開始!生徒会総選挙
これはいけないと流石に思った。
芥津門の隣には珍しく昼飯を一緒に食べる羽野がいた。人が少ないということで、落としもの保管室で食べている。もうすでに芥津門は冷食のおかずと白米の弁当を食べ終えているが、羽野は3つのサンドウィッチのうちひとつも消化できていなかった。
(相当に深刻…私はこの手の相談向かないんだがな…どうしよう)
朝羽野から連絡が来たかと思えば古戊留に対しての相談ときた。やはり一緒に帰らせるなどという荒療治がいけなかったのだろうか。
口から魂が漏れている羽野の反面、芥津門は元気だ。なぜなら友達が増えたから。何を隠そう野浦と凉名のことである。人間関係の潤いは芥津門を健康にさせた。心なしか元来の癖っ毛が整っている。
「羽野、話なら聞くぞ。上手く助言とかはできないが…言うために私を呼び出したんだろう?」
「…喧嘩…しちゃった」
「けんか」
思わず繰り返す。
「なんかぁ俺がぁ気にしすぎなんだとぉ。友達なんだからもっとラフに、ノリで接しろってさぁ!『お前めんどくね』って言われたわ」
酒でも飲んだかのように抑揚のある話し方をした。陽気だ。
「じゃあ俺の悩みに悩んだ4年間はなんだったんだ?」
一変。彼の目は死んだ。
「そんなに抱えてたのか…」
(4年…ということは中学校からの悩みなのか。思春期それに支配されかけているのか)
「お前口堅い?」
ぐるりと首がこちらに向いた。怖い。
最近気付いたが、羽野の二人称は外行きだと“君”、今のような、はっちゃけているときが“お前”になる。
ただの余談だが。
「任せてくれ」
「…一応注意。芥津門にとって気分のいい話じゃない可能性がある。そうだったら適当に聞き流して忘れて。それからこの件はとっくに解決してる。俺が悩んでるだけだから本当に聞いてくれるだけでいい」
(こういうところが気にしすぎなんだ)
芥津門からの頷きが得られると羽野は話し始めた。
「疎の家って…こう…価値観が変でさ———」
あまりに慎重に話し始めるものだから、相当な家なのだろうと推測できる。
しかしこれ以上話が続くことはなかった。
落としもの保管室の扉が開く。
「椎!椎ちゃんいる!?いるね!助けて!」
髪を乱し汗を振り撒く、現生徒会長である更間右多によって。
「原稿用紙失くしちゃったぁ!!」
「20枚ときたか」
申し訳ないが、一旦話を中断し先輩かつ友達である更間の話を聞くことにした。なんでも今度の“生徒会総選挙”で元生徒会長としてスピーチする原稿を失くしたらしい。
「ふふ…頼れるのは人海戦術。さっきこけて窓へぶちまけて飛んでっちゃった。ヘルプ」
ふわりとした癖毛は一つに束ねられており、会長らしく度の超えた着崩しのない制服を着ている。いつ何時でもアホ毛が立つのが彼女の魅力だと勝手に思っている。
「ろうきゅんと友達数名にはもう頼んだんだけど、いかんせん風が強くってねぇ…多分こっちの方にも来てるんだ」
「…ろうきゅんって誰だ」
羽野は話の流れから芥津門の知り合いのことだとわかったが、きゅん呼びされるような知り合いはいないはずと思って訊いた。
「竺宇のことだな」
さらりと返事が返ってくる。
「そう。竺宇楼斗だから、ろうきゅん。初めて呼んだけどね。あ、本人には言わないでね、ショック受けるから」
「羽野は更間と話すのは初めてだよな?わかると思うが生徒会長だ」
羽野はもちろん知っている。彼女は伝説の生徒会長だからだ。その優秀さも特異さもよく知っていたし、よく全校集会でも見ていた。ハキハキと喋る、体育会系の礼儀正しい方みたいな人だと認識していた。
「どうも、初めまして。羽野耀成です」
「うんよろしく。私のことは好きに呼んでね」
(羽野が一瞬にして外行きの顔になった…恐るべし切り替えの速さ)
しかしそんなに関心している暇もない。昔から色々世話になっている更間が困っているのであれば助けたい。
「あぁ、そうだ。会長の立候補者って誰か居たのか?」
更間が忙しそうにしていた理由の3割ぐらいがその問題だった。なまじ彼女が優秀過ぎてそれに足る能力の者が中々居ない。というか誰もやりたがらない。どうしても前任と比べられてしまうし、この学園の落としもの率の高さと返還率の低さから見ても分かる通り、全体的に周囲のこと以外の関心が低いのだ。
しかしイベント事の当日は普通に盛り上がるので、楽しみたいが当事者にはなりたくないというところだろう。今まではそんなこともなかったらしいが、年々その傾向が顕著らしい。生徒のほとんどが習い事に忙しくしているというところもあるだろうが。
「聞いて驚け見て笑え、居る。1人。だから今回は投票っていうより信任決議だね」
(更間の時と同じだ)
「その子ぴちぴちのルーキーだから、みっちり選挙の練習してるんだ。どうしても、壇上に立って演説するのは緊張するからね」
「ルーキー?」
「そう。今回の立候補者は1年生だよ」
そう言って自慢げに腕を組んだ。
まさかこれすら更間と一緒だとは思わなかった。これが更間の伝説の生徒会長と呼ばれる所以だからだ。
彼女は1年生のとき立候補し、3年生のこの時まで続けている。それまでに行われた選挙は3回。
その全てに彼女は圧倒的ともいえる票数で勝利していた。
◾️
「あれ椎?」
「ほんとだ。おーい!」
更間が言っていた方に行ってみると、野浦と凉名がグラウンド近くで駄弁っているところを発見した。数回の遊びを経験して“ちゃん‘付けが無くなり、芥津門は呼ばれるたびに少し照れるようになった。
「野浦…じゃなくて海向と凉名…でもない杏糸じゃないか」
「本当に仲良くなったんだな」
羽野は感心する。彼にとっては友達という存在が珍しくもないので、イマイチこの感動が伝わっていないように思えた。
「そうだ、原稿用紙見なかったか?」
「ん?あぁ現代文課題の話?」
芥津門からの問いに凉名は予想外の答えを返した。
「あるでしょ、小論文練習で課題図書を一冊選んで読書感想みたいなの書くやつ。大変だよねぇ」
「いや知らないが」
「授業受けてりゃ知ってるはずなんだよ」
「羽野は知ってるのか」
「もう提出した」
「やっぱり真面目なんだな。2人は?」
野浦と凉名の進捗も気になったので聞いてみた。さっきの口調からして提出はしていないだろうが、この発言を聞いての心の余裕があるかどうかが気になった。
「はや…」
「こわ…」
びびっている。口に手を当ててひそひそしている。余裕はないようだ。
「私たちは選挙関連の原稿用紙を探している。上から落ちて来てたりしなかったか?」
芥津門の問いに2人とも顔を見合わせる。
「あ、落ちて来たの見たわけじゃないけどあっちに地面に落ちてる紙があったかも…結構踏まれた跡があったけど」
凉名の言ったことを参考に、中庭方面の道を歩いていると確かに数枚の原稿用紙が地面に落ちていた。
「あちゃー」
それを拾うが中々に薄汚れてしまったようだ。裏面に足跡が付いているものもあれば、文のある全面に土が付いていることもある。
「芥津門、これでもとりあえず回収するか?」
「うん。…2人、手伝ってもらってもいいか?」
「いやいやもちろんだよ」
4人もいれば余裕で付近の原稿用紙を集め終わることができた。芝の部分に落ちていたり、コンクリート部分に落ちていたり、思っていたよりも広範囲に広がっていて当時は強風だったことがわかる。
そしてそのどれもに足跡が付いていた。
(人間は容赦なく紙を踏んづけていくものだ)
「えーと、生徒会長の挨拶?」
野浦が原稿用紙の題名部分を読んだ。
「そういえば、そろそろ選挙ポスター貼られる頃だよね」
「アタシ見たよ、もう貼られてた。今年1人なのに貼るんだね。まぁ雰囲気あっていいけど」
「へー」
(私見てないな)
反応的に羽野もまだ見ていないようだった。例年と同じであればそれなりに量が貼られるので、近いうちに見られるだろう。
「助かった。ありがとう」
「いいのいいの!」
「私たちもう行くねぇ」
集まったのは6枚の原稿用紙。できるだけ汚れを落としてから集めた。
にしても。
「う、疲れた…」
芥津門は体力がカスである。校内ならまだしも外なのがいけない。まだ季節的には春だが気温的には夏と言ってもいい。数年前の夏が今の春だ。運動不足には少々厳しく、滝のような汗をかいていた。
「俺行ってるから休んでれば」
その汗の量にギョッとし、羽野も気遣いを見せる。
「いや、更間に早く渡してあげたいんだ」
◾️
そしてまだまだ原稿用紙は足りていない。あと14枚だ。次は中庭へ向かった。ちょうどさっきの道からまっすぐいけば噴水のある中庭へ着く。昼休みも終わりがけなので人はまばらになっていた。
そんな中、ベンチで食べかけの菓子パンを片手に持ち、もう片手には原稿用紙を持って座る人がいた。
「芥津門サン、…ドーモ。これなんか落ちてきたんだけど心当たりある?」
古戊留だ。挨拶に羽野の名前を地味に抜かしていることから、喧嘩していることがよくわかる。
「……」
(羽野が秒で目を逸らした!)
古戊留が持っていたのは紛れもなく更間の原稿用紙だった。かなり束になっていて、8枚ほどが集まっているようだ。
(私が緩衝材になるしかないか)
「助かる。ちょうど探してたんだ」
「メッチャ汗かいてんじゃん。今度は何?頼まれて探してんの?」
「そうだ」
「だったら運悪かったねー。数枚噴水の中に入っていったよ。噴水自体も汚いからなぁ、カンペキにダメになっちゃったね」
そう言われて中を覗いてみれば、確かに2枚水没していた。一枚はヘリの近くだがもう一枚は噴水の中心にある。無駄に大きいので外から取れる場所ではなかった。
「…よし」
芥津門は決意して擦り切れたローファーと指定の靴下を脱いだ。長いスカートの裾を一般的な女子高生がやるように膝上まで上げる。
そして苔の生える噴水へと足を踏み入れた。
「え、そこまでして行く?」
「…保健室からタオル持ってくる」
「ありがとう羽野」
無視を決め込んでいた羽野も流石に反応しだす。
「…えぇ……気を付けてねー」
古戊留から若干棒読みの、信じられないと言いたげな声が聞こえたが無視して中央へ向かっていく。
羽野は本館に近いのが幸いして直ぐに戻って来た。しかしすでに古戊留はいなくなっていた。
(古戊留も昼食をあまり取れていなかったな…)
「うわ!めっちゃ濡れてる。ほらタオル」
(もしかして似た者メンタルか?)
色々と思うところがあったが、今はひとまず原稿用紙にを優先させた。
◾️
『竺宇が4枚回収したって。協力感謝感謝。中庭まで取りに行きます』
そんな連絡が更間から来たそうで、ベンチに座って待機していた。ここにくるのに3分もかからないそうだから、チャイムが鳴るまでに教室には余裕で戻れるだろう。
「なんかさ、今日芥津門必死じゃね?なんで」
羽野はずっと疑問に思っていたことを口に出す。落としもの系に必死なのはいつもだが、今は急ぎが全面に出ているような気がした。
「更間が今までずっと考えて悩んでいたのを知っているからな。できるだけ力になりたいんだ。すまない羽野、付き合わせたな」
「ふーん。前からの知り合いってのは聞いてたけど」
「実は私が忘れもの保管室を管理し始めるきっかけになったのが更間だったんだ。私が中学3年のときこの高校を勧めてくれたのもそう。返しきれない恩がある」
「…私の友達。でも、姉的な…それで言えば竺宇もそうだな。色々あったから」
(どんな事情だろ)
羽野にしては珍しく話を聞いてみたかった。そもそも芥津門はわからないことが多いのだ。勉強ができない割に頭は回るし、教えていてもできないと言いながら着々と点数を上げていく。人と友達になると挙動不審になるぐらい喜ぶのに、外聞を気にして人と距離を取る。全体的に自分を下げる傾向にあった。
1番不思議なのは格好だ。オブラートに包んでだらしないと言える姿はこの学校に似つかわしくない。差別意識ではなく根本的に中々見ないのだ。
ここは私立陽光学校。
迷う程度に広い敷地を持っており、混乱する程度に校舎が別れている。
要は学費が高いのだ。自然と入学者は金銭面で余裕のある者になってくる。そうだとするとあんな服の着こなしと髪をそのままにしておくだろうか。授業のサボりを許容するのだろうか。基本的にはないだろう。
『人は外見が全てではないが、10割外見で判断される』と羽野も親から聞いている。
(あと苗字が変わったとか…いやこれ以上の勘ぐりはよそう。俺の嫌いなことだろ)
「どうかしたか?」
知りたいが、自分から聞きに行くのは流儀に反する。いつか雑談のように話してくれないかと思うだけだ。
「なんも。選挙、上手くいくといいな」
「ああ」
「せんぱーい!」
「ん?」
ちょうど紙パックを捨てようとしていたとき、聞き覚えのある声は聞こえた。
「いやー、こんにちは!ぼくのこと、覚えてますか!?」
廊下の向こうから誰かが犬のように走ってくる。快活、そして珍しい事に女子生徒の制服を着ていて、一人称が“ぼく”の後輩。
「あ、ストラップのときの…!」
双子の片割れがそこにいた。
「あぁ、ちょっと待ってってば…」
若干息切れしながら後ろを走っていたのは、男子生徒の制服を着た双子のもう1人だった。
驚くべきことに丸めた紙を抱えて、襷掛けをしている。
(そういや今日から選挙前演説の開始日か。朝の連絡事項で担任がちょろっと言った気がする)
「もしかして…」
「はい…わたしが今回の立候補者です」
羽野の目線に気付いたのか頷いた。手に持っていた選挙ポスターを一部取って見せる。
「改めまして、四井瑠布と言います」
◾️
「これから生徒会総選挙を開始いたします」
生徒会総選挙、というが実際は生徒会長を決める選挙だ。
「まず初めに前生徒会長からのお言葉です」
なんと次期生徒会長の立候補者は芥津門の知っている人だった。つい最近知り合ったばかりだがとても驚いた。
野浦のストラップを探したときに拾ってくれていた双子。の、うちの1人。一人称が”ぼく“で女子生徒の制服を着ている方が立候補者なのだそうだ。
なお、生物学的性別は女性なのだそう。
これも昨今騒がれる多様性の一端だろう。
「前生徒会長、更間右多です。私は3年間生徒会長という立場に立たせて頂いておりました。早いことで、もう引き継ぎしなければならない時期になっております。
立候補した時も、準備の期間も、ステージ裏で原稿を何度も確認していた時のことも、その後無事に当選したことも、まるで昨日のことのようの良く覚えています。あれは二度と経験したくない緊張感でしたが、一度も後悔のしたことのない選択でした。
もちろん、苦労の絶えない立場でしたが、友人、先輩、先生方が手を何度も貸してくださりました。この場を借りて皆さまにお礼申し上げます。
たかが生徒会、されど生徒会。どうか真剣にお考え下さい」
芥津門たちが拾った原稿用紙を元に、復元した台本を持っているがそれを一度も見ることはなく、体育館中にいる生徒たちに向けて、正面きって最後の挨拶をした。芥津門でさえも目が合った気がする。
更間は言い終わると礼儀正しくお辞儀した。それと同時に拍手が起こる。
もう彼女がここに登壇して、生徒会長として喋ることはない。しかし更間は粛々とマイクから離れ、舞台袖へと帰っていった。
「今回の生徒会総選挙は次期生徒会長を決める、重要な選挙になります。なお、今年度は立候補者が1名のため、信任決議となります。生徒の皆さんは投票の際———」
もうすぐ、彼もしくは彼女の演説が始まる。
「それでは、立候補者の演説をお聴きください」