鎮座!こけし (上)
こけしが居る。赤いおべべを着た木製の。
己が不気味さを利用して廊下に鎮座することによって、異様な空間を作り出していた。一般生徒はそこを避けて通るだろう。擬音でいうとゴゴゴと表現できるオーラを纏っているように見える。誰もが、下手に近づけばそれに祟られると思うだろう。決して、こけしの半開きの目を恐怖で見つめず、観察対象として見る生徒はいない———
「ほぉ…」
女子高生が居る。こけしの前で仁王立ちの。
裏ボスの雰囲気を漂わせ、最後の戦いと言わんばかりの緊張感を生み出していた。
一対一、公平なる勝負だ。
カラスのような黒い髪と目、私立らしく膝丈まである無地のスカート、私立らしからぬ校則ぶち破りであろう、裾を半分しかしまわれていないワイシャツ。それに加えて、本来はネクタイと呼ばれるはずの紐が、本人以外には再現不可能な結び方で首にかかっていた。
彼女の名前は芥津門椎。ここ、陽光学校では…いや、妖精学校では有名な暇人だ。
「一体誰が落としたんだ…」
落し方の芸術点が高い。廊下のど真ん中に直立している。どう落したらこうなるのだろうか。
「うん、洞察しがいがありそうだ。そうと決まれば落としもの保管室に持って行かなければな」
こけしの前で仁王立ちしながら独り言を言うのはとても目立つが、ここは人もあまり通らない第二校舎の廊下のために彼女を冷たい目で見る人はいない。独り言というにはかなり音量が大きいが、芥津門は気にしない。
「夜になるまではきっと暇にはならないだろう」
ケツトは目をらんらんと輝かせ、奇妙なこけしを容赦なく廊下から奪い去っていった。
「あ、持ってきやがった…」
ここは第二校舎。人があまり通らないだけで人自体は居る。とある男子生徒は一部始終を目撃していた。
「保管室に持ってくって言ってたな。三階だったか…」
あちらは大きい独り言に対してこちらは小さい呟きだ。明るい頭髪を掻いて、ひとまず教室に戻ろうとした。
(場所はわかった。一限始まるし、放課後取りに行けばいいか…)
そうして男子生徒は教室へ向かって行った。
◾️
「こけし〜けし、こけし〜けし〜」
芥津門は歌う。ニ階から三階までの階段を一段飛ばしで行ったおかげで体力がないが、アドレナリンは大量にあった。
五月、新学期ということもあり騒がしかった校舎は段々と落ち着いてきた。それに合わせて、部活動の勧誘ポスターが廊下にいくつも貼られている。去年の芥津門もその多さに困惑したものだ。『テニス』『サッカー』『弓道』『書道』『吹奏楽』という比較的一般なものに加え、『映画研究』『カバディ』『ゲートボール』などの一風変わったものもある。
(そろそろ私の活動も、公式な部活として申請でも出すべきか)
公式な部活となるための条件を思い出す。
(顧問一名、部員三名)
現在、顧問一名と部員二名が足りていない。
(世知辛い)
部活動のポスターから離れ、非公式な部室へ向かった。三階の廊下を真っ直ぐ渡り、その突き当たり、一番奥の人気のない場所。ドアの上のプレートには『忘れ物保管室』と書かれている。もっとも、最初からそう書かれていたわけではなく、上から紙を貼られているだけだ。元々何の教室なのかは知らない。
芥津門は慣れた手つきで建て付けの悪いドアを開けた。ズッ、擦れたと音が鳴り、立ち入ると教室の埃が飛んだ。中にはダンボールが所狭しと置いてある。入り口を取り囲むように“コ”の字に置かれた長テーブル。その上には物が大量に入っているダンボールがあった。
<消しゴム>とラベルの貼られたダンボールには山のように落とし物の消しゴムが入っている。遠目で見れば、お茶碗に入れられた白米に見えないこともない。他にも<貴重品><シャーペン><ストラップ>の箱も長テーブルに置かれていた。
「えーっと、こけしの置く場所は…<人形>ゾーンか?どこだったか」
どこもかしこもダンボールだらけ。積まれていたり、棚に仕舞っていたり。全てにラベリングがしてあり、探すのはまた時間のかかる作業だ。
(諦めよう。ひとまず今はこのこけしの洞察から始めよう)
努力を放棄して、奥にあるいつも使っているガタガタの椅子に座った。そして、これまた天板がガタガタな机にこけしを置く。
「よし、ではまず、この落としものの持ち主を考えよう」
これがいつも芥津門のしていることだった。彼女が熱心に力を注いでいる———部活のようなものだ。『落とし物保管室』部室としている。
(大きくもなく、小さくもなく。世間一般のイメージ通りなこけし)
黒髪おかっぱ。まつ毛がついているわけでも、頬や目元が化粧されているわけでもない。シンプルな顔つきだ。
(現代風だな。若者向けの、少なくともおばあちゃん家にはなさそうな感じだ)
赤い着物に赤い髪飾りを着けている。木材の色はわからない。肌は白く濡れていた。傷や変色があまり見られないことから、かなり大事に扱われていたことがわかる。
(そもそも置物だから、そこまで劣化しないというのもあるな)
何にせよ、なぜ学校に持ってきたのかが気になる。生徒ではなく、教師の可能性も十分にあった。
(授業に使うもの?それとも部活動?…ギリギリ使うとしたら美術かな)
デッサンとかするかもしれない。このこけしをモデルにして絵を描くのかもしれない。もし課題で指定されているわけではなかったら、持ち主の感性は随分と“和”に寄っているのだろう。
(持ち主は黒髪おかっぱ少女と見た)
ちょうどこのこけしと同じような風貌の子を想像した。
洞察とは名ばかりのただの偏見である。
(美術部の部員だったら、伝手があるから直接渡せるな)
そんなことを考えているなか、ある重要なことを思い出した。忘れものとは関係ないが、重要な話だった。
「とりあえず、放課後になってから片付けるとしよう。ごめんよ、こけし。もう少しそこで待っていてくれ」
わざわざしゃがんでこけしと目線を合わせた。
(さすがに授業に参加しなければ)
そう思って廊下を駆けていく。理由は単純だ。
芥津門は今一限をブッチしているように、いつ何時であろうと自分の好きなことを優先させる癖がある。そのため全体的に教科の出席ができていない。先日このことについて担任から厳重注意を受けたばかりだった。このままでは進級が危ういとのこと。
(怒られるのは怖い!)
だが、恐怖に後押しされたからといって、足が早くなるわけでも体力が回復するわけでもない。階段まで数メートル走った芥津門の足は疲れ果てていた。
彼女の体力を端的に表現するとゴミだ。
(確実に遅れるな…遅れるぐらいなら一限は諦めよう)
自身の体力の無さに絶望しつつ、体育座りで廊下の窓の外を眺めた。
◾️
(終わったぞ。私はやり遂げた。久しぶりに二限から六限まで参加した)
放課後の開放感から、心の中でガッツポーズをする。早く部室へ向かいたくて仕方がなかった。
「芥津門さん。ちょっと」
だが、そんな想いも担任は無視して仕事を果たそうとする。
(終わった…)
絶望。
担任に名前を呼ばれ、冷たい廊下に招待された。担任の女性は何やら出席簿を手に持っていた。嫌な予感はしないでもなかった。
「何で一限いなかったの?」
「こけし見つけちゃって…」
「まあいいわ。それより、進級が危ないのわかっているわよね。こけしは進級より重要?」
この担任の怖いところは怒るときに廊下へ呼び出すことだ。そこの静けさもしまってさらに恐怖を感じてしまう。なら授業に出ろという話だが、それができたら苦労しない。
「また一年の時のような成績とったら本当にどうにもできなくなるの、わかる?今手を抜いてたら、将来全部台無しになるわよ」
この担任の嫌なところは去年も担任を務めていたので、私の状況をよく理解しているところだ。それでも言うことを聞かないのは、思春期の反骨精神と、将来と言われてもあまりぴんと来ないほどの楽観視からだろう。
「はい」
手慣れた返事だ。きっとプログラムされている。
「明日は一限から参加するのよ」
「はい」
自分の通り道に落とし物がなかったら参加するだろう。妖精学校と呼び名がつくほど、落としものと忘れものが頻出するこの学校では無理な話だが。
「ちゃんと聞いてるの?」
「はい」
「聞いてないわね」
「いいえ」
ここで誤って”はい“と言うほど愚か者ではない。すると天からの思し召しなのか、その担任が生徒から呼ばれた。
「先生ぇ〜。ちょっと来てくださーい」
「あぁ、凉名さん。今行くわ。じゃあ芥津門さん、気を付けるのよ」
隣のクラスから明るい声が聞こえた。担任はすぐにそちらの方へ向かった。
この担任は陸上部の顧問で、陸上部の部員には何かと甘いから、その凉名という子も陸上部なのだと推測できる。とにかく、芥津門にとっては邪魔な障害物が消えたことが重要だった。
廊下を走っているところを先生に見られてはいけない。初心を忘れずに競歩で『忘れもの保管室』まで向かった。
「ただいま」
立て付けの悪さも気にせずに、勢いに任せてドアを開く。
「え?」
「おっと」
基本誰も来ない部室に男子生徒がいる。それは異質なことだった。しかも一人で来ていた。
(今まで誰も一人でここまで来る人なんていなかった…!)
それには立地の悪さが多分に関係しているだろう。その上、この学校特有の怪談の舞台にこの場所が使われていたりするので避けられている。要するに怖くて一人で行こうとする人がいないのだ。
だがしかし、この男子生徒はそんな恐怖に打ち勝ち、落としものをわざわざ取りに来た。このダンボールの山を見ればわかるように、取りに来ない奴らが大半だというのに。
「素晴らしい…!」
ついつい拍手をしてしまった。相手は引き気味だ。
「えっと…落としたやつ、取りに来ただけだから」
軽く会釈をしてその場を立ち去ろうとした。すれ違う瞬間。芥津門は思わず目を見開いた。
手に持っていたもの。それは今朝、廊下に鎮座していたこけしだった。
「こけし、それDKの?」
「なんで男子高校生呼びなんだよ!」
もう一歩で廊下に出られたというのにわざわざ立ち止まって、芥津門の方を振り向いた。彼はそうツッコミをしたあとに、「あ」と言葉を漏らした。
手で口元のの辺りを覆い隠しているが、それでもわかる”うわ〜やっちまった”感が伝わってきた。
「ナイスツッコミ。初対面なのにキレが良かったよ」
「余計…」
頭を抱えて、下を向いてしまった。
フォローになっていなかったらしい。
「ともかく、少し話を聞かせてくれないか」
「話?」
「私はこの学校の忘れものを無くしたいと思っている。それにはなんらかの対策が必須だろう?この異様な忘れの原因究明のために経緯を聞きたいんだ」
近くにあるダンボールの山を顎で指した。そこにあるものは全て、一ヶ月間落とし主が現れなかったものだ。彼が来なかったら、このこけしもここに来ていたかもしれない。
「…わかった。予定あるから、少しだけなら」
渋々ながらも承諾してくれた。
「俺、羽野。羽野耀成」
癖のある金髪を触り、そう自己紹介をした。
「羽野か、どうも初めまして。私は芥津門椎、気軽に芥津門と呼んで欲しい」
しかし、少し落ち着いてから羽野のことを見ると
想像した持ち主とかなり違うことがわかる。
明るめの髪色、ピアス、程よい制服の着崩し。それに加え、なんか運動神経良さそうな雰囲気。校内のカーストに詳しくないが一目見ただけでわかった。
(絶対人気者だ)
確実にカースト上位———がこけし?
偏見は良くないが、イメージというものがある。誰かからぶん取ったものなのではないかと邪推してしまう。
「なんか失礼なこと考えなかったか?」
「滅相もないな。にしてもこれは本当にあなたのものか?」
落としものに証明書なんてあるはずがないので、この質問に意味はないが、疑いは口に出したくなるものである。
「そのこけしは…本当に俺のものなんだ。あんま信じらんないと思うけど」
どうやら自分のイメージとは違うことを自覚しているようだ。
「どういう経緯で落とした?」
落とし主と遭遇したら必ず聞く質問だ。忘れもの洞察部として、陽光学校内の忘れものを自分が卒業するまでになくすことを一応目標にしている。予防するには、どうやってを知る必要がある。
ちなみにこの活動は去年の秋からやっているが、忘れものは減っていない。置き場が整理されて、綺麗になったぐらいだ。
「あー」
バツの悪そうに頭を掻いた。
「これは木製だし、造りもしっかりしているから、落したら大きい音が鳴る。それに気付かず通り過ぎたなんて無理がある。しかも廊下のど真ん中に直立していたぞ」
今回の場合は今後のための聞き取りというよりも、単純になぜ直立していたかが気になっている。
「とられてたんだよ」
「とられてた?」
取る、盗る、撮る。何かをされていたのであれば、撮るが最も適切だろう。
「この学校に映画研究部があるのわかるか?そいつらに俺のこけしのことを話す機会があって、撮りたいからつって貸したんだ。たぶん撮影中だったんじゃね」
一応納得できる経緯だった。だが芥津門にはある疑問が浮かぶ。
「撮影者なんて誰も居なかったぞ?」
それは確実に断言できた。
「…そうだな。俺も周りを見たけど、君以外に誰も居なかった」
「…見てたのか」
(独り言も聞かれてたかな…)
芥津門は人知れず憂鬱になった。
「たぶん俺、からかわれてるんだろな」
そんな憂鬱さは羽野の予想外の言葉で無くなった。
「羽野が、か?」
カースト上位だと思ったのは思い違いだったのだろうか。
「お調子者がよくやるんだよ。人の物を隠すとか。あくまでおふざけの一環だから誰も強く注意できない」
不思議な話だった。
「それを注意した時点で<真面目ちゃん>、<ノリが悪い奴>って認識されるからな」
「不思議だと思ったが、訂正しよう。気味の悪い話だな」
芥津門は一匹狼という名のボッチで、何かしらの学校内のイベントでグループを組むのは毎回苦労する派だが、羽野のようにグループでいても面倒なことが起こるのは初めて知った。
ボッチも悪いことだらけではない。
「元々、今朝返してもらう約束だったんだが、どっかに落としたって言っててな。それで俺はここまで来たんだ」
映画研究部のお調子者が羽野からこけしを借り、撮影を口実に第二校舎ニ階の廊下へ置き去りにした。そして、落としたという言い訳で羽野にこけしを探させた。
羽野の話をまとめるとこんな感じだろう。彼はお調子者を批判するような言葉は使わなかったが、控えめに表現して最悪な奴だ。
「…なるほど」
わざわざ物を借りでまで隠そうとする。あまりにもやることが子供過ぎるように感じた。
「同中だけどそいつは似たようなこといっぱいやってたから。正直可能性はあった」
「隠される可能性をわかってて貸したのか」
「見てみたいって言われたんだ」
果たしてそれだけで貸すだろうか。わざわざ自分で取りに来るほど大切にしているこけしを。
物を見ればわかる。傷ついた跡なんてひとつもなかった。
「大切な物はもっと慎重に扱うと良い。また落とされたら大変だ」
「そうするよ」
「あとこれは私の好奇心を満たすために答えてほしい質問なんだが…このこけしはどこで買ったんだ?」
何を隠そう、芥津門はこけしを家に飾りたくなってきている。
「俺のばぁちゃんの手作り。一点物だ」
「ほぉ、すごい」
(悔しい。買えない)
「だろ」
羽野の頬が緩む。おばあちゃんっ子なのだろう。褒められて嬉しそうだった。
「あぁ、あと」
「何」
「羽野はツッコミ担当なのか?」
『なんで男子高校生呼びなんだよ!』
両者の間でこの言葉が反芻された。
「お前のDKって呼び方が悪い…!」
古傷を抉られたかのように頭を抱える。
「すまないDK。なんて呼びかければいいかわからなくてな。咄嗟に」
「ワードセンスどうなってんだよ。二人称の存在を忘れたか」
やはりキレがある。
「お笑いとか…もしかして好き?」
「……みんな見るだろ…リアタイするだろ…」
「私は録画で充分なタイプだ」
「相容れないな」
お調子者に言った言葉よりも強い気がした。
「話は以上。とりあえず、羽野がこの子を忘れないでいてくれて本当によかった。ありがとう」
「芥津門はどの目線でそれ言ってんだよ。ま、今俺が言ったこと、誰にも言わなければそれでいいから。長居したな」
「ああ。実はツッコミ担当ということも言わないぞ」
「…マジで言うなよ?それ漏れたら今の俺の立ち位置が危ぶまれるからな」
「ああ。わかってるよ、隠してるんだろう。その関西魂を」
「お笑い好き=関西人じゃねーから!」
それを捨て台詞に、羽野はぴしゃりと部室のドアを閉めた。
◾️
「陽キャにも陽キャの苦労があるのか…」
こけしとその持ち主が居なくなった部室で、芥津門は腕を組んでそんな感想を漏らした。時刻は四時半。カラスの声が聞こえるが、家に帰るにはまだ早い。
(まだもう少し暇を潰さなければ。校内を見て回ろうか)
部室内の清掃など、やりたいことは山ほどあるが今日は久しぶりに一限を除く授業に全て出席していたため、校内の落としものを回収できていない。
ここの管理権限を持っているのは先生だ。それでも芥津門が自由に使えるのは、落としものの回収や管理をすることでこの部屋の使用を黙認してもらっているからだ。
そのため、芥津門にとって校内の徘徊は役目である。徘徊と言っても各所に置いてある落としものボックスを回収するだけだが。
見ず知らずの人の落としものをここまで届けにきてくれる人は中々いない。一応この学校は妖精学校と言われるほどに、落としもの・忘れものが多いのでみんな呆れかけている。大概が無視をする。
(本当にどこかへ行ってしまったらどうするんだ)
その点で言えば今日来た羽野は人間的に満点だった。
椅子から立ち上がり廊下へ出ようとすると、あるものが目に映る。
「これは…」
廊下の中心には、
部室の正面には、
先程とは全く違うこけしが鎮座していた。