転々!ストラップ(下:後編)
そして野浦は今学校にいる。
ストラップの見つかった翌日のことだ。
(うー渡すだけ渡すだけ)
そうわかっているのになぜか落ち着かない。同じクラスということもあって毎日喋るし、毎日顔を合わせるというのに普段と違うことをしようとするだけで緊張してしまう。
他に人のいない教室で悶えていた。クラスメイトの誰もが野浦のこのギャップに驚くだろう。
(アタシこういうとこあるよね…だから書道やってるんだろうけど)
誰にも言っていないが、野浦は緊張しいなところがある。普段通りの行動じゃないと少し落ち着かないのだ。その割に正義感と頼られたいという欲があるので今回のような行動を頻繁に起こす。
人に頼られるたびに、請け負うごとに緊張感も一緒に背負っていた。
(落ち着け〜いつも通りだからね〜)
ペンケースからメモ用紙と筆ペンを取り出して『兎』と書いた。
書道をやってる理由は、好きだからということもそうだが、昔からやっていて丁度よく精神統一できるからという理由もある。
そうこうしてる間に教室の扉は開いた。
「おはよう、海向!ストラップ見つけてくれてありがと〜!これ、お礼のジュースね」
とん、と机に置かれたのはパックのフルーツ牛乳。
「うん、感謝してよ〜。これね。うさちゃん」
先ほどまでの緊張が嘘のようになくなって自然な動きでバックからへたったうさぎを取り出し、渡した。
「ありがと!」
はい。
受け渡し完了。
一瞬でした。
「…よかった」
ぼそっとこぼした言葉だったが、凉名は聞いてしまったのか野浦の方をじっと見た。
「ふふ、海向ったら、あはは!!」
そして突然笑い出す。
「えぇー!笑う!?ここで!?」
思わず椅子から立ち上がって抗議してしまった。
「だって、すっごい真剣なんだもん。あー別にバカにしてるんじゃないからね。えぇと…」
「バカにしてる以外になんかあんの…?」
中々言葉が見つからないのか、唸っているところを待機してみるとやっと口を開いた。
「そう、すっごく海向っぽいなって。…褒めてるからね?」
凉名は両手でうさぎを持ってそう言った。
「アタシっぽい?」
「うん。これぞ、我が友海向ではないか!ってね。まーそんなのはいいからさ、ほら好きでしょフルーツ牛乳。飲みなよ」
最近古典の授業で人が虎になる物語をやったからか、少し声を張って“我が友”と言った。最近、クラスで流行っている。
そういえば凉名が持ってきたのは野浦の好きな飲み物だった。
「覚えてたんだ」
「舐めないでよ。私たちマブでしょ?」
凉名はおふざけ口調で言ったが、野浦は納得した。そういえばこれが友達だったと。
(そうだよな、友達だもんな)
今まで友達、というものを深く捉え過ぎていたのだと自覚する。ふざけて呼び方が変わるように結局はその程度なのだ。
例えば、好きな飲み物を把握している程度の。
例えば、失くしものを探してあげる程度の。
(アタシ、凉名に何求めてたんだ?)
「あ、そーだ今度どっか遊びに行こうよ。久しぶりだよね、最後に遊んだのいつだったか忘れちゃった。陸上部の子達としか遊んでなかったからなぁ」
今ならわかる。多分拗ねていただけだ。
新しい友達と遊び始めた凉名に不安になっていただけだ。このままどんどん関係が薄れていくのではないかと。昔とは違い、社交性を持ち始めた凉名に古い友達である野浦がいつまでも昔の調子で関わっていていいのかと。
「…アタシも遊びたい」
正直、野浦は芥津門が感じたように見た目こそギャルギャルしい。だが内情は違う。高校入るまでは黒髪ストレートだったし、私服は着物がデフォルトだったし、雑誌、漫画類や、ニュースを除くテレビは禁止だったし、門限も今より厳しかった。
今も世間に追いつこうとする最中だ。高校に来てわかった。自分は世間知らずだと。そしてそれはとても恥ずかしいと。
ではそんな恥ずかしい奴が友達として隣にいたら、凉名も赤っ恥をかいてしまうのではないかという、そんな怖さは確実にあった。
「あ、一緒に探してくれた子芥津門さんって言ったよね。今度教えてよお礼したいからさ」
でもこの子はそんなの気にしない子だ。やっと気付けた。この子は自分のことをちゃんと認識してくれている。新しい関係で以前のものを上塗りするが、毎回毎回厚く厚く、人間関係を塗り替えていく子だ。今、芥津門と縁を繋ごうとしたように、他の友達の縁であるストラップを野浦が見つけようとしたように。ずっと変わっていっている。
(アタシと一緒だ)
速度の差こそあれ、2人は一緒に変わっていっていた。凉名から野浦への関心が移っていったことは一度もない。
自分から渡して正解だった。野浦はそれを促してくれた芥津門にお礼をしなければと考えた。
「いいよいいよー。ところでさ、このストラップ、面白い経緯辿ってたんだけど知りたくない?」
野浦が勿体ぶったように言うので、凉名はもちろん気になって向かいの席を借りて座った。
2人しかいない教室は、悪くなかった。
◾️
忘れもの保管室の扉は開く。
「椎ちゃん!」
「野浦…?」
芥津門はダンボールの中を漁っていた。野浦に声をかけられて、扉の方を振り向いた。
「じゃん。写真。この間杏糸とアタシと一緒に出かけた時のね。普段はなかなかやんないけど、写真現像して見たんだー。どうよ、レトロ風」
「おー。おしゃれだ」
芥津門は小さく拍手をする。
数枚のモノクロ写真と数枚のセピア色の写真は、画質の悪さを通して2人の間の暖かい空気感を芥津門に届ける。
「椎ちゃんも次は一緒に行こうね。杏糸のこと紹介するよ」
「私でよければもちろん。とても嬉しいぞ。よかったらこの日のことも教えてくれないか?」
とんとん、と机に置かれたセピアの写真に触れる。そこにはあのストラップも一緒に写っていた。
「こちらこそもちろん!」
野浦と杏糸の話を聞いて、豊かに移り変わる芥津門の表情はどれも楽しそうだった。