の山は爆発している。高速で飛ぶビットたちのど真ん中を、さらに素早く駆け抜ける人型の炎。バリアを張る暇もない。最大加速で放たれたジェイスの右ストレートは、死神の顔面を渾身の力でぶち抜いた。攻めと守りが同時にできない良い例だ。

 仮面の破片をまき散らし、スコーピオンは屋上の端まで転がって止まった。

 静寂……

 拳を振りきった姿勢のまま、ジェイスは息ひとつ乱していない。だが、その額から流れる鮮血。レーザーに焼き切られた手足の傷も、点々と地面に赤いまだらを生んでいる。

「ぎゃはッ!」

 笑い声は誰のものだったろう。

 まっぷたつになった仮面から白煙を漂わせつつ、金色の死神が笑いに肩を揺すっているではないか。

「ぎゃはははは! 一瞬ッ! 一瞬だけ、宇宙の星々がみえたよ! さすがジェイス!」

 巨体をしならせ、スコーピオンは勢いよく飛び起きた。このテロリスト、不死身。あてもなく宙をさまようしかなかった無数のビットも、まるで水を得た魚のように、規律正しい陣形を取り戻している。

 次はビット自身が、壁のごとく整列した。スコーピオンの眼前、美しい正方形を作ったビットたちが狙うのは、もちろんジェイスだ。のみならず、その照準は今度こそ前方すべてを照準している。おまけに、ビットそれぞれの先端に溜まり始めた光の粒。エネルギーを充填して、こっちも威力最大だ。絶対に避けられない。

「………」

 ジェイスは無言だった。ただ、静かに構えただけだ。

 荷電粒子の残量があと僅かなのは知っている。だから、ふたたび引きつけた右腕に、ジェイスは残ったすべてのエネルギーを集中させた。それまで薄く漂うばかりだった煙に代わり、ブースターの展開した右肘が、右肩が、握り拳が、凄まじい炎を放ち始める。

 地響きとともに病院そのものが震え、コンクリートの破片は空へ逆流した。闇夜に浮かぶ屋上の二点で、光と光はみるみる輝きを増してゆく。

 スコーピオンは雄叫びをあげた。  

「チキンレースだ! タクシー野郎! 乗るよな!?」

 ビットが閃くのと、ジェイスが地面を蹴るのはほぼ同時だった。

 夜空のずっと向こう……大型軍用ヘリの中で目を剥いたのは、〝ファイア〟局長のジェリー・ハーディンだ。

 廃病院の上から、太い光の束が空へ抜けたではないか。

 ところかわって、スコーピオンの視線の先。

 広範囲にわたって赤く溶けた屋上に、ジェイスの姿はない。超高熱の鉄槌をまともに浴びて、文字通り消し飛んだか?

 いや、違う。高集束レーザーの射線を外れた唯一の死角、スコーピオンの頭上まで、ジェイスは高々と宙返りしていた。ブースターのほとんどの余力を〝かわすこと〟に割いたのだ。

 空中から死神の仮面に掌をあてると、ジェイスは答えた。

「乗らん」

 火の玉と化して、ジェイスは加速した。

 轟音とともに地面をぶち破ったときには、スコーピオンの背中は一階層下の床に激突している。ジェイスは止まらない。死神の顔を真っ赤に燃える右手で掴んだまま、地面を突き抜けて、さらに下の階へ。下へ、下へ、下へ。壮絶な叫びは、どちらのものだったかわからない。

 大爆発。

 とうとう一階まで貫通した死神の体が、床に突き刺さったのだ。

 炎と煙の中、死神は最後にひとつ痙攣し、くたりと大の字になった。完全に握り潰したその頭部から手を離し、ジェイスはひとこと。

「……千六百フールだ」

 煙をひいて歩くジェイスのうしろで、死神は炎上した。


       Ⅹ


 廃病院は、夜に燃えていた。

 遠巻きにする警察のうらめしげな視線を尻目に、防護服をまとった政府の隠蔽班たちはいそがしい。

「よう、タクシー屋」

 右手をあげて挨拶したのは、いかつい風貌の中年だった。ネクタイをしめなおすジェイスの横に並んで、同じように救急車のサイドミラーに自分を映す。禿げかかった頭を少し気にするといえば、ウォルター・ウィルソン刑事しかいない。

 皮肉たっぷりに、ウォルターは聞いた。

「いいスーツじゃないか。新品かい?」

 ひとあし遅かった。あの病院の中で起きたことは、完全に政府の管轄だ。右に左に往来する棺桶のような生命維持ポッドの中身も、きっと〝逃げ遅れたホームレス〟あたりで公表されるに違いない。

「ニコラス・ジェイス。特殊情報捜査執行局……通称〝ファイア〟のエージェントさんだと見込んでの質問だ」

 救急車にもたれかかったまま、ウォルターは煙草に火をつけた。

「包帯野朗……スコーピオンを仕留めたってのは本当か?」

「………」 

「そうかい、よくわかった。あいつが畑仕事みたいにばらまく事件は、ずいぶん飯の種にさせてもらったからな。こりゃ、花の一本でも供えにゃならん」

「刑事の手柄だ」

「刑事?」

 ジェイスが静かに口にした名前に、ウォルターは間抜け面をこしらえた。こぼれた煙草が、地面で煙を揺らしている。

「エマ……エマ・ブリッジス警部補のことか? 若い女がそう名乗った? ここまで一緒に来た、と?」

「ああ」

 ジェイスがうなずく前に、ウォルターは顔をおさえていた。かすかに手がわなないている。

「……朝早くのことだ。ここから随分遠い中華街の裏路地で、マフィアと警察の衝突があった。どっちも全滅してたよ。全滅だ。ひどい有様だった。死んだ大勢の中には、後輩のエマ・ブリッジスも混じってた」

 時間が止まった。

 この刑事は、いまなんと言ったのだ?

 ジェイスは無言だった。無表情な瞳に、燃え盛る病院の炎だけが反射している。

「頚動脈を綺麗にかっ切られてたよ。切り口の特徴からして、スコーピオンじきじきの仕業だ。きっとエマには、痛みを感じるヒマも、死んだことに気づくヒマもなかったろう」

 救いを求めるようなウォルターの視線は、ジェイスの背中にあたって消えた。

 ポケットに両手を入れたまま、ジェイスは赤と青の警灯に彩られた夜道を歩き始めている。地面を睨んだまま、ウォルターは唇を震わせた。

「なるほど、タクシー屋。あんた、あいつの願いを叶えてやってくれたんだな。長いことこのシマ追ってたくせに、エマ……あいつ。やけに安らかな死に顔してた理由が、ようやくわかったよ」

 救急車から身を離すと、ウォルターは踵を返した。ジェイスの反対方向へ。

「なあ、もしだ。もし。見ず知らずの女の刑事なんかが、街角で手をあげたら」

 地面の小石を、ウォルターは爪先で蹴った。

「そしたらまた、乗せてやってくれるか?」

 ジェイスの指が、なにかを弾いた。回転しながらウォルターの掌におさまったのは、誰のものともしれない忘れ物だ。

 傷だらけの警察のバッジ。

 ジェイスは答えた。

「乗車拒否だ」


♯02 Reliever knock out

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