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Fire〝ファイア〟  作者: 湯上 日澄
2/8

Inning ♯01 墜落 (後)

 

       Ⅳ


 シェルター都市サーコアの北部、エワイオ空軍基地。

 正午ジャスト。

 広大な農場地帯において、その基地はひときわ異彩を放つ存在だった。

 金網で囲われた基地の周辺には、緑が濃い。森の向こうにはぽつぽつと民家の屋根もうかがえるが、距離はかなり離れている。つまり、のどかな田舎だ。そんなど田舎のど真ん中を切り開いて、兵器の巨大な巣がある。違和感があるのもしかたない。

 流線型の影が、ゆっくり滑走路を進みはじめていた。

 戦闘機だ。

 金網のはるか遠くに輝くその戦闘機に、ていねいに折った紙飛行機を、そっと重ねた手がある。ロック・フォーリングだ。よほど暇らしい。防護柵のすぐ外側、やわらかな芝生の丘に、ひとり気だるげに寝転がっている。

 なにより、ロックのこの風体を見よ。本場の軍人である警備兵の目に留まったら、警報のひとつやふたつは鳴るかもしれない。喪服のように黒いスーツに、同色のネクタイ。ひどい寝ぐせ頭をおさえつけるのがこれも漆黒のソフト帽で、コースターのようなまん丸のサングラスはまた一段と覆面に花を添えている。おまけに、首からぶらさがっているのがバカでかい双眼鏡ときた。

〝不審者〟。いやしかし、こんな格好をしていても彼は、れっきとした政府の闇の刺客なのだ。きっとその強い自覚から、今回もこの完璧な変装を目指したのだろう。だとすれば彼の呼び名は〝怪人〟〝変態〟〝覗き魔〟以外のどれかでなければならない。

 頭上高くに掲げた紙飛行機を、うつろな視線で眺めるロックの周囲に、彼以外の声が響いた。

〈その基地におかしな噂がつきまとうのは、今に始まったことではない〉

 傍目からは、ロックがただ独り言を呟いているようにも見える。そのうえ、晴れ渡る青空、のんびり流れる雲と完全に一体化したロックの目つき。残業代なしの長時間勤務があたりまえの不景気と、心の病の関係はやはり切っても切れない。もちろんロック自身は年がら年中教会で有給休暇のようなものだし、音声通話で語りかけてくるのも彼の手首の腕時計だ。

 銀色に輝く時計の向こうからは、かすかにヘリのローター音が聞こえる。エンジンの音質からすれば、ヘリはおそらく政府仕様の大型輸送タイプのもの。ロックの腕時計に仕込まれた超小型スピーカーは、女性にしてはやや低い、ジェリー・ハーディン局長独特の声で続けた。

〈いわく、基地のすぐそばで家畜の変死体が見つかった。高度なレーザーメスを使ったとしか思えぬ鮮やかさで、体の特定の部位のみをすっぱり切除され、あまつさえ全身の血を一滴残らず吸い尽くされた牛の死骸がな。いわく、怪現象の起こる前後には決まって、基地の夜空に正体不明の発光体が目撃される。いわく、基地の周囲をたびたび徘徊している真っ白な小人は、軍の怪しげな実験の産物であるという。いわく……〉

「抜き取った牛の血に、風呂みたいに体を浸けるのがアーモンドアイどもの食事のやり方なんだってな。さっきも同じような話しなかったかい、局長? バーベキューにされたのが牛かカメラマンかの違いで」

〈人と獣の死を一緒くたにするんじゃない、バチあたりめ。フォーリング。君は、遺族が心を沈める火葬場にまでデミグラスソースを持ち込むのかね?〉

「平等主義って呼んでくれ。ステーキハウスでも祈りを欠かさないのさ、俺は」

 そう肩をすくめたロックの視線の先、金属と金属を擦りあわせるような爆音が響いた。

 あの戦闘機が離陸したのだ。

 手首のスナップをきかせて、ロックも指先の紙飛行機を飛ばした。さわやかな風に乗って、紙飛行機はふらふら防護柵の下に墜落してしまう。そこには、おお。すでに数えきれぬ紙飛行機が山をつくっている。やはり暇なのだ。ぼりぼり頭をかくロックの手元で、腕時計のハーディンの声は嘆息したようだった。

〈宇宙の業火に焼き尽くされた不運なカメラマン。カメラマンの写真と防空対策室のレーダー、双方で確認された未確認飛行物体。そして、その未確認飛行物体を無神経に撃ち落としたエージェント・フォーリング〉

「呼んだか?」

〈事件当日のある瞬間、その三つは確かに直線上にあった。直線のはじまりは、いま君のくつろいでいるエワイオ空軍基地。線の終わりをさらに伸ばした先には、森林公園向こうの最終防壁にあいた〝穴〟がある。それに現在、私といっしょに、ヘリの貨物室に乗っている二人目の焼死体の発見場所も〉

「ロイヤルストレートフラッシュだ。ナパームでもなんでも落っことして、とっとと吹き飛ばすのをオススメするね、こんな胡散くさい基地。こんだけ証拠ばらまいちゃって、アーモンドアイの連中もよく喧嘩売ってくれるよ」 

〈説明するのも馬鹿馬鹿しいが……いいかね? ナパームを投下するためには戦闘機を飛ばす必要がある。グレネードなら戦車か装甲車だ。そして、そんな戦力を動かせるのは軍以外だと政府だけ。そう、〝政府〟の旗を掲げるのと同じだよ〉

「へへ。目に物見せてやろうぜ」

〈エワイオ空軍基地……仮にも都市の防衛ラインを、政府みずから攻撃する? 戦火の中を逃げ惑いながら、市民は思うだろうな。政府の暗部が過激派が、我々がいよいよクーデターを起こしたと。たとえ架空のテロリストをでっちあげて責任を転嫁しても、それこそ軍は意気揚々と我々に反撃の牙を剥くだろう。非公式なぶん、我々もいっさい文句は言えん。そして、戦争のダメージは基地どころか、まちがいなく都市の防壁にまでおよぶ。つまり、フォーリング。君の意見など笑止ということだ〉

「じゃあ代わりに、俺に十分くれよ」

〈なんだと?〉

「いや、五分でいい。たった五分間だ。五分ポッキリ。俺が異星人を綺麗に掃除する、って意味さ。心配すんな、基地の外には火の粉ひとつ漏らさねえ。奴らご自慢のキーキー声の鳴き声も、な。五分ありゃ充分だ。値の張るミサイル飛ばすよか、よっぽど安上がりだろ?」

〈しまった、君がただの酒浸りの狂犬であることを忘れていた。フォーリング、君の鎖が外されるのは、奴らの動機がある程度はっきりしてからのことだ。さっき君自身も口にしたろう。なぜアーモンドアイはこれだけの証拠を残すのか? なんの目的で? 我々の敵意をあおる危険を犯してまで、都市内と〝穴〟を行き来する理由は? 〝ファイア〟は目先に見える危機の芽以上に、その下へ続く矛盾した根をたどらねばならない。深く〉

 切々とそう語るハーディンをよそに、ロックは派手にくしゃみを放った。

 田舎ならではの花粉にやられたか。ずっと枕代わりにしていたハードカバーの本を開くや、ロックはそのうち一ページを破り取った。なんの小説だろう? ページ数がかなり減っているのを見れば、折っては飛ばしていた紙飛行機の材料もこの本だったようだ。もてあました暇をグラビア雑誌以外の読書に注ぐなど、たしかにこの男にはありえない。割と文字の多めなその紙で、思いきり鼻をかむロックに、ハーディンが通信機の向こうで顔をしかめる気配さえある。

〈フォーリング。私にはときおり、ひどく危険なものに思えてならない。君を突き動かすその激しい欲求が。〝アーモンドアイへの復讐〟。まだ救えると思っているのか、レジーナのこと……〉

 強い風が、芝生の緑を波打たせた。

 ちぎれては舞い上がる雑草の破片、たくさんの紙飛行機。飛ばされまいと手でおさえたソフト帽の下、かすかに覗くロックの瞳には暗い感情の色があった。ここではない、どこか遠くを見つめて。それも束の間、ロックの唇には、いつもどおりの皮肉な笑みが甦っている。

「危険? この俺が? よしてくれよ」

 そう。逃がさない。あいつらだけは、絶対に。

「〝ファイア〟を裏切って、長く生きれるなんざ思っちゃいないさ。第一、いつもどこかで目を光らせてるもんなぁ。俺専用の始末屋が」

〈なに? いまなんと……〉

「おっと、迷える子羊発見……お客さんだ。切るぜ」

 その人影の接近に、ロックはいつから気付いていたのだろう。

 基地に張り巡らされた防護柵の下、累々と重なる紙飛行機のひとつを拾ったのは、いかめしい中年の男だ。いましがた交通事故にでも巻き込まれてきたかのように、痛む頭をおさえている。そのまま紙飛行機を開いて、中に記された一文を目にしたとき、男の顔はさらに歪みを増した。破り捨てられているのが、聖書の一ページだと気づいたらしい。

「〝だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。マタイ福音書第五章三十九節〟……フォーリング、てめえ。ヤクの売人だってレイプ魔だって、こんな、聖書をちり紙同然に扱うマネはしねえぞ。絶対だ」

 禿頭の中年……ウォルター刑事がそう唸っても、ロックは寝転んだまま無言だった。いや、その両足が大きく上がると、下げる反動でロックが跳ね起きたではないか。脱いだ上着を肩にひっかけ、タバコに火をともしてから、ロックは紫煙と一緒に答えを吐いた。

「売人、暴漢……そんな連中に聖書の正しい使い道を教えるのが、神父ってやつの努めだろ。ありがたいじゃないか。鼻がかめりゃ、ケツだって拭ける」

「サイコ野郎が!」

 ひと声吠えるや、ウォルターはロックの胸ぐらを掴んだ。そのままロックの背中を押しつけた防護柵が、激しく前後に揺れる。高圧電流でも流れていたら、お互いただではすまなかった。刑事がここまで怒り心頭な理由とは? 軋るような戦闘機の飛翔音に顔をしかめ、ウォルターはさっさとロックの身体検査を始めている。一方、おとなしくお手上げしながら、あきれた笑みを浮かべたのはロックだ。

「やれやれ、今日もまたいっそう敬虔だねえ、ウォルターのダンナ。真っ昼間から神の御使を恐喝とは」

「神だと? はッ、バカは起きながら寝言ほざくってのは本当だな。てめえごときが聖職者なら、俺はソプラノの少年合唱団か? ん? 寝ても覚めても、香のかわりに血と硝煙の臭いをプンプンさせてるクソ坊主なんてのは……」

 全身くまなく身体検査するウォルターの手は、ロックの腰のあたりで止まった。引き抜かれた四十五口径の拳銃の輝きは、ちかごろ物騒とはいえ、護身用にしては過剰なほどよくメンテナンスされている。もちろんその銃口はぐっとロックの鼻先に近づけ、ウォルターはドスのきいた声で続けた。

「……てめえぐらいのもんだ、〝ファイア〟」

 顔にひとすじ嫌な汗を伝わせながら、ロックはとぼけた。

「あれ? 審判の日って今日?」


       Ⅴ


 ソフト帽の上にサングラスをひっかけると、ロックは目を細めた。

 陽の光がまぶしい。

 太陽?

 もちろんニセモノだ。シェルター都市の天井に投映される人工の太陽は、輝度・照射熱ともに本物そっくりに設計されている。この惑星がまだ生きていた時代そっくりに。恐竜より往生際が悪いわりには、人類はそんな些細な違いは見逃さない。だから、ときどき上を向いたかと思いきや、市民の瞳には小さな失望だけが映り、しまいには俯いて歩くようになった。

「バーニー・ジョンストン?」

 ロックが呼んだのは、誰の名前だったろう。視線を凝らす先、その指がつまむのは透明のジッパーケースだ。中に入った金属製の認識票は、ところどころ黒く焼け焦げてはいるものの、表面に刻まれた内容はかろうじて判別することができる。いまロックが口にしたのも、そこに記された軍人の名前だ。そのままロックは、認識票の詳細を読み上げた。

「生年月日、十二月十二日。性別、男。血液型、B。所属、エワイオ空軍基地……エワイオだって? この基地じゃないか。これを持ってたのは本当に、その、最終防壁の手前で見つかったって言う焼死体なのかい? ダンナ?」

「いい食いつき方だな、フォーリング。そうとも。認識票の表面をクリーニングしてみりゃ、飛び出してきたのはその少尉の名前だ。俺がこんな辺ぴな田舎に参上した理由もそれよ。科捜研の連中、核融合炉のプールだって泳げそうな重武装だったが、結局、その認識票からは細菌のさの字も検出されずじまいさ」

「ははあ。なかなか難しい話題だ。ただピクニックに来ただけの、神父の俺には」

 タバコの先端で、ロックはおざなりに十字を切った。口にくわえて火をつける。ライターの火力は常に最大だ。ウォルター刑事の薄い髪に絡んだ枯れ葉を、面白半分に取り除きながらロックは問うた。

「ダンナも、クリーニングに出したほうがいいんじゃないのか、その服? えらく泥まみれのようだが」

「毎度毎度、しらばっくれやがって。俺を地べたに張り倒して、ダンスパーティに出れなくしたのはどこの政府の殺し屋だ? おまけに、認識票の持ち主の死体を、VIP待遇でかっさらって行くときた。ええ、〝ファイア〟のエージェントさんよ?」

 血走ったウォルターの瞳が、ロックを横目にした。基地の防護柵にもたれたまま、ロックはぼうっと青空の飛行機雲を眺めている。平和な景色を邪魔するあのノイズは、シェルター天井の故障部分……〝虫食い穴〟だ。くわえたタバコから紫煙を漂わせ、ロックは誰にともなく囁いた。

「〝覚えて〟るのか、ダンナ……刑事ひとりの記憶もろくに消せないとは、政府の科学力ってやつもヤキが回ったな」

「あん? 挑発なら受けて立つぞ、フォーリング」

「とんでもない、忘れてくれ。しかし腹立たしいぜ。その、大事な証拠の死体を盗んでったって連中。まるで警察みたいなハイエナっぷりだ」

 腕組みしながら、ロックはさも同感げにうなずいた。

 丘にそってえんえんと続く金網の向こう、巨大な格納庫のまわりでは、筋骨たくましい迷彩服の群れが汗を散らしてジョギングしている。なんの連帯責任か、十人ばかり横並びになって腕立て伏せを繰り返す新米たち。書類片手に、最新鋭の戦闘機をすみずみまで点検する整備員など……ロックから奪い取った双眼鏡で、それらを穴があくほど注視しながら、つぶやいたのはウォルターだ。

「ここに来る前にひとつ、エワイオ空軍基地の職員名簿を洗ってきた。もちろん、その認識票のバーニー・ジョンストンの名前も載ってたよ。載ってたどころか、ジョンストン少尉の記録の最後に書かれてた文字が、これまた驚きだ」

 そっけなく書かれていたのは〝行方不明〟の一文……雇い主であるエワイオ空軍基地そのものも、ジョンストンの足取りを見失っていたと言うではないか。

 この基地との接触を疑われるUFOが、たまたま墜落した現場にて、不審な焼死体が見つかる。その焼死体は偶然にも、噂の基地に所属する軍人だった?

 鼻からタバコの煙を吹きながら、ロックは額をおさえた。おかしい。いくら宇宙的な思考回路が自慢のアーモンドアイでも、今回に限ってドジを踏みすぎだ。次から次へと、わかりやすい証拠が溢れ出てくる。なんらかの罠か? いや、あるいは……

 ロックの眉間に寄った悩みのシワの一本一本が、ウォルターを満足させた。にやりとしながら尋ねる。

「どうしたフォーリング。怖い顔してるな。ここらで話はやめとこうか? 普段アメーバ並に考えることをしないてめえが、知恵熱を出す前に」

「気遣いありがとよ。だが幸い俺の目の前にゃ、ストレスでハゲたときに、効く育毛剤を紹介してくれる先輩がいる。話を続けてくれ、ダンナ」

「ちッ、減らず口が……エワイオ空軍基地が、ジョンストン少尉の記録を書き換えたタイミングについてだ」

「なんか怪しいとこでも?」

 芝生にどっかりあぐらをかくと、ウォルターはこう答えた。

「怪しいとか不思議なんていうレベルじゃねえ。エワイオ空軍基地の誰かがジョンストンの人生に〝行方不明〟のハンコを押してフタをしたタイミングは、あの時刻とほとんど一致してる。ああそうさ。都市の天井からデカい爆発音が聞こえると同時に、ふもとの数百ブロックが最終防壁ごと派手に大停電を起こして、森林公園で妙な光と〝大鎌をひきずる死神〟が目撃された、三月七日のあの時間とな。たとえ今回の件が、崩れ落ちてきた天井に、ジョンストン大尉が下敷きになっただけの事故だとしても、これだけ妙なことが重なってるんだ。なのに、基地の連中ときたら。どんだけ知らせて協力を頼んでも、基地責任者のアンドリュー・マイルズ大佐からの答えは〝警察に一任する〟の一点張りだ。冷たいよなあ。ちょっと前までてめえの部下だった人間が、消し炭になって死んで、その右手まで綺麗にぶった切られた姿で見つかったって言うのに」

「ちょっと待てよ。それじゃまるで大尉さん本人が、基地に連絡したみたいだ……自分の死んだことを。死人でも報告の義務を守らなきゃならないとは、ほんと、救えねえほど形式ばった世の中だぜ。はは」

 ロックは呑気に笑った。その実、彼の瞳は、自然に灰になって落ちるタバコすら見ていない。

 死神? ちぎれた右腕?

 閉じられたロックの瞼に、三月七日の夜の光景がよぎった。

 レーザーの大鎌を掲げるアーモンドアイ、そのパワードスーツを刹那に撃ち破るエージェント・フォーリングの電磁加速砲……最後に撃墜されるとも知らず、慌ててUFOで逃げた生き残りの死神も、たしかに体の右半分を失っていた。

 考えられるのはひとつ。UFOを動かしていたのは、バーニー・ジョンストンだった?

「いや、いくらなんでもな……」

 ソフト帽を軽く持ち上げて、ロックは頭をかき回した。警察に回収されたのがもしアーモンドアイの死体であれば、騒ぎはこんなものでは済まなかったはずだ。誤認などとても考えられない。不気味きわまりないアーモンドアイと、この惑星の生き物の姿は、たとえ黒焦げに焼けても一目で違いがわかる。強奪したジョンストンの遺体袋を、意気揚々と本部施設に運び込んだハーディン局長も、いまごろは落胆のあまりケーキをやけ食いしているに違いない。

 捜査は収穫なし、か……

 恫喝気味な唸りは、やはりウォルターのものだった。

「フォーリング。極秘中の極秘の情報を、俺がここまで漏らすのは他でもねえ。世間知らずの後輩……エマが、まだひとつも血で手を汚してねえあいつが、なんでてめえらに病院送りにされなきゃならない? とにかく俺は知りてえんだ。〝ファイア〟はどこまで事件の中身を掴んでる? もしかして、とっくの昔に解決済みか? なら、てめえらが持ってったあの死体のいったいどこに、そこまでする価値があったってんだよ?」

 このウォルターにしては珍しく、口調に切実な響きがあった。腐れ縁とはいえ、エマ・ブリッジスは娘ほど歳の離れた部下だ。一部始終憤りを隠せなかったのにも、彼なりのこうした理由がある。

 一方、タバコを踏み消しながら、意味深な笑みを浮かべたのはロックだ。

「シンデレラの正体を知りたきゃ、十二時の鐘を待つこったな」

 かんだかいブレーキ音が響いたのはそのときだった。

 弾かれたように振り返るロックとウォルター。草丘の上の道路に、空軍のジープが何台か止まっている。ドアが蹴り開けられるや、おお。なだれを打って降りてきたのは無数の警備兵だ。実戦で使い込まれたアサルトライフルを担いだまま、リーダーとおぼしき迷彩服の男は声高に吠えた。

「そこの二人ッ! 身分証の提示を!」

 ロックとウォルターは、お互い顔を見合わせた。それから二人、揃いも揃って全身のポケットというポケットを叩く。そうまで動揺しなくとも、免許証の一枚ぐらいは簡単に見つかるだろうに……先に答えたのは、毛の薄い中年のほうだ。

「こういう者だ」

 鷲を彫刻したS・K・P・Dのバッジが、ウォルターの掌で太陽を照り返した。

「こっちはこういう者ね」

 と、チェーンの先の十字架をくるくる回しながら、ロックが薄っぺらい聖書で顔をあおぐものだから、警備兵はますます怪訝な顔になった。

「警察に神父……おかしな組み合わせだ。近所で殺しでもあったか?」

「ああ、おっしゃる通りさ。数日前にここで〝殺された〟カメラマンの魂を、ちょっくら鎮めに、よ。神父が供養に来てなにが悪い。な? ウォルター刑事さん?」

 いっせいに皆の視線が集まった先、ウォルターはすこし口ごもった。このエセ神父、カメラマンの件が警察の管轄じゃないことを知ってて聞いてやがる。

「そ、そりゃまあ、刑事の大切な仕事だぜ、現場検証も」

「ふん、早々に馬脚を現したな。検証だと? そんなものは数日前、政府の手によってとうに終わっている。さきほどから双眼鏡などで当基地を覗き見していたようだが、悪趣味だぞ。用がないなら即刻、退去していただこう。二名ともだ」

 横柄な顔つきのまま、警備兵は顎で帰り道をしめした。

 これ以上、ごまかしきれない……キャリバー機関中の銃座についた兵からは見えないように、ロックを回れ右させたのはウォルターだ。むりやり広げたロックの手に、自分のごつい掌をおもむろに重ねる。

「お。わかってるじゃん、ダンナ♪」

 嬉しげな表情で、ロックは掌を開いた。そこには、しわくちゃの一万フール札がのっている。ひきつった笑顔で、ウォルターは催促した。

「とりあえず場所移動といこう。しっかり歌ってくれよ、ありがたい賛歌を。闇の政府の情報を。俺は、てめえに賭けてんだ」

「OK!」

 肺に空気をためると、ロックは一万フール札でおもいきり鼻をかんだ。瞬時に紙飛行機に折ったそれを、唖然とするウォルターの胸元へ投げ返す。

「馬にでも賭けな!」

 ひと声叫んで、ロックは逃げ出した。


       Ⅵ


 灰色の滑走路を高みから見下ろすビルは、エワイオ空軍基地の司令部だ。

 司令部の中層には、広々とした応接室がしつらえられている。

 薄暗いその室内に、ふたつの人影があった。

 ふたりのうち片方の男は、年配なだけあってやけに恰幅がいい。数多くの勲章が輝く堂々たる制服も、彼が軍の高官であることを明らかにしている。

 アンドリュー・マイルズ……彼がまだ人間だったころの名前だ。階級は大佐。ここエワイオ空軍基地の指揮官について、もう長い。

 応接室の窓からは、ロックとウォルターのやりとりしていた場所がよく見える。黒服の怪しい話相手はとうに去り、中年の刑事はひとり取り残された状態だ。マイルズ大佐の送った警備兵たちに、ウォルター刑事はいまも身振り手振りで事情を説明している。

 マイルズ大佐の目に映る情報は、それだけではなかった。この惑星の住人に見えるものとも、少し違う。

 ウォルター刑事の身長、体重、声の波形、心臓の鼓動のパターン、はては、その左脇に隠された警察仕様の拳銃の詳細など……市警本部の記録を検索すると、捜査の手口はやや強引ではあるが、数々の難事件を解決へ導いた経歴までうかがい知れた。

 そして、もうひとり。さきほどウォルターの手から逃げ出し、丘の向こうへ消えた男……ロック・フォーリング。こちらは生半可ではない。異常な報告の数々が、なだれを打ってマイルズ大佐の視界を埋め尽くしている。

 まばたきひとつせず、マイルズ大佐は囁いた。

「神経系統に編み込まれた高度な発電組織……この情報が確かであれば、エージェント・フォーリングの能力は人類の限界をはるかに超えています。このような芸術的な人体の調整は、半世紀前の〝駆除〟の時期にさえ見たことがない。いやむしろ、この技術は我々のものに似てすらいる。これは少々、厄介ですな。スコーピオン?」

「〝似てる〟ねえ。それはあれかい。あんたら異星人アーモンドアイみたいに、不安定で不自然で、不完全な代物、ってことか。あ、べつに嫌味じゃないからね。ただの人間と変わらないって言いたいだけさ、そいつが」

 くつくつ笑いながら答えたのは、マイルズ大佐の隣にたたずむスーツの人物だった。

〝スコーピオン〟という呼び名以上に、彼もあらゆる点でおかしい。

 なんだこの姿は。ひょろ長い手足、そして顔全体をまんべんなく覆う白布。医療用の包帯に違いない。そう。ハロウィンはまだ先のことだが、どう見ても包帯人間だ。目に見えるだけでもここまで包帯だらけなのだから、スーツの中身はもっとぐるぐる巻きなのだろう。変装? 大ヤケド? 趣味?

 それでも、顔を隠す包帯の隙間、片目だけ覗いた真ん丸な瞳は、いまも肉食獣のそれに似た光を放っている。マイルズ大佐と同じ方向を眺めながら、包帯の怪人は尋ねた。

「〝ファイア〟の強化人間、ロック・フォーリング。さて、どんな愉快な宴会芸を披露してくれる?」

「仮に政府の技術が完成されていた場合、理論上は千メガジュールを超える電磁波の出力も可能かと。ただ放出するだけならまだしも、エージェント・フォーリングの能力はおそらく、展開した強磁場領域を、指向性をもたせてコントロールすることにあります」

 マイルズ大佐の説明に、スコーピオンはなるほどなるほどと頷いた。

「なんのことかチンプンカンプンだ。できたら地球語でよろしく♪」

「言うなれば、エージェント・フォーリングは人の形をした電磁加速砲です。ふだんは大型の戦艦などに搭載されるそれが、足を生やして歩いて走り、飛行機に乗って自動車まで運転する。驚異、の一言です。そして、超小型とはいえ、ローレンツ力……レールガンの原理を応用すれば、極端な話、拳銃ひとつで我々の〝船〟を撃ち落とすことすら容易い」

 淡々と語るマイルズ大佐を横目に、スコーピオンは眉をひそめたようだった。もちろん包帯のせいで、眉毛などあるかどうかわからない。謎掛けの答えを明かさない親に対する子供の顔で、スコーピオンの手は、これも包帯だらけの喉を小刻みに叩いて振動させた。

「我々ハ、宇宙人ダ」 

「いえ、スコーピオン。正確に言うとあなたは……」

「宇宙には週休二日ってもんがないのかい? あんた絶対、疲れてる。ここまでしても顔のスジひとつ動かさないとは。あれだろ? あの夜、UFOを射抜いて、さらにその直線上の防壁にめり込んだ銃弾。あれも人間レールガンの仕業だな。見つかった半樹脂製の銃弾に、速度表皮効果の跡があったんでピンときたよ」

「そこまで知っていましたか。それでいてなお道化を貫くとは、やはり誇張ではないらしい。あなたが、人類史上まれに見る異常者との触れ込みは」

「おいおい、心外だな。俺はただ、他の連中とすこし発想が違うだけさ。ピエロ? サイコ野郎? そんなもんじゃ、人類の〝裏切り者〟なんざとても務まらねえ。じつはこう見えても、元科学者でね。あんたらアーモンドアイがそうやって、人間の皮を着るための手順だって知ってる」

 スコーピオンの唇は、嘲笑げに曲がった。

 それを見返すマイルズ大佐の瞳には、珍しく不快な色がある。アーモンドアイ〝つり目〟……おもに彼らを目の敵にする者が、たっぷりの差別と恐怖をこめて口にする呼び名だ。宇宙の知性そのものである彼らにも矜持の観念があるのか、あるいは、害虫と認める人類の姿へ擬態することに、真のところ嫌悪感を覚えているのか。

「怒るな、怒るなって。あんたとはいい飲み友達になれそうなんだ。街角に〝トムキャット〟っつう小洒落たバーがあってだな……ところで、知りたくないかい? 俺が科学者を辞めたわけを」

「……のちほど。いまは邪魔者の処理が先です」

「邪魔者、か。邪魔と言や、今回もまた、ずいぶん大勢の人間をさらったもんだな。こないだの〝見ちまった〟ラッキーなカメラマンは別として、森林公園の周りだけでも二十五人だっけ? 戦後最大ってやつじゃん♪ たかだか〝花〟一本、この基地に運ぶのを見られるのが、そんなに恥ずかしいのかい? ま、俺も初恋のときはそうだったが」

 〝花〟……その単語がスコーピオンの口から漏れたとたん、マイルズ大佐の目の色は変わった。

 本当に変わったのだ。瞳孔、白目をふくめ、すべてが黒色に塗り変えられているではないか。あたかも、眼窩にタールを流し込んだかのような漆黒に。光を照り返すこのガラス玉の瞳こそが、彼らアーモンドアイのトレードマークに他ならない。さきほどスコーピオンも皮肉ったとおり、もはやマイルズ大佐の体はただの動く容れ物なのだ。そんな不気味な眼差しさえ、逆に嬉々として覗き込んでくるスコーピオンへ、マイルズ大佐は硬い声でつぶやいた。

「〝花〟……ほう。〝ダリオン〟のことをそう形容しますか。スコーピオン、やはりあなたは狂っている。花とは元来、土に根付いて風に揺れ、ただひっそりと人の目を潤すだけの存在。しかし、あれは違う。合っているとすれば〝ダリオン〟が、宇宙のあらゆる場所に絶滅をまき散らす〝種〟であることぐらいです」

「そ、だからいいんじゃねえかよ。もちろん、どう考えたって俺は正常だし、〝花〟だって美しく見えて仕方がない。俺らの課題である人類の絶滅の最中に、すべて終わったあとの静かな庭に、きっと綺麗に咲いてくれるさ。悲鳴と絶望と、食い破られた臓物を栄養にして、な」

「〝ダリオン〟が無事に基地へ到着したのも、あらかじめ輸送経路の人間を〝収穫〟しておいたおかげです。森林公園へ差し掛かった帰還途中の〝船〟が、あの夜、エージェント・フォーリングと接触したのは計算外ではありましたが。まあ、それが運び込みの終了後だった分、よしとしましょう」

「よしとされる可哀想なあんたの部下たち、ご冥福をお祈りするぜ。なにせあのとき、俺の忠告も聞かず、ちょっかいかけちまったんだもんなぁ。〝ファイア〟のエージェントがふたりも乗ったタクシーに。ん? そう言や、UFOを動かしてた間抜けのひとりが生きてるって話はホントか? 地球でのニックネームはたしか……バーニー・ジョンストンだっけ?」

 バーニー・ジョンストンだと? あの認識票に記されていた名前と同じなのは、偶然でもなんでもない。そしてもちろん、スコーピオンとマイルズ大佐は知っている。目障りな神父と刑事が、今の今までその人物の焼死体の話題でもちきりだったことを。続くマイルズ大佐の答えは、おそるべきものだった。

「本来は警察にて潜入・破壊工作をさせる予定でしたが、うれしい誤算とでも言いましょうか。ジョンストンより、つい先刻〝ファイア〟の施設に運び込まれたとの報告が入りました」

「大佐、言ってやってよ。いつまで居眠りしてんだと。じゃ、目覚めの合図はロック・フォーリングな。あいつは必ずジョンストンに会いにいく。話は変わるけど、大佐。さっき言ってた〝収穫〟ってのは? 森林公園でさらった人間のこと?」

「ええ。それぞれの個体差には手を焼きましたが、二十五名全員、すべて調整は完了しています。あなたの言う、人間の皮を完璧に着こなした状態ですな。今夜にでも都市中に解き放てます」

「ぎゃははは! パーティの臭いがするよ!」

 興奮を抑えきれなくなったらしい。ふと気づけば、スコーピオンの指先には鋭い輝きが現れていた。その名に偽りなく、精緻な毒サソリが彫刻されたナイフだ。手品のように空中でナイフを回転させるスコーピオンに、マイルズ大佐は水を差した。

「ウォルター・ウィルソン刑事には、どういった処置を?」

「う~ん。そうだなあ。兵隊は二十五人もいるけど、おまわりさんが入ったらもっともっと心強いだろうねえ。よし、決めた!」

 瞬間的に、スコーピオンの右手はかき消えた。広い応接室のもっとも端で、小気味よい音が鳴る。音の方向を見もせず、スコーピオンは答えた。

「愛してやろうぜ。ヤケドするほど」

 サソリのナイフが突き刺さった衝撃で、壁際の地球儀はかすかに揺れていた。

 雪に覆われ、限りなく白一色の地球儀が。


       Ⅶ


 シェルター都市有数のオフィス街、ミアク。

 午後も三時を過ぎたスクランブル交差点には、人ごみと一緒に妙な倦怠感まで歩き始める。見計らったように青色へと変じる信号機は、日々仕事に追われる市民たちに、立ち止まって一息つく間も与えない。

 ガラス張りの建物ばかりが天を衝く針地獄に、その高層ビルは何食わぬ顔をしてまぎれ込んでいた。

 政府の福祉事務局、というのがこのビルの表向きの顔だ。もちろん違う。この建物こそは、都市内に多く隠された政府の極秘施設のひとつに他ならない。一階ロビーに座る受付嬢の接客力がとても優れていることは、カウンターの裏で彼女が四六時中構えるサブマシンガンを見ればわかるし、これも物腰柔らかいゲリラ部隊出身の警備員をかわして、壁そのものが長大な探知機である通路を潜り抜けた先には、息遣いひとつが〝機密〟扱いと化す情報室や、狂気を凝縮したがごとき実験場がひしめいている。

 その秘密基地も、こんなゴロツキが大手を振って出入りしていては台無しだ。

「さて、今週もやってまいりました。絞め殺してでも弔う……ありがたい供養ライブのお時間!」

 幾層もの特殊鋼でできた自動扉が開くなり、男は叫んだ。

 ロック・フォーリングではないか。おかしい。分刻みで組み変えられる膨大な数のセキュリティが認可しなければ、この実験室には国家首席といえど入れないはずだ。それをこんな、ポケットに手を突っ込んだ黒ずくめの不審人物が……一面真っ白な実験室の中央あたり、棺桶サイズのガラスケージを囲む〝ファイア〟研究員たちも、ロックに振り向いた姿勢のまま凍っている。

 研究員たちの装備は当然、宇宙飛行士そっくりな最新の防護スーツだった。全面メット着用で厳重に厳重を重ねる彼らをあざわらうように、ロックはマスクの一枚もつけていない。無防備と無節操が、絶妙のバランスで人型に結実したのがこの男なのだ。超硬質ガラスを隔てた隣の観察室から、指示マイクで突っ込みを入れるのは、耳になつかしい女上司の声だった。

〈ピザの配達なぞ頼んどらん!〉

「じゃ、中華なんてどうです、中華。たまにゃパーっと騒ぎましょうや、局長」

 好奇心の輝きで瞳をいっぱいにしながら、ロックは研究員たちを押しのけた。実験室の真ん中、大型のガラスケージを覗き込む。

 大の大人が余裕で横になれるサイズのケージは、あらゆる細菌や放射性物質を完全に封じ込める素材だ。ケージ外部の挿入口から内側へとつながった機械の腕は、そのまま手を突っ込むことにより、実際の手術に近い感触で作業ができる。

 問題は、ガラスケージの中身にあった。

 ここまで黒焦げになってしまえば、人間もマネキンも大差はない。UFOの墜落現場から回収されたこの焼死体は、いままさに検死にかけられるところだったのだ。寝台に横たわる焼死体が、右肩から先を失っているというウォルター刑事の情報は正しい。その鋭い断面にまで炭化が及んでいるのを見れば、右腕の切断は、なんらかの高熱にさらされる前に起こったと考えられる。断末魔を物語るように開け放たれた焼死体の口を見て、ロックも同じくぽかんとなった。

「この男前が、ウワサのバーベキュー野郎……バーニー・ジョンストン。おい誰か、塩コショウの準備はまだか?」

 ロックのうしろで、自動扉が開いた。

 仁王立ちになっていたのは、ジェリー・ハーディン局長だ。さらに強まる研究員たちの動揺。局長ともあろうお方が、怒りのあまり我を忘れ、防護スーツまで忘れている。

 ただひとりガラスケージに視線釘付けのロックに、ハーディン局長はつかつか歩み寄った。背後からいきなり、ロックの頭をひっぱたく。ソフト帽がずれて前が見えなくなったロックを、ハーディンは物凄い剣幕で怒鳴った。

「死者を前にして! 十字のひとつを切るほどの信仰心もないのかね!?」

「信仰? とっくの昔に品切れだよ。特別手当でも貰えりゃ話は別だが」

「カラスの行水みたいに短い時間で、一体、エワイオ空軍基地のなにを調査できた? とんぼ返りしてきたからには、さぞかし有意義な報告を持ち帰ったのだろうな?」

「燃料臭い原っぱで日向ぼっこなんざ、行き遅れの年増女にこそお似合いさ。いってらっしゃい。サンドイッチと日傘は忘れんな」

 答えたロックの胸倉を、ハーディンは即座に掴み上げた。禁句中の禁句を……怒りで小刻みに震えるハーディンから、研究員たちもおびえて後ずさっている。

 噛み締めた歯の間から、解読不能な罵倒を漏らすハーディンを横目に、ロックはスーツの内ポケットに手を入れた。まさか、拳銃を? 抜くわけはない。横のガラスケージの上にロックが放ったのは、透明のジッパーケースだ。中に収められたネックレス状の金属片は、ケージで眠る焼死体と同じく焦げている。どこかの軍隊の認識票……ちらりとそれを一瞥するや、ハーディンは吐き捨てた。

「なんだね、このゴミは?」

「よし決まった。あんたの次の誕生日プレゼントは老眼鏡だ……そいつは証拠だよ、事件の証拠」

「ゴミあさりとは、アル中もいよいよ末期だな。おお、かわいそうに。指先が震えているぞ、フォーリング」

「物忘れまで始まってるのかい? シラフのくせに、空軍の認識票とゴミの区別もついてねえ……そのススまみれの認識票は、たったいま元の持ち主と再会したばかりさ」

「再会?」

 ハーディンは眉をひそめた。

 首をしめられて赤→青→死色といそがしく顔色を変えるロックを、たっぷり数秒おいて解放する。肩で息をつきながら、乱れたネクタイを整えるロック。その様子と、ガラスケージの焼死体、ジッパーケースの認識票を、不審げな視線で順番に釘刺しつつ、ハーディンが細い指にはめたのは抗菌素材のゴム手袋だ。つまんだ認識票を実験室の無影灯に照らし上げ、ハーディンはその内容を口にした。

「バーニー・ジョンストン。所属は……エワイオ空軍基地だと?」

「そ。それが、そこのバーベキュー野郎の身元さ」

「ありえん。証拠証拠と君はのたまう。だがそれこそ、認識票が遺体のものであるという大切な証拠が欠けているではないか。できすぎだ」

「俺も最初はそう思ったよ。でも、焼死体のもともとの持ち主は警察だろ。〝ファイア〟に横取りされる間際の死体から、認識票を回収したのもその警察なんだから仕方がねえ」

 ずれたソフト帽の位置を正しながら、ロックは語った。

 ついでに、ウォルター刑事から得た情報の数々も。エワイオ空軍基地がジョンストン少尉を行方不明扱いにしたタイミングのよさ、森林公園付近で頻発した〝大鎌を持った怪人〟などの目撃談……新たな事実をひとつ耳にするたび、表情に疑いの色を広げるハーディンに、ロックもしたり顔だった。

「やれやれ、こりゃ本当に特別ボーナスが楽しみになってきたぜ。いまの情報を仕入れるために警察に積んだ賄賂の額は、両手両足の指を使っても数えきれないんだが」

「たしかに人間の指は、0フールを数えるようにはできとらん。手癖の悪さだけは一級品の君のことだ。その認識票も大方、どさくさにまぎれて刑事から掠め取ったのだろう」

「うわ、辞表書きてえ」

 すべてを見通され、ロックは舌打ちした。ハーディンも、悩み深げに腕組みしている。

「いよいよ状況が混乱してきたな。報告のすべてを鵜呑みにするなら、君の撃ち落としたUFOの操縦者は、バーニー・ジョンストンだったという線さえ浮かんでくる。だが、アーモンドアイの技術を操れるのはアーモンドアイのみ」

「なら話は早い。どっからどう見たってただの人間だもんな、そこのバーベキュー。もしどうしてもアーモンドアイに見えるってんなら、それはそれでボケに効く医者を紹介してやる。エワイオ空軍基地にゃまだ怪しさ満載だが、多分、この焼死体は巻き込まれただけさ。UFOの墜落に」

「たまに働いたかと思えばこれかね、フォーリング。君が変に仏の身元をはっきりさせたせいで、捜査はふりだしだ」

「おい、売れ残り」

「だが、事件の中核となるUFOの残骸から、この遺体が発見されたのもまた事実。いちど警察から譲り受けた手前、ジョンストン少尉を無事に返すわけにはいかん」

 犬歯を剥いて唸り始めたロックを完全に無視して、ハーディンは手近な研究員に指示を飛ばした。局長としての使命感か、失意からくる八つ当たりか。

「エージェント・シオン。待たせたな。一五四三、検死解剖の時間だ。さっさと始めてくれたまえ。遠慮はいらん。鬼なり蛇なり、手がかりが飛び出すことを期待するぞ」

「ひッ。か、かしこまりました」

 エージェント・シオンと呼ばれた執刀医は、思いきり背筋を伸ばして答えた。生まれつきなのだろう。邪悪そのものの炎を瞳にともすハーディンと、むごたらしい焼死体を前にしても、全面メットの向こう、つねに笑っているような表情は崩れない。

 他の研究員たちをそれぞれデータ収集の配置に呼び戻すと、先陣を切って、シオン執刀医はガラスケージの挿入口に手を入れた。連動して、焼死体の四方八方、手術補助用の微細な作業アームが上下し始める。アームの先端で躍るのは、注射器に鉗子、剪刀に回転ノコギリ等々……狂気としか言いようがない。一同が鳩首を突き合わせる中、ケージ内部の光圧メスがまばゆい輝きを放つ。

 そしらぬ顔でタバコに火をつけかけ、ハーディンに足を蹴られたのはロックだ。痛む箇所を抱えて片足立ちになりながら、ぽつりと独りごちる。

「あーあ。楽しい解体ショーがあるんなら、先にポップコーンでも買っときゃ……どけ!」

 シオン執刀医とハーディンが、左右に突き飛ばされたのはそのときだった。

 ふたりを救った代償に、ロックは物凄い勢いで背後に吹き飛ばされている。多層構造の放射線遮蔽ガラスをまとめてぶち破り、隣の観察室の壁に激突。ひび割れた建物の破片と一緒に、ロックはそのまま床に崩れ落ちた。全身にわたる複雑骨折か、内臓破裂か、いずれにせよ致命傷は避けられまい。倒れたハーディンの目と鼻の先、作業アームごと千切れた光圧メスが床に突き刺さる。

 焼死体の眠るガラスケージが破壊されたのだ。

 内側から。

 立ちすくむ研究員たちの視線の先、見よ。

 ガラスケージに穿たれた大穴から、黒いものが生えた。焼け焦げて炭と化した腕だ。死体がひとりでに動くとは、なんの冗談か。しかしそれが、ガラス越しにロックを襲ったというのも間違いない。おまけに、なんだろう。ケージの内部をなみなみと満たし、ガラスの亀裂から滴るタールのような液体は。

 焼死体の手は、操り人形のように引きつった動きを見せた。不気味きわまりない。その指が握るのは、奇妙な金属の棒だ。鋭い音をたてて十倍以上もの長さに伸びた鉄棒は、粒子の爆発とともに、その先端に弧を描く巨大な刃を形成している。

 光の大鎌を。

 今度こそ、ガラスケージは粉々に吹き飛んだ。そのまま実験室の壁を一面、タール状の液体が汚す……かと思われた黒いそれは、ゆっくり起き上がった焼死体のもとへ、生あるハエの大群のごとく群がった。焼死体の体を覆い尽くしたタールは、人の形をとって一気に膨張。気づいたときには、焼死体は、黒マントの巨人と化して実験室の中央に降り立っている。

 アーモンドアイのパワードスーツだ。そのサイズはといえば、天井の照明を頭でえぐり潰すほど大きい。顔にあたる部分には、そこだけ真っ白な装甲がはまっている。泣いているとも、笑っているともつかぬピエロの仮面が。肩の付け根から切断された右腕は、三月七日のあの夜、ロックに撃ち抜かれたときからそのままだ。

 飛び起きるなり、ハーディンは声を震わせた。

「単式戦闘型死神〝アヴェリティア〟……総員退却ッ!」 

 号令一下、開いた自動扉から、研究員たちは雪崩をうって外へ逃げ出した。血のように赤く実験室を染める警報灯の明滅と、響き渡る甲高い非常アラームが、ビル全館に史上最悪の〝人類ではないものの侵入〟の事実を知らせる。

「謎だなんだと、難しく考えていた自分が馬鹿らしい」

 独りごちたのは、懐から拳銃を抜き放ったハーディンだった。貴重なエージェントを見捨てて逃げたとあっては、秘密機関の長の名がすたる。死神の反撃から助けられたシオン執刀医が、倒れたキャビネットに挟まれて動けないとは泣きっ面に蜂だ。

「そう。我々が回収したのは、エワイオ空軍基地から飛び立ったUFOの操縦者、アーモンドアイそのものだった。これほど単純明快な真実もない。ただ、生きたアーモンドアイが、この施設の探知を突破できるはずが……!?」

 銃声、銃声、銃声。

 横っ跳びに飛び退きながら、ハーディンが死神を撃ったのだ。とっさに身を投げ出していなければ、彼女の首は胴と離れ離れになっていたに違いない。美しい軌跡をひいて一閃した死神の鎌は、そのまま手術器具の入った棚をぼろ雑巾のように切り裂いている。はじけ飛んだメスの一本が、ハーディンの頬をかすめて浅い傷を残した。

 弱々しい声で答えたのは、キャビネットの下敷きになったシオン執刀医だ。

「ぼ、妨害装置の類ではありません。検死を始める寸前まで、その〝アヴェリティア〟は遺体、それも間違いなく人間の遺体だった。これではビルの探知も役に立ちません。危険です、至急の脱出を、局長……」

「シオン君!」

 破片の中に転がったまま、ハーディンは銃口を跳ね上げた。

 引き金を絞ったときには、もう遅い。銃弾の直撃に小揺るぎもせず、死神が振り下ろした超高圧レーザーの刃は、シオン執刀医を捕えるキャビネットの群れを、ひといきに貫いていた。そこだけ覗いていたシオンの足が、いちど痙攣したあと動かなくなる。

 死神のマントは、水のように渦巻いた。ちりんと音を響かせて、巨体の足元にかすかな輝きが跳ねる。ハーディンの放った銃弾の数々だ。驚くべき現象だが、これはハーディンも身に染みて周知している。深宇宙の超科学に裏付けされたアーモンドアイのパワードスーツに、そんじょそこらの近代兵器など歯が立たない。

 泡の湧き立つような足音を残して、死神は倒れたハーディンに迫った。

「いよいよ手段を選ばなくなってきたな、貴様らアーモンドアイも。害虫と同レベルまでに忌み嫌う人類を、逆に乗り物代わりにしてみせるとは。当の人類は、自身の体の無力さを、無能さを噛み締めているというのに……」

 ハーディンの皮肉げな微笑みには、諦めの色があった。

 ああ、床に音もなく広がる血溜まり。ハーディンのスカートから覗いた太ももを、大きなガラス片が深々と貫いているではないか。歩ける傷でないことは一目でわかる。おまけに〝ファイア〟始まって以来の緊急事態を受けて、出口の自動扉も完全に閉鎖されてしまった。逃げ道はない。

 だからハーディンは、手首の時計を掲げるのをためらわなかった。数えきれぬ機能が搭載された銀色の腕時計。外す行為そのものが死を意味する猟犬の首輪。時計表面のパネルに、血まみれの指先が一定のコードを入力する。まもなく時計から響き始めたのは、電子的なカウントダウンの音だ。十、九、八、七……

 そう、自爆。自爆装置だ。

 最後にもういちど、ハーディンは笑った。凶悪で、すこし悲しげな微笑み。

「犠牲になる皆には申し訳ないが……私はとても負けず嫌いでね」

 ただならぬ彼女の決心が伝わったか、死神は即座に大鎌を振り上げた。ハーディンが自分のこめかみに拳銃をあてるのは、それより一瞬早い。

「巻き込むぞ。貴様も、ビルも、この街も」

 銃爪にかかったハーディンの指に、力がこもる……

 おや?

 おかしなことが起こった。

 しんと静まり返る実験室。あれほど耳障りだった全館警報の音が、唐突に鳴り止んだのだ。セキュリティの異常か?

 同時に、なんだろう。室内の電源という電源が、またたく間にショートし始めたではないか。そこかしこの医療機器も、天井の照明も、警報灯の真っ赤な輝きも、ハーディンの懐の携帯電話も。アーモンドアイの仕業ではない。その証拠に死神自身、火花を放つ実験室を用心深げに見渡している。いきなりのことで狙いの外れた大鎌は、首から半ミリばかり横の床に突き立てたまま、ハーディンはそっと目を開けた。

「これは一体……まさか」

 ふと湧き上がった希望も信用できず、ハーディンは頭の拳銃を下ろさなかった。

 電気系統の数々はおそらく、ただショートしているだけではない。いまごろは、ビル全体が大規模な停電を訴えているはずだ。隣の建物も、そのさらに隣の建物も。ともすれば下界の信号機がいっせいに止まって、大事故を起こしている可能性すらある。

 そして今この瞬間、それらの取り分だった電力は、別のある一点に集中しつつあった。

 そう。

 食っているのだ……電力を。

 奴が。あの男が。闇の政府最高のスナイパーが。

 世界はまだ戦えと言っている。〝ファイア〟に。

 自分でも気づかぬうちに、ハーディンの手は腕時計の最終兵器を停止させていた。爆発までの残り時間は、わずかに〇・二秒との表示だ。

「できれば、神を呪う前にどうにかして欲しかったものだがね……一杯おごろう」

 誰にともなく囁いたハーディンの瞳と、死神の視線がぶつかった。ごちゃごちゃ煩い死に損ないだ。引き抜かれた光の刃が、ふたたび彼女の首めがけて落とされる。

 ハーディンは叫んだ。

「ここの電力はすべて君のものだ! フォーリング!」

 光の線が、死神を貫いた。

 一瞬遅れて、どす黒いタールが床にぶちまけられる。死神に残された左腕が、これも肩口から吹き飛ばされたのだ。くるくると闇を回転した大鎌は、ハーディンの顔の前に突き立って止まった。隣の観察室の壁を貫いてスタートした銃弾は、死神を撃ち抜き、そのまま背後の頑丈な壁にまで大穴を穿っている。シェルター都市の最果てに余裕で届く電磁加速投射だから、仮に旅客機などが軌道上に飛んでいればひとたまりもない。

 白い羽根が、闇に舞い散った。

 銃弾の駆け抜けた道にそって、ほのかに輝く羽根は一枚や二枚どころでない。十枚、五十枚、百枚……種明かしをすれば、美しいそれは、驚異的な電気抵抗の生んだプラズマ熱によって剥離・蒸発した特殊弾の外装だった。つまり電磁加速をかけられ、それに耐えきれなかった銃弾のかけらだ。

 数えきれぬ羽根の向こう、ロックの構えた拳銃から硝煙があがっていた。もちろん、顔面は血まみれだ。くたびれたタバコを唇の端にくわえているが、煙は出ていない。

「火がねえぞ、コノヤロウ」

 低い声で囁くや、ロックは死神めがけて前進した。

 稲妻のすじを無数に背後へ残しながら、撃つ、撃つ、撃つ。続けざまに流体装甲の体を破裂させながら、あとずさる死神。だが、それだけだ。銃弾に威力が足りない。再充電にかかる時間は意外と馬鹿にならないし、ビルに通電が甦るまでにもあと数秒かかる。

 連続する銃声の中、死神のどこかで硬い音が鳴った。泣き笑いの仮面に、とうとう亀裂が走ったのだ。蜂の巣と化した全身から、水芸のごとく黒い汁を吹きながら巨体がよろける。あと一撃……折悪く弾切れを起こしたロックに遅れ、次に拳銃を持ち上げたのはハーディンだった。失血で小刻みに震えるその手だが、照準に誤りはない。

 轟音……

 火線は、死神の側頭部を浅く掠めるにとどまった。ぼろぼろの死神はといえば、壁の大穴から廊下へ身を投げ出している。ロックが、最初の電磁加速投射で破壊した場所ではないか。廊下から順番に響いたのは、政府の救助隊が放つ阿鼻叫喚、発砲音……そして、勢いよく窓ガラスの割れる音だ。

 もとから蒼白だったハーディンの顔色は、また一段と悪くなった。

「急げ! フォーリング!」

「火がねえ!」

 ロックの駆け出したあとに、煙をひいて空の弾倉が落ちた。新たな弾倉を拳銃に装填しながら、壁の穴をくぐる。

 廊下に死神の姿はない。右の道にも、左の道にも……嫌な予感。重武装の政府隊員たちが掲げるアサルトライフルも、なぜか揃って地上十階の窓外を狙うばかりだ。気まずい表情の彼らを突き飛ばし、ロックは割れた窓の枠に足をかけた。素早く下方を照準した銃口には、すでに激しい電光がほとばしっている。

 そのまま一秒が過ぎ、二秒が過ぎた。

「……ちッ」

 ロックは力なく拳銃をおろした。

 オフィス街の交差点には、けだるげに人工の夕陽が降り注いでいる。風にのって耳に届く市民の混乱は、やはりビル近隣を襲った停電が原因のようだ。死神は幸い、無差別な殺戮より逃走を優先したらしい。この高さから飛び降りるのみならず、誰にも気取られることなく姿を消すとは感服する。

 完全にやられた。いや……

「ガラスの靴は届けるぜ、シンデレラ」

 血の染みたタバコを吐き捨てると、ロックは身をひるがえした。


       Ⅷ


 ウォルター・ウィルソン警部はふと目を覚ました。

 真上からの光がまぶしい。

「……?」

 誰かが自分を見下ろしているようだが、輪郭はぼやけたままだった。一人、二人、三人……もっといるかもしれない。

 ここはどこだ? 一面真っ白な空間は、病院の手術室を彷彿とさせる。仰向けに倒れた背中に、金属製の寝台の感触が冷たい。

 可能な限り、ウォルターは記憶をたどった。ついさっきまで自分は、防護柵越しにエワイオ空軍基地の張り込みを続けていたはずだ。それから、いいかげん夜もふけて、車に戻ったあと、ああそう。とんでもなく強い光が、いきなり目の前に降ってきて……

 ウォルターは絶叫した。正確には、全身の麻痺は声帯にまで及んでいて、唇ひとつ動かなかったが。

 ウォルターがむりやり眼球だけを動かした先に〝彼ら〟はいた。それも、すぐ傍らに。

 ラグビー球の形をしたその瞳には、墨汁のような暗黒が詰まっている。巨大な頭部がときどき横に動くのは、仲間同士なんらかの意思疎通をするためらしい。

 幼い頃に感じたのとそっくりな恐怖に、ウォルターは目をつむった。夢だ。夢に違いない。次にまぶたを開けたときには、仕事に疲れた自分は、何事もなく車のシートで目覚めるはず……

〈寝たフリか?〉

 ウォルターの願いを打ち砕いたのは、男とも女ともつかぬ声だった。まさか、化物たちの声か? 電波でも受信するように直接、頭の芯に語りかけてくる感覚さえある。

〈警察、とか言ったな〉

〈ああ。スコーピオンによれば、この二十六人目は、地球の古典的な法律機関に属しているらしい〉

〈なるほど、便利な体だ。脳を切り出して、さっそく記憶の解析を〉

 ウォルターは身を震わせた。枯れ枝のように細長い化物の指が、自分の鼻先に鋭利な注射針をかざしたのだ。ああ、さっさと気絶してしまいたい。

〈そうはいかない。記憶保持の関係上、君は最後まで眠れない。当然、激痛だ〉

 無性に、ウォルターは人間の犯罪者が恋しくなった。

〈着させてもらうぞ、その体〉

 地獄の訪れだった。


 

 真夜中の草むらが、風に鳴いていた。

 午前零時十二分……

 エワイオ空軍基地。

 金網に囲まれた滑走路には、明かりも人影もない。

 いや、この巨大な格納庫内だけは違った。昆虫のごとく闇に沈むのは、多数の戦闘機の影だ。中央の広場には、大勢の人々が整列している。軍ならではの夜間訓練の類か? だが、時と場所を考えれば、異様の二文字がこれほど似合う集団もない。

 まず、集団は軍人でもなんでもなかった。服装、性別、年齢ともにてんでばらばら。つまり、ただの一般市民だ。が、見る者が見れば……警察や政府の捜査員あたりは、きっと驚きを隠せなかったろう。なにしろ、シェルター最終防壁近くの森林公園にて、謎めいた失踪を遂げ、連日のニュースで取り沙汰されていた行方不明者全員が、ほぼここに揃っているのだから。二十数人それぞれには外傷もなく、生きて息をしているのは間違いない。

 では彼らは、何者かの意図によって監禁されているのか?

 正確にいえば、それも違う。 

 彼らは自分自身の意思でここにいた。当然、彼らはすでに入れ物にしか過ぎず、その手足を操るのは別の世界のものだ。見よ。タールのような漆黒に覆われた彼らの眼球は、不気味に照り輝きこそすれ、まばたきという生理現象を一切しない。

 そんな悪夢じみた集団を前において、格納庫の一段高い場所、傲然と立つ軍服の人影がある。エワイオ空軍基地責任者……アンドリュー・マイルズ大佐だ。

「よく似合っているぞ、君たちのその姿。駆除すべき害虫そのものを、我々が〝着る〟……スコーピオンの提案は、突飛ではあるが確かに画期的だ。私同様、融合したての頃は皆、吐き気と嫌悪感に悩まされるとは思うが。総員、もとの体の所有者の記憶、および行動パターン等は完璧に覚えたな?」

 大佐の質問に、アーモンドアイたちは答えた。物珍しげに自分の頬を触って抓り、指を蠢かせては、手足の関節をぎこちなく回して試運転、左右を見回して視界を確かめる。まさしく生を授かったばかりの人形の動きだ。もちろん、アンドリュー・マイルズの体を乗っ取って長いぶん、大佐の笑みの邪悪さは表現力で一歩リードしていた。

「最初に説明した通りだ。これより君たちには、もとの生活に戻ってもらう。君たちのその顔を待ち望む家族のもとへ帰り、人類のふりをして、な……我々の敵の一部は、しらじらしい変装をして都市の各所に潜んでいる。ならば我々は、さらなるカモフラージュをまとって敵を監視しよう。武器はいらん。君たちの着る害虫の姿自体が、敵の脅威だ」

 くだんの障害要素〝ファイア〟は、もうすでにこの基地めがけて動き始めているとの情報だ。奴らが到着したときには無論、ここはもぬけの殻だが。

 たくましい両手を腕組みしたまま、大佐は告げた。

「都市内部からの攻撃は、やがて送る合図を待って行え。本来の姿に戻った君たちを、害虫どもは再びこう呼ぶだろう。〝死神〟と……以上、作戦開始」

「OK」

 誰かの気のない返事に、重火器の装填音がつづいた。

 アーモンドアイたちが、天井を見上げたときにはもう遅い。

「とっとと差し出しな、左の頬を!」

 撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ……轟音を響かせ、格納庫を火の雨が薙ぎ払った。すさまじい回転とともに排薬莢を散らすのは、ロックの構えた長大なガトリングガンだ。天井からの無差別砲火。

「な、なにが起こっ……!?」

 流体装甲を展開しかけ、ある髭面の市民の上半身は消し飛んだ。鮮血の代わりに、ねばつく黒い体液が地面に弾ける。

「総員戦闘態勢! 戦闘た……キぃッ!?」

 燃料タンクを蜂の巣にされた戦闘機が、大爆発を起こした。そのまま隣の機に誘爆、誘爆、誘爆。押し寄せる炎の波に飲まれ、アーモンドアイの群れはごっそり消えた。

 火だるまになって吹き飛んできた仲間の体をかわし、怒号したのはマイルズ大佐だ。

「出ろ! ジョンストン!」

 毎秒百六十六発・直径二十七ミリの洗礼をまともに受け、大佐は肉片と化した。

 ゆっくり晴れる硝煙のベール……おお。なんと大佐は、もとの場所に、以前と変わらぬ姿で立っているではないか。多くの勲章に飾られた軍服には、焦げ跡ひとつない。それより、なんだろう。大佐の眼前、無数に浮かぶこの鉛色の粒は?

 ガトリング弾だった。大佐を狙ったすべての銃弾は、見えない網に絡まったように空中に縫い止められている。悔しげに回転を続けるガトリング弾の表面、ほとばしるのは微かな稲妻の輝きだ。

「やってくれたな。機関銃の複雑な発射機構・発射量にあわせて、弾を加速する電力も三割程度にしぼるとは。質より量、一点突破より面制圧を狙ったか」

 火の海に囲まれてなお、大佐は冷静に語った。

「だが、悲しいかな。貴様の能力はすでに分析済みだ。人類の付け焼き刃の豆鉄砲ごときでは、この〝盾〟は絶対に抜けられんぞ……エージェント・ロック・フォーリング。〝ファイア〟の強化人間!」

 ずたぼろの天井裏、ロックは目つきを鋭くした。

 次の瞬間には、その表情は驚きへと変じている。不可視の障壁にとらわれた銃弾が、いっせいに大佐の足元に落ちたかと思いきや、床をぶち破って、巨大な影がいきなり空中へ跳躍したのだ。

 死神だった。

 が、ロックの知るものとは少し違う。なんの飾りだろうか? 黒マントに光の大鎌は見慣れたものだが、その両肩には妙な装甲板が取り付けられている。装甲板の形状は、さしずめ超巨大なサーフボード。サーフボードは、黒ずくめの巨体に対し、なぜか不自然なまでに鮮やかな銀色だ。しいて言えば、もとあった腕の上に、むりやり追加の防護措置を施したのに近い。

 おや? そういえば、ミアクの政府ビルで暴れた死神の両腕は……

 ロックの立つ天井を睨みながら、大佐はにやりと唇をゆがめた。

「挨拶をしたいと言っていたな、ジョンストン? 両腕の痛み、存分に語るがいい!」

 新たな手を得た死神……ジョンストンは、空中、両肩の〝盾〟を稼動させた。天井めがけて持ち上がった装甲板の先端が、勢いよく左右に割れる。

 装甲板の割れ目が光るのと、格納庫の天井がなくなるのはほぼ同時だった。まるで、見えない砲弾を百発も食らったかのような壊れ方だ。さきほどガトリング弾を防いだエネルギーフィールドを、今度は攻撃に使ったらしい。これには、UFOの飛行に関する反重力技術も応用されている。攻防一体の破壊兵器……ロックの姿は、もはや骨のかけらも残っていない。

 炎の熱気にも汗ひとつ見せず、大佐は鼻を鳴らした。

「ふん。痛みもなく死ねたのは、むしろ幸運だ。最後まで見届ける覚悟もあるまい。この惑星が、凄まじい地獄と化す光景を」

「ああ」

 刹那、もうもうたる煙をテープのように千切って現れたのは、ガトリングガンを背負ったロックだ。一回転して抜き放たれた拳銃が、大佐の眉間にぴたりと触れる。

「すぐ酒に逃げるタチでね」

 銃声。

 燃え盛る炎を背景に、ロックは銃をおろした。吹き飛んで静かになった大佐を見て、さすがの死神も唖然としている。ロックは挑発的に笑った。

「パーティはお開きかい? どうせ天井シェルターに穴開けるなら、見せてくれよ」

 ロックの右手に、稲妻が駆け抜けた。

 白昼夢のごとくかき消えたジョンストンの姿は、次の瞬間にはロックの背後に現れている。光の粉を爆発させた大鎌は、五倍もの長さに伸びて出力最大だ。

「本物の空ってやつを!」

 激突の風圧に、炎は逆立った。

 ロックの体にそって棒術のように旋回したガトリングガンが、火花とともに大鎌を受け止めたのだ。鍔迫り合って震えながら、金属の悲鳴をもらす二つの武器。唐突にロックの手は機関銃を手放し、死神の刃が押し勝つ。頭上ぎりぎりを掠めた大鎌を確認して、ロックは落下する機関銃を低い姿勢でキャッチした。回転しつつ、そのまま横薙ぎに銃撃。死神はといえば、咄嗟に跳躍して銃弾をかわしたではないか。着地の勢いを殺さず、今度は唐竹割りに光の鎌がロックを襲う。それを弾いたのは、ロックがふたたび空中へ投げ上げたガトリングガンの銃身だ。すかさず抜かれた拳銃が、のけぞってがら空きになった死神の胸を照準した。

 撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。

 しかし、鉛の牙が獲物に届くことはなかった。死神の数ミリ手前の空中、銃弾はやはりその場に留まっている。死神が前面に張った装甲板、正確にはその発生機が作った重力場に絡め取られたのだ。電磁加速投射が効かない!?

 落ちてきた機関銃を掴むや、ロックはさらに一歩踏み込んだ。見えない壁に、すばやく片足を踏ん張る。靴の裏に返ってきた感触は、液体とも固体ともつかない。ガトリングガンの銃口を、そのまま強引に重力場の向こうへ押し込む。引き金を……

「うおッ!?」

 でたらめに火線を散らながら、ロックの体は吹き飛ばされた。戦闘機の機首を三つ四つ続けざまに叩き折り、格納庫の事務所の壁を破壊して瓦礫に消える。重力場の盾が、ときに強大なハンマーと化すことを忘れてはいけない。

 静寂。

 瓦礫の破片を体中から落とし、ロックは身を起こした。起こしたときには、ああ。頭上に、蝙蝠のごとく巨大なマントが広がっている。間髪容れず、横に一閃される死神の大鎌……ここまでか。

 泣き笑いの仮面から、驚きの気配が伝わった。

 確実に敵を仕留めるはずだった光の刃が、止まってしまったではないか。ロックの首に届く寸前のところで。まるで、見えない壁にぶつかったかのように。

 死神の流体装甲に備わったセンサーは、恐るべき計測結果を弾き出している。アーモンドアイの科学力をもってしても、なお振り切れるレベルの強電磁エネルギー……必殺の鎌を間一髪で食い止めたのもまた、ロックの電磁場が形成した〝盾〟だった。

「マネして悪いな……使えて一回、もってあと一秒ってとこか」

 死神の仮面に、硬い感触があたった。拳銃の銃口に、音をたてて稲妻が集束する。

 轟音……ぜロ距離から放たれた電磁加速弾は、死神の頭部を突き破って、エワイオ空軍基地の外に抜けた。重力場の壁を生みだす余地もない。

 座り込んだまま脱力すると、ロックは囁いた。

「お客さん、どちらまで?」

 頭を失って倒れた死神に、無数の白い羽根が舞い降りていた。


       Ⅸ


 火の海にひとり、足をひきずりながら歩く人影があった。

 壁伝いに出口を目指すロックの動きは、驚くほど緩慢だ。痛いといえば全身が失神するほどの激痛を発し、もはや自分でもどこを負傷しているのかわからない。額から流れる血は片目をふさぎ、焦げ穴だらけのスーツには生々しい裂傷が目立つ。苦しげに押さえた脇腹の底では、いったい何本の肋骨が折れているのだろうか。

 コンクリートの破片につまづいて、ロックは呻き声を漏らした。

「命乞いでもしたいとこだが……相手がいないな」

 かんだかい音とともに、大きく火の粉が舞った。ロックの前後で、いっせいに鉄骨が倒れたのだ。あと半歩進むか遅れるかしていれば、簡単に押し潰されていたに違いない。代わりにロックは、床からの衝撃で力なく両膝をついている。

 もちろん、道もなくなった。

「次のバーベキューは、俺か……」

 血のにじむ唇を自嘲げに曲げると、ロックは懐に手を入れた。震える指でタバコをくわえ、もういちどポケットをあさる。火はどこだ。しかたなく、そばで揺れる航空燃料の炎に顔を近づける。

 そこだけ動いたロックの右手が、腰の拳銃を抜き放った。まばたきひとつで、背後の気配に狙いをつける。瀕死でも、この反射神経だけは別格だ。

ロックの顔は険しかった。

「しぶとい野郎だぜ。前に会ったか? 台所の隅っこあたりで」

「ソ、それはこちらのセリフだ、害虫」

 おお。火災のかげろうの向こう、四つん這いで身を起こそうとするのは誰だ。

 マイルズ大佐だった。死体であることは間違いない。その証拠に、ロックに撃ち抜かれた額の風穴は、いまだ重油めいた汁をたらしているではないか。憑依した人体が限界を訴え、誤作動を起こしているらしい。生まれたての子鹿のように手足が痙攣している。

 タバコのフィルターをきつく噛みながら、ロックは呟いた。

「ほっといたって時間切れになる世界だぜ。そんなにちょっかい掛けて何が楽しい?」

「オ、お前は知らないのか、ロック・フォーリング?」

 おぞましい音が聞こえた。大佐の顔面、穴という穴から滴る漆黒の液体が床を叩いている。とうに機能を失ったはずのその表情が、ふと皮肉げに笑ったのは気のせいか?

「我々が、なぜ貴様らの絶滅を待っているのかを。本来、生態環境の復旧に取り組まねばならぬはずの我々が、なぜ……」

 ロックの構えた銃口は、ほんのわずかに揺れた。音をたてて大佐を照準しなおす。

「もういい。喋るな」

「教えてやろう。この戦争のきっかけを。真実を知れば、間違いなく貴様も……」

 大佐が爆発したのはそのときだった。

 咄嗟に前へ倒れ込んでおらねば、ロック自身もただでは済まなかったに違いない。背後から、かすかに聞こえたのだ。荷電粒子ブースター独特の加速音が。ロックのすぐ頭上をかすめ、一直線に大佐をとらえた灼熱の衝撃波は、勢いあまって、周囲の障害物まで弾き飛ばしている。

「ファイ……ア」

 くぐもった声を漏らしたのは、人型のたいまつと化した大佐だ。そのまま二、三歩前に進んだあと、勢いよく床に崩れ落ちる。急速に溶ける皮膚の下、一瞬だけ見えた巨大な頭部のシルエットも、やがて跡形なく炎に消えた。

 見よ、あちらを。開いた入口ハッチの隙間、逆光にたたずむのは二つの人影だ。そのうちの片方、ジェリー・ハーディン局長は松葉杖の姿も痛々しい。彼女の指示に従い、重装備の政府隊員たちが堰を切って突入してくる。

 隊員二名が左右の肩を貸して、ロックはすみやかに運ばれた。その様はどこか、政府が大昔にメキシコで捕まえた〝両手を持たれた小型異星人〟の白黒写真と似ている。扉の手前ですれ違いざま、うなだれたままのロックに耳打ちしたのはハーディンだ。

「宣言どおり、綺麗に掃除してくれたな。証拠も手掛かりも、なにもかも」

「……なんで撃った!?」

 両隣の隊員をはねのけ、ロックはハーディンに食ってかかった。どこにそんな体力が残っているのか?

 だが、ハーディンの胸倉に届く前に、ロックの腕は掴まれている。ハーディンの横、それまで無表情に控えていた男の手によって。視界が一回転するや、ロックは背中からコンクリートの地面に叩きつけられた。ただでさえ満身創痍の体が、耳を塞ぎたくなるような響きをあげる。いや、それだけに留まらない。白目をむいて気が遠のくロックの腕を、男はなお強引に捻り上げたではないか。鮮やかな身のこなしだ。ロックは裏返った悲鳴を放った。

「ぅ熱っちい!」

 熱い? 痛いではなく、熱いだと?

 それもそのはず、ロックの腕はかすかに煙をあげている。男が掴む場所だ。まあ、荷電粒子砲を撃ち込んだばかりの手に触れられれば、誰でもこうなる。

 ハーディンが男の肩に手を置くのは、きっかりスリーカウント後だった。

「いちおう彼は怪我人だ。エージェント・ジェイス」

「………」

 相変わらず無表情のまま、男はロックを突き飛ばした。襟元をただすその手からは、やはりネクタイの焦げる音が聞こえる。そして、その手首に輝く銀色の腕時計。次にロックが乱暴な動きを見せれば、首の骨の一本や二本は折りかねない。ふたたび政府隊員に引き起こされながら、ロックは霞んだ瞳でハーディンを睨んだ。

「なんか……なんか喋りかけてたじゃねえか、あの偉そうな大佐。それを横から、いきなりズドンかよ。矛盾だ? 真実だ? 聞いて呆れるぜ」

「勘違いしているようだな」

 言下に切り捨てると、ハーディンは遠い視線で格納庫を眺めた。

 正確には、廃墟と化したそこに揺らめく炎を。炎は特殊消火器の力でみるみる範囲をせばめ、そこらじゅうの五体不満足な遺体にむらがる隠蔽班たちは、どう見ても屍肉をついばむハゲタカだ。やけに疼く頬の絆創膏をさすりながら、ハーディンは続けた。

「我々は君を救ったのだ。隙をついて攻撃するつもりだったアーモンドアイから、大事な部下を。異星人のたわごとに耳を貸すとは、勘が鈍ったか? 復讐はどうした? 吐き気をもよおす真っ黒な返り血こそが、エージェント・フォーリング最高の勲章ではなかったかね?」

 なかば強制的に連行されながらも、ロックは背後のハーディンに反論した。

「その大事な部下とやらに隠し事をするのが〝ファイア〟だ。知ってるかい? 聖職者ってのは、誰の声でも平等に聞き入れなきゃならねえんだぜ?」

「アーモンドアイの意見でもうかがうつもりか? はッ。無意味なうえに、不可能だ。移動砲台なら移動砲台らしく、日がな一日、君は銃で空を狙っているだけでいい。それすら不平というなら、腕時計の便利なスイッチを押せばよかろう。私ならそうする。一ミリでも政府を疑った時点で、すぐに。人っ子ひとりいない雪原まで歩いてから、な」

 ロックは、横合いに唾を吐いた。欠けた歯が混じっているのに顔をしかめ、毒づく。

「俺からすりゃ十分、吐き気がするよ。あんたの血の色も」

「青い血だろうと赤い血だろうと、猟犬の飼い主は私だ。さあ、十字ならたっぷり切ったろう。病室と始末書の束は、すでにセットで手配してある。〝グッドラック〟だ、フォーリング……」

 世界が白く染まるのは、突然だった。

 なにが起こったのだ? 隊員たちの手、そして車についた無線機という無線機が、でたらめな雑音を吐き始めたではないか。耳を掻きむしりたくなる甲高い響きは、怒りに喚く悪魔の声にも聞こえる。おまけに、未知のモールス信号のごとく激しい明滅を起こすサーチライト、狂うデジタル時計。

「ひッ!?」

 腰を抜かしたのは、防護服で全身を固める隠蔽班のひとりだった。 

 人間そっくりのアーモンドアイは、とうにエージェント・フォーリングが殲滅したはずではなかったのか? なのに、なのに……ガトリング弾に食いちぎられた手が、足が、下半身を失った死体の顔が、電流でも流れたみたいに痙攣しているのだ。

 そう、まるで。アンテナから指示を受けたラジコンのように。

 真昼そのものの光に目をそむけながら、ハーディンは叫んだ。

「どこにいる!?」

 答えは遠く向こう、ぼこりと盛りあがった滑走路だった。

 勢いよく突き破った地面から、大量の土くれと破片をこぼしつつ、夜空へ上昇する巨大な輝きがある。気球? ヘリ? 戦闘機? いや、そのどれとも違う。この惑星の技術ですらない。極彩色の光で埋め尽くされた船体は、これほどの質量を浮かせているにも拘らず、推進音のひとつも漏らさなかった。

 降臨する神。死神の馬車。奴らの乗り物。空飛ぶ円盤。

 UFO。

 エワイオ空軍基地の片隅、政府はその中年男性を担架で運ぶ最中だった。警察手帳に記された名前は、ウォルター・ウィルソン。だが、いままさに、意識もないのに、共鳴するがごとく彼の瞼はぴくぴく震え……

 ひとすじの光が、UFOを貫いた。

 同時に、基地の全照明は爆発している。ショートなどというレベルではない。政府車両のヘッドライト、車載機器、あげくの果てに、ハーディンとエージェント・ジェイスの懐の携帯電話までもが一斉に火花をあげて死んだのだ。販売店と裏でつながっているのだろうか、この男。

 すべての電力を食い尽くしたこの男、ロック・フォーリング。

 宝石箱をひっくり返したような星明かりのもと、ハーディンは怒号した。

「勝手なマネを!」

 振り向いた先、ロックは皆にぼろぼろの背中を向けたままだった。ただ、肩越しにUFOを照準する拳銃。銃口にそって走る電磁加速の稲妻。左右へ突き飛ばされた政府隊員たちが夢見がちに見上げるのは、闇に輝く幾千もの白い羽根だ。

 逃がさない。あいつらだけは、絶対に。

 手の中でくるくる拳銃を回転させると、ロックはつぶやいた。

「グッドラック」

 銃口の硝煙が吹き消された瞬間、UFOは爆発した。

 


 爆発を繰り返しながら、UFOは滑走路へ沈んでゆく。

 その光景をはるか遠く、金網越しに眺める人影があった。

「ワオ!」

 人影は、のけぞって歓声を放った。

 この際だから、政府と一緒に病院へ向かってはどうだろう。なにせ、スーツから覗く箇所だけでも、彼の体は包帯ぐるぐる巻きだ。ひどい怪我でも負っている? それとも、その正体を世間から隠すため?

 燃える基地めがけて、スコーピオンは額の前で小さく敬礼を飛ばした。

「大ヤケドだ♪」

 にやにやしながら、スコーピオンは闇に身をひるがえした。

 その手で輝く銀色のアタッシュケース……


       Ⅹ


 ウォルター刑事は目を覚ました。

 ここはどこだ?

 光がまぶしい。色とりどりのステンドグラスから、穏やかに朝日が差し込んでいる。かすかに耳をくすぐるのは、小鳥のさえずりと教会の鐘の音だ。自分が木製の長イスに寝かされていることに気づき、ウォルターの疑問符は安らかに消え去った。

「よう」

 そう挨拶したのは、前の席に腰掛けた人物だった。背もたれに肘をつき、足組みしてくつろぐ態度は、少なくとも礼拝者のそれではない。その男はそこかしこを絆創膏や包帯で飾っており、これでもかと言うほどボロボロだ。男……ロック・フォーリング神父は、細めた瞳で最前列の聖壇を見つめている。

 当のウォルターは、まだそれと気付いていないらしい。寝ぼけまなこのまま、申し訳ない表情になって呟く。

「教会だってのに、すいません、こんなザマで。げえ、体が重い……たびたび悪いが、神父様。ちょいと肩貸してもらえません?」

「断る。この肩は満員なんだ、恨みつらみの憑き物で。そのまま寝ときな」

 一蹴したロックの手は、なにか鋭い輝きを指に挟んでいた。なんだこれは? もしかして、ダーツの矢?

「わかりました。もちろん寝転んだままじゃ、お許しを乞うのもダメですよね?」

「申してみよ、悩める官憲の犬」

「ありがとうございます。確かに仕事は忙しかった。ろくに家庭を顧みなかったのも認めます。でも俺は、べつに一人になりたがってたわけじゃない。なのに女房は……」

「見えちまったんだろうな。カボチャの馬車が」

 不意にウォルターの眉がひそめられた。聞き覚えのある不快な声に、ようやく気付いたらしい。毛布代わりのコートを落としながら、なんとか身を起こす。

「てめえ……いつからこの俺様に説教たれる身分になった、フォーリング?」

「つまり奥さんには、正しい神の導きがあったってことだ」

 にやつくロックの指先、前へ後ろへ距離をはかるようにダーツの矢は動いた。円形の的はといえば、ああ。ずっと前の聖壇、十字架の首に引っ掛けられている。神聖きわまりないその周囲に、奇妙な草のごとく生えるのは外れたダーツの残骸だ。かたわらに立てた点滴のチューブとつながった状態で、ロックは問い返した。

「棺桶に隠してあった高値の酒のこと、なんで知ってた? 朝になって見たらスッカラカンになってたが、ウォルターさんよ。やっていいことと悪いことがある」

「な、なんのこった???」

「おっと、シラを切るのはよそうや。だいたいな、UFOにさらわれた話なんてのは、懺悔室なんかじゃなく、いきつけのバーとかで……」

 ぶつくさ愚痴るエセ神父は無視するとして、ウォルターは濃くなったヒゲをなでた。この頭痛と体のだるさは、たしかに馬のように酒を飲んだ翌日のものだ。いや、それよりなにより……きつく瞼を閉じて、ウォルターはうなった。

「なにしてたんだっけ、俺?」

「……聞き飽きたぜ、そのセリフ」

 囁きは口の中だけにとどめ、ロックはタバコをくわえた。

 先日、ダンボール箱いっぱいの始末書を抱えて、しぶしぶ政府の秘密施設に足を運んだときのこと。アーモンドアイに施された生体処置を取り除かれるウォルターを、ロックは実験室の向こうに偶然見た。刑事は幸運にも、奴らに〝着られる〟すんでの所で政府に救われたのだ。

 もちろん〝ファイア〟の判断には必ず狂気がつきまとう。アーモンドアイとの接触に関するウォルターの記憶は、政府が完全に消した。

 いったい何度目になるだろう?

 法の番人としての嗅覚が優秀なあまり、事件の核心に迫りすぎることがウォルターには多々あった。脳をいじられた彼の捨て場所は、なぜか決まってロックの教会だ。真実を失った回数と同じだけ、いつもどおり刑事はこの長イスで目を覚ます。どうしようもない呑んだくれとの烙印は致し方ない。奪われた幾つかの記憶とひきかえに、貴重な今日を得ているのだから。

 ただ、記憶消去の手術には地獄そのものの痛みがともなう。想像を絶するウォルターの叫びは、ずっと塞いでいたはずのロックの耳に、今もこびりついて離れない。

 そしてどうやら、政府のその技術にも穴があるようだ。薄暗い教会の闇になにを追ってか、視線をさまよわせながらウォルターは独りごちた。

「なんだろうな。頭の中のパズルから、いろいろと抜け落ちてる気がする。とんでもなく大事で、そう。泣くほど恐ろしいこと」

 タバコをくわえたまま、ロックはポケットに手を入れた。軽いスナップとともに、逆の手で投じられたダーツの矢は、放物線を描いて十字架の横へ外れている。

 ライターを探す手をふと止め、ロックは聞いた。

「火ぃ貸してくんねえか?」


♯01 Starter knock out

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